ダンジョンで"救護"するのは間違っているだろうか 作:救護騎士団オラリオ支部
串焼きやジャガ丸くんなど、手軽に食べられる屋台がずらりと並ぶ大通り。
アクセサリーや小物、果ては武器まで売る露店も出ており、どの通りも人で溢れ返っていた。
そんな中、ベルはひとり、雑踏をかき分けながら歩いていた。
――人が、すごい……!
怪物祭ということもあり、オラリオの通りはどこも熱気に包まれている。
香ばしい匂いが鼻をくすぐり、耳には笑い声と笛の音。
どこを見ても、楽しそうな笑顔があふれていた。
けれどベルの視線は、終始何かを探しているように彷徨っていた。
少し前に、豊穣の女主人の猫人の店員――アーニャに呼び止められたのだ。
シルが財布を忘れたので渡してほしいとのことだったので人ごみの中からシルを探しているのだが見つかる気がしない。
視線を左右に走らせながら、ベルは人の波の中をすり抜けていく。
香ばしい肉の匂いと、屋台の鉄板から上がる湯気。
呼び込みの声が飛び交い、どこを見ても人、人、人――。
「……シルさん見つけるの、苦労しそうだな……」
苦笑まじりに呟きながら、ベルは再び人混みの中を進んだ。
子どもたちが駆け回り、屋台の主が大声で呼び込みをするたびに、
その賑わいに押されるようにベルの歩みは少しずつ遅くなっていった。
――人が多すぎて、まるで迷宮みたいだ。
そう思いながら、ベルはため息をつく。
気づけば、闘技場の巨大な石造りの壁が目の前にそびえ立っていた。
まるで巨大な魔物のように、圧倒的な存在感を放っている。
ベルは立ち止まり、額の汗を拭う。
昼間から続く喧騒はまだ衰えず、闘技場の前には見物客や屋台がぎっしりと並んでいた。
焼き菓子を売る香ばしい匂いと、金属を打つようなカンカンという音。
その混ざり合った音と匂いが、オラリオという街の生命そのもののように脈打っている。
シルの姿は見えない。
薄鈍色の髪を探しても、ここでは人が多すぎて目が回りそうだ。
ベルはもう一度ため息をついて、少し高い場所に視線をやった。
その瞬間――
悲鳴が上がった。
「も、モンスターだぁあああああ⁉」
悲鳴が響いた瞬間、ベルの体がびくりと跳ねた。
次の瞬間には、通りの空気が一変する。
「モ、モンスター!? なんで外に……っ!」
「誰か! 冒険者を呼べぇえ!」
押し寄せる人の波。
逃げ惑う人々が屋台をなぎ倒し、串焼きの香ばしい匂いが煙とともに空へと散った。
叫び惑う人々の中でベルは見た。
巨大な躯体と白毛(はくもう)に覆われたモンスター――野猿(シルバーバック)。
銀灰色の毛並みを逆立て、野獣の咆哮を放ちながら、闘技場の中から出現したのだ。
「に、逃げなきゃ!」
とても初心者が敵う相手ではない。
だがベルの足は動かなかった。
逃げるどころか立ち向かっていった……アイツは自分の信念を貫いたんだ、自分より格上の相手に――
ミネさんなら例え敵わない相手だろうと立ち向かう。
ベルの視線が、人々の方へと移った。
恐怖で固まった子どもたち、屋台の陰に身を隠す商人たち。
ナイフを抜いていた。
「ミネさんなら…」
ここで逃げたら…
「ここで決して…、」
いつまでたっても…
「背を向けたりなんかしない!」
あの人に追い付けやしないのだから。
ベルの心に、蒼い光のような決意が走った。
たとえ自分が初心者で、力も経験も足りなくても――今目の前にいるのは、恐怖に怯える人々だ。
ベルはぎゅっとナイフを握りしめた。
手のひらに伝わる冷たい感触が、恐怖を和らげる。
恐怖を感じるのは当たり前だ。それでも、今は立ち止まれない。
野猿が再び咆哮を上げ、振りかぶった腕が、逃げる人々の方へ迫る。
その瞬間、ベルは咄嗟に駆け出した。
「みんな、下がって!」
声を張り上げると、恐怖で硬直していた人々が少しずつ動き始める。
その隙に、ベルはナイフを構え、野猿の動きを注視する。
――一瞬でも気を抜けば、殺される。
野猿は、次の瞬間、前足を高く振り上げた。
轟音とともに、地面が揺れ、砂埃が舞い上がる。
その衝撃波がベルの体を押し戻すが、彼は踏みとどまった。
「ここで逃げたら、誰も守れない――」
ベルは地面を蹴り、横に跳びながら、ナイフを野猿の腕めがけて振る。
刃は皮膚を傷付けることすらできずダメージは全くない。
「ここで逃げたら、あの人に追い付けない――」
