幼女「もらえる経験値、人>魔物では?」   作:北川ニキタ

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7話 貴族社会面倒くさい!

 転生してから、早くも一週間が過ぎた。

 わたしは毎日、まるで乾いたスポンジが水を吸うように、この世界の知識を吸収し続けている。

 屋敷の書庫に籠っては片っ端から書物を読み漁り、家庭教師のレオル先生には、子供の無邪気さを装って質問攻めにした。

 彼はどんなに突拍子もない質問にも嫌な顔一つせず、丁寧に、そして的確に答えてくれる。

 おかげで、この世界についてもなんとなくわかってきた。

 

 逆に、お父様は多忙を極めているようで、領地の運営や貴族間の付き合いで屋敷を留守にすることが多かった。

 まあ、ある意味わたしにとって、好都合なんだけど。あの威厳のある父親の前では、どうしてもの6歳児らしいかわいいアリスちゃんを演じなくていけないから疲れるのだ。

 

 そして今日、月曜日の午後は――わたしにとって、この世界で一番無駄で、一番苦痛な時間がやってきた。

 ダンスのレッスンだ。

 

「アリス様、背筋が曲がっておりますわよ! もっと胸を張りなさい!」

 

 ぴしり、と背中を細い指示棒で軽く叩かれる。

 いたっ! 暴力反対! 内心イライラしてくれる。

 鏡張りの広いレッスンホールに、厳しくも凛とした女性の声が響き渡った。

 講師のマダム・エレオノーラ。元王宮舞踏家だか知らないけど、髪をカッチカチにまとめ上げた、いかにも「堅物です」って顔したおば様だ。

 

「はい、マダム・エレオノーラ……」

 

 わたしは内心の悪態を完璧に隠蔽し、しょんぼりとした声で返事をする。慌てて背筋を伸ばし、目の前の巨大な鏡に映る自分自身を睨みつけた。

 銀髪の幼い少女(相変わらずわたしってかわいい)、慣れないステップに必死の形相で食らいついている。ハープシコードの優雅なメヌエットに合わせて、一、二、三。一、二、三。

 たったこれだけの単純なステップを繰り返すだけなのに、この六歳の身体はすぐによろけてしまう。

 

 くっ……! なんで、こんなことしなきゃいけないのよ!

 

 マジで最悪の強制ミニゲームだよ、これ!

 経験値も入らない、アイテムも貰えない、ただの拘束イベント!

 わたしがここで意味不明なステップ踏んでる間に、他の救世主どもはモンスター狩りまくってレア装備ゲットしてんだろうなあ!

 ぎゃー、いらいらする! 腹立つ、イライラする!

 わたしはといえば、こんなところで優雅に(まったく優雅じゃないけど!)ステップを踏んでいる。

 こんな動き、モンスターとの戦闘において一ミリも役に立つはずがないよ!

 

「アリス様、集中なさい! 次はターンですわ。軸をぶらさずに、軽やかに!」

 

 マダムの指示に合わせて、くるりと回ろうとする。だが、小さな身体はバランスを崩し、たたらを踏んでしまった。

 

「……ご、ごめんなさい」

 

「ため息はよろしくなくってよ。さあ、もう一度」

 

 うぎゃー! マジでやだぁああああ! もう帰りたい! サボりたい! 焦りがわたしの心をじりじりと焼いていく。

 焦りがわたしの心をじりじりと焼いていく。

 早くレベルを上げたい。強くならなきゃ、この狂ったデスゲームでは生き残れない。なのに、今のわたしにはどうすることもできないのだ。

 この一週間で嫌というほど理解させられた。

 この世界では、「貴族の令嬢は、モンスターと戦う必要などない」という考えが、常識として深く、深く浸透している。

 

 特に、わたしのような幼い少女は、まるで壊れ物の磁器のように扱われる。少しでも危ないこと、野蛮なことから徹底的に遠ざけられるのだ。

 レベルを上げるには、日々の特訓ももちろん大事だ。だけど、最も効率的なのは、モンスターと直接戦い、その命を絶つこと。そうすることで、モンスターが蓄えた経験値を、ごっそりと得ることができる。

 レオル先生はそう言っていた。

 

 くっ、わたしにもそれをやらせてよ……!

