ゲームの世界を飛び出してきたバーバラは、迷い込んだ世界で求司に出会い、さらに彼のいとこの安奈と一緒にサーモンロールを食べた。
食事が済んだ後、3人は順番に自分達の出来事について話し合うことになった。
最初に話したのはバーバラで、彼女は自分のステータスが低いことや、故障がちで活躍出来ずに苦しい立場に置かれてしまい、ムドー戦を前にとうとう戦力外通告を受けて自暴自棄に陥ったことを打ち明けた。
求司はその内容をすでに聞いていたが、それでも聞き流そうとはせず、真剣に話を聞いていた。
一方の安奈は自分の好きなキャラがこんなにつらい思いをしていたことに、思わず感情移入してしまった。
次に話したのは安奈で、元々勉強が得意で、特に英語が堪能な彼女は短大を卒業してからオーストラリアに渡り、今日まで日本食レストランで働いていることを話した。
「この国は物価こそちょっと高いけれどその分賃金も高いから、生活費を工夫した結果、たくさんのお金を貯めたの。」
「うーん、あたしには良く分からないけれど、とにかくすごいってことなのかしら。」
「ま、まあ、そういうことよ。そのお金で誰かの役に立てたから。」
「誰かって、誰なの?」
「ヒ・ミ・ツ。教えてあげなーい。」
「ああっ、もしかして、ボーイフレンド?」
「それは…、想像にお任せするわね。」
「あら、じゃあ、しっかりと想像してみるわね!」
「……。」
バーバラからのツッコミに対し、安奈は顔を赤くしながらごまかした。
そして、今度は求司の番になったが、彼は自分の足のことを話すどころか、思い出すのも嫌がっており、うつむいたまま無言で部屋を後にしていった。
(あたしが一番気になっていることなんだけれど、そんなに話したくないことなのかしら。)
バーバラが疑問に思っていると、安奈が代わりに話すことにしたため、彼女はタブレットPCの電源を入れた。
「今から何をするの?」
「過去の映像を出すの。こうやって説明した方が分かりやすいから。」
安奈はある動画を開き、ある場面までカーソルを移動してから再生をした。
それは以前行われた男子大学駅伝大会で、第5中継所にいた求司がタスキを受け取り、6区(8.9km)を走りだしたシーンだった。
『トップから13分30秒後に小説大学2年生の野星求司が走り出しました。ここからアンカーの風口(かぜぐち)志朗(しろう)のもとへと向かっていきます。』
アナウンサーの解説を聞いた後、安奈は映像を早送りして場面を進めていき、上位のランナーが第6中継所を通過した場面で再び再生にした。
『有力校が集まる地区の学校が次々と通過していく中、いくつかの大学はここでタスキを渡せるかどうかが非常に大事な場面です。トップが通過してから15分が経過しますと、交通事情もありまして繰り上げスタートになります。何とか1校でも多く、それを回避してほしい!』
アナウンサーが解説をした後、カメラは一旦先頭に切り替わり、しばらくすると再び映像は中継所になった。
それから間もなく、地方勢のトップを走る大学がやってきて、無事にアンカーにタスキを渡していった。
しかし、求司が所属している初出場の小説大学はまだ到着しておらず、そこでカメラが切り替わって彼の姿を映し出した。
『野星求司、中継所まではあと800mほどです。左足を気にしているのか、非常に苦しそうな表情をしながら走っています。アンカーは風口志朗です。彼は全国レベルの実力を持ちながら一度、表舞台から姿を消していました。しかし、蕨監督のお陰で大学に入ることが出来、去年、選抜チームで6区を走りました。野星が兄のように慕っているだけに、何としてもタスキを渡してほしい!』
その様子を見て、安奈はすでに結果を知っているにも関わらず、懸命に応援するかのように画面を見つめていた。
