いつもの朝。小鳥のさえずりが窓から差し込み、わたしはメイドのセーラの手によって、今日も完璧なお嬢様へと仕立て上げられていく。
変わらない日常。変わらない屋敷の風景。
「アリスお嬢様、本日のリボンはこちらの色でよろしいでしょうか?」
「うん、ありがとう、セーラ」
鏡に映るわたしは、完璧に愛らしい六歳の伯爵令嬢、アリス・フォン・クライネルト。
……だというのに。
朝から、どうにも調子がおかしい。
あれ……?
鏡越しに見るセーラの姿が、なんだかぼやけて見える。
いや、違う。
彼女の輪郭が、淡い光を放っているように見えるのだ。まるで、上質な経験値の塊みたいに。じゅるり。
ダメダメ……! いくらなんでもわたし、最低すぎるでしょ……!
人間がおいしそうな経験値にしか見えないとか、同情できないタイプの悪役でもいないって!!
わたしはぶんぶんと頭を振って、邪念を振り払う。
でも、あの時の快感が、まだ全身にこびりついて離れないんだよなー。
『レベルがアップしました』
『レベルがアップしました』
『レベルが――』
ゲオルグ大司教の心臓を貫いた瞬間に脳内を駆け巡った、あの暴力的なまでの多幸感。
あれは、麻薬だ。
あの快感を一度味わってしまったら、もう、ただの人々まで経験値にしか見えなくなってくる。
あー、ダメだ。またよだれが出そう。
って、いけない、いけない。
わたしは聖女のような微笑みを仮面のように貼り付け、内心の欲望を隠蔽する。
「お嬢様? どこか、具合でも……?」
「ううん、なんでもないの! とっても元気だよ!」
心配そうに覗き込んでくるセーラに、わたしは天使の笑顔を返す。
ゲオルグ様の一件は、結局「魔王の卑劣な奇襲により殉職」ということで処理された。あの場にいた全員が何も見ていないのだから、当然の帰結だよね。
そのおかげで、わたしには「魔王の襲撃に耐えた、痛ましい被害者」として、しばらく安静にするようお父様から言い渡された。
つまり、ダンスだの刺繍だの、あのクソ面倒なレッスンは、ぜーんぶお休み!
わーい、やったー! アリスちゃん大勝利! ドヤァ!
「セーラ、今日はレッスンもお休みだし、お庭をお散歩しましょう」
「はい、かしこまりました」
セーラの手を引きながら、わたしは廊下を歩く。
すれ違うメイドたちも、庭師のおじさんも、みんなキラキラして見える。うーん、美味しそう。
……じゃなくて!
それと、セーラの妹ちゃんは、結局助からなかった。
ゲオルグが死んでしまった以上、あの呪いを解ける高位神官はもういない。妹ちゃんは、眠ったままの状態でお母様と一緒に元の村へと送り届けられた。
わたしが稼いだ万華鏡のお金――金貨二千枚以上が、手つかずのまま残ってしまった。
セーラは「お嬢様のお気持ちだけで十分です」と泣いていたけれど、結局、妹ちゃんを助けられなかったと思うと、ほんのちょっとだけ罪悪感が……まあ、ないか。
だって、この世界はゲームなんだし。
別に妹ちゃんが死んだところで、ゲームからログアウトできるだけだし、無理して助ける必要なんてない――。
って、わたしはなに考えてんだーーー!!
いやいやいや妹ちゃんを助ける必要ないとか、人を殺した数を覚えていないタイプの悪役でも言わないセリフだよ!
わたしはどっちかというと、みんなから愛される聖女とかが適任なんだよね。だって、こんなにかわいいんだよわたし。
うん、今からでも、聖女様プレイを心がけよう。
いやー、でもせっかくなら、お金がたくさん手に入ったんだし強力な武具でも買いたいなー。お母様にいえば、許してくれるなんてことないかなー。
柔らかな日差しが降り注ぐ、屋敷の庭。
色とりどりの花が咲き乱れる中、わたしはセーラから少し離れると、その場で軽く屈伸をした。
「……ふぅ」
ステータスを確認する。
レベルは33。
あのデブ、本当に美味しかった……。って、いけないいけない。
わたしはドレスの裾を軽くまくり上げると、芝生の上をトン、と軽く蹴ってみた。
――ビュンッ!