 

 そう叫びたい気持ちを、ぐっと奥歯を噛み締めてこらえる。

 

 この世界の貴族は、市民を守るために存在する。だからこそ、貴族は市民よりも強くなりやすい環境が整えられている。

 例えば、腕利きの騎士たちがモンスターを生け捕りにし、弱らせたところで、貴族の子息が安全な場所から最後の一撃だけを加える。経験値は戦闘への貢献度で割り振られるが、とどめを刺した者には、多めに経験値を得られる仕組みのようだ。

 いわゆる「パワーレベリング」が、貴族社会では公然と行われている。

 

 他にも、高価な武具や魔術の触媒を惜しげもなく使えるから、ステータスの底上げも容易だ。

 わたしだって、クライネルト伯爵家の令嬢なのだ。その気になれば、そんな最高の環境を利用できるはずなのに。

 お父様に「モンスターと戦う練習がしたいです」なんて言おうものなら、きっと雷を落とされるに違いない。

「お前はクライネルト家の娘としての品位を忘れたのか!」って。

 ああ、もう! 面倒くさい! 貴族社会、面倒くさすぎる!

 もちろん、女性でも戦いの道を選ぶ者はいるらしい。女騎士や女性の魔術師も、決して珍しい存在ではないとレオル先生は言っていた。

 だけど、それはあくまで平民や下級貴族の話。上級貴族の、それも六歳の女の子となると、話は全く別次元になる。過保護という名の、頑丈な鳥かごに入れられてしまうのだ。

「そんな野蛮なことをする必要はない」と。

 

「アリス様! また集中力が途切れておりますわよ!」

 

 マダム・エレオノーラの鋭い声に、はっと我に返る。

 やばっ、また思考の海に沈んでいた。

 

「ごめんなさい……」

 

 しょんぼりと俯くわたしに、マダムはふぅ、と一つ息をついた。

 

「……少し、休憩にしましょうか」

 

 その言葉に、わたしはこくりと頷く。正直、体力も限界だった。

 メイドのセーラが差し出してくれた果実水を一口飲みながら、わたしは再び鏡の中の自分を見つめた。

 そこに映るのは、ただ無力で、非力な幼い少女。

 どうすればいいの……?

 

 

◆◇◆

 

 

 地獄のようなダンスレッスンが終わり、わたしはセーラに手を引かれ、ぐったりとしながらレッスンホールを後にした。もう足が棒のようだ。

 六歳の身体、か弱すぎる……!

 

「まあ、アリス。お稽古、終わったのね」

 

 廊下を歩いていると、前から柔らかな声が聞こえた。  顔を上げると、そこにはお母様――リザベラが、聖母のような微笑みを浮かべて立っていた。

 

「お母様……」

 

「お顔が真っ赤よ。一生懸命、頑張ったのね」

 

 お母様はそう言って屈み込むと、懐から取り出したレースのハンカチで、わたしの額の汗を優しく拭ってくれた。ふわりと、花のようないい香りがする。

 

「えらいわ、アリス。あなたはクライネルト家の娘ですもの。立派な淑女にならなければいけませんわ」

 

「……はい」

 

 素直に頷きながら、わたしは冷静にお母様を観察する。

 この人は、間違いなく「アリス」を母親として心から愛している。その眼差しに嘘はない。 

 だけど、その愛情は、あくまで「か弱く、庇護すべき娘」に向けられたものだ。

 お母様が望むのは、わたしが優雅に舞い、美しくハープを奏でる淑女になること。決して、剣を取り、モンスターと戦う戦士になることじゃない。

 この優しさこそが、わたしを縛る鳥かごの、美しい飾り格子そのものなんだ。

 

「さあ、お部屋に戻って休みましょう。セーラ、アリスに温かいミルクを用意してあげて」

 

「かしこまりました、奥様」

 

 お母様の愛情は、わたしには息苦しい。

 この人を悲しませたくない、という気持ちと、この人の期待を裏切ってでも強くならなければ、という気持ちが、胸の中でぐるぐると渦を巻いていた。

 自室に戻り、セーラが淹れてくれた甘いミルクを飲みながら、わたしは思考を巡らせる。

 

 どうすれば、この状況を打開できる?