一方のバーバラは何から何までさっぱり分からなかったが、とりあえず、画面に表示されている経過時間が15分になる前に中継所に到着しなければならないことだけは理解した。
すると、画面からは『求司!絶対につなぐぞ!あきらめるんじゃないぞ!志朗と歩んだ日々を思い出せ!』という、蕨 丈二(じょうじ)監督からの大声が聞こえた。
それに力をもらったのか、求司は監督車にいる監督に向かって左手を上げた後、左足の痛みを必死にこらえながら志朗のもとへと向かった。
するとここで安奈は動画を一時停止した。
「えっ?安奈さん、どうして止めるの?」
「この後、衝撃的なことが起きるから、その点だけは覚悟してね。」
「えっ?一体何が起きるの?まさか…。」
「そうよ。私も見るのがつらいけれど、しっかりと理解してもらうために見せることにするわ。」
「わ、分かったわ。」
バーバラの同意を受けて、安奈は一時停止を解除した。
しばらくすると第6中継所の映像が流され、ある大学がタスキを渡した後、志朗を含めて何人かの選手達が白タスキをかけて一列に並んだ。
『さあ、繰り上げまで残り20秒を切りました。今、後方に一人選手の姿が見えてきました。野星求司です。風口君が祈るように見つめています。って、ああっと!ここで野星君が倒れた!中継所を目の前にして倒れてしまった!これはアクシデントだ!そして…、ここで無念の号砲だーーーっ!!』
アナウンサーの悲鳴のような大声が響き渡る中、志朗はとっさに前を向くと、他の選手よりも一瞬遅れて走り出していった。
一方、求司は道路の上に倒れ込んだまま動けず、安奈の兄である丈二が監督車から急いで出てきて状態を確認した後、すぐに医療チームを呼ぶように要請をした。
「そんな…、こんなことになるなんて…。」
バーバラは思わず両手で自分の鼻と口の部分を覆い隠してしまった。
一方、安奈はその後も動画を止めようとはせず、しばらくしてから求司が担架に乗せられて救急車で運ばれる光景をじっと見つめていた。
「求司さん、大変なことになってしまったのね。」
「ええ。せっかくの初出場だったのにこんな結果になってしまって、みんな相当なショックを受けていたわ。それでも志朗は先頭から14分58秒後にゴール、つまり優勝校よりも速いタイムで16.5kmを走り切ったの。それがせめてもの救いだったけれど、求司は繰り上げスタートを回避出来なかったばかりか、チームとしての記録も消してしまい、さらに心無い言葉も浴びせられて、このまま消えてなくなりたいと言い出すほど精神的に追い詰められたの。」
安奈は涙目になりながらその後について話してくれた後、動画を停止した。
彼女は求司が手術を終えて退院した後、彼だけでなく、志朗、そして兄とやりとりをする中で何とかしたいという気持ちになったため、自分が面倒を見ることを提案した。
3人は最初こそ難色を示していたものの、その時求司はSNSのメッセージから離れたい気持ちだったこともあり、安奈の熱意に賛同して大学を休学し、志朗と一緒に海を渡ってこの国にやってきたことを話した。
「それで、求司さんは落ち着いたの?」
「ええ。最初は落ち込んでばかりだったけれど、ようやく少しはネットが見られるくらいにまでは気持ちが落ち着いたわ。私はその様子を兄さんや志朗に包み隠さず伝えているし、彼らもそれに元気つけられているの。」
「じゃあ、安奈さんのところに来たのは無駄じゃなかったわけね。」
「そうよ。でも、求司はいずれ大学に復学しなければならないから、それまでに足を治すために何かいい方法を見つけたいと思っているの。もしも、彼がゲームの世界に行って、呪文でケガを治すことが出来たら、彼はどんなに喜ぶかしらね。」
「えっ?あたしの世界に?」
