ダンジョンで"救護"するのは間違っているだろうか   作:救護騎士団オラリオ支部

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総力戦「屋外戦・ヴォーパルバニー」難易度/VERYHARD

 ――ゴォォン……!!

 

 戦争遊戯ウォーゲームの開始を告げる銅鑼の音が、大平原の空気を震わせた。

 

 その瞬間だった。

 

「――ッ!」

 

 風を裂く甲高い音が、無数に重なって響く。

 

 視界の端から、黒い雨のように降り注ぐそれ――矢の弾幕。

 

「ファイヤボルト!」

 

 ベルの叫びと同時に、真紅の閃光が迸った。

 

 ――ドォンッ!!

 

 一直線に放たれた火球が、空中で矢の群れと激突し、爆ぜる。

 焼け落ちた矢柄が火花を散らしながら地面へと降り注いだ。

 

 だが、弾幕はそれだけでは終わらない。

 

「……っ、まだ来る!」

 

 ベルは歯を食いしばり、走り続ける。

 次々と放たれる矢を魔法で迎撃しつつ、わずかな隙間を縫うように前進するが――数が多すぎる。

 

「ベルさん、私のことは気にせずに好きなようになさってください」

 

 盾を失っているミネは、飛来する矢を紙一重で躱しながら、ベルに並走していた。

 

「この場はベルさんの絶好の成長の機会だと考えています。何も気にすることはありません。今はただ、全力で戦ってください」

 

 その声音は、驚くほど落ち着いていた。

 戦場の只中にありながら、揺らぎのない信頼がそこにはあった。

 

 ベルは一瞬だけ、横目で彼女を見る。

 

 ――一緒に、前へ進む覚悟。

 

 それを感じ取り、ベルは胸の奥が熱くなるのを自覚した。

 

「……ありがとうございます、ミネさん」

 

 足を止めることなく、ベルは魔力をさらに練り上げる。

 

「ファイヤボルト!」

 

 ――ドォンッ!!

 

 今度は、爆炎がベル自身の足元で炸裂した。

 

「なっ――!?」

 

 観客席から、どよめきが走る。

 

 粉塵が舞い上がり、爆風が地表を舐めるように広がった。

 視界は完全に遮られ、ベルとミネの姿が煙の中へと溶け込む。

 

「ファイヤボルト!ファイヤボルト!ファイヤボルト!」

 

 二発三発とファイヤボルトが放たれ、アポロン・ファミリアを分断するように煙幕が展開される。

 

「――姿を見失った!?」

 

「警戒しろ、突っ込んでくるぞ!」

 

 敵陣に走る動揺。

 

 だが、その直後。

 

 ――煙を突き破り、影が飛び出した。

 

「――っ!?」

 

 ベルだった。

 

 爆炎による推進。

 自らを弾丸のように撃ち出す、無茶な突進。

 

「くそっ、速――」

 

 言い切る前に、射手の一人が吹き飛ばされる。

 

「うわぁっ!」

 

 ベルは止まらない。

 短剣を閃かせ、次々と敵を弾き飛ばしながら、一気に距離を詰めていく。

 

「近接隊、前へ! 止めろ!」

 

 号令と共に、剣士たちが前線に展開する。

 

 しかし、ベルはすぐさま煙幕に身を隠し、進路を強引に変えた。

 

「――なにっ!?」

 

 正面突破だと踏んでいた近接隊の剣士たちが、対応の遅れを見せる。

 

 ベルは地面を蹴り、斜めに、さらに低く潜り込む。

 視界は灰色の帳に覆われ、敵も味方も輪郭すら曖昧だ。

 

 ――だが。

 

(見える……!)

 

 煙の向こうで揺れる、人影の“気配”。

 

 アストレア・ファミリアの中で培われた経験がベルを導いてくれる。

 

「っ――!」

 

 短剣が閃き、剣士の腕を弾く。

 

「がっ……!?」

 

「後ろだ! 回り込まれ――」

 

 叫びは、最後まで届かなかった。

 

 ――ドンッ!

