猿も木から落ちるレベル   作:緑ちょこ

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遅くながら投稿です。1万文字には至りませんが、ご了承ください。


第14話「武士と武将の紙芝居」

テセウスの船と言う物を知っているだろうか。一つの船で旅をする度、どこかしらのパーツに不備が生じる。旅人はその度にパーツを変え続け、無事に旅を終える事ができた。さて、旅を終えた時、テセウスの船は全てのパーツを新しく変えていた。その船はテセウスの船と言えるのだろうか? はたまた、古いパーツで作り直したボロボロの船こそが、本物のテセウスの船と言えるのだろうか。

 

「俺は新しい方が⋯⋯いや、それだと⋯⋯」

 

スワンプマンと言う物を知っているだろうか。雷によって存在が消滅した男と全く持って同じ遺伝子を持った存在が泥から生まれたら、と言う話だ。形も記憶も性格も見た目も血液型も遺伝子さえも、肉体を構築する全てがその男と同じ。しかし、男は既に一度死んでいる。泥から生まれた男は同一の存在として扱われるのか、本物と言えるのだろうかと。

 

「分から、ない。でも、いつも俺は」

 

それらの話を踏まえてもう一つの話をしよう。題名は『猿の成り代わり問題』とでも呼ぼうか。世界にとある猿が一匹いた。その猿はあらゆる芸が得意で、あらゆる人間が見ても見間違えないような物真似芸が得意な猿だった。人語も話し、声質も変え、身長さえも伸び縮みさせ、口調も振る舞いも能力も表情も。全てを真似するのが得意な猿だった。

 

さて、そんな真似をするのが得意な猿がいたとしたら、その猿は何者なのだろうか? 何者にもなれる猿であるが、何者かになった猿は本当にその者なのだろうか? 猿が行っているのは飽くまで猿真似で、猿は猿でしかないというのに。

 

「俺が俺である為に。やるしかねえな」

 

そんなパラドックスを心の内に秘めながら、彩は場違いなコタツの中で羂索の攻めを待つのだった。

 

 

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

術師の特級は単独での国家転覆が可能であること。それ故に1級に求められている力とは隔絶した物が必要なのだ。なにせ、特級にはまともな人間がいないのだから。

 

「さて、話は終わりだ。俺もお前と同じように手札は晒さない。赤血操術しか使わんさ」

 

「失敗作の術式で、どこまでやれるか見物だね」

 

瞬きの間に羂索の姿から脹相へ。偽脹相が姿をコロコロ変え、赤血操術までもを扱っているトリックは未だ不明だ。羂索の推測では呪物の類をかき集め、それらを使用して再現しているに過ぎないと考えているが、

 

「穿血」

 

「甘いッ!」

 

穿つ為ではなく切断する為に。横薙ぎに振るわれた血液の刃は羂索の胴体を切断しようと迫るものの、大きな口を開け、刃を噛み合わせている呪霊によってそれを防御する。直後、陀艮の領域内で具現する魚型の式神のような物が複数体、出現し、偽脹相へと食いかかる。が、その全てを両の手首から飛び出す血の刃──血刃(けつじん)が切り刻む。凝固させず、液体のままに回転を帯びさせているそれはさながらチェンソーのような破壊力で魚呪霊たちを地に落とす。

 

互いに手が届かず、致命傷を与えれない現状、手持ち無沙汰と言う訳だ。一方、羂索の方は手こそ届かずども手数がある故に手探りで突破口を導く事ができる。だが偽脹相は赤血操術しか使用しないと断言した。制限された手札に際限なく振る舞える呪いの集。圧倒的な不利有利の壁があった。が、

 

「な──っ!」

 

その差は一つの技で大きく崩れる。魚呪霊を祓われた事によって次なる手を打とうとした羂索の、その手首の捻り、指先の蠢きを複数の細長い朱が射抜き、行動を中断させる。いつのまにか破けた背中からは肌がさらけ出され、プラモデルのように繊細かつ丁寧な昆虫のような翅が浮くように生えていた。それは弟である壊相だけが行き着いた極ノ番────翅王(しおう)である。壊相のそれよりもサイズを小さく、それでいて威力を補うように壊相のそれよりも多く、複数の翅が生えている。それぞれから射出される血液は速度も遅く、指に穴を開けるのが限界なレベルの威力。が、その手数(・・)が文字通りに勝敗を分けるのだ。

 

(繊細さはあるが威力はない。追尾があれども呪霊に吸われて終わり⋯⋯さして変わらないか?)

