猿も木から落ちるレベル   作:緑ちょこ

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柊陽彩の猿真似呪法を考えついてから常日頃のように考えていた内容が故、少しばかり唐突なシーンですが書かせてもらいました。過去編の内容は勿論ながら、今回の話はぐちゃぐちゃかもしれませんが次話から改善していきたいと思います。


第5話「人と呪いと万物と」

2000年5月2日。京都府京都市崇仁地区にて一人の赤子が生誕した。

生まれたばかりであるはずの赤子は瞼を閉じず、瞳に映るその世界を思うがままに閲覧する。埃や昆虫の死骸を隅に寄らせた結果、黒いシミが着いた壁。空き缶や空き瓶の山。

口が裂けても【いい環境に恵まれた】などとは言えない地獄のような光景だ。

 

「はぁ⋯⋯あんた、これどうすんの」

 

自分に対して母親から向けられる最初で最後の慈愛、愛情だ。産湯にも浸す事なくタオルに包まれた体がボロボロのソファーの上へゆっくりと降ろされる。ひと仕事を終えたような顰め顔で赤子の方を見て、深い溜息をつく。

透き通るような緋色の髪。どれだけ悪態をつこうともその女性──母親の姿は清らかで、床にまで届くほどに長い長髪は悪意に満ちたこの世界でただ一つの光にも思えるほどに、美しかった。

 

「どうするって⋯⋯名前でもつければいいんじゃねぇか?」

 

反対に、問いに言葉を返した男の容姿は淫らだった。服ははだけ、湿疹だらけの皮膚を露わにしており、もう数年もすれば毛根も尽きるといっていいほどに毛量が少ない。

人間の憎悪その物とも言えるほどに醜いその姿の中で一つ、輝いて見える物といえばその頭だろう。

 

ともあれ、赤子の視界は自分を客観視するような角度だ。

産声も上げずに生まれ、声も上げずに周囲を静観するその姿は赤子らしくなく、既に首も座っており、そこそこの大きさの体を持っているという点でも大いに問題がある。

しかしながら、産湯を用意せず、それ以前に施設での出産を行っていない時点で母親の教養は欠けている。理不尽の大海とも言える社会から【不適合】の評価を受けた結果がこれなのだろうか。

 

「────」

 

赤子は固唾を飲んだ。だって、彼が人生のスタートを切るのは初めてじゃないから。見覚えがありながら、記憶にない光景を見て今の状況が普通ではないと知ったから。

 

 

 

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

人間と言う種族は際限なく、どこまでも欲深い生物だ。

そんな欲求の権化でもある人間でも避けようのない3つの欲求が存在する。

強欲のままに自分の空腹を満たしたいという食欲。

怠惰のままにを尽くして永遠に眠りたいという睡欲。

色欲のままに他者をも貪り、快楽に溺れたいという性欲。

 

京都府京都市に位置する崇仁地区と言う場所はそんな我儘に包まれた地獄のような場所だった。平たく言えば日本に存在するファベーラのような所で、窃盗、強姦、殺人と毎日のように犯罪が行われる。

ちなみにファベーラと言うのはブラジルに存在する住宅街のような場所で、ギャングが住処として利用しているが故に治安が悪く、危険度が高いといった地域だ。

 

ともあれ、

 

「へ、へへ。悪ぃようにはしねぇからよ」

 

柊陽彩の容姿はその年齢の幼さを差し引いても余り余る程に中性的だった。それはそれは、3大欲求と称される物の一つを満たそうとする中年の目に格好のカモとして見えるほどに、中性的であった。

あるいはこの時の男はそのような事を考えていなかったのかもしれない。たとえ好みではなくとも穴があり、女であれば。

たとえ女でなくとも、穴があり、可憐な肉付きをしていれば。

 

そんな中身のない事を考えていたのかもしれない。しかし──、

 

「──ぐ、が。お、おめぇ! 覚えてろよ!!」

 

