デスゲーム。
この世界が、一億人以上を人質にした狂ったゲームだと、あのアシストAI【ピュピュア】に聞かされた時。
正直、わたしはピンときていなかった。
現実味がなさすぎたし、六歳の無力な身体じゃ、できることも限られていたから。
でも、今は違う。
わたしは、あの時の快感を、鮮明に思い出せる。
『レベルがアップしました』
『レベルがアップしました』
『レベルがアップしました』
『レベルが――』
ゲオルグ大司教(あのクソデブ)の心臓を短剣で貫いた、あの瞬間。
脳髄が焼き切れるかと思ったほどの、暴力的なまでの多幸感。
全身の細胞が歓喜に打ち震え、世界が祝福のファンファーレを奏でる、あの感覚。
レベルが1から33に跳ね上がった、あのとんでもない高揚感。
あれは、わたしが今まで味わったどんなものより……そう、最高級の霜降り和牛を口の中でとろけさせた時なんか目じゃないくらい、強烈で、麻薬的で、最高に……気持ちよかった。
じゅるり。
……って、いけない、いけない。
わたしは慌てて口元を拭うふりをした。
そうよ、わたしはクライネルト伯爵令嬢、アリス・フォン・クライネルト。
か弱き人々を守り、導く立場にあるんだから。
わたしが強くならなきゃいけないのは、この狂ったデスゲームを終わらせて、ラスボスを倒して、捕らわれた一億二千万人のプレイヤーを救うため!
そう、これはすべてはみんなのため。
決して、もう一度あのレベルアップの快感を味わいたいとか、目の前にいる美味しそうな経験値……じゃなくて、モンスターを狩りまくりたいとか、そんなよこしまな理由じゃないんだから!
ないんだからねっ!
わたしは一人、うんうんと頷き、完璧な理論武装にドヤ顔を決めた。
すべては、みんなのため。うん、完璧。
アリスちゃん、なんて心優しい子なの!? 涙がでちゃう!?
「……アリス様?」
ふと、思考の海から引き戻された。
見ると、わたしの専属メイドであるセーラが、不思議そうな顔でこちらを覗き込んでいる。
あれ?
いつの間に、わたし、セーラの頬に手を伸ばしてたんだろ。
「あの……わたくしの顔になにか、ついていますか?」
首をこてんと傾げるセーラ。
その、きめ細かくて、透き通るような白い頬。
わたしは、自分の指先が、その柔らかそうな肌を無意識にぷにぷにと捏ね回していたことに、今さら気づいた。
うわ、なにこれ、めっちゃ気持ちいい……。
なんだか、最高級の
「――じゃなくて!」
「ひゃっ!?」
わたしは慌てて手を引っ込めた。
危ない危ない! 今、本音がダダ漏れになるところだった!
「な、なんでもない! ちょっと、セーラの肌のキメが整ってるなーって! うん、それだけ! 本当だよ! ほんと!」
わたしはビシッと指を突きつけ、ドヤ顔で誤魔化す。
セーラは一瞬きょとんとしていたが、すぐにふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます。アリス様にお仕えするのですから、身だしなみには気をつけております」
うっ、その笑顔、まぶしい!
今のセーラは、わたしへの忠誠心がカンストしている。妹ちゃんの一件は残念だったけど、わたしの「駒」としては完璧に仕上がっていた。
そして、もう一人。
わたしの後ろに控える、飄々とした態度の騎士、ルスカーさん。
彼もまた、レベル33の(神の加護を受けた)六歳児という、とんでもない存在に完敗したことで、今やわたしの秘密の特訓相手兼、協力者になってくれている。
そう、ついに役者は揃ったのだ。
わたしと、忠実なるセーラ、そして腕利きの騎士ルスカーさん。
この三人で、ついに念願の――モンスター狩りという名のレベル上げに行けるんだ!
