「ぐ、かはっ!」
最後におもいっきり力むと、ずるりという感触と共に熱を持った塊が抜けたのが分かった。
生暖かい塊が蠢きながらプレートメイルの隙間を器用に通り抜けていく。
隙間から抜け出た後しばらく俺の横で止まっていた気配を感じたが、やがてかき消すように消えていった。
くそ。方向の確認さえできないなんてな。
体力を消耗しすぎて首すら動かせない状態だ。
いや、酷い目にあったが最悪ではない。
俺はまだ生きている。
「……おい、ケイン、エリカ。生きてるか?」
「……なんとか、な」
良かった、ケインは生きてるか。
だが、ケインに続く言葉はない。
もう一人のパーティメンバーであるエリカの返事がない。
胸にぐっと熱いものがこみ上げてくる。
クソったれが!
「──い、生きてる、わよ……、ひぐっ、うぐっ」
ふぅ……。
良かった。
エリカも生きてたか。
泣いてるくらいなら、まあ無事の範疇だ。
この状態で別の魔物に襲われたらひとたまりもないが、動けないものはどうしようもない。
やがてケインがゆっくりと体を起こして、あたりの警戒を始めた。
レンジャーの技術の中に体力回復のコツとかあるのかね?
「安心しろ、周りには敵の気配はない。おい、ベック。まだ動けないか?」
声を掛けられたので、体を少し起こす。
プレートメイルの擦れあう音がガシャっと迷宮の壁に反射して消えていく。
「すまん、もうちょっとかかりそうだ。ポーション類は残ってないか?」
「無い。ポーションも食料も身に着けてる装備以外全部持ってかれた。もう撤退するしかないぞ?」
ケインは短く切りそろえた赤毛の頭を横に振った。
少し痩せているように見えるが、引き絞られた弦のような印象の男だ。
まだ10代後半だが、判断力も決断力もいいものを持っていてこんなところで死んでいい男ではない。
俺たちが今いるここは北ザイル山脈中腹にある大迷宮の地下14階層だ。
バックパックに携帯食料1ヶ月分を入れて本格的に下層を目指していたが、悪辣な
「食料も水もなし……か。ここから迷宮入口に戻るだけでも1週間はかかるぞ?」
「無理でも戻るしかないだろ。死にたくないならな」
「……さい、あく」
本当によろよろという感じでエリカが立ち上がった。
だがすぐにふらついて壁に寄り掛かる。
それでも魔法の杖を離さないのは大したものだが。
エリカは流れるような長い金髪をいつも自慢している少女だ。胸も尻も大抵の成人女性より豊かで服の上からでも形の良さが分かる。それでいて腰は細くくびれ、目鼻立ちも整っている上、頭の回転まで速いし努力家だ。
本当になぜ冒険者などやっているのか不思議で仕方がない。
女を活かすにしろ才能を活かすにしろどんな方向に進んでもきっと冒険者なんかやっているより大成するだろう。
まあ冒険者で稼いだ金で魔法学院に通って国に仕官するというコースも無いではないが。
そのエリカが覚悟を決めた表情で俺たちに提案してきた。
「15階層へ進みましょう。入口に戻ろうとすれば待っているのは確実な死よ」
「そうとも限らないだろ。魔獣と出くわしたら倒して血を啜って肉は焼いて食えばいい」
「冗談でしょ。魔獣の血なんか飲んだらどんな影響が出るか分からないわ。何? ケインは人間止めたかったの?」
エリカの皮肉っぽい言い方にケインがキレる。
「はっ! じゃあ15階層には何があるんだよ? 冒険者の宿か? あったら風呂に入りたいね」
「ケイン、エリカやめろ。言い争っても誰も得をしない」
希望が灯が消えかけてる。
キレ易くなるのは人間なら当然だが、内輪揉めで無様に全滅とか御免被る。
「……ふぅ……ごめんなさい。ちょっと気が立っていたわ」
「ケイン?」
視線でケインに促すと、仕方がないなと言うようにケインが肩を竦める。
「悪かったよ。ちょっと状況が絶望的過ぎてな、口が過ぎた」
「よし、これで今の話は終わりだ」
俺は体を起こして壁にもたれかかった。
「エリカ、15階層には何かあるのか?」
「噂で聞いたのよ。15階層から入口に戻るワープポータルがあるって。だけど噂の出どころの連中に聞いても、なぜか口が重くて誰も語りたがらないの。そうね、A級パーティーの
「ああ、男3人全員戦士系の猪突バカたちだろ?」
「ええ、その3バカたちが最近使ったらしいんだけど、口を
「そうか、分かった。そいつらが生きて帰ってきたってことだけはな。15階層へ向かうぞ」