近づいてくる男の顔に拳を放ち、鼻を砕く事ができるほどに彩の力は強かった。フィジカルが、という意味では否定せざるおえない。腹で練り、生まれたそれを体に満たし、纏わせる。

それだけで非力な拳が破壊を生み、ひ弱な体が鎧が如き防御力を得る。

 

そんなマジカルパワーに気づいたのは6歳の頃だった。

そして彩の記憶──前世の自分はそれが何かを知っている。

漫画、呪術廻戦に登場する呪力その物だ。生憎、呪霊は未だに見れていないものの、直感的に自分が扱う力が呪力だという事は分かる。

だから環境に恵まれていないという考えは違ったのかもしれない。こうして2度目の人生を得て、それも自分が知っている漫画の世界だと言うのだからこれ以上の優遇はないだろう。

 

「術式は⋯⋯ないのかなぁ」

 

だから、異能力とも言える術式を発現していない事に不満は持たなかった。家に帰り、暴力を振るわれるのにも。

 

 

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

「なに、生意気な目で見てやがんだァ──!」

 

「──ぁ」

 

手に持っている酒瓶を強引に盗られ、瞬時に衝撃が腹へと走る。目の前の男から放たれた右拳が鳩尾を貫いている。

痛みに耐えかね、膝から崩れ落ち、蹲る。

そんな彩の頭に拳骨が何度も何度も振り下ろされ、横に倒れた瞬間に蹴りが襲いかかる。

爪先が喉仏に直撃し、食い込むようにして肉を壊す。

歯と口内がぶつかったのだろう。口いっぱいに広がる血液は鉄分を豊富に含み、想像通りにその味を堪能させてくれた。

 

「────」

 

ラジカセの前で座る母親は目もくれず、助けてくれる事さえしてくれない。だけど、ああして壊れた機械の前でカセットが再生される事を待つ母親を見るのはいつもの事だから悲しいだなんて感情は抱かなかった。否、抱けなかった。

だって、こんなにも恵まれているのに忙しい母親からも愛情を貰おうだなんて、強欲にすぎると思ったから。

 

頻繁に暴力を振るわれるようになったのは呪力操作が覚束無く、困っていた10歳の頃だった。

体目当てで襲いかかってくる人間は何度も返り討ちにしたけれど、一向に呪力操作は上達せず、燃費が悪くて負けかけた事だって何度もある。その度にもがいて、足掻いて、命からがら逃げた物だ。だって、母親も父親も、通行人でさえ助けてくれないのだから。

 

 

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

崇仁地区には人が寄り付かない場所が多く存在する。

実際にはホームレスの溜まり場などになっているけど、普通の人は寄り付かない。それも建物に囲まれ、路地裏が作られやすい住宅街という事もあってだろう。

 

「ギャ、ギャギャギャ。──犯さないでェ」

 

嘲笑うようにして声を上げる呪霊はその細長い手をこちらへ伸ばし、自分の首を強く締めていた。夕方に近く、薄暗い逢魔時。人ならざる者の力が強くなり、表へと出るようになってしまう。

目の前の呪霊は比較的に弱い、それこそ低級呪霊だろう。

ただ、呪力の使い方を多少知っただけの子供は力に及ばず、足元にすら届かない。

 

「──ぁ、ふ」

 

キリキリと力が強まり、耳鳴りが脳を穿つ。宙吊りになった体が警鐘を鳴らし、ジタバタと両足を突き動かす。それは呪霊の体に当たるだけで、なんのダメージも与えてはくれない。

光が通らず、暗闇がその道の大半を支配する路地裏。微かに通った光でさえも通行人の影によって瞬時に黒に覆い隠されるこの場所は正に呪霊にとって格好の狩場と言える。

助けは望めない。いたとしても両親は助けてくれない。

あるのは確かな死だけだ。しかし、

 

「ぅ、ぐ。──殺す」

 

──さて、どうして逆転しようか。この絶望的なまでの状況をどうやって翻そうか。少年の口から発せられた【殺す】という言葉からは想像もつかない闘争心。負け惜しみではないそれは実現するかもしれないという恐怖を呪霊に抱かせる。