 強くなるための選択肢は、大きく分けて三つ。戦士、魔術師、神官。

 

 まず、魔術師の道。

 わたしの魔力は「1」。はっきり言って、論外だ。

 じゃあ、魔道具は? 才能がなくても魔法が使える便利なアイテム。

 でも、書庫で読んだ専門書には、はっきりと書かれていた。セーラが使う「光明石」のような魔道具は、術式が単純だから普及しているだけ。

 モンスターに通用するような攻撃機能を持つ魔道具は、構造が複雑で、素材も希少。その価格は、小さな村一つが買えるほどだって。伯爵令嬢のお小遣いで買えるわけがない。

 はい、魔術師ルート、完全に詰み。

 

 次に、神官の道。

 わたしの信仰ステータスも、悲しいかな「1」。

 それに、神官の力は聖光教会が完全に知識を独占しているらしい。奇跡の起こし方なんて、外部の人間には絶対にわからない。そもそも、神官になるにはまず教会に入って、何年も厳しい修行を積まなきゃいけないんだって。

 そんな悠長なこと、できるわけないでしょ!

 はい、神官ルートも、詰み。

 

「……残るは、一つだけ、か」

 

 ぽつりと、呟く。

 あとは、消去法で残った、戦士の道。

 筋力も敏捷も「1」だけど、地道に体を鍛えれば、少しずつでも成長できる可能性がある。どんなゲームだって、レベル1からコツコツ努力すれば、いつかは強くなれるんだから。

 

 問題は、どうやって鍛えるか。

 この屋敷は、わたしにとって快適な揺りかごであると同時に、頑丈な鳥かごでもある。

 わたしの行動は、常にメイドたちに監視されている。剣の素振りなんてしようものなら、すぐに取り上げられて、お父様とお母様から大目玉を食らうのがオチだ。

 

「……ダメだ。やっぱり、無理ゲーすぎるよー」

 

 わたしはベッドに突っ伏して、枕に顔をうずめた。

 八方塞がり。チェックメイト。

 涙がじわりと滲んできた。

 

「アリスお嬢様、いかがなさいましたか? レッスンでお疲れになったのですね」

 

 静かな声に顔を上げると、いつの間にかそばに控えていたセーラが、心配そうにこちらを覗き込んでいた。

 わたしの専属メイド、セーラだ。

 彼女は、貧しい平民の生まれでありながら、その卓越した仕事ぶりと冷静沈着な判断力を買われ、お母様によって異例の抜擢を受けた才女。まだ二十代手前だいうのに、その立ち居振る舞いはベテランのメイド長よりも洗練されている。

 感情をほとんど表に出さないクールな彼女は、他のメイドたちからは嫉妬とやっかみの対象らしいけど、余計な感情に流されず、常に最適解を提示してくれる彼女のことをわたしは気に入っている。

 

「……うん、ちょっとだけ」

 

「温かいミルクをもう一杯お持ちしましょうか?」

 

 わたしが首を横に振ると、セーラはにっこりと微笑んで、飲み終えたカップをサイドテーブルから下げようとした。

 

 その、瞬間だった。

 

 セーラの袖口から、ぽとり、と小さな革袋が床に落ちた。

 カーペットの上だったが、「ゴトリ」という、その見た目には不釣り合いなほど重く、鈍い音がした。

 

 ……え?

 

 わたしの視線が床に落ちるよりも早く、セーラが動いた。

 今まで見たこともないような素早さで身をかがめ、その革袋を拾い上げると、慌てて袖の奥深くに隠す。

 

 その一連の動きは、ほんの一瞬。

 だが、わたしは見逃さなかった。

 

 いつも冷静沈着な彼女の顔に浮かんだ、焦りと動揺の、ほんのかすかな色を。

 そして、何よりも決定的なのは、あの音だ。

 

 あれは、ただの小物入れの音じゃない。

 たくさんの金貨が、革袋の中でぶつかり合った時にだけ鳴る、くぐもった重い音。平民出身の一介のメイドが、仕事中に気軽に持ち歩いていい金額では到底ない。

 

「……申し訳ございません、お嬢様。お裁縫道具が落ちてしまいました」

 

 セーラは完璧な笑顔を取り繕ってそう言った。

 嘘だ。針や糸巻きであんな音は絶対にしない。

 

 わたしは、何も気づかない無邪気な子供を演じる。

 きょとんと首を傾げて、にっこりと微笑んだ。

 

「そっか。セーラ、気をつけてね」

 

「はい、お嬢様」

 

