2026/3/3 誤字修正
世間で『幽霊』とされている物には幾つかの種類がある。恨みや辛み、嫉妬から生まれた『生霊』であったり、生への執着などで留まり続ける『浮遊霊』。怨念によって誰かを呪い続ける『悪霊』。それらのジャンル分けはあながち間違っておらず、生まれる原因によってその幽霊────呪霊が持つ力は大きく変わる。そしてもう一つの種類、それは──、
「これは『地縛霊』ですね。危ないんで山さんは下がっておいてください。帳はこっちで下ろします」
「⋯⋯了解致しました。伏黒1級術師もお気をつけて」
────地縛霊。いわゆる『窓』と称される人物から伏黒と呼ばれた男は黒髪に黒服と呪術師では平均的な格好と容姿をしている平凡な術師だ。しかし、重要なのは『1級術師』であること。そして此度に訪れた任務では1級が派遣される程の危険性があるということ。
『闇より
下ろされる黒いカーテンは人ならざるモノの認識を覆い隠し、非術師が事故に巻き込まれないようにする為の安全装置だ。結界術に秀でた者であれば、それ以上の事も可能な代物ではあるが。
「行くぞ、『玉犬・渾』」
「────!」
生憎と男はその類の術師ではない。戦場へと足を運び、邪を祓う、知的にも見えながら武闘派でもある男なのだから。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
埼玉県さいたま市岩槻区に存在する旧中村精神病院は様々な噂が立っている。重度の患者を閉じ込める鉄格子の牢獄があるだとか、過度な拘束が原因で圧死、または窒息。幾人ものの患者が医療過誤によって死亡。元より精神病院と言う事もあって、良い評価は向けられていなかった。
「病院なんてどこにも見当たらない。この手の心霊スポットにありがちなのは病院の存在自体も霊障っつータイプ」
近年、地震などによって起きた土砂崩れにより、建物自体が大きく崩れ、土と共に埋まり、国道を防ぐなどと話題となった旧中村精神病院。それを踏まえた上でも伏黒の視線の先にある丘には建物の残骸と、そう呼べる程の跡地は存在していなかった。
「結界術の基本は『隠すこと』。天元様の秀でた結界がそうであるように、あるいは偽っている可能性がある。霊障を噂され、建物が見られる事、それ自体も霊障」
明るい時間にも拘わらず、周囲はどこか静かで横吹く暑い風が髪を揺らし、目障りな程に吹きかけている。国道なのに車は全くと言って良いほどに通らず、それこそ伏黒が道の真ん中を歩き、丘へと近づく事が簡単にできるほどだ。
「偽装の結界は基本、どこかに抜け穴がある。『脱兎』」
結ばれる掌印と共に現れる無数の兎。単体での戦闘力は高くないものの、速度は早く、何よりもその数が多い。丘へと一斉に走り出す脱兎たちは何事もなく登り、或いは段差に引っかかっては転けながら、また登り続ける。なんの変哲もない坂道だと思える程に自然な丘。しかし、脱兎はそれでも登り続けて、
「見つけた、行くぞ」
「──!」
1匹。1匹だけ丘に『落ちる』個体がいた。坂道から転げ落ちた、という意味では伏黒の出した式神なので、そんなドジな事は起きない。穴なんてないのに、まるで落とし穴がそこにあるかのように、文字通りに『落ちた』のである。それを見た瞬間、玉犬へと合図を出して走り出す。呪力強化を元に増加している身体能力は高く、一瞬で丘を駆け上がり、目当ての『穴』へと到着出来る程だ。胸の前で畳むかのようにして両腕を組み、真下へと垂直落下する。数十秒の暗闇を元に、微かな明かりが出現する。鼻につくほどの消毒液の香りに時間が停止しているかのような冷たい空気。存在しないはずの
「脱兎」
動物をモチーフにした式神であるが故、素足である脱兎は生きていない為、床から伝わる無機質な寒さを感じ取れない。しかし、呪力で生み出され、使役されているそれは並の術師よりも遥かに危機察知能力に長けている。影絵を元に周囲へと散らされた脱兎は中村病院の隅々までに行き届き、危険要素がないかを探し出す。もっとも、
「脱兎を消すようなやつはいない。その代わり、行き止まりが見当たらない」