 

 ベルの肩が、敵兵を真正面から弾き飛ばす。

 

「ぐはっ……!」

 

 煙幕の中で、次々と人影が崩れていく。

 

「ファイヤボルト!!」

 

――爆炎が、敵陣の中央を貫いた。

 

 悲鳴と怒号が入り混じり、アポロン・ファミリアの隊列は完全に乱れる。

 煙幕と混乱。その中心で、ベルは息を整え、短剣を構えた。

 

 ――今なら、押し切れる。

 

 そう思った、その瞬間だった。

 

「……チッ」

 

 低く、苛立ちを含んだ舌打ちが戦場に落ちる。

 

 煙の奥。

 揺らぐ熱気の向こうから、明確な殺意が立ち上った。

 

「――調子に乗るなよ、リトル・ルーキー」

 

 次の瞬間、朗々とした詠唱が響き渡る。

 

「【我が名は愛、光の寵児。我が太陽にこの身を捧ぐ!

 我が名は罪、風の悋気。一陣の突風をこの身に呼ぶ。

 放つ火輪の一投! 来たれ、西方の風!】」

 

「……っ!」

 

 ベルの背筋を、冷たいものが走る。

 

(魔法……!?)

 

 だが、妨害に入るには距離がある。

 煙幕の向こう、詠唱者の位置が掴めない。

 

「アロ・ゼフュロス」

 

 円盤状の光弾がベルへと放たれた。

 

「――っ!」

 

 ベルは反射的に地面を蹴る。

 

 だが、光弾は直進しない。

 軌道を歪めながら追尾してくる。

 

「自動追尾……!?」

 

 瞬時に理解する。

 

 この煙幕の中で最も効果的な魔法だと。

 

「くっ――!」

 

 ベルは横へ跳ぶ。

 だが、光弾は鋭角に軌道を変えて迫ってくる。

 

「ファイヤボルト!」

 

 迎撃。

 ――ドォンッ!!

 

 爆炎が光弾を包み込む。

 

 だが――

 

「……ッ!?」

 

 爆煙の中から、削り取られるような衝撃が走った。

 

 炎を切り裂き、光弾が迫る。

 

「――ぐっ!」

 

 ベルの肩をかすめ、地面に突き刺さる。

 

「『赤華ルベレ』!!」

 

 ――ドガンッ!!

 

 光弾が爆炎を舞いベルを飲み込んだ。

 

 爆炎は煙幕を吹き飛ばし、熱風が大平原を舐め尽くす。

 

「――っ!」

 

 観客席から悲鳴にも似たどよめきが上がった。

 

 視界が一気に晴れ、焦げた大地の中央に――クレーターが穿たれる。

 

「……直撃だぞ?」

 

「まさか……」

 

 アポロン・ファミリアの前線に、ざわめきが走る。

 

 だが。

 

「――まだだ!」

 

 爆炎の縁から、影が飛び出した。

 

「なっ……!?」

 

 土煙を纏い、転がるように跳躍する人影。

 

 ベル・クラネルだった。

 

 衣服の一部は焦げ、肩口から血が滲んでいる。

 だが、足は止まっていない。

 

「……っ、耐えた……!」

 

 観客席の神々が、思わず身を乗り出す。

 

 ――本来なら、致命傷。

 だが、ベルは“踏み止まった”。

 

 ベルは歯を食いしばる。

 

(今ので気絶しているようじゃ、アストレア・ファミリアの皆からどんな訓練を課されるかわかったもんじゃない!!)

 

 ベルは内心で叫び、強引に意識を繋ぎ止めた。

 

「アレを喰らって生きているとはな!」

 

 ヒュアキントス・クリオは、剣を低く構えたまま一気に距離を詰める。

 

 満身創痍になったベルへの止めの一撃。

 

 ベルはアリーゼの言葉を思い出す。

 

(いい、ベル?

 人が一番油断するときはね――『最後の一撃』の前後よ)

 

 アリーゼの声が、鮮明に脳裏へと蘇る。

 

(勝ったと思った瞬間。

 あるいは、終わらせに行く瞬間――そこが、一番危ない)

 

「……っ!」

 

 ベルは、息を吸う。

 

 肺が焼けるように痛む。

 肩口から流れる血が、体温を奪っていく。

 

 それでも――

 

(だから……)

 

 視線を、逸らさない。

 

 ヒュアキントス・クリオ。

 剣を低く構え、一直線に突っ込んでくる敵将。

 

 その足取りは、確かに速い。

 だが、わずかに――重い。

 

 ベルは、それを見逃さなかった。

 

「――はぁああっ!」

 

 ベルは、あえて正面へ踏み込む。

 

「正面から来るかぁ!?」

 

 ヒュアキントスの口元が歪む。

 剣が、薙ぎ払われる。

 

 ――だが。

 

(今だ!!)

