幼女「もらえる経験値、人>魔物では?」   作:北川ニキタ

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21話 だって、我慢できなかったんだもん

 馬を降り、鬱蒼とした『黒の森』の入り口に立ったわたしは、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 屋敷の庭とは比べ物にならないほど、濃密な生命の匂いがする。湿った土と、腐葉土の匂い。そして、どこか獣臭い、未知の気配。

 

「いいですか、お嬢様。ここから先は、本物の『戦場』です」

 

 ルスカーさんが、さっきまでの飄々とした態度を消し、真剣な眼差しで腰の剣の柄に手をかけた。

 

「旦那様との約束だ。絶対に、お嬢様とセーラさんを危険な目には遭わせやせん。ですが、何が起きるかわからねえ。セーラさんはお嬢様のそばを片時も離れず、俺は常に一歩前を行く。いいですね?」

 

「はい、承知いたしました」

 

 セーラも、いつものメイド服ではない村娘の格好だというのに、その立ち姿には一分の隙もない。彼女もまた、この森の危険性を肌で感じ取っているんだろう。

 うんうん、二人とも頼りになるなー。

 わたしは「わかった!」と元気に返事をしながらも、内心はまったく別のことで盛り上がっていた。

 モンスター! モンスター! 経験値っ! 経験値っ!

 あのクソデブ(を倒した時の、レベル33アップの暴力的な快感。

 あれを、もう一度……!

 あ、ダメダメ、よだれが。

 いい、アリスちゃん、わたしはあくまで、このデスゲームを終わらせるために強くならなきゃいけない、健気な救世主様なんだから!

 すべてはみんなのため! うん!

 わたしが完璧な自己正当化にドヤ顔を決めていると、森の茂みが、ガサリ、と音を立てた。

 

「――ッ! 来ます!」

 

 ルスカーさんの警告と同時。

 茂みから飛び出してきたのは、わたしがずっと会いたかった――

 

「ゴブリンだ!」

 

 わぁ! 本物だ!

 背丈はわたしより少し低いくらい。人間の子供をそのまま醜く歪ませたような、緑がかった褐色の肌。ぼろきれを腰に巻き付けただけで、手には錆びた棍棒を持っている。

 よだれが出そうなほど、美味しそうな経験値にしか見えない!

 

「キシャアアアッ!」

 

 下品な奇声を上げ、よだれを垂らしながら、ゴブリンがこちらに気づいて突進してくる。 わくわく! 初めてのモンスター!

 

「お嬢様、下がっていてください!」

 

 ルスカーさんがわたしの前に立ちはだかり、ゴブリンを牽制する。

 だけど、ゴブリンは一匹じゃなかった。

 茂みから、ぞろぞろと、同じようなゴブリンが三匹、四匹と現れる。

 

「チッ、四匹か。……いいですか、お嬢様。よく見てなさい」

 

 ルスカーさんは剣を抜き放つことなく、冷静にゴブリンの群れを見据えている。

 

「あれがゴブリン。この森じゃ一番格下ですが、知能は獣より上で、道具も使う。そして何より、厄介なのが、あの卑劣さです」

 

「ひれつさ?」

 

「ええ。あいつらは、必ず集団で行動し、自分より弱いと見た相手しか襲わねえ。見てください、あの一番後ろにいるやつを」

 

 ルスカーさんが顎でしゃくった先。

 他のゴブリンより一回り小さいゴブリンが、仲間の陰に隠れながら、何かを投げる素振りを見せている。

 

「石礫です。戦闘中、ああやって横から石を投げて、こちらの集中を乱してくる。真正面から戦えば騎士団の訓練生でも勝てますが、こういう小細工に不慣れな新米冒険者が、足をすくわれて命を落とす。連中も、それを知っててやってるんすよ」

 

「へえー、なるほどー」

 

 わたしは感心したように頷く。

 ふんふん、つまり、経験値が四匹分ってことね! じゅるり!