殺される前に殺してしまえ。その精神で呪霊は首を絞める力をより一層に強めていく。そんな呪霊の体、腹部分と言える場所に子供の小さな手が伸び、掌が優しく触れて──、

 

「はぁ⋯⋯は、ぁ。──プッ」

 

透明なガラスと似たような材質の物質に呪霊の体が変換される。薄っぺらな1枚のそれに変わり果てた事によって首を絞め、痛みを与える腕は消え、苦痛と拘束が同時に消滅する。

微かに息を荒らげ、頬をすぼまし、口内に溜まっていた朱を、口から血液を吐き出す。直後、それは空中にて留まり、質感を変化させると共に形を変形させる。

 

弾丸のような形へと纏まったそれが元の体に戻る呪霊へと迫り、

 

「──ギャ、ゥ?」

 

喉を貫き、紫色の血液を周囲へと飛び散らさせる。血痕などもはやどうでもいい。呪霊の体なのだから一般人には見えない上、残るのは残穢だけだ。今はただ体の中に、否。魂の中に眠る記憶に従って目の前の脅威を潰そう。

 

肉が削られ、ヤツの急所はもっとも脆く、柔らかい状態にある。だから、

 

「しぃ──」

 

「ギ、ャ」

 

手元に具現された包丁を横に一閃。血の弾丸によってちぎれかけていた首を文字通りに切断し、首と胴体が分離する。

悲鳴を上げ、呪霊の体は呪力へと変換されていき、世界の一部になっていく。

なんて、素晴らしい世界なのだろうか。

 

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

呪霊に襲われ、殺されかけたのが12歳の頃。その時は術式を奇跡的に発動させ、祓えたので一命を取り留めたものの、何度も何度も試そうとも術式は発動する事ができない。

しかし、13歳の頃に京都に現れた術師の戦闘を陰ながら見た結果、呪力操作とその効率はある程度極める事ができた。

 

様々な苦悩を元に、今。柊陽彩は14歳になった。

 

「瓶を買ってこいっつったろ!!」

 

胸を殴られ、強制的に肺から空気が吐き出される。

男はそれでも許してくれる事はなく、後ろに倒れた自分の体の上に跨り、何度も何度も顔目掛けて拳を振るう。

左へ、右へ、殴られた衝撃によって左右に顔が揺れ、血液が地面へと飛び散る。

 

呪力を纏えば防御力が上がり、痛みを軽減する事はできるだろう。しかし、そうすれば自分を殴りつける男──父親の拳の肉が裂け、骨が砕け、血が出てしまう。自分は幸に満たされているから耐えれるけど、そうでない彼はきっと耐えれない。だから自分は目の前の状況を受け入れなくてはならないのだ。

意味無く自分に暴力を振るう父親も。それを見て見ぬふりした助けてくれない母親も。傷だらけの体を見ても何一つ顔を歪ませない警察も。子供が独りでに外に出ているのに気にもしない通行人も。全部、許容しなくてはならない。

 

だって、こんなにも恵まれているのだから。我慢するのが当然だ。そりゃ、我慢をしない選択だってある。

呪力を纏えば父親の拳から耐える防御力を得る事ができるし、拳に流せばいとも容易くねじ伏せる事ができる。

だけど、そうするのはダメだ。だって、俺は恵まれてるから。

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

14歳になった彩の呪術は既に完成されているといって過言ではない程に研ぎ澄まされていた。ある程度は戦えるようになったと本人も感じたが故、残りの2年を人間観察に注ぎ込んだ。

未だに術式は使用できないものの、持っている事は確かなのだ。それは自分の速度を上げながら他人の行動を制限する事ができる投射呪法であったり、体外に出た血を弾丸へと変えた上で発射する事ができるような赤血操術だったり、あるいは呪力から物を生成できる構築術式のような物だ。

 