 

 ベルは、剣閃の“下”へ滑り込んだ。

 

「なっ――!?」

 

 予想より、低い。

 

 剣は空を切り、ベルの頭上を通過する。

 

 その瞬間――

 

「――ファイヤボルト!」

 

 零距離詠唱。

 

「がはっ……!?」

 

 激しい爆音と衝撃音と共に、ヒュアキントスの体が後方へ吹き飛ばされる。

 

ー勝った!!

 

 だがベルは忘れてはいけなかったのだ。

 

 アリーゼの言った通り人が最も油断するのは最後の一撃の前『後』なのだから。

 

 一直線に伸びる、灼熱の槍。

 逃げ場を塞ぐように放たれた、完全な不意打ちだった。

 

「――ッ!?」

 

 ベルの視界に、赤熱した魔力の奔流が映り込む。

 

 ――直撃。

 

「がぁぁぁっ!!」

 

 爆音と共に、熱と衝撃が全身を叩きつける。

 視界が白く弾け、身体が宙を舞った。

 

 地面に叩き落とされ、何度も転がる。

 

「……ッ……!」

 

 喉から、かすれた息が漏れる。

 肺が焼けつくように痛み、指先の感覚が薄れていく。

 

「直撃だ……!」

 

「今度こそ終わった……!」

 

 観客席が、悲鳴とざわめきに包まれる。

 

 焦げた草原。

 立ち昇る黒煙。

 

 その中心で――

 

「……っ……」

 

 微かに、人影が動いた。

 

「……なっ……!?」

 

 誰かが、信じられないものを見るように息を呑む。

 

 ベル・クラネルは、片膝を突いたまま――まだ、倒れていなかった。

 

 衣服は焼け焦げ、腕と脚には無数の火傷。

 口元から血が滴り、呼吸は荒い。

 

 それでも。

 

 短剣は、握られたままだ。

 

「……まだ……」

 

 掠れた声が、戦場に落ちる。

 

「……終わって、ません……」

 

 その姿に、神々が言葉を失う。

 

「……信じられない……」

 

「これが……リトル・ルーキー……」

 

 アポロン・ファミリアの団員たちも、思わず足を止める。

 

 団長は倒れ、

 不意打ちの魔法も、決定打にはならなかった。

 

 そして、白髪の少年は――まだ、戦意を失っていない。

 

「あああああぁああぁぁぁぁああ!!」

 

 だがベルに戦える力はほとんど残っていない。

 

 それでも叫びながら、ベル・クラネルは――前へ踏み出した。

 

「恐れるな! 奴はもう戦えない!!

 ヒーラーは団長を回復しろ! 前衛は奴を取り囲め!!」

 

 怒号と共に、前衛たちが一斉に距離を詰める。

 

「……っ!」

 

 ベルが反応するより早い。

 

 四方八方からの同時攻撃。

 

 剣が振り下ろされ、

 斧が唸り、

 槍の穂先が突き出される。

 

「――ぐっ!」

 

 最初の一撃は、防いだ。

 短剣で逸らし、肩で受け流す。

 

 だが――

 

「――らぁっ!」

 

 背後。

 

 鈍い衝撃が、背中を打ち抜いた。

 

「がっ……!」

 

 肺から、空気が叩き出される。

 視界が、一瞬、白く弾けた。

 

「まだだ! 倒れるまで殴れ!」

 

「魔法は撃つな! 近接で潰せ!」

 

 ――次の瞬間。

 

 腹部。

 

 鉄靴が、容赦なく突き刺さる。

 

「――ぐはっ!!」

 

 身体が、くの字に折れた。

 

 だが、それで終わらない。

 

 横合いから、盾が叩きつけられる。

 

「――っ!」

 

 ベルの身体が、宙を舞う。

 

 地面に叩きつけられた瞬間、

 今度は――

 

「下だ!」

 