 

「まあ、この俺にかかれば、こんな雑魚――」

 

 ルスカーさんは、ついに剣の柄に手をかけ、一歩前に出た。

 

「まずは、騎士の戦い方ってやつを、じっくりと――」

 

 お手本を見せてくれるらしい。

 うん、見なきゃ。見なきゃいけないのは、わかってる。

 ルスカーさんの騎士としての戦い方、きっと参考になるはず 。

 レベル上げは、その後で……。

 

 ――でも。

 目の前に、四つも並んだ、美味しそうな経験値。

 今、まさに、ルスカーさんに食べられようとしている。

 

 ああ、ダメ。

 ダメダメダメ。

 

 我慢、できるわけないじゃん!!!!

 

「――しゅばばっ!」

 

「え?」

 

 ルスカーさんが「お手本を」と言い終わる、コンマ数秒前。

 わたしは、地を蹴っていた。

 レベル33、敏捷45。

 神の加護(大嘘)を得たわたしの身体は、ルスカーさんの視界から一瞬で消え去る。

 

「キシャ!?」

 

 一番近くにいたゴブリンが、目の前に瞬間移動してきたわたしの姿に、驚愕の声を上げる。

 遅い。

 わたしは、ルスカーさんから「護身用に」と渡されていた本物の短剣を、その醜い喉元に、何の躊躇もなく突き立てた。

 

 ザシュッ。

 

 生々しい手応え。

 ゲオルグの時とは比べ物にならないほど、あっけない。

 ゴブリンは悲鳴すら上げられず、その場に崩れ落ちる。

 

 ……シーン。

 

 何も、起きない。

 脳内に響くはずの、『レベルがアップしました』というあの高揚感を伴うシステムメッセージが、まったく聞こえてこない。

 

「…………え?」

 

 わたしは、短剣を突き立てたまま、固まった。

 うそ。

 なんで?

 ゲオルグの時の、脳が焼き切れるかと思ったほどの暴力的な多幸感が、ない。

 あの、全身がとろけるような快感が、どこにもない。

 ただ、生臭い血の手応えだけが生々しく残った。

 

「キシャアアアアッ!?」

 

 仲間が一瞬で殺されたのを見て、残りの三匹が、ようやくわたしという脅威を認識した。

 

「二匹目っ!」

 

 わたしの意識は、絶望から怒りへと切り替わる。

 一匹がダメなら、数!

 わたしは即座に地を蹴り、棍棒を振りかぶった二匹目の懐へと潜り込む。

 

「遅い!」

 

 レベル33のわたしの目には、ゴブリンの動きなんて、まるで止まって見えた。

 振り下ろされる棍棒を紙一重でくぐり抜け、すれ違いざまに、その脇腹から心臓にかけて、短剣を深々と突き刺す。

 

 ザシュッ!

 

 ……やっぱり、何も起きない。無音。

 ――うぎぎぎぎぎ!

 ダメ! 全然感じない!

 まるで、最高級の霜降り肉を期待して口を開けていたら、乾燥したパンの耳を突っ込まれたみたいな!

 この、圧倒的なガッカリ感!

 

「ギッ!?」

 

 三匹目。あの、小賢しい石礫ゴブリンが、ようやく石を投げつけてきた。わたしは、その石を、飛んできた軌道のまま、左手で鷲掴みにする。

 

「……ギャ?」

 

 ゴブリンの方が、ぽかん、と口を開けた。

 わたしは、掴んだ石を、そのまま倍の速度で投げ返した。

 

 ゴッ!

 

 鈍い音。

 石は、ゴブリンの眉間にめり込み、そいつは白目を剥いて、あっけなくひっくり返った。

 ……あ。

 もしかしたら、もしかしたら気を失っただけでまだ生きているかも。

 わたしは慌てて駆け寄り、まだ痙攣しているゴブリンの首筋に、短剣を突き立ててとどめを刺す。

 

 ……やっぱり、無音。

 

 ……もう、泣きそう。

 わたしのワクワクを返してよ!