 

しかし、羂索とて数千年に渡って生きてきた術師である。故に小手先の勝負とあらば、引き出しの多さで負ける事など決してない。たとえば、決して交わる事のない火と水。それを特級呪霊の術式である『平和協定(・・・・)』で可能にしたら、どうなってしまうのかなんて好奇心から生まれた産物。名付けるとするならば、

 

「燃える水⋯⋯安直だがわかりやすいだろう?」

 

──燃水(しょうすい)。特級呪霊の術式によって人為的に生み出された1級⋯⋯否。等級etc(エクセトラ)である。術式ではなく体質として火を持つ呪霊と同じく体質として水を持つ呪霊を掛け合わせた結果、羂索の足元から溢れ出すように広がる液体の炎(・・・・)が完成する訳だ。

 

結界術によって足場を保護し、そのままの勢いで彩へと呪霊を投げかける。戦斧を持った低身長の武者であったり、弓を引く武士に死してなお刃を振るう侍に忍びの限りを尽くす忍者であったりとその軍団はどこか古き、江戸や平安を彷彿とさせる面子だった。

 

もっとも、正しき書物があるとは断言できぬ故、世紀通りとは言えぬのだが。ともあれ、瞬きの瞬間に偽脹相が姿を入れ替えたように羂索もまた本気を出せば今のような軍勢を使役する事が可能と言う事だ。さしずめ夏油傑が特級であった理由であるとも言えるだろう。燃える水に肉体を焼かれながら進み続ける呪霊達を前に偽脹相が構えを取って────、

 

『超新星』

 

瞬間、炸裂する朱によって呪霊の軍勢が粉々へとなった。

 

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

赤血操術と言う術式は本来、御三家の一つである加茂家に伝わる相伝の術式であり、その能力は血液を操作する事である。呪霊と加茂家⋯⋯そして羂索の手が加えられた事によって呪胎九相図と言う呪力を血液に変換できる上に体外での血液操作も可能とする強力な組み合わせが完成したのだ。して、赤血操術の最も強力な点とはなんであろうか。戦いにおいて最も強力な手段とはなんであろうか。ルール無しの騙し合い、殺し合いとして考えた時、その強みは──、

 

『超新星』

 

朱、赤、紅。その強みはやはり圧倒的な手数である。脹相が作り出した完全オリジナルの拡張術式である超新星は宙に留めさせた血液を爆発させ、四方に散弾銃が如き破壊を発生させるというもの。血液さえ出しておけば後からでも用意できるし、そうでなくとも戦闘中の合間合間に挟むのもまた容易く強力な一手であると言えるだろう。

 

『赫鱗躍動・載』

 

あるいは身体能力を向上させるバフ効果も加えるべきと言えるだろう。散りかける最中の呪霊達の体を足踏みに跳躍し、空中を舞い上がらせる脚力に距離が空いてしまった羂索をも瞳に捉える程の視力。赤鱗躍動の最大出力である赫鱗躍動・載は人体を簡単に人智を超えた枠に飛び出させてしまう。そして風切り音が消えたという事は目的地が近く、速度が減衰したということ。つまるところ、羂索もこちらを視界に入れていると言う事であり──、

 

『悪路王大嶽』

 

──特級。『何か』を『断つ』事に特化した術式を持った呪霊は羂索の手振りと共に大きな斧を振るう。断つ物は物理的な物ではなく、概念的な物も含めて断つ(・・)事ができる。そして今回の術式対象はその認識を限界まで拡張し、"縛り"として『術式が無効化された際に死ぬ』と言う物まで結ばせている。その実質的なデメリットは呪霊と言う手札を失う事であるが、擬似的に命の重さで呪術的効果を底上げしているのだ。結果、断つ術式は偽脹相と術式の繋がりを切断しまいと振るわれるが──、