「それで、お嬢様。旦那様と奥様へのご説明は、いかがでしたか?」
ルスカーさんが、壁に寄りかかったまま、ニヤニヤしながら尋ねてくる。
ふふん、抜かりはないよ。
「完璧だよ! 『ゲオルグ様の一件で、わたくし、ちょっと心が疲れちゃったから、セーラとルスカーさんと三人で、休養がてら近くの森にピクニックに行きたいな』って、うるうるした目でお母様にお願いしたら、一発だったよ!」
「お父様は、すごい渋い顔してたけどね」とわたしが付け加えると、ルスカーさんは「そりゃそうでしょうな」と肩をすくめた。
まあ、ルスカーさんが護衛につくこと、そしてお母様が「あの子も色々あったのですから」と後押ししてくれたことで、なんとか許可は取り付けたのだ。
まあ、その際、お父様に「モンスターのでる区域には、絶対に近づかないように」と厳命されたけどね。もちろん、守るつもりはない。ルールは破るためにある!
「では、準備をいたしましょう。アリス様、こちらへ」
セーラに手招きされ、わたしは自室の陰にある更衣室へと入る。
そこには、いつものフリフリのドレスとは似ても似つかない、質素な服が用意されていた。
ルスカーさんがあらかじめ手配してくれた、動きやすい平民の子供が着るような、丈夫な麻のシャツと、革のズボン、そして編み上げのブーツ。
「おお……! なんだか、冒険者みたい!」
初めて履くズボンに、わたしは思わずテンションが上がる。
セーラが手際よくわたしの銀髪を三つ編みにしてまとめてくれる。これでよし!
「お嬢様、本当にお気をつけて。何かあれば、すぐにわたくしとルスカーさんの後ろへ」
「わかってるって! アリスちゃんは賢いからね!」
わたしはドヤ顔で胸を張ると、三人で馬小屋へと向かった。
馬は二頭。
わたしはセーラの前の鞍にひょいと軽々しく飛び乗る。レベル33の身体能力なら余裕だ。
セーラが「さすがです、お嬢様」といつもの感じで褒めてくれた。ルスカーさんも、華麗な所作で隣の馬に跨る。
「じゃあ、行きますか。ピクニックとやらに」
「うん! しゅっぱーつ!」
わたしたちは屋敷の裏門から、こっそりと外の世界へと駆け出した。
屋敷の外に、こんな少人数で出かけるのは初めてだ。
お父様やお母様と一緒の、窮屈な馬車じゃない。護衛の騎士団にガチガチに守られた行列でもない。
風が、頬を撫でる。
なんだか、すっごくワクワクする!
わたしたちのクライネルト伯爵領は、アークライト王国の中でも、かなり辺鄙な場所にあるらしい。
屋敷が建つなだらかな丘を下ると、そこには石畳が敷かれた古い街道が東西に延びていた。長年の馬車の往来で、轍の部分はすり減ってガタガタだ。
街道の南側には、見渡す限りの小麦畑と、ところどころにブドウ畑が広がっている。あれが、領民たちの村の食料源なんだな。
そして、わたしたちが目指すのは、北側。
そこには、まるで世界を拒絶するかのように、鬱蒼とした『黒の森』が広がっていた。昼間だというのに、森の奥は薄暗く、不気味な静けさに満ちている。
「モンスターが出没するのは、もっぱらあの森です」
馬を並走させながら、ルスカーさんが説明してくれた。
わたしの心は、初めての冒険と経験値稼ぎに高鳴っていた。
「それで、モンスターは!?」
わたしの期待に満ちた声に、ルスカーさんは苦笑いを浮かべた。
「そう焦んなさんなって。まずは森の入り口、ゴブリンがよく出るあたりで肩慣らしと行きやしょう。いいですか、お嬢様。絶対に、俺より前に出ちゃ――」
「うん! 任せて、ルスカーさん!」
わたしは、ルスカーさんの忠告が終わる前に、満面の笑みで振り返った。
ゴブリン! ついに本物のモンスターキターー! 経験値がっぽずっぽ稼ぎたいぜ!
どれくらい美味しいのかなぁ!
わたしの口から、よだれが垂れそうになっていることには、気づかないフリをした。