「あいよ、ベック」
「分かったわ」
◇◇◇◇◇◇
「腹減った……」
ケインが15階層へと繋がる階段を下りながら、ぼそりと呟いた。
気持ちは分かる。
腸の中のもの全部溶かして吸収していくだけの低級スライムだったら良かったが、一歩間違えば体ごと全部溶かされてた。
おかげで腹の中は綺麗なもんだ。
腹の中に残ってるのはスライムの粘液だけで、他は糞一欠片すら残ってないだろう。
多分ケインもエリカも同じ状況だろう。
疲労もかなり蓄積している。
水分もかなり奪われたし、実際あとどれだけ動けるのか俺にも分からん。
休んだところで俺たちには回復するためのエネルギーがないんだ。
◇◇◇◇◇◇
「うぉおおっ!」
盾を構えて俺は
大質量とぶつかった衝撃が俺の腕と左肩に加わり骨がきしむ。
だが、ここで足を止めればそのまま死につながる。
「ふんっ!!」
左足のふくらはぎの筋肉に魔力を込めて強化する。
人体の限界を超えた力を一瞬だけ発揮しブラッディボアの顎を盾でかち上げる。
左足が悲鳴を上げるが、構わず左足に込めた魔力を右足に移す。
「ケイン!」
強化された右足で床を蹴り、盾ごとブラッディボアの体を押し込んで無理やり体勢を突き崩す。
そしてそのまま斜め方向に駆け抜け、ブラッディボアの背後に回ればこいつは俺を無視できない。
ブラッディボアの注意が俺に完全に向いているところを狙って、ケインが体を低くして突っこみ後ろ足の腱をナイフで切り飛ばした。
よしっ!
必勝パターン!
機動力を失ったブラッディボアの両側面に俺とケインが位置取りして小刻みに威嚇しながら時間を稼いだところにエリカの
「で? 食うのか?」
倒れたブラッディボアの心臓の横にある魔石を抉り出した後、腿の肉だけナイフで切り分けてる俺にケインが聞いてきた。
「いいや、食わねーよ。迷宮内の魔獣の肉なんか食ったら下手するとそのまま迷宮の住人になっちまうからな、知ってるだろ?」
「だよなぁ……」
「だけど選択肢としては残しておきたい。死ぬか迷宮の住人になるか選べるようにな」
「運が良ければ人間のままでいられるらしいぜ?」
「……ああ、知ってる」
15階層に降りてすぐに大型の
だがもう遭いたくはない。
「エリカ、ワープポータルは見つかったか?」
「あっちの方で空間が歪んでいる感触があるわね」
「了解だ、じゃあ行くぞ」
◇◇◇◇◇◇
「……これがワープポータルか」
「そのようだな」
扉を開けて入った小部屋の床に円形状の魔法陣が描かれていた。
大体似たような模様なので、各地の迷宮に潜り慣れてると魔法の知識がなくても、判別はつく。
ワープポータルは大規模な迷宮だと時折発見される代物だ。別のフロアから別のフロアへ移動することができるが、
だが今回のシロモノはかなり変だ。
はっきり言えばイカレてる。
───────────────────────
【第1階層直通ワープポータル使用条件】
1.3名以上いること
2.雄(男)が1名以上いること
3.全裸であること
───────────────────────
信じがたいことにワープポータルの使用方法が壁の石板に文字として彫り込まれている。
「ここの
「……同感ね」
迷宮攻略を行う冒険者の間ではワープポータルは
だから当然、ワープポータルの使用方法なんかは分からないのが普通だ。
だけど、偶然使用方法を探し当てた幸運な冒険者は存在し、生き延びて還って来れればその情報をギルドに売ることもある。
ただ、罠として設置されたワープポータルは使用条件がないものがほとんどだ。
迂闊にも魔法陣の中に入ってしまった冒険者は自動的に起動したワープポータルによってどこかへ飛ばされてしまい、迷宮の中を彷徨う羽目になる。
そんなワープポータルだが、使用条件が明示してる場合はより悪質な罠のケースが多いと聞く。
あくまで伝聞だ。還ってきた冒険者がほとんどいないせいだ。
しかしこれは……条件が明示されているということはきっと悪辣な罠なんだろう。
だけどその割には、これを利用した冒険者で生きて還ってきてるのが多すぎる。
目的はなんだ?
だが……。
「……使うしかあるまい」
俺たちに選択肢など残ってないのだからな。
「装備捨てて全裸になるのか?」
「全裸にはなるが……装備は手で抱えて行くさ」
「あたしはイヤっ!」
ああ、やっぱり反対するか。
俺たちに裸を晒したいはずもないしな。
だけどな?