 

「ぶ──ふぐッ!?」

 

振るわれた斧によって遮られた視界。その一瞬の隙を射抜いて懐へと入り込んだ偽脹相の拳が羂索の顔へと叩き込まれる。切断の術式が無効化────否。効いてはいるものの、姿を変えているのは目の前の偽脹相の術式ではない事が分かり、変装の種が術式であるという羂索の推測が砕け崩れる。最初、術式の模倣をいつぞやの術師がしていた時。呪物や呪具の類ではないのかと羂索は思った。が、それではあまりにもノーコストすぎる模倣だ。故に術式の応用かなんかと結論付けた。して、目の前の偽脹相も似たような類なのではないかと思っていたが、

 

「そんな、馬鹿な。そんな呪物があれば、あってしまえば⋯⋯!!」

 

──等級などクソ喰らえだ。1級呪術師『柊陽彩』の情報は全てが未知だった。過去から遡ろうとも、戦闘情報(データ)から探ろうとも、全てが真っ白だった。まるで何者かに人為的に隠されているような、何もないが故に歪だった。全体が黒で覆われているが故、そのどす黒さに気づかないように。存在自体がおかしかったのだ。

 

物理的な、ではなく精神的な痛みで嘆き、地面へと蹲る。呪具で模倣など⋯⋯あまりにも無法がすぎた。

 

『穿血』

 

「クソ」

 

手が合わせられ、隙間から圧縮された血液が放出される。水流カッターのような鋭利さを持つ朱が羂索の頭蓋を貫き──、

 

『うずまき』

 

破壊の渦が空間を蹂躙した。

 

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

渋谷事変もとい後に『東京魔境』報告書には後にこう記された物がある。それは人間の醜悪さとも、愚かさとも言えるおぞましい行いで、実用面だけで語ればそれは正しく神の所業と言われ、道徳面で言えば悪魔とも言える。それは──、

 

「人体と記憶の複製さ。いつぞやのつぎはぎ面(・・・・・)の呪霊が言っていただろう? 術式は魂に宿る。ならその魂の情報⋯⋯そのコピー品を移せばいいだけのこと」

 

────他人の模倣。彩がやっている事となんら変わらないそれは彩の考えていた通りに他人を冒涜する。元より、彩は考えていた。自分の事を自分よりも知っていて、自分ができる事全てができる存在がいたら自分の存在は必要なくなるのではないのかと。故に心の隅で模倣術式とは他者へと成り代わる、魂の冒涜行為であると。その気持ち自体は最初からなかった訳ではない。『柊陽彩』と言う赤子の体を乗っ取ったのか、あるいは魂が転生したのかなんて細かい部分が分からなかったのだ。情報(データ)を必要とする猿真似呪法に他者を見て育った(自分)。だからこそ気をつけていたのに、吹っ切れたように呪具にまで手を出し、姿までを真似たのに。なのに、

 

「⋯⋯忘れてたよ。お前が好奇心でなんでも(・・・・)やるクズだって」

 

「ふふっ、褒めても何も出ないよ」

 

羂索(こいつ)はやってのけた。やり遂げたのだ。自分の魂の情報(データ)をコピーして、それを他者へと移した(・・・)のだ。だが、埋まった容器にそれが入り切るとは羂索も思っていない。なにせ数千年の記憶だから、些事を忘れどそれでも数千年。だからこそ魂を注ぐ器は無である必要があった。その試作段階が虎杖悠仁。

 

「まぁ、あれは赤子の頃に軽く注いだだけだから、私の方ほどではないんだが⋯⋯今になれば良いと言えたかな」

 