なぜだが分からないが俺は人の心を理解しなくてはならないと思う。それが自分の術式を使用するに、使えるようになる為に必要な情報(データ)だと感じているから。

 

だから、今日も色んな人間を観察するために夜の街を歩いていた。久しぶりに声をかけられたのはその時だった。

 

「こんばんは。こんな所で何してるのかな? いや、こう言った方がいいか。──君、視えてるでしょ?」

 

白髪の男はそう言いながら、血濡れた片手を右手で指差し、ユラユラと蠢かせた。

血濡れた、とは言っても赤ではなく紫だ。なにせ、それは呪霊の生首であったから。

ともあれ、問題視するのはそこではない。男の体は宙に浮いたまま、ゆっくりと地面に着地したのだ。

落下──ではなく浮遊。飛行でもない。

 

「そうだとしたら、呪術高専に入れてくれる?」

 

「高専⋯⋯ハハッ! いいね、いいよ。おいでよ。高専に」

 

目を隠したまま白髪の男は笑った。だから、俺の心は微かに楽になったんだ。だって、傷だらけの体を見て反応する者はいなかったから。

 

そうして彩陽柊は京都府京都市呪術高等専門学校へと入学し、1年後に1級呪術師へと上り詰めたのだった。

 

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

2018年10月31日、19:00。

東急百貨店、東急東横店を中心に半径およそ400mの帳が降ろされた。

それ故に東京渋谷駅を主に複数の呪術師が派遣される。

七海班、禪院班、日下部班、冥冥班の4チームだ。

20:31頃に到着し、20:40頃に呪霊らと高専する五条。そして派遣された呪術師たちの疲労を少しでも減らすのが彩の目的。

 

「何見てんだヨ」

 

足を含めれば6本か。都合4本の腕を持つ呪霊の名は蝗GUYで原作では虎杖に瞬殺された2級呪霊だ。呪霊の等級は術式の有無によって準1級以上へと割り当てられ、持っていない呪霊は2級以下へと留まる。だからと言って蝗GUYが弱い訳ではない。

4本の腕と言う事は手印を結びながら拳を放つ事も防御を行う事も可能な上、術式を持たない蝗GUYでさえも手数という大きな利点がある。

故に長引く前に一撃で屠るのが理想と言えるだろう。

 

「いや、ただ俺も真人さんに派遣されたばかりの新人でね。なにかと先輩に教えてもらいたい事があるんだ」

 

ゆっくりとした歩行。その歩みにはどこか不自然なまでに不安定な揺らぎが存在した。人間の歩行方法などに目もくれぬ害虫にはそれを判断、識別する能力はない。

歩きが早歩きへ、早歩きが助走を付ける為の走りへ。

蝗GUYが危険を感じとったのは目の前の彩が飛び蹴りを放った瞬間だった。放たれた攻撃は速度を保ったまま、否。速度を上げた上で目前へと迫っている。

もはや回避する事はできない。そう、常人ならば。

 

「なんダ、オマエ」

 

背中に生えた小さな羽によって軽く羽ばたき、真上へと浮かんだ体が彩の蹴りを拒絶する。飛び蹴りを空振り、危うく背中を打ちかけた所を地面に腕を伸ばす事によってなんとか回避する。しかし、落下するようにして蝗GUYのストンピング攻撃が伸びた足の膝部分を狙う。しかし、

 

「──?」

 

狙っていた膝が瞬きの後に消え、ストンピングは地面へと突き刺さる。即座に周囲を見渡し、足を引き抜こうと踏ん張るものの、コンクリートで作られた頑丈な地はそう易々と破壊できる物ではない。それこそ、落下を利用して体重を乗せるでもしない限りは。

 

「あまり時間はかけれない。ごめんな」

 

彩は伸ばした足を真横へ振るい、その勢いのままに体を回転させて跳躍。天井へと逆さまに足をつけ、蹴り上げたと同時に再度、反転。蝗GUYの背後へと着地した形だ。そして、手刀が横一文字に振るわれ、首を跳ね飛ばす。血液、赤色ではなく紫色のそれが飛び散り、壁や地面を着色させる。