 平静を装うセーラを前に、わたしの頭の中は絶望から一転、冷徹な計算で満たされていた。

 八方塞がりだと思っていたこの状況。

 だけど、違った。

 目の前に、最高の『駒』がいるじゃないか。

 名付けるならば、サイドクエスト『メイドの秘密』ってところかな。

「従順な令嬢ルート」はここまで。

 ここからは「冷徹な策士ルート」に分岐だ。

 

 

 

――――――――――――――

 

 

 

301 名無しのダイバー

ようやっとアリス様がお休みになられた……

今日も一日、セーラさんお疲れ様でした

 

302 名無しのダイバー

おつ

アリス様が気づかれないところでも、セーラさんすごいがんばっているのが健気で応援してくなる

 

303 名無しのダイバー

わかる

今朝とかすごかった

アリス様が起きる2時間前から起きて、庭で鍛錬してる騎士団に紛れて情報収集してたぞ

「今朝の旦那様のご機嫌は?」とか「王都からの早馬は?」とか

全部アリス様と奥様が困らないように先読みしてんだよな

 

304 名無しのダイバー

>>303

まじかよ、すげえ

俺が見たのは、奥様が来客の準備で慌ててた時

奥様が指示出す前に、客の好みの茶葉とお茶菓子を完璧に用意してた

奥様が「どうしてわかったの?」って驚いたら、「先日、旦那様とその方のお話を小耳に挟みましたので」って涼しい顔で答えてた

どんだけ記憶力と注意力あんだよ

 

305 名無しのダイバー

俺らはセーラさんの配信を見ているからわかるけど、アリス様や奥様にはそういう見えない努力までは伝わっていないだろうな

 

306 名無しのダイバー

それな

あと、他のメイドからのやっかみが酷すぎて泣ける

 

307 名無しのダイバー

>>306

ああ、今日の昼過ぎのやつな

メイド長(あのババア)にわざと呼ばれて、アリス様から引き離されたよな

んで、シーツ室でわざと汚れたシーツ押し付けられてた

「あらごめんなさいセーラさん。これ、急ぎでお願いね」じゃねえよクソが

 

308 名無しのダイバー

>>307

あれマジで胸糞だった

田舎出身で奥様とアリス様に気に入られてるからって、完全なイジメだろ

でもセーラさん、一切表情変えずに「かしこまりました」って言って、完璧に洗い直してた

普通あんなんされたらキレるか泣くだろ……

 

309 名無しのダイバー

メンタル鋼かよ

だからこそ、アリス様の前で見せる、あのほんの少しだけ緩む表情がたまらんのだが

 

310 名無しのダイバー

わかる

アリス様がレッスンでぐったりしてる時の、あの心配そうな顔

あれがセーラさんの素なんだろうな

 

311 名無しのダイバー

で、お前ら、今日一番ヤバかったシーン見たか?

 

312 名無しのダイバー

>>311

言うな

心臓止まるかと思ったわ

 

313 名無しのダイバー

アリス様の部屋で、袖から落ちたアレだろ……

 

314 名無しのダイバー

ゴトリって! ゴトリって音したぞ!

カーペットの上だぞ!?

絶対「お裁縫道具」の音じゃねえよ!

 

315 名無しのダイバー

だよな!?

どう聞いても金属が詰まった革袋の音だった

しかも相当な量だろ、あれ

 

316 名無しのダイバー

うわぁ……セーラさん、あんなモノ仕事中に持ち歩くとか危なすぎだろ……

 

317 名無しのダイバー

アリス様、絶対気づいてるよな?

一瞬、「ん?」って表情してなかった?

 

318 名無しのダイバー

>>317

いや、最後「そっか」って天使の笑顔だっただろ!

アリス様はまだ子供なんだから、気づいてないよ、きっと!

 

319 名無しのダイバー

>>318

だといいんだが……

アリス様、たまに賢そうな表情するからな

よくやるドヤ顔は六歳児としか見えないが、大人だったらあんなドヤ顔できるわけがない

 

320 名無しのダイバー

セーラさん、あんな良い人なのに……「アレ」のためとはいえ、無理しすぎだろ……

バレたらクビじゃ済まないぞ、あの量

 

321 名無しのダイバー

頼む……アリス様、スルーしてくれ……!

セーラさんを追い詰めないでくれ……!

事情を知らないアリス様にバレたら、もう取り返しがつかん!

 

322 名無しのダイバー

アリス様なら大丈夫……なはず

あんなにセーラさんのこと大好きなんだから……

たぶん……

 

まとめサイト【グノーシス速報】より引用

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