赤子として生を授かった時、既に虎杖の母親は羂索に乗っ取られていた。結界術までもを極める羂索ならば、産まれる前に細工をする事など容易いだろう。そして軽く注いだ(・・・・・)なんて発言から分かる物がある。羂索はやはり他者の記憶と言う水を捨て、その上で羂索と言う魂で塗り潰している。そうでもなければ数千年の魂に常人は耐えれない。だからこそ羂索本体以外は自分が複製品である事すら認識していないのだ。だからこそ追い詰められれば、自動的にうずまきを発動する時限爆弾となっているのだ。

 

「一般の術師にしては楽しめたよ。宿儺程ではないけれど」

 

「ク、ソ」

 

姿勢を保てない。足腰に力が入らない。特級呪具が故に姿の偽装までは解けない。そもそももうバレているから問題はないのだが、それでも模倣術式を扱う上では出力を底上げする理由でもあるから、解けてしまえば少しでも戦えなくなる。視界が薄れ、揺らいで、地面が崩れ落ちて────、

 

「よくやった。後は任せろ」

 

「あぅ⋯⋯ぁ、ごめん」

 

預けられた肩にコタツとは別の、いるはずもない兄貴の温もりを感じて意識が暗転した。

 

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

天元に頼み込み、瀕死だった偽脹相を庇って現れたのは本物の受胎九相図、長男『脹相』だった。言うまでもなく偽脹相の正体は彩だったものの、その偽装は戦うまでは分からないような精密な物だった。なにせ、特級呪具の一つであるのだから、そうでもなければ名が廃ると言う物だろう。

 

「今更、君が出た所で意味がないだろう。アレ(・・)のが幾分か使いが上手かったよ」

 

「そうだな。でも倒れかけていたから俺が出た。他に理由は必要ない。少なくとも俺にはな」

 

呆れた顔で軽い挑発をかける羂索に脹相は顔を変えずに言葉を返す。まるで、ただ強いだけでは上に立つ事ができないといったニュアンスが含まれたような、経験則が語る失敗談のような物。ともあれ、状況はこちらへ傾いたとは言い難い。偽脹相もとい彩が赤血操術を使って戦ってしまったが故、脹相の手札は既に羂索にバレたと言える。もっとも、羂索の呪霊もある程度は見えたと言えるが、その数の違いは果てしないほどの壁と表現する他にない。それでも兄は戦わなくてはならない。たとえ不利であったとしても、だ。

 

『赫鱗躍動・載』

 

「それはもう既に見たよ。正確には偽物の方でね」

 

赫鱗『躍動』とついているように、踊り、舞い上がるような動きで両脚を踏みしめる。瞬間、結界で保護している地面、足元の一部が粉砕され、脹相の姿が見えなくなる。が、その圧倒的な速さを無意味にしたかのように羂索が動く。背後から手刀を振りかざす脹相へと振り返りながら左腕を振るい、肘打ちを手首へと直撃させる。が──、

 

『血刃』

 

「づ────っ!」

 

トカゲが自切するかのように自然に切れた中指から糸のように溢れる朱。瞬時に回転し続ける赤。高速に流れ続ける血液はさながら鋭利な刃のように羂索の肘を削り取り、痛みによって完璧なヒットを免れ、驚きと空振りによって呪霊の防御壁に綻びを作った。数多ある数の低級呪霊による防御も、その呪霊を操る力さえなければ問題ない。力を強め、振るい、叩き込む。

 

『超新星』

 

鳩尾へと食いこんだ拳が体をくの字に折り、中腰へと強制移行させる。瞬間────、

 

「ぶ、ぅ」

 

爆発。拳から溢れる血液が爆ぜ、方向性が定められた破壊が羂索の右胸に大きな穴を開通させる。1級術師である脹相が特級に勝てる事があるなんて、と考えている最中に一つの警鐘が鳴り響く。彩が襲われた複製体によるうずまきの範囲攻撃。呪力が高まるのを感じてすぐさま後方へと飛び──、

 

「────」

 

出せない。蹴り出した事によって地に足はついていない。

 

「先達の偽脹相のおかげで警戒しただろう? だが、そもそも私はこんなので死なないし、負ける戦はしないようにしていてね。いや、できない体質かな」

 

「ぁ、うふあ」

 