 

「キ……シャ……」

 

 残るは、最後の一匹。

 そいつは、仲間三匹が一瞬で惨殺された光景を見て、完全に戦意を喪失していた。

 腰を抜かし、泡を吹きながら、みっともなく後ずさる。

 

「あ、待ってよ。経験値」

 

「ヒィイイイ!」

 

 ゴブリンが、森の奥へと逃げ出そうと背中を向けた。

 ――逃がさない。

 わたしは、追撃のために地を蹴ろうと――

 

 カキン!

 

 わたしの耳元を、凄まじい速度の何かが通り過ぎた。

 それは、ルスカーさんが投げた短剣だった。

 短剣は、逃げるゴブリンの背中に深々と突き刺さり、ゴブリンは前のめりに倒れて動かなくなった。

 

「…………あ」

 

 わたしの、経験値が……。

 

 シン、と静まり返った森の入り口。

 わたしは、四つのゴブリンの亡骸の真ん中で、ただ、呆然と立ち尽くしていた。

 全身にこびりついていた、あの快感の残り香を呼び覚まそうとしたのに、得られたのは、不快な焦燥感だけ。

 全然足りない。

 あのクソデブがフルコースディナーだったとしたら、今のは、その皿に残ったパセリの欠片だ。

 なんにも食べた気がしない。

 

「……お嬢様」

 

 わたしが振り返ると、そこにはわたしをじっと睨む二人の姿があった。

 ルスカーさんは、明らかに怒っていた。その眉間には深いシワが刻まれ、「お手本を見せると言っただろうが」と顔全体で語っている。

 一方、セーラは、わたしの常識外れな強さと、その容赦のない行動に、もはや驚きを通り越して……若干、引いていた。その顔は、心配と非難が混じった複雑な色を浮かべて固まっている。

 

 あ。

 やばい。

 お手本見せてもらう前に、全部倒しちゃった。

 

 わたしは、短剣についた血を近くの葉っぱで適当に拭うと、二人にずいっと向き直り、えへへっ、と頬をかいた。

 最高の「ごめんちゃい」スマイル。アリスちゃんはかわいいから仕方がないよね。

 

「えへへっ、アリスちゃん、ついうっかりー」

 

 わたしは小首をこてんと傾げ、にこーっと効果音がつきそうな笑顔を振りまいた。

 どうよ! この健気でかわいいうっかりさんに、本気で怒れる人間なんてこの世にいるわけがないよね!

 

「……お嬢様」

 

 ルスカーさんの声が、さっきよりさらに低くなった。

 

「その可愛い顔で誤魔化すのは、やめてください」

 

 ぴしゃり。一刀両断に切り捨てられた。

 やべっ、バレてる!?

 

 わたしのあざといスマイルが、一瞬で引きつる。わたしの最強スキル「アリスちゃんスマイル(Lv.MAX)」が効かない人間がこの世にいるだと!?

 

「……ご、ごめんなさい」

 

 わたしはしゅん、と効果音がつきそうなくらい分かりやすく肩を落とし、素直に頭を下げた。だって、我慢できなかったんだもん……。

 わたしの素直な謝罪を見て、ルスカーさんは、はぁー、と天を仰ぐように深いため息をついた。

 その顔には、怒りよりも、もはや諦めが浮かんでいる。

 

「……まあ、わかってはいましたがね。お嬢様なら、ゴブリン程度、簡単に倒せることは」

 

 彼はがしがしと乱暴に頭をかくと、わたしの足元に転がるゴブリンの亡骸を一瞥するのだった。

 

「まあ、いきなりモンスターを容赦なく殺せるのは、流石に驚きましたが……」

 

 えーと、これって褒められてるのかな?

 とりあえず、えへへーと笑っておこう。いやー、照れるな―。

 

「いや、褒めてませんよ」

 

「……(真顔)」

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