普通の少女と転生オリ主   作:雪下

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第4話:普通を超えた普通

 

 

 

 

皐月賞が終わってから、マチカネタンホイザは一度も立ち止まらなかった。

 

結果は二着。

勝利まで、あと半バ身。

だが、彼女は悔しさよりも先に、笑顔でゴール板を見上げていた。

 

「普通を信じた結果が、ここまで来たんですっ。

 でも、もっと“普通”を続けてみたいんです。きっと、まだ伸びる気がします!大事なのは、次ですよ、次!」

 

それが、あのレースの直後に彼女が言った言葉だ。

記者たちは「天然のポジティブ」と笑った。

けれど、俺は知っていた。

あの言葉の裏には、涙の夜と、噛みしめるような努力が積み重なっていることを。

 

春の終わり。トレセン学園の坂路には、初夏の風が混じり始めていた。

タンホイザは、朝の光を浴びながら走っていた。

その脚は細く見えても、一本一本が芯のある強さを秘めている。

 

誰よりも地味で、誰よりも真っ直ぐ。

――そんな彼女が、再び「夢の舞台」に挑もうとしていた。

 

 

 

 

 

――マチカネタンホイザ視点――

 

 

朝露の残る芝を踏みしめ、タンホイザは深呼吸した。

 

「ふぅ~……今日も、気持ちいい朝ですなぁ~!」

 

トレセンの空は高く澄んでいる。

夜明けの光が、白い息のように霧を照らす。

 

彼女はポーチからノートを取り出した。

角の折れたそのノートには、日付と小さな文字で書き込みが並ぶ。

 

〈フォーム修正。差し脚の意識、まだ甘い。“普通”のまま、スピードを落とさず繋ぐこと。〉

 

そのページの隅に、小さな文字で

〈ダービー、夢の舞台。焦らず、丁寧に〉

と書かれていた。

タンホイザは、その一文を指でなぞる。

 

「丁寧に……。焦らず、焦らず、ですなっ」

 

その声は静かだったが、風に乗って心地よく響いた。

 

 

---

 

 

皐月賞のあと、遠慮気味だった彼女の周りの空気は少し変わった。

チームの仲間たちはこぞって声をかけてくる。

 

「すごかったよタンホイザ!」

「惜しかったね! 次こそ勝てる!」

 

その輪の中に、ナイスネイチャの姿もあった。

腕を組みながら、少しホッとしたような笑顔で言う。

 

「タンホイザ、あんた……ホントにやるじゃない。

 “普通”って言葉、もうちょっと誇っていいと思うよ?」

 

「えへへ、ネイチャさんにそう言ってもらえると、なんだか勇気が出ますなぁ~!」

 

そう言って、タンホイザはいつも通りの笑顔で坂路へ走り出す。

その姿を見て、ナイスネイチャは小さく息を吐いた。

 

「ほんと……強いよ、あんたは。」

 

 

---

 

 

皐月賞から数日後の夜。

学園の裏庭、月明かりに照らされたベンチで、タンホイザはひとりノートを抱えていた。

 

録画した皐月賞の映像を繰り返し見ている。

静かな声で呟いた。

 

「……もう少し、だったな」

 

その声は笑っているようで、震えていた。

リプレイの映像に映るのは、最後の直線――

彼女の脚が止まりかけた瞬間。

 

「差しのタイミング、ほんの少し早かったかも……。

 うーん、あそこで我慢できてたら……」

 

その背後から、ナイスネイチャの声がした。

 

「……あんた、また見てたの?」

 

「ネイチャ……!」

 

「もう、ほどほどにしなよ。二着だって、すごいんだから。あんたの“普通”は、きっと誰かの特別になってるんだよ?」

 

タンホイザは一瞬言葉に詰まり、それから笑った。

 

「えへへ、でも“普通”って、まだまだ更新できるかも。

 次はもっと、ちゃんと前に届くように――」

 

「……まったく、真面目なんだから」

 

ネイチャは微笑みながら、肩を叩いた。

 

「行きなよ、“普通”のままで。

 でも、それが一番難しいってこと、忘れないでね。」

 

タンホイザは頷き、涙を拭った。

 

〈日本ダービー。全力で、“普通”の更新!〉

 

夜空の月が、二人をやわらかく照らしていた。

 

 

---

 

 

 

 

 

ーーオリ主視点ーー

 

 

皐月賞から一ヶ月後の午後。

俺はトレセン学園のトレーニングエリアに立っていた。

 

