幼女「もらえる経験値、人>魔物では?」   作:北川ニキタ

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24話 どんなチャンスも絶対に逃してはいけない

 ――グォォォオオオオ!!

 

 森を震わせる咆哮。

 目の前に立ちはだかるのは、既知のオークとは似ても似つかない、異常な巨体だった。

 不吉な紫色の瘴気をまとい、赤黒く濁った目が、明確な殺意をもってこちらを睨みつけている。

 豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)

 ルスカーさん曰く、レベル39という悪夢のような上位変異種。

 

「アリス様! セーラさん! お下がりください! こいつは危険すぎます!」

 

 ルスカーさんの悲鳴じみた警告が、わたしの鼓膜を揺らす。

 絶望的な状況。

 

 ……だというのに。

 わたしの口元は、抑えきれない興奮に、三日月形に吊り上がっていた。

 

「……ふ、ふふん」

 

 ごくり、と喉が鳴る。

 レベル39の獲物。

 それってつまり、とても美味しい、極上の経験値ということ。

 

「アリス様!? なにを笑って――」

 

「わたしが前に出る」

 

 わたしは短剣を抜き放つ。

 なぜかわかんないけど、全身の血が沸騰するような、万能感がみなぎってくる。

 これよ! この感覚!

 

「ルスカーさんは援護して!」

 

「無茶です! お嬢様!」

 

「だいじょーぶ! アリスちゃん、最強だから!」

 

 わたしは地を蹴った。

 敏捷45の身体は、矢のように豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)の懐へと飛び込む。

 

「――グォッ!」

 

 豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)が、その巨体に見合わぬ速度で、薙ぎ払うように棍棒を振るう。

 わたしは、その風圧を肌で感じながら、寸前で身をかがめた。

 ゴウッ!と、わたしの頭上が数センチの差で通過していく。

 危なっ!

 だけど、隙だらけ!

 

「はぁっ!」

 

 わたしは即座に体勢を立て直し、そのがら空きの脇腹に短剣を突き立てる。

 ザシュッ!

 手応えは、あった。

 だが――浅い!

 

「グゥッ!」

 

 豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)は、分厚い脂肪と筋肉で刃を止めると、傷口に構うことなく、巨大な拳をわたしめがけて振り下ろしてきた。

 

「しまっ――」

 

 ドンッ!!

 わたしは、迫り来る拳を、咄嗟に左腕でガードする。

 

「……きゃっ!?」

 

 みしり、と。

 骨が軋む音が、左腕から響いた。

 レベル33のステータスをもってしても、防ぎきれない重い一撃。

 わたしは、まるでボールのように吹き飛ばされ、近くの大木に背中から叩きつけられた。

 

「ぐ……っ! ……いっっっっったぁ……!」

 

 肺から空気が全部絞り出される。

 わたしのことを舐めていたゲオルグの時とも違う。

 本気で、殺しに来ている、純粋な質量。

 

「アリス様!」

 

 ルスカーさんが、慌ててわたしと豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)の間に割り込む。

 わたしは、折れたかもしれない左腕を押さえながら、必死で立ち上がった。

 

「……ふ、ふふふふ」

 

 痛い。すっごく痛い。

 でも、大丈夫。

 フルダイブ型のVRゲームで、死にゲーは散々やってきたんだ。

 受け身だけは、誰よりもうまい自信がある。

 

「ルスカーさん!」

 

「お嬢様! ご無事ですか!?」

 

「うん! ごめん、ちょっと、ナメてた! こいつ、強い!」

 

 わたしは、にっと笑って見せた。

 口の中に、血の味が広がる。

 

「一人じゃ無理かも! ルスカーさん、一緒に狩ろう!」

 

「……っ! 承知!」

 

 ルスカーさんの顔が、驚愕から、決意の光を宿した騎士の顔へと変わる。

 レベル35の彼が、ついに剣を抜き放った。

 ここからが、本番だ。

 

「セーラは絶対に下がってて! 死んでも前に出ちゃダメ!」

 

「は、はい!」

 

 セーラの返事を聞きながら、わたしとルスカーさんは、豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)を挟み撃ちにするように左右に展開する。

 

「グォォォオ!」

 

 豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)が、獲物が二匹に増えたことに苛立ち、棍棒を振り回す。

 わたしとルスカーさんは、森の木々を盾に、縦横無尽に駆け回った。

 速い!