 踏みつけ。

 

 鎧越しでも分かる、骨に響く重さ。

 

「……ッ……!」

 

 声が、出ない。

 

 短剣が、手から滑り落ちた。

 

「武器を落としたぞ!」

 

「今だ、逃がすな!」

 

 袋叩き。

 

 もはや技も、駆け引きもない。

 

 ただ、

 殴る。

 蹴る。

 叩きつける。

 

 ベルの身体が、地面を転がる。

 

「――ッ……!」

 

 視界が、歪む。

 

 音が、遠い。

 

「しぶとい……!」

 

「まだ動くぞ、こいつ……!」

 

 ベルは、地面に伏したまま、

 指先を――わずかに、動かした。

 

(……まだ……)

 

 意識が、沈みかける。

 

 身体は、言うことを聞かない。

 

 それでも――

 

(……立た……なきゃ……)

 

 だが、次の一撃は――

 容赦なく、後頭部を打ち抜いた。

 

「――ッ……」

 

 視界が、完全に暗転する。

 

 力が、抜けた。

 

 ベル・クラネルの身体は、

 ついに――動かなくなった。

 

「……止まった」

 

「終わりだ……」

 

 アポロン・ファミリアの団員たちが、荒く息をつく。

 

 焦げた草原の中央。

 白髪の少年は、

 泥と血にまみれ、倒れ伏していた。

 

 ――それでも。

 

 彼の右手は、

 最後まで、地面を掴もうとしていた。

 

 握り締められた指先が、

 その意思だけを――

 戦場に、刻みつけていた。

 

「ふぃ……や……ぼる、と……」

 

 掠れ、ほとんど音にならない呟き。

 

 それでも――

 魔法名は、確かに紡がれた。

 

「――なっ!?」

 

「まだ――!」

 

 アポロン・ファミリアの団員たちが、凍りつく。

 

 地に伏したベル・クラネルの胸元。

 そこに、小さな赤い光が灯った。

 

 揺らぎ、脈打ち、

 今にも消えそうで――

 

 だが。

 

 次の瞬間。

 

 ――ドォォォンッ!!!!

 

 轟音が、大平原を引き裂いた。

 

 至近距離。

 零距離どころではない。

 

 自分自身を中心とした爆炎。

 

「――がぁっ!!」

 

「うわぁぁっ!!」

 

 衝撃波が、取り囲んでいた前衛たちをまとめて吹き飛ばす。

 鎧が軋み、盾が弾かれ、身体が宙を舞う。

 

 爆炎は地面を抉り、

 先ほどよりも深い――新たなクレーターを刻み込んだ。

 

 炎と土煙が渦を巻き、

 視界は、完全に白へと塗り潰される。

 

「……っ、何だ今の……!」

 

「自分ごと……!? 正気かあいつ……!!」

 

 吹き飛ばされた団員たちが、地面に転がり、呻く。

 

 その中心。

 

 爆炎の核となった場所に――

 ベル・クラネルの姿は、もうなかった。

 

 いや。

 

 正確には。

 

 焼け焦げた大地の底、

 クレーターの中央に――

 

 白髪の少年が、仰向けに倒れていた。

 

 全身は、完全に力を失い、

 胸は、かすかに上下するのみ。

 

「……生き……て……」

 

 誰かが、呆然と呟く。

 

 ――自分を巻き込んだ、最後の魔法。

 

 それは、

 勝利のためではない。

 

 逃げるためでもない。

 

 “ここで終わらせない”ための一撃。

 

 ただそれだけだった。

 

 観客席。

 

 神々は、言葉を失っていた。

 

「……ここまで、やるか……」

 

「命を削るって……そういう意味じゃないはずだろ……」

 

 そのとき――

 

 倒れたベルに近づく一人の影があった。

 

「ベルさん、貴方の覚悟、見届けさせていただきました」

 

 静かで、澄んだ声。

 

 炎と土煙がゆっくりと晴れていく中、

 ミネ・シルヴァリエは、クレーターの縁から一歩踏み出した。

 

 焦げた大地に、膝をつく。

 

 ベルの傍へ。

 

 白髪の少年は、仰向けのまま動かない。

 呼吸は微かで、鼓動も弱い。

 