「えっ」
わたしの視界が、一瞬で数メートル先に移動した。
いや、移動した、っていうか、跳んだ?
「お、お嬢様!?」
背後でセーラが素っ頓狂な声を上げる。
わたしは自分の小さな手を見下ろす。さっきまでセーラがいた場所が、もうあんなに遠い。 すごい。
敏捷45。レベル1の時とは比べ物にならない。
身体が、羽のように軽い。
わたしは試しに、庭の隅に置いてあった子供の頭くらいある装飾用の石に、そっと手をかけた。
「よっ、と」
――ひょい。
……持ち上がっちゃった!?
レベル1の時は、全力で押してもビクともしなかったのに。
筋力28。六歳の非力な身体だったはずなのに、軽々と岩を持ち上げている。
「あ、アリスお嬢様!? いけません、そのようなもの! お怪我を……!」
慌てて駆け寄ってくるセーラ。
わたしは「えへへ」と笑いながら、その岩をぽいっと元の場所に戻す。ゴトリ、と鈍い音がした。
セーラは、信じられないものを見る目で、わたしと岩を交互に見つめている。その翠色の瞳が、驚愕と混乱で大きく見開かれていた。
あ、やば。
ちょっとやりすぎたかも。
「お嬢様……いったい、いつの間に、そのようなお力を……?」
声が震えてる。
まあ、当然だよね。昨日まで非力な幼女だった主が、いきなり岩を持ち上げ始めたんだから。
わたしは、念の為用意しておいた、完璧な言い訳を発動させる。
「あのね、セーラ。あの、怖いことがあった日……ゲオルグ様が亡くなった日、夢を見たの」
「夢、でございますか?」
「うん。とっても綺麗な、光る人が出てきてね。『よくぞ魔王の瘴気に耐えました。小さき勇者アリスよ。あなたに、
わたしは両手を胸の前で組み、うっとりとした表情で天を仰ぐ。六歳児の無邪気さと、神秘性を全力で演出する。
どうよ、この演技力!
アリスちゃん、大女優になれるんじゃないかな! ドヤァ!
「プ、
セーラが息を呑む。
うんうん、この世界、信仰心が篤いからね。「神様の加護」って言っておけば、だいたいのことは丸く収まるに違いない。
「そしたらね、朝起きたら、なんだか身体がすっごく軽くなってて! 力がみなぎってる、みたいな!」
セーラはわなわなと震えながら、その場に膝をつきそうになっている。
おお、思った以上に効果抜群だ。
よし、とわたしが内心でガッツポーズを決めていると、セーラははっとしたように顔を上げた。
だけど、彼女が口にしたのは、喜びだけではなかった。
「……ですが、お嬢様。夢の中で、神様はそれだけを?」
「え?」
「あの時、大司教様は『魔王だ』と叫んでいらっしゃいました。もし、それが本当なら……お嬢様は、その魔王に狙われているということなのでは……?」
セーラの鋭い指摘に、わたしは一瞬だけ目を見開く。
すごい、セーラ。わたしの代わりに都合のいい嘘を考えてくれるなんて。
「……うん」
わたしは、わざと悲しそうに俯いてみせる。
「夢の中で、神様は言ってた。『魔王は、必ずまたあなたを狙う』って……」
「な、なんということでしょう……!」
セーラが顔を青くする。
わたしは、今こそが好機と見て、彼女の手をぎゅっと握った。
「しかし、これほどの脅威であるならば、今すぐにも旦那様にご報告し、守りを固めなければなりません!」
「ダメ!」
わたしは、瞳をうるうると潤ませ、子犬のような上目遣いでセーラを見上げる。アリスちゃんの可愛らしさ、最大戦速! ぶぅぉおおん!
「お父様たちにこの力を知られたら、わたしは心配されて、きっとお部屋から一歩も出してもらえなくなる。でも、わたしは逃げているだけじゃイヤなの。自分の身を、セーラを、みんなを守れるように、わたし、強くならなきゃいけないの!」
これは、本心だ。
あのレベルアップの快感のため……じゃなくて、そう! 悪いAIによるデスゲームを生き残るために!