ベルの心臓が早鐘のように打つ。恐怖と緊張、そして決意が入り混じった感覚――それが、彼を突き動かした。
野猿の目が光り輝き、次の動きを探っている。
その巨体が再び跳躍しようとする瞬間、ベルは地面を蹴り、瞬時にその軌道を読んで横に飛んだ。
「ここで逃げたら、英雄になんてなれっこない!」
ベルは低く身をかがめ、野猿の視線を自分に引きつける。
その巨体が振り上げた腕が、地面に激しい衝撃を与えるたび、砂埃が舞い上がり、屋台の一部が吹き飛ぶ。
だが、ベルは恐怖に押し潰されることなく、必死にナイフを振るう。
「お前は、ここで――僕が倒す!」
ベルの声は震えながらも、強い決意を帯びていた。
野猿の巨体が再び跳躍する――その瞬間、ベルは地面を蹴り、横に飛び、ナイフを振るって野猿の腕に突き刺し・・・、
刃は…砕け散った。
その役目を果たすことなく、まるでガラス細工のように。
しかし、野猿の注意を完全に自分に引きつけることに成功する。
野猿は腕を振り回し、地面を踏みしめ、砂埃と共に轟音を立てる。
しかし、その巨体は明らかに彼の存在に反応している。
――無意識だった。
ベルの指先が、腰に装着していた小さな武器ホルダーに触れた。
そこに収められているのは――フロール・オース。
――使うにしても最後の手段にしときなさい。
ヘファイストスの言葉が頭によぎった。
ベルはフロール・オースを握りしめ、腰から抜き放した。
野猿の巨体が、彼の動きに反応して振りかぶる。
――アリーゼさんよりも強くない。
ベルは横に飛び、フロール・オースを構え直す。刃先を少し光らせ、野猿の視線を再び引きつけた。
――輝夜さんよりも上手くない。
野猿の重い腕の下をくぐり抜け、その巨体の脇腹に刃先をかすめさせる。
――リューさんよりも早くない。
痛みで叫びをあげる野猿の隙を突き足の健を斬る。
――ライラさんよりも狡くない。
膝をついた野猿の胸をめがけて…
――アストレア・ファミリアでの訓練に比べれば…。
フロール・オースを突き立て…
――お前は全然…、怖くない!
そこにある魔石を…粉々に砕いた。
その瞬間、野猿の巨体が一瞬硬直し、咆哮が途中で途切れる。
次の瞬間には、銀灰の毛並みが光を吸い込むように黒く変わり、
まるで闇に溶けるかのように消え去った。
地面には黒い塵だけが舞い落ち、砂埃と混ざって淡く揺れる。
人々はその光景を固唾を呑んで見つめ、恐怖と安堵の入り混じった表情を浮かべていた。
ベルは膝をつき、深く息をつく。
手に残るフロール・オースの感触が、今しがたの出来事の現実を伝えてくる。
――やったんだ。僕、一人で……。
街の人々も、恐怖の表情から安堵へと変わり、ざわめきの中に拍手や歓声が混ざる。
その中で、薄鈍色の髪が揺れるのが見えた。シルだ。
彼女は駆け寄ってきて、目を見開きながら息を切らし、震える声で言った。
「ベルさん……すごい! あんな大きいモンスターを……一人で……!」
「シルさんっ! 無事でよかった」
ベルは駆け寄り、安堵と少しの誇らしさを感じた。
シルも安心したように息をつく。
「僕一人じゃ倒せませんでした……倒せたのは」
ベルはフロール・オースを見つめ、言った。
「フレイヤ様からいただいたこのナイフのおかげです。これがなければダメージすら与えられなかった」
シルは目を丸くし、驚きと感動で見つめる。
ベルは少し照れ、ナイフを握り直した。
「今度、フレイヤ様にお礼を言いに行きたいけど……直接は無理だよね」
小さく呟くと、シルが食い気味に答えた。
「そんなことありません‼ フレイヤ様ならきっと快くお会いしてくださいます!!」
ベルは驚き、微笑む。
「そ、そうかな……でも、ミネさんを通じてしか知らないし、僕なんかが……」
「そんなことないです!」
シルは強く首を振り、目を輝かせる。
「ミネさんに相談してみましょう! きっと何とかしてくれます!!」
「ちょっ、シルさん、引っ張らないで‼」
喧噪の中、シルに引っ張られながら歩くベル。
――今日の出来事は、オラリオの街に小さな出来事として消えていくのだろう。
――しかしベルの冒険は、確かにここから始まったのだ。
フレイヤにとってミネの立ち位置は滅茶苦茶都合がいいです。
何せ報酬の名目でベルにいくらでも貢げる上に適当な仕事を振り分けておけばベルから簡単に引きはがせるので邪魔をされる心配がない。
まぁ、所業バレれば救護ですが。