 それでも――

 確かに、生きている。

 

「……本当に、無茶ばかりなさる方ですね」

 

 責めるでもなく、嘆くでもなく。

 ミネの声音には、ほんのわずかな安堵が滲んでいた。

 

「…ミ……ネ…さん…、ごめ……な、さい。ぼく、……もう」

 

 掠れた声は、途中で途切れた。

 

 それ以上、言葉を紡ぐ力は残っていない。

 

 ミネは、そっと首を横に振った。

 

「謝る必要はありません」

 

 静かに、はっきりと。

 

「ベルさんは――やるべきことを、全てやりました」

 

 彼女は両膝を地につけ、ベルの胸元に手を添える。

 

「あとは私に任せて、ゆっくりお休みください」

 

ミネの慈しむような笑顔を見たベルは安どの中でその意識を手放した。

 

「【命は流転し、終わりを拒む。

絶えぬ息吹よ、我が祈りに応え、

傷を縫い、痛みを鎮め、穢れを祓え。

いま、希望の灯を繋ぎとめよ】――《ヴィータ・コンティヌア》」

 

 癒しの蒼が、静かに広がっていく。

 

 それは激しい光ではない。

 温もりを帯びた、穏やかな波動。

 

 砕けた鎧の下。

 裂けた皮膚。

 焼け爛れた肉体。

 

 ベル・クラネルの全身を包み込み、

 命の火が消えぬよう、そっと支える。

 

「……っ……」

 

 ベルの呼吸が、わずかに整う。

 

 胸の上下が、確かなリズムを取り戻していく。

 

 だが。

 

 蒼い光は、ベルの身体だけで留まらなかった。

 

「……な……?」

 

「おい、俺の腕が……」

 

 周囲に倒れていたアポロン・ファミリアの団員たちにも、

 同じ癒しの光が触れていく。

 

 打撲が和らぎ、

 裂傷が塞がり、

 苦悶の声が、次第に消えていく。

 

「……治癒魔法、だと……?」

 

 誰かが、呆然と呟いた。

 

 敵味方の区別なく――

 戦場全体を包む、等しい回復。

 

 観客席が、ざわめきに包まれる。

 

「……敵まで、癒した?」

 

「いや、そんな馬鹿な……」

 

戦争遊戯ウォーゲームで……?」

 

 神々が、ミネを見下ろす。

 

 その表情は、驚愕と興味、そして――評価。

 

 ミネは、ゆっくりと立ち上がった。

 

 ベルの前に立ち、

 白髪の少年を背に庇うように。

 

「……何のつもり?」

 

 アポロン・ファミリアの団員の一人が、警戒を滲ませて声を上げる。

 

 剣は、まだ構えられている。

 だが、踏み出す者はいない。

 

 ミネは、静かに答えた。

 

「私は治癒師です」

 

 淡々と。

 揺らぎなく。

 

「治癒師が人を癒すのに何の理由が必要ですか?」

 

 その言葉に、息を呑む音が重なる。

 

「……ベルさんは、ここで戦闘不能です」

 

 一拍。

 

「あとは私が引き継ぎましょう。しかし、どうしても聞いておかねばならないことがあります」

 

 ミネの視線が、ゆっくりとアポロン・ファミリアの前線をなぞる。

 

 剣を構えた者。

 盾を握り直す者。

 癒されたばかりの身体に、まだ困惑を残す者。

 

 その全てを見渡した上で、彼女は静かに問いを放った。

 

「――あなた方は街中でベルさんやヘスティア様を襲撃しました。その時に被害を受けた方々も少なからずいます」

 

 声は大きくない。

 だが、不思議なほどよく通る。

 

「何故無関係の方々を巻き込んだのですか?オラリオには恩恵を持っていない方も大勢いるのに」

 

 それは威圧でも、叱責でもない。

 ただ、事実を突きつける静かな刃だった。

 

「……それは……」

 

 前線に立っていたアポロン・ファミリアの団員の一人が、言葉に詰まる。

 

 誰もが思い出していた。

 街中での襲撃。

 被害は大きくないが巻き込まれた市民は少なからずいた。

 

「アポロン様が望まれたからに決まっているだろう?」

 

 ヒュアキントス・クリオの言葉が、戦場に落ちる。

 ミネの魔法により何時の間にか復帰していたようだ。

 