タンホイザのトレーナーに頼まれたのだ。

「彼女に、君の視点からのアドバイスを続けてあげてほしい」と。

もちろん、俺はただの一般人だ。

トレーニング方法なんて正確にはわからない。

前世では育成時にボタン一つ押しただけで半月が経ち、ステータスがUPしているのだから。

この現実となった世界ではそんな簡単なものではない。

 

それでも……マチカネタンホイザの想いだけは知っている。

 

「悪用はしない。何かあれば自分が責任を負う。彼女のためだけに、頼む」

彼のその真剣な目に、俺は頷くしかなかった。

 

ーーもう、傍観者では居られない。

 

 

---

 

 

坂路の直線。

タンホイザが風を切って走っていた。

リズムは一定。脚の回転が以前より速い。

フォームも安定していて、どこにも無理がない。

 

「やっぱり、すげぇな……」

 

思わず口に出る。

彼女は“努力の見本”そのものだ。

焦らず、誤魔化さず、ひたすら積み上げる。

その姿勢は見ていて気持ちいいほど清らかだ。

 

ラスト200メートル。

息が荒くなる中で、彼女が小さく呟いた。

 

「……頑張るぞっ!」

 

その一言とともに、脚がさらに伸びた。

まるで風そのものになったように、滑らかに加速する。

 

ゴールを駆け抜けたあと、彼女は息を弾ませながら俺に手を振る。

 

「観客さーん!タイム、どうでした!?」

 

「前回より、0.4秒縮んでる」

 

「えへへっ、やりましたっ!普通でも進化してますねっ!」

 

“普通でも進化”

その言葉を、こんなに誇らしげに言える人間を、俺は他に知らなかった。

 

 

---

 

 

ダービー前日の夕暮れ。

学園の調整場では、静かに影が伸びていた。

 

タンホイザは汗を拭いている。

それはまるで、儀式のような静けさだった。

 

「……ダービーって、特別な響きですよね」

 

俺の声に、彼女はゆっくり頷いた。

 

「そうですね。皐月賞とは違って、なんだか“夢”って感じがしますっ。

 私、ずっと“普通”に走っていくだけでいいと思ってたんですけど……

 最近ちょっと違う気もしてて」

 

「違う?」

 

「はい。“普通の私”が、誰かの夢になれたらいいなって、思うんです」

 

その言葉に、胸の奥が熱くなった。

 

「もう、なってるよ。俺にとってはな」

 

「えっ……えへへっ……そ、そうですかっ?」

 

帽子のつばを下げて、少し赤くなった頬を隠す。

その仕草が、どうしようもなく眩しい。

 

風が吹き、リボンが揺れた。

その光景を見て、俺は確信した。

――この“普通”は、本物だ。

 

 

---

 

 

 

 

 

ーーオリ主視点ーー

 

 

日本ダービー。空は快晴。

東京レース場には、かつてないほどの観客が集まっていた。

 

芝は春の緑に輝き、風が香る。

それは、夢の舞台にふさわしい天気だった。

 

七番ゲート。

マチカネタンホイザ。中距離・差し脚質。印は薄い。

だが俺は知っている。

――この“普通”が、どれほど特別かを。

 

 

---

 

 

スタート前。

タンホイザがこちらに小さく手を振った。

観客席の遥か上からでも、はっきり見えた。

その笑顔は、春の陽射しよりもあたたかかった。

 

(行け。お前の“普通”を信じろ)

 

ゲートが開く。

地鳴りのような歓声が、空を震わせた。

 

スタートは上々。

タンホイザは中団やや後方に位置取る。

ペースが速まっても、焦らない。

淡々と、リズムを刻む。

 

「7番マチカネタンホイザ、中団待機。皐月賞と同じ位置取りです!5番ナイスネイチャ、すぐ後ろに控えているぞ!」

 

実況の声が響く。

だが俺には分かる。

これは“我慢”ではなく“確信”だ。

 

風を感じ、脚をため、呼吸を整える。

タンホイザは、まるで風の一部のように自然に動いていた。

 

最後のコーナーを抜け、東京の長い直線が広がる。

観客の歓声がひとつに溶ける。

 

「マチカネタンホイザ、外へ持ち出した!」

 

その瞬間、彼女の唇が動く。

 

「えいえい――むんっ!」

 

風が弾けた。

脚が伸びる。ひとつ、またひとつ、前を抜いていく。

 

「マチカネタンホイザ、伸びる!伸びるッ!皐月賞二着の意地を見せる――!!」

 

まっすