静かな夜だった。
主であるアリス様の寝室に運び込まれた簡易的な寝台は、メイド部屋の硬いベッドとは比べ物にならないほど寝心地が良い。
けれど、わたくし――セーラは浅い眠りしか得られずにいた。
クライネルト伯爵家に仕えるようになって、四年。
平民の生まれであるわたくしが、奥様の目に留まり、こうしてアリス様の専属メイドという大役を任せていただけている。
このご恩には、感謝してもしきれない。
この仕事は、わたくしの天職だと思っている。
どうやら私は他の人より手先が器用だったらしく、あらゆる仕事を丁寧に素早くこなすことができた。また、他の人よりもいろんなことに気がつけることができて、それが奥様を手助けするなんてことも。
ただ、顔立ちが冷たいせいか、昔から怖いと思われがちで、感情表現も得意ではない。だから、アリス様の専属を言い渡された当初は、幼いお嬢様に好かれるだろうか、という不安がなかったわけではない。
けれど、それは杞憂だったようだ。
最近のアリス様は、まるで雛鳥のようにわたくしの後をついて回ってくださる。その無邪気な笑顔を見ていると、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
この信頼に応えなければ。わたくしはこの仕事を、完璧にこなす覚悟だ。
ふと、違和感に意識が浮上した。
隣の豪奢なベッドで、小さな寝息を立てていたはずのアリス様が、いない。
はっとして身を起こすと、窓辺に小さな人影が立っているのが見えた。
アリス様だ。
窓から差し込む二つの月の光が、彼女の銀色の美しい髪を幻想的に照らし出している。
その横顔は、いつも見ていた無邪気な子供のものではなかった。どこか遠くを見つめる瞳には、歳不相応な理知の光が宿っているように見えた。
「アリス様? どうかなさいましたか、夜更かしはお体に障ります」
叱咤しようと口を開きかけた、その時。
アリス様はゆっくりとこちらを振り返り、無言で何かをこちらに見せつけてきた。
月明かりに照らされたそれは、見覚えのある小さな革袋。
わたくしの、心臓が凍った。
「あなたの寝間着のポケットに、こんなものがあったんだけど」
幼い、けれど妙に落ち着いた声。
言われて、わたくしは咄嗟に自分が着ている寝間着のポケットに手をやった。何もない。空っぽだ。
その隙に、アリス様はこともなげに革袋の中身をカーペットの上へとぶちまけた。
ちゃらり、と金属と宝石が擦れ合う、下品な音が響く。
月光を反射して鈍く輝く、何枚もの金貨と、数個の宝石。
全身の血の気が、一瞬で引いていくのがわかった。
目の前の光景が信じられず、わたくしはただ震えることしかできない。
なぜ。どうして。
六歳の、この幼い少女が、なぜそれを……?
「こ、これは……わたくしの……」
頭を必死に回転させ、動揺を押し殺し、完璧な言い訳を探す。
「……母親の、形見でございます。貧しい家の出ですので、換金できるものはこれくらいしか……」
「ふーん」
アリス様は、ただ静かに相槌を打った。その紫色の瞳は、わたくしの嘘を全て見透かしているかのように、どこまでも澄んでいる。
「じゃあ、やましいものじゃないんだよね? だったら、今からお母様のところにこれを持って行って、説明してもいいよね?」
まずい。
その言葉は、わたくしにとって死刑宣告に等しかった。
この少女を、どうにかしなければ。このまま奥様のもとへ行かせるわけにはいかない。
わたくしは寝台から滑り降りると、ゆっくりとアリス様に近づいた。
「アリス様。夜分に奥様をお騒がせするのは、淑女のすることではございません。さあ、お話は明日の朝に……」
説得しようとした、わたくしの方が甘かった。
「この宝石、宝物庫の管理台帳にあったものと特徴が一致するよ。南方のボーデレア領から献上された、希少な青色柘榴石。それに、この金貨の鋳造年。クライネルト家の金庫番が管理している出納記録と照らし合わせれば、いつ紛失したものか、すぐにわかる」
淡々と告げられる言葉に、わたくしは息を呑んだ。
なぜ、そんなことまで知っている?
まるで、全てを知った上で、わたくしを試しているかのようだ。
「……セーラ。あなたがいくら完璧に帳簿をごまかしても、いつか必ず紛失したことがバレる」
アリス様は、静かに続ける。
「そうなったら、わたしはあなたを、お父様に訴えるしかなくなるんだよ? その後、あなたの家族までがこの罪を被ることになる、なんてこともあるかもね」
恐怖で、膝が笑う。
目の前にいるのは、六歳の少女ではない。もっと恐ろしい、何か別のものだ。
ああ、終わった。わたくしの人生は、ここで……。
絶望に打ちひしがれ、その場に崩れ落ちそうになった、その時だった。
アリス様は、ふわりと小さな一歩を踏み出し、わたくしの胸にその小さな身体を預けてきた。
「……でも、大丈夫だよ、セーラ。わたしが守ってあげる」
優しい、囁き声。
冷え切ったわたくしの身体を、小さな腕が、戸惑うように、けれど力強く抱きしめる。
「ぜんぶ、わたしに任せて」
その温もりに、張り詰めていたわたくしの心の糸が、ぷつりと切れた。
「……も、申し訳、ございません……っ!」
堰を切ったように、涙が溢れ出す。
そうだ。わたくしは、ずっと誰かに、この罪を打ち明けたかったのかもしれない。
「病気の……妹が……病を治すためのお金が、どうしても……っ」
みっともなくしゃくり上げるわたくしの背中を、アリス様はただ黙って、優しく撫でてくれていた。
「うん、わかった」
しばらくして、アリス様は静かに言った。
「その件も含めて、全部わたしに任せて」
その声は、まだ幼い少女のものなのに、なぜか絶対的な安心感があった。
わたくしはこの瞬間、目の前の小さな主に、魂の全てを捧げることを誓った。
◆◇◆
腕の中で泣きじゃくり、やがて疲れ果てて眠ってしまったセーラを寝台に運び、わたしはそっと息を吐いた。
ふぅ、まあ、こんなもんか。
計画通り。いや、計画以上かな。ふははっ。
わたしは内心で、自画自賛する。
凡人は、弱みに付け込んで脅すだけ。二流は、金や物で懐柔する。だけど、一流のゲーマーであるわたしは違う。
わたしは眠るセーラの頬をそっと撫でた。
そう一流のわたしは、弱みに付け込んで、一度絶望の淵に突き落とす。そして、そこから救い上げてやることで、相手を感謝と畏怖で縛り、絶対的な信者に変えるんだ。
とはいえ、彼女の忠誠心をわたしのものにするには、まだ足りない。
口約束だけじゃ、人は動かない。
もう少し、彼女の「恩義ポイント」を稼いであげないとね。
――――――――――――
【速報】「メイドのセーラ」チャンネル、神回すぎる【天使と忠誠】
1 名無しのダイバー
おい! 今の見たか!? アリスお嬢様、マジで天使すぎだろ……!!
2 名無しのダイバー
見てた! メイドの秘密を暴くのかと思ったけど、まさかの「守ってあげる」ムーブ!
とんでもないお嬢様だ!
3 名無しのダイバー
俺、ガチで泣いたわ
「ぜんぶ、わたしに任せて」ってセーラを抱きしめるところ
あれ六歳児の包容力じゃねえよ。聖母か? いや、女神様だったか
4 名無しのダイバー
わかる
セーラが泣き崩れたところで俺も涙腺決壊した
そりゃあんなことされたら、心酔するしかねえよな
5 名無しのダイバー
あんなんされたら一生ついていくわ
セーラさん、ガチで「この方に生涯を捧げよう」って顔してたもんな
6 名無しのダイバー
セーラが「妹のために盗みを…」って告白した時、アリス様、一瞬もためらわなかったよな
普通、六歳の子が聞いたら混乱するだろうに
7 名無しのダイバー
>>6
それな! 「どろぼー!」とか言わずに、セーラの話を真剣に聞いて、即「守る」だぜ?
優しさの塊かよ
8 名無しのダイバー
妹さんの話を聞いた時、アリス様も泣きそうな顔してた
セーラの辛い気持ちが、本当にわかったんだろうな
だから、自分も怖いのに「大丈夫」って抱きしめてあげたんだ
9 名無しのダイバー
マジで純粋な子だわ……
あんな純粋な優しさを向けられたら、セーラじゃなくても泣く
10 名無しのダイバー
もうこのチャンネルだけでいいわ
俺の生きる意味だ
アリス様とセーラの主従関係、最高すぎる
11 名無しのダイバー
推せる
全力で推せる
二人とも、絶対に幸せになってくれよ……!
12 名無しのダイバー
お前ら、あんまり浮かれてるとこ悪いんだけどさ……
13 名無しのダイバー
なんだよ、こんな神回の後に水差すなよ
14 名無しのダイバー
いや、俺もアリス様が天使なのは同意なんだが……
最後の最後、セーラが泣き崩れてアリス様が抱きしめてるシーン
15 名無しのダイバー
ああ、最高だったな
アリス様ももらい泣きしてるんじゃないかって思ったわ
16 名無しのダイバー
いや……なんか、セーラの頭を撫でてる時のアリス様の「目」
一瞬だけ、すごく……なんていうか、感情がこもってなくないか?
妙に冷めた表情に見えたんだが
17 名無しのダイバー
>>16
は? お前、俺たちの天使になんてこと言うんだよ
六歳の子だぞ? 必死に大人ぶって、セーラを安心させようとしてたんだろ
疲れてんなら、眼科にでも行って寝ろ
まとめサイト【グノーシス速報】より引用