 ミネは、即座に言い返さない。

 ただ静かに、ヒュアキントスを見つめる。

 

「……なるほど」

 

 短い一言。

 だが、その中に含まれる意味を、ヒュアキントスは直感的に理解してしまった。

 

「では、もう一つお聞きします」

 

 ミネの声は、相変わらず穏やかだった。

 

「それは――“正しい”と、あなた自身も思っているのですか?」

 

「なっ……」

 

 ヒュアキントスの言葉が、喉で詰まる。

 

「神の命令だ。眷属である以上、従うのは当然――」

 

「では」

 

 ミネは、一歩だけ前に出た。

 

「もし、あなたが同じ立場で街を歩く一般市民だったとしても。

 理由も知らされぬまま、突然剣を向けられても――

 それを“当然”だと、受け入れられますか?」

 

 沈黙。

 

 それは責める沈黙ではない。

 答えを待つ沈黙だった。

 

「……っ」

 

 ヒュアキントスは、歯を噛み締める。

 

「……黙れ」

 

 絞り出すような声。

 

「アポロン様がベル・クラネルを望まれた。それだけだ。

 戦争遊戯ウォーゲームに勝てば、全ては正当化される!」

 

「勝利は、免罪符ではありません」

 

 静かで、しかしはっきりとした否定。

 

「勝つためなら、何をしてもいい――

 その考え方こそが、最も多くの命を踏みにじってきました」

 

 彼女は、後ろに倒れるベルへと一瞬だけ視線を向ける。

 

「ベルさんは、勝つために戦ったのではありません」

 

 再び、前を向く。

 

「守るために。

 奪われないようにするために。

 理不尽に屈しないために――戦いました」

 

 ヒュアキントスの拳が、震える。

 

「……綺麗事だ」

 

「そうかもしれません」

 

 ミネは、否定しなかった。

 

「ですが私はその綺麗事アストレア・ファミリアに育てられてきました。その思いは確かに私の中で最も大事なものとして育まれています」

 

 強い眼だった。

 

 ひたすらに真っ直ぐで迷いのない瞳だった。

 

「…もういい、貴様の戯言になど付き合ってられるか。お前たち、コイツは好きにすればいい。己の愚鈍さを思い知らせてやれ」

 

 ヒュアキントスの言葉が落ちた瞬間、

 空気が――一変した。

 

「……っ」

 

 アポロン・ファミリアの前衛たちが、互いに視線を交わす。

 

「……相手は治癒師だ。魔法は使わせるな」

 

「囲め。ベル・クラネルと同じようにしてやるよ」

 

 剣が再び持ち上げられる。

 盾が前に出る。

 槍の穂先が、静かにミネへと向けられた。

 

 ベルは、動かない。

 いや――動けない。

 

 蒼い癒しの余韻に包まれたまま、

 彼の意識は深い闇の底に沈んでいる。

 

 ――守る者は、いない。

 

 だが。

 

 ミネ・シルヴァリエは、一歩も退かなかった。

 

 彼女はベルの前に立ち、

 剣先が向けられても、表情を変えない。

 

「…どうやら、私の言葉では届かないようですね」

 

 諦めたように伏せられたミネの瞳。

 だが――それは逃避ではなかった。

 

「……ならば」

 

 彼女は、ゆっくりと目を開く。

 

 その瞳に宿るのは、怯えでも迷いでもない。

 静かに燃える、確固たる意志。

 

「言葉で届かないなら…」

 

 短く、はっきりとした宣言。

 

 前衛たちの足が、わずかに止まる。

 

「力ずくであなた達の根性を叩きなおすしかないようです」

 

 剣もない。

 盾もない。

 構えすら、取っていない。

 

 だが――

 

 彼女の周囲だけ、空気が“違った”。

 

「"救護"を開始します」




ベル君はアストレア・ファミリアの可愛がりの結果、対人戦が異様に強くなっています。
ただしここまで多い集団戦は初めてなので数で囲めば何とかなる範囲内。
難易度INSANE以上でミネからの支援が入り始める。

このSSのフレイヤ様は…

  • 普通のフレイヤ様
  • アルちゃん味がブレンドされたフレイヤ様
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