 

「なんや新人。年長者に挨拶するんが先だろうが」

 

「あんまり絡むんじゃないよ粟坂。儂らは帳を守るんだろうが」

 

「お婆ちゃんの言う通りだよ。でも、挨拶は大事だと僕は思うな」

 

ピチピチの白Tシャツに短パン、腹巻と地下足袋という一回り前の世代の格好をした中年。

着物になにやらアイドル物の袈裟を羽織った異様な雰囲気を醸し出す銀髪の老婆。

セーターに金髪モヒカンといった世紀末的な格好、容姿をした青年。

 

家族のように肩を並べ、三者がこちらへとゆっくり歩いてくる。やれ、中年が発した新人(・・)と言う言葉は彩が蝗GUYに不意打ちを行う為に行った形的な自己紹介を聞いていた証拠だ。つまるところ、それは彩のその後の行い──蝗GUYの殺害を見ていたという事でもある。

 

「貴方たちはビルの屋上で待機していろと指示されていたはずですが?」

 

左手に付着した蝗GUYの血液を裾で拭いながら、3人の方向を見てそう声に出す。彩の記憶が確かならば彼らは高層ビルの屋上のような場所で帳を守っていたはずだ。それがなぜ、このような場所にいるのか? その目的を炙り出そうとする上、カマかけをしているのが彩のこの言葉。

 

なにせ、原作では彼らが真人または羂索に命令された描写はないのだから、仮にされていたとしたら『味方を一匹殺した裏切り者』から『契約者側の人間』と言う上の立場に早変わりする。彼らは動揺せざるおえまい。

 

(わっぱ)が何強者ぶってんだ。こっちは3人だぞ」

 

「孫」

 

「分かってるよ婆ちゃん」

 

粟坂の言葉と共になにやら呪詞を詠唱し始めるオガミ婆。

片足で飛びながら、ウォーミングアップを行う孫。

どうやら指示はされていなかったらしい。ともあれ、それを確認できただけで幸いだ。仮に指示されていたとしたら別の行動を取った時点で羂索らに違和感を持たれ、追跡される可能性がある故、今回は逆に好都合だ。問題なのはあべこべの術式性質上、その実力は準1級程度。対して猪野琢真にやられていた所を見るに孫は2級未満だろう。

 

「少しばかり骨が折れるな。──順転・猿真似」

 

イメージするは天から与えられし力を存分に扱い、暴れた術師殺し。実物の情報(データ)がない故、その精度は己の記憶に縋る他にない。

小走りにこちらへ向かってきていた粟坂が懐から何やら刃物を取り出し、地を強く蹴ってこちらへと飛んでくる。が、

 

「無防備にも程があんだろ」

 

高速で接近し、目にも止まらぬ早さで喉へと拳を放つ。避ける訳でも防御する訳でもなく粟坂は目を見開いたままそれを受ける。なにせ、あべこべの術式があるのだ。

強い力を弱い力へ変換し、相手の攻撃を受けきる事など容易い。逆もまた然り、あべこべという事は相手の攻撃が弱ければ弱い程に威力が高まり──、

 

「──がぁ⋯⋯」

 

握られた拳が開かれ、ガラス細工を触れるように優しい力で顎先に指がふれる。瞬間、粟坂の体が顔を起点に強く吹き飛ばされる。孫の方へと飛ばされたものの、仲間意識などのない者にとって勢いを止める選択の『防御』よりも消耗する事のない『回避』を選択せざるおえない。

 

そして結果は無慈悲ながら、壁へと衝突した事によって頭蓋が割れ、破片が頭の底へと突き刺さる。強い力であるはずの衝突がそのままの力を発揮したという事は彩の攻撃によって意識は既に刈り取られているということ。

 

「孫」

 

「分かってる」

 

