普通の少女と転生オリ主   作:雪下

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第3話:むんっ!普通の積み重ね

 

 

 

 

皐月賞ウィーク・春晴れの数日前

――マチカネタンホイザ視点――

 

 

トレセン学園の朝は、空気が透き通っている。

芝の香りと潮風が混じり合い、春の匂いが胸いっぱいに広がった。

 

坂路コースを駆け抜けた足に、まだ小さな震えが残っている。

心拍数を確かめる。少し高い。でも、それも悪くない。

疲労じゃなく、前に進むための熱だ。

 

「……できることをやればいいんですよね!普通でも、私らしくっ。

 うう、正直ちょっと不安もあったりなかったり…いやいやっ、自分を信じなきゃ!むんっ!」

 

まだ朝霧の残るトラックに、元気な声が響く。

誰もいないのに、応援してくれているような気がして笑ってしまった。

 

ノートを開き、びっしり書かれたメニューを指でなぞる。

ラップ、ペース、呼吸、ストライドの幅。

一行ごとに過去の自分と比べて、ほんの少しでも前に進めているか確認する。

 

〈普通の努力、今日も続ける。〉

 

そう書かれた一文の下には、いつもの落書き――〈むんっ〉の顔文字。

その顔が、なんだか励ましてくれる気がした。

 

“普通”を重ねることが、きっと私の走りになる。

そう信じて、またノートを閉じた。

 

 

---

 

 

オリ主視点

 

 

トレセン学園の外周から見えるトラックは、朝日で金色に染まっていた。

軽やかに駆ける一人のウマ娘。

その背中を見つけるだけで胸が熱くなる。

 

「調子、どう?」

 

声をかけると、彼女がぱっと顔を上げた。

頬には汗が光り、ひまわり色の瞳が弾むように輝く。

 

「あっ、観客さんっ! うーん……悪くはないです。でも、まだ全然ですね!」

 

「全然?」

 

「えへへ、“普通”ですよ。

 でも、前より“普通”が強くなった気がします!」

 

不思議な言葉だった。

“普通が強くなる”って、どういう意味なんだろう。

 

「うまく言えないけど……普通を続けてるうちに、

 ちょっとずつ、自分の普通が変わってく感じがするんですよ!

 普通のままでは終われませんっ!」

 

そう言って、彼女はノートを開いた。

数字の羅列。体重、心拍、ラップ、フォーム修正メモ。

ページの端には何度も消して書き直した跡がある。

 

努力の跡だ。

それが“普通”と呼ばれているのが、なんだかおかしくて、でも愛しかった。

 

「ほら、普通でも、積もると山になるんです!」

 

誇らしげに笑うその顔を見て、言葉が出なかった。

“普通”という言葉が、彼女の中で立派な武器になっている。

 

 

---

 

 

その日のチーム内レース。

観客席の端から見守る俺の前で、タンホイザがゲートに立つ。

 

「……行っくぞ〜」

 

小さく呟いた声が風に消えた瞬間、スタート音が鳴った。

 

彼女の走りは、確かに変わっていた。

フォームが滑らかで、無理がない。

コーナーを抜けるたびにスピードが自然に増していく。

 

――積み重ねた普通が、形になっている。

 

ラスト100メートル。

彼女は前を行く二人の背中を捉え、唇を動かした。

 

「……えいえい、むんっ!」

 

肩がわずかに上がる。

たったそれだけで、空気が変わった。

 

俺の胸が、音を立てて鳴った。

 

 

---

 

 

レース後、彼女は息を弾ませながら駆け寄ってきた。

頬にかかる髪が風に舞い、栗毛が陽に透ける。

 

「どうでした? 普通に走れてました?」

 

「普通じゃなかったよ。めちゃくちゃ速かった」

 

「えへへ…いいトコ見せられましたかね?」

 

照れ笑い。だけど、その目は真剣だった。

 

「……じゃあ、次は本番で見せちゃいますねっ!