 ルスカーさんの動きも、わたしの敏捷45に引けを取らない。

 いや、速度はわたしが上だけど、動きの「質」が違う。

 ルスカーさんの剣戟は、まるで教科書のように洗練されていて、最小限の動きで、的確に豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)の攻撃を受け流し、隙あらばその分厚い皮膚を切り裂いていく。

 

 対するわたしの動きは、そんな騎士道とは真逆。

 完全にゲーマーのそれだ。

 ゲームの中での「死」なんて、リトライするためのただのペナルティ。命の価値は、驚くほど軽い。

 だからこそ、わたしは常にコンマ数秒、数ミリの「最適解」を攻め続けてきた。

 

 一歩でも踏み込みを間違えれば、即死。

 一瞬でも判断が遅れれば、致命傷。

 

 ルスカーさんなら絶対に防御か、大きく距離を取って回避するしかない、あの豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)の横薙ぎの棍棒。

 わたしは、それを――あえて避けない。

 

「――ふっ!」

 

 棍棒がわたしの身体を叩き潰す寸前、その軌道を完璧に読み切り、わたしはドレスの裾を翻して、その棍棒の上へと飛び乗った!

 え? ありえないって?

 六歳の少女が、レベル39のモンスターの攻撃を足場にするなんて、狂気の沙汰だって?

 

 ――んなこと、わかってるよ!!

 こんな命を投げ捨てるような戦い方、本当は「まずい」んだってこと!

 この『Gnosis Online』は、わたしの命を人質にしたデスゲーム。

 あの頃みたいに、死んでも「ロードしますか?」なんて優しいメッセージは出てこない。

 

 ――なのに。

 ああ、どうしてなんだろう。

 

 胸の鼓動が、うるさいくらいに高鳴って、止まらないよッッ!!

 全身の神経が研ぎ澄まされ、世界の解像度が上がっていく。

 この、死と隣り合わせのヒリヒリとした緊張感!

 わたし、今、最高に「生きてる」ッッッ!!!!

 

 わたしとルスカーさんの、完璧な連携が始まった。

 ルスカーさんが正面から剣で注意を引きつけ、その隙に、わたしが背後から目や関節などの急所を狙う。

 豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)は、わたしたち二人を同時に相手にし、その巨体はみるみるうちに傷だらけになっていった。

 

「グ……グオオオオオオオッ!!」

 

 追い詰められた豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)が、ついに最後の手段に出た。

 瘴気をまとった棍棒を地面に叩きつけ、周囲の木々をなぎ倒しながら、狂ったように暴れ回る!

 

「まずい、お嬢様! 距離を――」

 

 ルスカーさんが叫んだ、その時。

 暴れ回っていた豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)の動きが、不意に、ぴたりと止まった。

 そして、その赤黒く濁った目が――わたしではなく、ルスカーさんを、真っ直ぐに睨みつけていた。

 

 わたしのゲーマーとしての『神眼』が、敵の殺意が切り替わったのを察知する。

 

「ルスカーさん、そっち行った! 避けて!」

 

「――しまっ!」

 

 わたしの警告より早い。

 豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)は、なぎ倒した木々を踏み台にして、一気にルスカーさんとの距離を詰めていた。

 回避が、間に合わない!