オガミ婆の合図と共に懐から取り出されたカプセルのような物を口へと放り込む孫。白い岩のように見えたそれは恐らく、何者かの骨だろう。オガミ婆の降霊術に必要なのは長い呪詞の詠唱と降ろしたい人物の遺体の一部だ。持ち歩きやすく飲み込みやすい骨は正に相性がいい。兎も角、彩は飲み込んだ後に吐かれるオガミ婆の言葉に耳を傾ける他にない。

 

なにせ、自分のような得体の知れない術師に切り札(・・・)を使うとは思いたくないからだ。

 

『禪院恭弥』

 

「──ッ!」

 

禪院と言う苗字に耳を疑った。だが、驚きは別の形に変わって彩の心を揺らがせた。

なんの因果か否か、降霊術によって孫の体へと降ろされた人物の名前を彩は知らない。忘れているというよりは原作に実在しないキャラクター故、耳を疑ったのだ。

強さがいかほどか分からない以上は戦って確かめる他ない。

 

故に──、

 

「しゃあァ────!」

 

急接近後に左フック。移動の速度も相まってその威力は正しく『天与の暴君』の一撃に相応しい破壊力を持っている。

暴風を巻き起こし、孫のセーターの裾を強く揺らす。が、

 

「うん。術式の使い勝手も悪くない」

 

地面から現れた黒い手が腕を掴み、拳が伸びきる事を拒絶する。足元をふと見るとそこには伸びた孫の影がユラユラと左右に蠢いていた。

彩の脳内に現れた可能性は二つ。『過去の十種影法術の使い手』と言う線。原作では描写されていなかった故、転生者が現れた事による因果か否か、どちらにせよ可能性としては一番高い。二つ目は『相伝の術式』だ。十種影法術じゃないにしろ、影を媒体にする術式があるかもしれない。

 

そしてこれは戦闘において全くの関係がない情報であるが──、

 

「拡張術式・影真似の術」

 

「⋯⋯ぁ」

 

──禪院恭弥は転生者の可能性がある(・・・・・・・・・・・・・・・)

黒い腕による拘束が解かれ、代わりに孫の影が足元のそれと絡み合う。直後、彩の体は静止する。その代わりと言ってはなんだが、NARUTOに登場する影真似の術のように体の動きが孫のそれと連動している。

 

もっとも、孫の体は一向に動いていない。体の動きが連動していると分かったのは瞬きのタイミングだ。彩は瞼を意図的に閉じれず、ふとしたタイミングで不自然に閉じられる。

しかし、目の前の男──オガミ婆の孫は瞬きを行っていない。否、同じタイミングで瞬きをしているが故、互いに見れていないのだ。

 

「孫よ。そのまま術式をかけておれ」

 

「分かってるよ婆ちゃん」

 

オガミ婆の言葉の直後、孫の口端から血液がゆっくりと流れ、滴り落ちる。瞬間、鼓動の間が短くなったような感覚を彩は味わう。

 

──オガミ婆の孫はそう呼ばれてるだけで実の孫じゃない。血も繋がっていなければ知り合いの子供でもない。道ずれに扱う道具として見てないから、躊躇しないんだ。

高まった鼓動が徐々に正常の時と同様の速度へと減速していく。否、鼓動の縮まりは正常に留まらず、心肺停止の直前まで減速する。減る、減る、減ってゆく。

 

ぼやける視界の端に倒れたらしい孫の顔が映る。死にかけているのに、殺されているのに、どうしてあんな笑顔を浮かばせれるのだろうか。いや──、

 

「ぷっ、はははは!」

 

──嗚呼、なんてくだらない、単純な事なのだろう。死を目前に笑顔を浮かべる者なんて誰一人いないじゃないか。

彼は笑いたくて笑ってるんじゃない。術式の関係上、強制されているんだ。

 

「──は! 起きろ粟坂!!」

 

「遅いっちゅーねん。オバハン」

 

足の脛を蹴られ、膝が曲がって崩れ落ちる。

背後へと接近してきた彩を背にオガミ婆は地面へと蹲った。それと同時にある種の恐怖を抱いた。

それは、その記憶は、数十年前にまで遡る。

 