「ええ。あなたの世界にはホイミやベホイミ、ベホマといった呪文があるし、あなたはMPをたくさん持っているから、それらの呪文を毎日かけ続ければって思ったんだけれどね。」
「でも、あたしは回復呪文なんか…。」
「大丈夫。多分、今頃は転職が解禁されていると思うわ。そして僧侶に転職してがんばれば、誰でもそれらの呪文を覚えられるわよ。」
「えっ?あたしでも?」
「そうよ。多分、ホイミならあっという間に覚えられるし、そうなればあなたも回復役になれるわよ。それにメラミを覚えれば攻撃面でも活躍出来るし、きっと今までの分を取り返せるわ。」
安奈はゲームで転職が解禁になった直後にこれらの呪文を覚えさせて、バーバラをイケイケ状態にさせた時のことを話した。
「でも、あたしは途中からHPがほとんど伸びなくなってしまったし、呪文だけ覚えてもこのままじゃ…。」
「大丈夫。確かにレベル10から15の間は非常に伸びが苦しいけれど、それを過ぎればレベルアップごとにほぼ5ずつ上がっていくからね。今が全てではないわ。それに私はハッサン、ミレーユ、チャモロを盗賊に転職させて地底魔城に行き、主人公の口笛を活用して、2時間耐久でフレイムマン、フレイムマン、カモン!状態になったわよ。」
(※これはリメイク版のやり方で、SFC版では仲間モンスターを何匹もスカウトして盗賊に転職させたそうです。どちらも命の木の実を手に入れる過程で、色々なアイテムを手に入れました。)
安奈は自分の体験談を包み隠さずに打ち明けた。
それを受けて、バーバラも少しずつではあるが精神的に立ち直っていった。
なお、部屋の外では求司がおり、彼は2人の会話をじっと聞き続けていた。
その後、辺りはすっかり暗くなってしまったため、安奈はバーバラが寝るための場所とパジャマを用意することにした。
そしてバーバラは着替えた後、安奈に了解を得た上で玄関から外に出ていき、夜空を見つめることにした。
空には南十字星などの星座が輝いており、彼女は時間も忘れて思わず見入ってしまった。
(あたしが回復役かあ…。確かに、レックがホイミを、ミレーユがホイミやベホイミを唱えている姿を見て、あたしも覚えたいって、何度も思ったっけなあ…。その願い、転職したら本当に現実になるのかなあ…。そして、それを来る日も来る日も唱え続けたら、求司さんの足は治るのかなあ…。)
彼女が物思いにふけっていると、ふと、辺りに空間のひずみのようなものが出来始めた。
やがてひずみは大きくなっていき、まぶしい光を放った。
「きゃあっ!何?」
バーバラが思わず叫ぶと、その光の中から誰かが出てきた。
その姿は…。
「えっ?もしかして、ミレーユのおばあちゃん?」
彼女が目の当たりにしたのは確かにグランマーズだった。
にわかには信じがたい光景に、バーバラは思わずその場に立ち尽くしてしまった。
「おお、ここに来ていたのか。結構探したぞい。」
グランマーズは持っている水晶玉を見せながらほっとした表情になった。
「どうしてここに?もしかして、あたしを連れ戻しに?」
「うーん、それは嘘ではないが、まずはお前さんに謝罪じゃ。この度は、お前さんをこのような目にあわせてすまなかった。みんなを代表して謝らせてもらうぞい。」
「でも、謝ってこられても、あたしはやっぱり弱いし…。」
バーバラは今は帰りたくないと言っているかのように、うつむいてしまった。
一方のグランマーズはもう一度頭を下げた後、何やらオーブのようなアイテムを取り出した。
「実は、これをお前さんに渡そうと思ってのう。」
「これは一体?」
「お前さんが元の世界に戻るためのアイテムじゃよ。それを使えば、お互いの世界を移動出来るぞい。」
「お互いの世界を移動?」
「そうじゃ。これでお前さんが帰りたくなればいつでも帰れるぞい。ただし、回数に制限があるから、むやみに使うわけにはいかんがのう。」