 ここまでいい感じだったし、大丈夫ですよねっ。あとは気合いだ~むむ~ん!」

 

「楽しみにしてる」

 

「約束、ですからねっ!」

 

指切りのポーズをして、彼女は走り去った。

風に揺れるリボンが、春の空に伸びていく。

 

 

---

 

 

彼女の落としたノートの切れ端が足元に転がる。

そこには鉛筆の文字でこう書かれていた。

 

〈普通を信じることが、私の特別になる〉

 

横には、にこっと笑う〈むんっ〉の落書き。

 

俺は思わず笑って、空を見上げた。

皐月賞まで、あと三日。

春の空は澄み渡り、雲一つなかった。

 

 

---

 

 

皐月の空は快晴。

だが、中山レース場全体に漂う空気は、まるで嵐の前のように張り詰めていた。

 

「……やっぱり、緊張してるな」

 

観客席の手すりを握りながら、彼女の名前を出走表で何度もなぞる。

“挑戦者・マチカネタンホイザ”

その文字が、どうしても目を離せなかった。

 

誰かが笑っていた。「上位は無理だろ」と。

でも、俺は知っている。

この一週間、彼女がどれだけの“普通”を積み重ねてきたかを。

 

雨の夜も、朝の坂路も、ひとりきりで「むんっ」と立ち上がる姿を。

 

スタートゲートが閉じられる。

ひまわり色の瞳が、まっすぐ前を見つめている。

 

リボンが風に揺れた瞬間、スタートの音が鳴った。

 

 

---

 

 

序盤、彼女は中団の真ん中。

無理に前へ出ず、後ろにも下がらない。

まるで波の間を泳ぐように、一定のリズムで進む。

 

「落ち着いてるな……」

 

隣の観客が呟いた。

違う、と思う。落ち着いてるんじゃない。

信じてるんだ。自分の走りを。

 

中盤、ペースが上がる。

先頭集団が仕掛ける。

場内の歓声が大きくなる中、彼女だけは焦らずにいた。

 

ラインを守り、呼吸を整え、脚を温存。

“普通”のペース。

でも、その“普通”が、誰よりも強い。

 

最終コーナー。

彼女は外に持ち出すと、ぐっと腰を沈めた。

 

「……むんっ!」

 

息を吸う音が届く気がした。

次の瞬間、風が変わった。

 

その走りは、確かに特別だった。

リズムも姿勢も、何一つ崩れない。

力強く、美しい差し脚。

淡い栗毛が光を反射し、まるで風そのものになったようだった。

 

「マチカネタンホイザ! 一気に伸びてきた――ッ!!」

 

実況の声が響き、観客席が揺れた。

 

残り100メートル。

差は半馬身。

彼女は焦らず、ただまっすぐ前を見据える。

 

「行け……!」

 

俺は拳を握りしめた。

心臓が痛いほどに鳴る。

その鼓動に合わせるように、彼女が地を蹴る。

 

風を切る音。芝の弾ける匂い。

すべてが一瞬で通り過ぎた。

 

――二着。

 

勝てなかった。

でも、観客全員が立ち上がっていた。

 

誰もが、彼女の走りを見届けていた。

 

ゴール後、肩で息をしながら空を仰ぐマチカネタンホイザ。

その頬には涙。けれど、笑っていた。

 

「……へへへ…私、頑張りましたよねっ、むん!」

 

風が、その言葉を運んでいく。

俺は、ただ頷いた。

 

 

---

 

 

レース後。

出口に向かおうとした俺の背中に、あの声が届く。

 

「観客さーん!」

 

振り返ると、彼女が駆けてきた。

まだ汗が光る頬に、笑顔が咲いている。

 

「見てくれてました?」

 

「ああ。最高だったよ」

 

「ふへへ…まだまだ行けちゃうかも!普通のままでは終われませんっ!」

 

「お前の普通は、もう十分特別だよ」

 

「……え?」

 

きょとんとした顔。

そして、ゆっくり笑った。

 

「……普通を超えた私の走り、見せてあげましょう!ひひっ、な~んちゃってな~」

 

「楽しみにしてる」

 

「はいっ!えい、えい――むんっ!」

 

空に響く彼女の声。

春の陽が、その笑顔を包んでいた。

 

 

---

 

 

その日、俺は確信した。

この世界に来た意味は、

あの笑顔を見るためだったんだ。

 

“普通”を信じて、夢を掴もうとする少女の背中を――

ずっと見ていたい。

 

風が吹き抜け、ひまわりのような光が揺れた。

 

 

 

 

 

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