RPGのマップクリアリングのようにして伏黒の脳内には脱兎が通った道が曖昧な地図として記憶されている。曖昧とはいえ、そこに壁があるかどうかだけは正確に分かるので、脱兎が行き止まりを見つけれていないと言う事はそういう事なのだろう。危険要素がないものの、この場所から脱出できなければ伏黒自身の命に問題がある。加えて、
「生得領域⋯⋯めんどいな」
伏黒の正面には果てが見えない通路と、その左右に位置する壁に開けっぱの状態で放置された扉。肉眼で見た訳ではないものの、脱兎で確認した限りは扉の向こう側にはまた通路が繋がっている。つまるところ、この空間は生得領域によって無限に引き伸ばしにされている可能性が高い。そしてここで重要になってくるのは『無限の空間』の原理である。仮に通路を2D画面で例えるとして、左からA、B、Cとあったとする。B地点にいる術師がCへと移動しようとする際、ページを切り抜き、別のページを貼り付けるようにCがAとなる。その結果、術師はAからBへと行く事になり、永遠にCには辿り着けないという物。しかし、
「俺がここにいる上での脱兎だ。そう単純な仕組みじゃない」
仮に『無限の空間』の原理が前者であり、空間を繋ぎ合わせた物である場合、A地点にいながらも伏黒は脱兎を使い、B、C、Dとクリアリングを済ませているので空間が崩壊し、生得領域から解放される。しかし、未だ伏黒は存在しないはずの中村精神病院の内側に閉じ込められている。
「仮に生得領域の質や効果が無限や空間の増築じゃないなら⋯⋯高度なまでな幻覚の可能性もある」
今こうして見ている自分自身の視界までもが偽り。まるで映画のような話であるが、呪霊においてはそのような撹乱・錯乱系の術式はそう珍しくない。人間の憎悪の感情から生まれたのだから、扱う能力が小賢しくとも疑問ではないということ。そして仮に伏黒が見ている全てが幻覚だとしたら──、
「大概は夢ってのは死ぬ寸前に覚める」
「────!!!」
──抉り。自分自身で出した式神である『玉犬・渾』による自害。苦しまぬように左胸を一発で弾き飛ばした攻撃、それを行った式神は使役主が消えた事によってその効果を消滅させ、塵へ影へ、呪力へと散っていく。そして偽りの世界は終わりを迎えて、
「針マス、針マス、針マ、ス」
──世界は再び、現実へと舞い戻る。
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埼玉県さいたま市岩槻区に存在する旧中村精神病院は様々な噂が立っている。重度の患者を閉じ込める鉄格子の牢獄があるだとか、過度な拘束が原因で圧死、または窒息。幾人ものの患者が医療過誤によって死亡。元より精神病院と言う事もあって、良い評価は向けられていなかった。
「病院なんてどこにも見当たらない。この手の心霊スポットにありがちなのは病院の存在自体も霊障っつータイプ」
近年、地震などによって起きた土砂崩れにより、建物自体が大きく崩れ、土と共に埋まり、国道を防ぐなどと話題となった旧中村精神病院。それを踏まえた上でも伏黒の視線の先にある丘には建物の残骸と、そう呼べる程の跡地は存在していなかった。
「結界術の基本は『隠すこと』。天元様の秀でた結界がそうであるように、あるいは偽っている可能性がある。霊障を噂され、建物が見られる事、それ自体も霊障」
明るい時間にも拘わらず、周囲はどこか静かで横吹く暑い風が髪を揺らし、目障りな程に吹きかけている。国道なのに車は全くと言って良いほどに通らず、それこそ伏黒が道の真ん中を歩き、丘へと近づく事が簡単にできるほどだ。
「偽装の結界は基本、どこかに抜け穴がある。──『万象』」
────デジャヴ。まるで先程も同じ体験を、流れを経験したかのような違和感。伏黒の中に眠る既視感はやがて現実を孕み、忘れていた記憶を思い出させる。
埼玉県さいたま市岩槻区に存在する──否、そこにはなんの建物も存在しない。旧中村精神病院は既に土砂崩れなど様々な理由によってその土地には建てられていない。『満象』ではなく『万象』で、矛盾したその違和感に狙いを定める。
「リリリリリリっ!」
「いたな」