「だから、セーラにだけ打ち明ける。わたしが、この力をもっとうまく使えるように……ううん、もっと強くなるのを、手伝ってほしいの」
「お嬢様……!」
わたしの健気なフリをした訴えに、セーラの翠色の瞳が、決意の光に揺れる。
彼女は、わたしの絶対的な信者。このお願いを、断れるはずがない。
「……かしこまりました」
セーラは深く、深く頭を下げた。
「お嬢様が、それほどのお覚悟をお持ちであるとは……。このセーラ、命に代えましても、お嬢様の秘密をお守りし、鍛錬のお手伝いをいたします!」
「やったぁ! ありがとう、セーラ!」
よし、完璧。
わたしはセーラに抱きつきながら、次の計画へと思考を移す。
このレベル33の力。
護身用としては十分すぎるけど、わたしは満足しない。
もっと強くなりたい。あのレベルアップの快感を、もう一度味わいたい。じゃなくて、みんなを守るために。
そのためには、この力がどの程度の実戦で通用するのか、試してみる必要があるな。
「セーラ、わたし、騎士団の訓練場に行ってみたい!」
「えっ? 訓練場、でございますか?」
「うん! 神様にもらったこの力が、どれくらいすごいのか、試してみたいんだ!」
わたしの無邪気なお願いに、セーラは一瞬戸惑ったものの、すぐに「かしこまりました」と頷いてくれた。
◆◇◆
騎士団の訓練場は、屋敷の裏手にある広場にあった。
カキン、カキン、と剣のぶつかり合う音と、騎士たちの野太い怒号が響き渡っている。
うわぁ、暑苦しい。
「お、アリスお嬢様じゃねえすか。こんなところでどうしました?」
わたしとセーラの姿に気づいた一人の騎士が、ニヤニヤしながら近づいてきた。
あの日の護衛の一人、ルスカーさんだ。
実直で真面目くさってるグオークさんと違って、この人はどこか不真面目で、飄々としてる。訓練中だというのに、鎧もちょっと着崩していた。
そうだ、この人を訓練の相手にしよう。
ルスカーさんは、堅苦しいルールより面白いことを優先するタイプの人だ。
だから、わたしが内緒にしてくれとお願いしたら、聞いてくれるに違いない。真面目なグオークさんだったら、即刻お父様にチクられそうだもん。
「ルスカーさん! ちょっと、お願いがあるの!」
わたしはセーラに目配せして下がらせると、ルスカーさんの袖をくいっと引っ張った。
「あん? お願い、すか?」
「うん。ちょっと、あっちの庭まで来てほしいの。大事な、お話があるから」
わたしは意味ありげに微笑んでみせる。
ルスカーさんは「へえ?」と面白そうに眉を上げると、近くにいた同僚に「ちょっと抜けるわ」と軽く手を振り、わたしの後についてきた。
人気のない、さっきの庭。
わたしは、物置からこっそり拝借してきた木剣を二本、ルスカーさんに差し出した。
「ルスカーさん。わたしと、特訓してください!」
「……は?」
ルスカーさんは、木剣とわたしの顔を見比べ、完全にポカンとしている。
「いやいや、お嬢様。何言ってんすか。特訓って……こんな棒切れ、振り回したら危ねえっすよ」
「だいじょーぶ! わたし、いま、すっごく強いから!」
「あー、はいはい。強いっすねー」
ルスカーさんは、まったく取り合ってくれない。完全に子供の遊びだと思ってる。
「……ルスカーさん」
「はいはい、なんでしょ――」
わたしは、無言で、木剣を握りしめた。
そして、彼の返事が終わるより先に、その胴体めがけて、レベル33の膂力を乗せた一撃を、叩き込んだ。
――バキィッ!!
「ぐっ……ぉえ!?」
木剣と木剣がぶつかる甲高い音。
ルスカーさんは、わたしの木剣を咄嗟に自らの木剣で受け止めたものの、その衝撃を殺しきれず、数歩後ずさった。
彼の顔から、いつものニヤニヤした余裕が、完全に消え失せていた。
「……お嬢様。今のは、一体……?」
信じられない、という目でわたしを見つめるルスカーさん。
ふふん。どうよ!
これでも、ただの子供扱いできる!?
わたしは木剣を肩に担ぎ、最高のドヤ顔で言い放った。
「だから、言ったでしょ? わたし、いま、すっごく強いよ」