ふと、グレイフィアが声を上げた。
「ヴァルト様。例の部屋ですが、無事に確保することができました」
それを聞いたヴァルトは、ゆっくりと頷いた。
「そうか。ご苦労」
その様子を見ていたリアスが、少し首をかしげる。
「そういえば、グレイフィア。あなたは?」
「私?」とグレイフィアは小さく笑う。
「そうね……ここに残るわ。この森に囲まれた空気、落ち着けるから」
柔らかく微笑む彼女を横目に、ヴァルトは懐から財布を取り出した。
「すまんが、リアス。今日の晩飯のおかずを買ってきてくれ」
そう言って札を数枚、彼女に手渡す。
「私が作るけど?」とグレイフィアが少し意外そうに言う。
しかしヴァルトは首を横に振った。
「いや、いい。……人間界の“弁当”というものを食べてみたいからな」
「そう? 残念だわ」
グレイフィアは肩をすくめ、冗談めかして微笑んだ。
「リアス、頼むぞ」
ヴァルトの言葉に、リアスは小さく頷く。
「わかりました」
その時、グレイフィアがふと口を開いた。
「待って、リアス。あなた、スーパーの場所わかるの?」
リアスは一瞬だけ考えたが、すぐにスマートフォンを取り出す。
「知らないわ。でも今はこれがあるから」
彼女は画面を見せて、にっと笑った。
「なるほど。なら心配ないわね」
グレイフィアも安心したように頷く。
「ええ。それじゃ――ヴァルト様、失礼します」
リアスは軽く頭を下げ、玄関の方へ向かった。
「ああ」
ヴァルトは短く答え、その背中を静かに見送った。
リアスが外に出て、扉が静かに閉まる音が屋敷に響いた。
しばらくの沈黙のあと――その静けさを破るように、グレイフィアが声を上げた。
「……それで、どういうこと?」
低く、しかし怒りを押し殺した声だった。
ヴァルトは、机に手を置いたまま目を逸らさずに答える。
「どういうこと、とは?」
「とぼけるつもり?」
グレイフィアの瞳が鋭く光る。
「あれ、本気で言ってるの? ……ならいいわ。私から言う」
彼女は一歩、ヴァルトへと近づいた。
「――どうして、あの子を追い出したのかしら?」
その声には、怒りと同時に確信が混ざっていた。
「まさか、あの子に聞かれたらまずい内容でもあるの?」
ヴァルトは沈黙したまま、視線を外さない。
「いったい、あなたはあの子にどれだけのことを隠しているの?」
その言葉には、長年仕えてきた者としての痛みが滲んでいた。
「さぁ、どうかな」
曖昧に返すヴァルト。
「……そう。あなた、サーゼクスが怖いのね」
グレイフィアの声が低くなる。
「だから――サーゼクスから、すべてを奪ったのよ」
ヴァルトの瞳が鋭く光った。
「俺が? 奴から奪った? 勘違いするな……いったい、俺がいつ奪った?」
その声には、抑えきれない怒気が混ざっていた。
しかし、グレイフィアは怯まなかった。
「私、知ってるのよ」
「あなたが、魔界で誰よりもサーゼクスを恐れていることを」
二人の距離がわずかに縮まる。
空気が重く張りつめ、時間の流れが遅く感じられた。
一分か、いや三十秒ほど――永遠にも思える沈黙。
やがて、ヴァルトが重く口を開いた。
「……確かに。俺はリアスを利用した。それがどうした?」
その顔には感情がなかった。まるで自分自身を切り離したように。
グレイフィアは小さく息を呑み、かすかに笑った。
「あなた……最低ね」
そして、俯きながら続ける。
「でも――一番最低なのは私よ。そんなあなたに、惚れてるのだから」
その言葉は、涙とともに零れ落ちた。
「ねぇ、ヴァルト……一つだけ、お願いがあるわ」
「私を――殺して」
彼女の声は震え、目には涙が光っていた。
それは怒りでも悲しみでもない。
ただ、愛という名の絶望だった。