 

「ぐ……っ!」

 

 ルスカーさんは咄嗟に剣でガードする。

 だが、豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)の瘴気をまとった棍棒が、彼の防御を、鎧ごと無慈悲に叩き潰した。

 

「――が、はっ……」

 

 鎧が、紙のように砕け散る。

 ルスカーさんの口から、おびただしい量の血が噴き出した。

 

「ルスカーさんっ!」

 

 まずい。

 一瞬、わたしの頭が、本気でそう思った。

 豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)が、勝利を確信し、倒れたルスカーさんにとどめを刺そうと、棍棒を振り上げる。

 

「……お嬢、様……」

 

 だが、ルスカーさんは、まだ死んでいなかった。

 彼は、最後の力を振り絞り、倒れたまま、豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)の足首に、砕けた鎧ごと抱きついた。

 

「今……です……!」

 

 絶好の、隙。

 わたしは、何も考えなかった。

 ただ、ゲーマーとしての本能が、その最大の「急所」を指し示していた。

 わたしは地を蹴り、豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)の背後から、その巨体に飛び乗る。

 

「――もらったぁ!!」

 

 そして、ルスカーさんが作ってくれた一瞬の硬直の中、無防備に晒された首筋――その頸動脈に、短剣を、根元まで、深々と突き立てた。

 

「――グ……ゴ、ア……」

 

 豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)の巨体が、びくん、と一度だけ大きく痙攣し、そして、地響きを立てて、動かなくなった。

 

 シン、と静まり返った森。

 わたしの脳内に、待ちわびた、あの無機質なシステムメッセージが響き渡る。

 

『レベルがアップしました』

 

 ……やった。

 このヒリヒリする戦いを制した、最高の報酬!  あのクソデブの時みたいに、脳髄がとろけるほどの快感が、今、来る……!

 

『レベルが34になりました』

 

 ……ん?

 

 わたしは、豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)の亡骸から滑り降りると、その場にぺたんと座り込んだ。

 あれ?  今、なんて?

 

『レベルが34になりました』

 

 ……え?

 たった……ひとつ?

 レベルが、ひとつしか、上がらない?

 

 うそ。

 あんなに強くて、あんなに痛い思いして、あんなに「生きてる!」って実感して、命がけで倒したのに。

 たった、の、いち? あのクソデブ(レベル53)を倒した時の、あの脳髄がとろけるような快感は、どこにもない。

 なんだか、最高級の霜降り和牛だと思って全力でかぶりついたら、味のないパンの耳だった、みたいな。

 この、圧倒的なガッカリ感……!

 あまりの経験値のしょっぱさに、わたしは、ぷくり、と頬を膨らませる。

 ふざけんなー! と、文句を言ってやりたい!

 

「……ぐ、ぅ……」

 

 その時、小さなうめき声が聞こえた。

 はっとして振り返ると、そこには血の海に沈むルスカーさんの姿があった。

 

「ルスカーさん!」

 

 わたしは慌てて駆け寄る。

 ダメだ。胸が、原型を留めていない。

 豚鬼将軍(オーク・ジェネラル)の一撃は、彼の鎧ごと内臓を叩き潰していた。

 どう見ても、致命傷だ。

 

「……カバン……の、中を……」

 

 ルスカーさんが、かろうじて指差す。

 わたしは、彼が背負っていた革袋をまさぐり、中から小さな布のポーチを取り出した。中には、緑色に淡く輝く軟膏と、清潔な麻の包帯。

 これかっ!

 

「今、手当てするから!」

 

 わたしは、震える手で、その魔力軟膏(マナ・クリーム)をルスカーさんの傷口に塗りたくる。

 ファンタジー世界のご都合アイテム。これで、どんな傷も一瞬で――

 

 ……治らない。

 

 傷口は、淡い光を放つけれど、おびただしい出血は止まらない。

 砕けた骨も、潰れた内臓も、元には戻らない。

 わたしは、ポーチに入っていた消毒液の瓶を開け、包帯に染み込ませて、必死に傷口を圧迫する。

 だけど、ダメだ。

 血が、包帯をすぐに真っ赤に染めて、わたしの手から溢れていく。

 

「ルスカーさん! 死なないで! 今すぐ屋敷に連れて帰るから! それまで頑張って!」

 

 わたしは必死に声をかける。

 レベル34の筋力なら、大人の男一人、運べるはずだ。

 急がないと。このままだと、ルスカーさんは本当に死んでしまう!

 

 ……そう、本気で思った、瞬間。

 わたしの頭は、急速に、冷えていった。

 

 あれ?

 本気で、まずいのかな?

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