「それって、あたししかダメなの?」
「いや、2人までOKじゃ。じゃから、誰かファンタジーの世界に行きたい人がいたら、その人と一緒に使うがよい。」
「分かったわ。」
バーバラは戸惑いながらも手を伸ばし、そのオーブのようなアイテムを受け取った。
すると、グランマーズは家の中から誰かが来る気配を感じ取った。
「おっと、いかんいかん。この世界の人達に見つかっては面倒なことになるからのう。ではさらばじゃ。」
彼女は大急ぎで空間のひずみを作り出すと即座にその中に入った。
すると辺りには光が程走り、やがてその光がおさまると、その場所には跡形もなくなっていた。
それを目の当たりにしたバーバラがじっとたたずんでいると、玄関の扉が開き、安奈が姿を現した。
「バーバラ、どうしたの?さあ、中に入りましょう。夜の時間は何が起きるか分からないわよ。」
「えっ?あっ、はい。分かったわ。」
彼女はアイテムを両手に持ったまま、安奈と一緒に家の中に入っていった。
その頃、求司はスマートフォンで、この日送られてきたメッセージを見ていた。
George
『求司。元気か?僕は精神的に疲れたから、監督を少し休ませてもらうことにした。しばらくは志朗にみんなをまとめてもらおうと思っている。それから、この度、あの駅伝で優勝した大学の監督からメッセージが届いたから、転送することにした。「この度は、記念すべき初出場をあのような形にしてしまって申し訳ない。特に6区を走った野星君には、繰り上げスタートというプレッシャーを与えてしまってすまなかった。彼に直接送れないのが悔しいが、どうか早く元気になってくれるように伝えてほしい。」という内容だ。多くの人達がお前を優しく見守ってくれているぞ。それだけは忘れないでくれ。』
志朗
『求司。うれしいお知らせだ。4月から実業団に入れることになったぞ!この大学から初めての実業団ランナーの誕生だ!入学時に監督のジョーさんと約束したことをついに現実にしたぞ!これも家族、求司、ジョーさん、アン、チームメイトのみんなをはじめ、多くの人達が支えてくれたおかげだ。彼らの誰一人が欠けても今の自分はなかった。本当にありがとうな。』
(監督、風口先輩、そしてみんな…。僕はやっと気持ちが落ち着いてきたよ。今でも申し訳ない気持ちでいっぱいだけれど、色々ありがとう…。)
彼は月の光が差し込む中で一人ずつ返信を送り、それが済むとスマートフォンの電源を切ってカーテンを閉めた。
(呪文かあ…。もしも自分でホイミを唱えて、このケガを治せたらなあ…。)
彼は自分が呪文で活躍する姿を想像しながらベッドに横になった。
登場人物紹介
・蕨 丈二(わらび じょうじ、31歳)
小説大学駅伝部監督で、安奈の兄。
大学駅伝で活躍した後に実業団に入り、社会人ランナーとして活躍していた。
その後、現役を引退して会社を離れ、駅伝部の監督に就任した。
大学では有力選手を集められないハンデや、少ない予算、寮無し、恵まれた設備無しといった状況を乗り越えて、今年同校を駅伝大会初出場へと導いた。
高校1年で野球の一線を退き、一般入試で入学してきた求司を駅伝に誘ったのも彼である。
・風口 志朗(かぜぐち しろう、22歳)
小説大学在籍2年目で、駅伝部のキャプテン。
元々長距離走の実力は全国レベルであったが、高校3年時にヤングケアラーという現実に直面してしまった。
そんな時、安奈が手を差し伸べてくれたおかげで窮地を乗り切るが、金銭的な事情もあって大学に進めず、卒業後は駅伝と無縁な会社で働いていた。
しかし、兄が実業団で活躍した一方、志朗が背負った現実に安奈は納得出来ず、彼女と丈二の金銭的な支援のおかげで、2年間小説大学に編入した。
ガールフレンドは安奈。