 

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

「なんやおばはん。金は支払ったやろ」

 

「ない物はないのさ。御三家の子供だかなんだか知らないが、契約料金を払わないってんなら殺すしかないね」

 

禪院恭弥はその苗字の通りに御三家の一つ。禪院家にて生まれ、普通の子供のように育っていった。しかし、無下限呪術にも肩を並べる十種影法術を継げず、全くの別の術式を恭弥はその身に宿された。

 

『影真似呪法』と呼ばれるその術式は彩が扱う猿真似呪法と同列の物であり、影を媒体に他者の術式や容姿を模倣するといった至極シンプルながらも相伝のそれと負けず劣らずの強力な術式だった。無論、言わずもがな恭弥は転生者だ。故に影真似の術と言う拡張術式の案を考え出す事ができたし、実際に扱う事ができた。

 

なにせ、影真似呪法に必要なのは『影』と『情報(データ)』だったから、呪術廻戦を知らずともNARUTOを読んでいた彼には難しい事ではなかったのだ。

 

「はー、ほんまいい死に方せんで」

 

「そりゃ怖い話だね。まぁ、儂は今のところ死ぬつもりはないが」

 

戦いは圧倒的だった。オガミ婆には名を与えていない孫が何人もいる。だからこそ術式を持った恭弥には数で押し切り、暴力で殴り買ったのだ。

 

だが、禪院恭弥と言う男は普通の者とは違っていた。

死ぬ寸前、己の心に強く、呪いを刻んだのだ。あるいはそれは縛りと言えるのかもしれない。

 

【今現在、反転術式を使用できぬ代わりに未来永劫、死したなお蘇った後に再度、使用可能となる。デメリットの裏返しとして得られる特典は『無限の呪力』】

 

禪院恭弥は呪術廻戦と言う作品を知らないながら、誰よりも術師として生きたのだ。

 

 

そして時は今に戻る。

 

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「恥ずい話やけどな。こうする日をワイは望んでたんや。いわゆる呪物って言うんか? なんでもええけど、骨となっても魂だけは死んだ訳やなかったんやで。最後の最後で気ぃ緩めてしまったんやね、おばはん」

 

倒れたオガミ婆の背の上に乗り、何度も何度も拳を震わせる。降霊術によって孫の肉体に降ろされた禪院恭弥は影真似の術で彩の体と連動していながら、降霊術によって魂を降ろす対象を密かに変更していた。

他者の術式を改変するのはツールを用いずに一からプログラミングしたスクリプトによって他者の電子機器をハッキングするに等しく、その無謀な行いを無限の呪力によって完成させる。

 

オガミ婆は今し方死んだものの、背後から胸を貫かれたはずの孫は未だに呼吸を行っている。もっとも、恭弥の『悪戯』によって身動きは取れないようだが。

 

ともあれ、

 

「今現在が何年であれ、何月何日であれ、ワイには関係のない事やけど、強いヤツがおるってのはいい事やね。さて⋯⋯」

 

「地下の呪霊ら、殺しに行ったろうか」

 

彩の肉体に憑依した恭弥はゆっくりと足を動かす。両手に抱えた孫の体を優しく支えながら、渋谷駅へ歩を運ばせる。

その姿はどこか、同じ転生者である彩に被る部分があった。

 

 

 

 




「影真似呪法」
禪院家に生まれた転生者である禪院恭弥が所持していたとされる術式。相伝の十種影法術に似ていながら、式神を使役せず、影その物を操るという特殊的なその能力はNARUTOの知識を持っていた前世の記憶を頼りに影真似の術を生み出した。情報を手に入れれば影を媒体に術式や他者の動きを模倣する事も可能。というよりはそちらがメインである。

「影真似の術」
影真似呪法から拡張された術式。明かされている内容では『自身の影を伸ばし、肉体の連動を対象と強制する』といった効果であるものの、実際はそれ以上の効果を持っているらしい。
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