喋れない。声がまとまらず、言葉が作れない。ジタバタと足を振り回しても、まるで何かが喉を遮っているかのようにただの音になる。

 

「ああ、これかい? 反転術式と領域展延の応用でね。高度な結界術さえあれば誰でも(・・・)できる」

 

回らない。頭がはっきりせず、思考を巡らせれない。皮肉げな男の声が嫌な風に耳に入り込むのに、その情報から推測して何かを考え出すという事ができない。頭の中で情報を整理しようとしたら、その事を忘れてしまうかのように何も考える事ができない。

 

「空の領域を内側に展開するのが領域展延なんだが、その何もない領域を覆い隠すように結界を展開してね、プログラムを内側から変えるようなイメージで行うんだ」

 

見えない。視界が確保できず、視聴する事ができない。その嫌味な男の傷口を、ぽっかりと浮かんだ満月のような大穴を、敗北に顔を歪める男の表情を。眼球が水分を失い、その機能を停止するかのように。

 

反転展延(はんてんてんえん)とでも言おうか。反転術式と同じだと思ってくれて構わないよ。まぁ、覚えてくれてもそうでなくとも、広まる事はないのだけれど」

 

肉が蠢き、神経が集まり、臓器が作られる。否、作り終えていたと言うべきだろう。だって、脹相の瞳が傷口を確認する頃には、既に完治していた所なのだから。

 

「ぅ、あ、ゆう、じ」

 

そして視界が戻ったと共に見た事で死を認識した。だって、羂索の左腕が自分の心臓を貫いているのだから。それ故に足が地につかなかったのだろう。壊相も血塗も、声すら聞けていない他の幼い弟たちも、悠仁でさえ守れなかった。だが、これでこの道を通る事を弟たちが選ばなければ、そうあるだけで兄としての役目は──、

 

『兄者ァ』

『兄さん』

『兄貴』

 

「ぁあああああ!!!」

 

────終えない。否、終えれない。死ねない。否、死ねれない。諦めない。否、諦めれない。だって、俺は、

 

「なぜそうしぶといんだ!?」

 

「兄貴だからだ!! 十人兄弟のな!!!」

 

──兄貴だから。止まらない。止まれない。止まられない。誰も彼も、止められない。血の魔人(・・)が顕現した。

 

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

赤血操術と言うのは血液を操作する術式である。前提として重ねて言うと、血液(・・)を操作する術式である。決して『自身の血液』に限った話ではない。が、その術式の真髄は永遠に封印された。それは強力すぎるが故だけではなく、呪術的に忌々しい過去をも含めて封じられたのだ。他にもない、意地汚く、どす黒く、この世に渦巻く呪詛によって。

 

「ぐ、な⋯⋯な、ぜ」

 

一人の男がいた。時代は遡ること平安かそれよりも古きかの(いにしえ)の頃である。身に刻まれた呪いである術式を扱い、武将として上り詰めた力、知と共に優れ、妻子にも恵まれた男だった。

 

「なぜと問われども、其方が自由に動けと命令した故。拙者が望むが事を」

 

男は部下にも恵まれていた。かつて戦で拾った赤子を、道なきみなしごを懐に起き、生きるための術を教え尽くした。だからこそ信頼と信仰が募り、自分を信用しきる駒が生まれた。それでも武将であろうと悪人ではなかった男はその部下を思うがままには扱わなかった。逆に自由にしろと言い、奔放にできるほどの金を与え、外へと飛び出させた。

 

「拙者の目的は其方のような戦神になられる事。それ故、これ他に道はなし」

 

「ぁ、あぁ⋯⋯」

 

自分の死が裏切りによる物ではない事を男は、否。武将は知り、絶望した。かつて武将は故郷にて自由奔放に生きすぎて、村八分のような扱いを受ける程の痛い目を見た。だからこそ堅実かつ誠実な行いをし続けたのだ。重ねて武将は絶望した。どのような行為も悪人(・・)には無意味になると。

 

「ク、ソ」

 