穿血のように圧縮した水分を放出し、貫くあるいは切断する攻撃。かつて伏黒の体に宿儺が受肉し、十種影法術の式神、その術式効果のみを発動させたように、丘へと上がりかけていた途中の伏黒が後ろへと振り向き、道沿いにあったお地蔵へと直撃させる。左部分から首が砕け、右側でギリギリ食い止められている地蔵の頭。喋れるはずもない岩が耳をつんづく嫌な機械音声で声を出す。
「玉犬・渾」
「リ!」
地蔵の頭が自然に炸裂し、飛び散る破片の中から瞬間移動したかのように突然と現れる人型の呪霊。血に汚れた白衣を全身に縫い合わせ、肌身を見せぬ異質な服装。服の上からも分かる痩せこけた体型。呪力の質から呪霊と分かっていようと、異質な格好以外は人型で、人間のそれとなんの変わりもない呪霊。両拳にはそれぞれ片手ずつ注射針が4本。『注射器』ではなく飽くまで『注射針』でしかないそれがメリケンサックのように挟まれていた。
「りゃあ!」
(純粋な振り攻撃、速度と威力がない所と病院って点を考えるに、毒系統だな)
大雑把に振るわれた右拳の攻撃を体を右へとズラす事によって回避。空振りした背中へと玉犬・渾の一撃を叩き込む。白衣もとい表面の皮が裂かれ、シャベルで地面を掘るように肉が削られ、『赤色の血液』を周囲へと散らす。そのまま観察するかのような動作で立ち止まり、敵の動きを待ちながら──、
「リリリリリ! 針マス!!!」
『遅せぇよ』
────攻撃は当たらない。身動きしなかった伏黒へと振るわれた針の攻撃は空振りし、前へと体が転けかける。ほんの僅かの踏ん張りで留まったものの、前傾姿勢から体を動かす事ができず、至極近い頭上で声が聞こえるばかり。右腕、動かせる。左腕、動かせない。首、動かせない。両足、動かせても意味がない。知性という物がある訳ではないけれど、本能から呪霊は拘束の原因が自身の左腕と、首であると言う事が分かった。が、
「は、リま」
動けなければ分かった所で意味がない。拘束された状態で左腕が肩から消し飛ばされ、首から下もまた消し飛ばされる。まるで『なにか』に体当たりされたかのように。
「旧中村精神病院の呪霊はありもしないやぶ医者への恐怖。さて、帰るか」
「────!」
意識が消える呪霊とは反対に、鳴り響く遠吠えと伏黒の言葉。十種影法術の使い手である伏黒恵と言う術師は、誰よりも抜け目なく頭を回し、その上で武力行使を行う力を持つ、オールラウンダーだった。
「旧中村精神病院の呪霊」
人型の体に白衣を縫い合わせたかのような歪な見た目をした呪霊。両拳には片方ずつに4本の注射針を、メリケンサックのように指の間に挟んでいる。触れる事さえ叶わなかったが故、その効果は発揮されなかったものの、注射針による攻撃は高密度の『モルヒネ』を抽出する物であり、身体的不調を招き起こさせる毒物攻撃の類である。フィジカル自体はそう強くなく、冷静にさえ対処すればどんな術師であっても殴り勝てるレベル。
「旧中村精神病院の生得領域」
道沿いに置かれた地蔵の視線、点となっている視界が向かれている丘の坂道中間に足を乗せた者を対象として幻を見せる生得領域。幻を見ている者はその間だけ透明になる為、他者から見る際はまるで落とし穴に落ちたかのように見える。幻の解除方法は自害する事であるが、仮に永遠に自害できず、あるいは精神が壊れてからの自害である場合、魂を喰らわれ、実際に死に至る。逆に幻を突破した場合、幻を見せられている者だけが記憶を持ち、生得領域に入ってしまう数分前にまで逆行する仕組み。どのような原理で、なぜ弱い呪霊ができるのかは明かされていないが、生得領域の圧倒的な狭さと破られてしまえば本体は無力である事から強力な縛りと術式を元に構築された特殊的な物であると確認されている。
「追記」
本話の後半にて呪霊を拘束した技については続編を書く際に登場と説明をさせていただくので、ここでは省かせていただきます。ちなみに、この流れから次は釘崎の話が投稿されると皆様はお気づきかと思いますが、本小説の本編終了後のキャラクターでこのような形式の任務遂行系の短いストーリーを見たいという方がいらしましたら、感想にてキャラクターの名前を貼っていただけると幸いです。