「エリカ」
「……だ、だめよ。私が裸を見せるのは夫か、将来夫になる人だけだもん」
知っているとも。
野営している時とか、休憩中に彼女から散々聞かされた話だ。
なんでそんな身持ちの堅いやつが冒険者やってるのかって思うけどな。
とはいえ、子供の時からエリカを知っている身としてはここで彼女の我儘に付き合うわけにもいかない。
チラッチラッと俺の方を何度も意味ありげに見ても無駄だ。
生還を優先するに決まってるだろ
だがエリカの望む解決方法がないではない。
「分かった」
「えっ?」
俺の言葉を聞いたエリカの顔がパァっと明るくなる。
こんな時になぜ嬉しそうな顔をする?
「ケインと俺が先行する。そして俺たちの後ろからエリカが来ればいい。絶対に振り返らないから信じてくれ」
陣形としては悪手だ。
後ろから襲われたらリカバリーできないが、エリカは頑固すぎる。割り切るしかない。このままではどの道全滅だしな。
おい、ケイン。
なんで両手を広げて肩を竦めるんだ?
状況が分かってるのか?
◇◇◇◇◇◇
パーティ全員が裸になって装備は脱いだ服で縛って抱えている。
俺とケインが前衛でポータルの縁に立ち、背後にこれまた全裸になったエリカが立ち尽くしている。
もちろん、俺とケインは後ろを振り返らない約束だ。
「さて、十中八九罠なんだろうが
分の悪い賭けかもしれないが、他に方法はない。
「噂でたまに聞く迷宮主の悪ふざけ的な罠であることを祈るね」
どっちにしろロクでもないな。
「エリカ、俺とケインが先にポータルに入る。エリカは後から入ってくれ」
石板に彫られた使用方法を信じるなら、3人目のエリカがワープポータルに入った時に動作するはずだ。
「分かったわ」
……エリカの機嫌が先程からメチャクチャ悪い。
生きて帰れたらご機嫌取りでもしてみるか。
「行くぞ」
俺とケインがワープポータルの中央まで足を進めてそこで立ち止まる。
うむ、体に異常は発生していない。
「大丈夫そうだ。エリカ入ってこい」
背後でエリカがポータルの中に入ってきたのを感じた。
ブォン!
ワープポータルの縁が青白く発光した。
パチパチという音と共にワープポータルの周囲に紫電が駆け巡り、俺たちの体が薄く透け始める。
起動したか。
さてどうな……
バチンッ!!
一瞬後、俺たち全員が別の場所に移動していた。
空間の強制移動のせいで一瞬目眩がしたが、それ以外異常は感じない。
素早く周りを見て敵がいないか確認を……。
「バカっ!! 後ろは見ないで!」
おっと、そうだった。
「おいベック、前だ! 前を見ろ! 外だ! 森が見える!」
おお!
本当だ。
前に伸びている通路の先に外の景色が見える。
出口だ!!
よし、服を着て装備を付け直……
ガコンッ!!
「何の音だ?」
「ベック大変だ、前を見ろ! 天井から壁がゆっくりと降りてきてる!」
外へ続く通路の天井付近から壁がゆっくりと下がってきているのが見えた。
ちぃッ!!
迷宮で嫌っていうほど見てきた動く壁の罠だ。
「いかん! 閉じ込められる。やっぱり罠だ! みんな走れ!!」
俺たち全員全裸のまま、前に向かって全力疾走を始める。
だめだ、間に合うかどうかギリギリだ。
くそ!
俺たちに
「ケイン! お前の足が一番速い! お前だけでも先にいけ!」
その言葉でケインが加速した。
やっぱり俺たちに合わせて走っていたのか。
だがまずい。
このまま走っても俺でギリギリ間に合うかどうかだ。
エリカだけ取り残されちまう!
村にいたときから「ベックお兄ちゃん!」と言って俺にくっついて回っていたエリカ。
隣家の娘だったけど、一回り離れていたこともあって妹のように可愛がっていたエリカ。
ちくしょうッ!!
走る速度を落として背後を走っていたエリカに手を伸ばす。
「エリカ! 手を出せ!」
ケインが降りてくる壁の下を走り抜けた。
それを見ながら俺は差し出されたエリカの手を掴む。
「許せ!」
両足、腰、背筋、両腕の筋肉に魔力を無制御でぶち込む。
己の
弾かれたように吹っ飛んでいくエリカが壁と床の隙間を転がりながら通り抜けたのを確認して俺は安堵のため息を吐いた。
そして壁が床まで降りて……俺は迷宮内に閉じ込められた。