部下の過去を思った。思い浮かぶそれはかつて戦で拾った赤子の顔だ。なんであの時に殺さなかったのか。そもそも、赤子は焼き払われた村、その村長の息子だったはずだ。恨みを持たれても仕方あるまい。ならば殺されて本望か? 否。断じて違うではないか。生きて、戦って、殺し続ける。武将とは負けぬ。戦神とは死なぬ。なろう。変わろう。求める姿へ。

 

「────死ね。戦の赤子よ」

 

「参る。血濡れの戦神よ」

 

血濡れた姿で立ち上がった武将と刀一本を構える部下。そのどちらが勝ったかはまでは書物には記されていない。伝わる文献もどれもこれも武将の部下の容姿についてしか残っていない。そも、この書物は呪術的価値がありすぎる故、呪詛師の手にくだらぬように封印(・・)されたのだ。あるいはこのような事を言う者もいるだろう。

 

【御三家はバランスを取れていなくてはならない】

 

過剰に強まった御三家の力を、他の御三家が許すはずもないから。それ故に加茂家相伝の術式である赤血操術の奥義は永遠に封印された。されるはずだった。

 

血濡れの戦神についてはこう記されていたのだ。

 

【血塗れの戦神。武人たる男は守護を元に戦を導く。己か敵かはたまた味方か、その行方は知らずども、遠き日に果たされる】

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

(クソ、どうしてこうも空振る!? そもそもはダミーすら使わない予定だったろう!!)

 

地面に溢れ出す血液の津波を避けるように真上に飛躍し、飛行していたエイ型呪霊の背に足をつける。当初の予定では複製体の使用すらも行う予定ではなかったのだ。ともあれ、それをするのが選択になかった訳ではない。なにせ柊陽彩というイレギュラーがあるからだ。獄門疆がこじ開けられ、五条悟にでも天元を守らさせればどのような手を行使しても勝つ事はできない。解呪前の乙骨を夏油傑が討ってくれていればなんら問題はなかったのだが。

 

「呪力量が急増した。底も得体も知れないぞ!」

 

結界で強化された薨星宮であれど、その敷地は無限では決してない。空間の真ん中で立ち伏せながら、全身から血液を垂れ流し続ける脹相は正に噴水のような勢いで今も出血を加速させている。それに付け加え、軽い雪崩であったと表現すべき血の質量が今や膝にまで達しているではないか。呪力を消費して血液を生み出せるも何も、その呪力にも限界はあるし、心臓は貫いたはずなのだ。

 

「縁断は使えない⋯⋯ストックを使う他にないか」

 

羂索の口から溢れ出た言葉、ストック。それは文字通りに呪霊の在庫を意味する事で、低級呪霊を山ほど所持している羂索がストックと表現したのは数に限りがある『特級』の手札と言う事だろう。それは悪路王大嶽のような物も同様であり、それ故に無くならぬよう、祓われる直前に懐へと戻し、回復を促すのだ。だが、今ここで死ねば少ない矜恃も傷つき、溢れんばかりの知的好奇心を満たす事ができないではないか。

 

「なら、やるしかないだろう」

 

羂索の好奇心か、それとも脹相の呪力量か。質量で(まさ)った方が勝利する戦い。互いに手札を解き放ち、全力で挑む戦。何もかも投げ捨て、目の前の敵を殺す事に集中する殺し合い。それは酷く、羂索の頭の奥底で蠢いているような、遠き古い記憶。それは──、

 

『領域展開・胎蔵遍野』

 

『九相図兄弟ぃぃいいい!! ファイヤー!!!!』

 

──魔物を従わせる侍と血を操る武将の戦。袈裟(・・)斬り侍と血塗れの戦神が矛を交える瞬間。いつぞや奪った者の記憶の断片が蘇った。

 




「平和協定」
羂索が所持している特級呪霊の一体が持っている術式。その詳細は本話では不明であるものの、羂索の発言から交わらざる物を混合させるようなものだと推測される。

「焼水」
平和協定によって無理矢理に生み出された呪霊。術式ではなく体質で『燃える水』と言うことから等級はなし。純粋なる熱量で燃やし、増殖するので呪霊操術を持ってすれば特級には値するだろう。
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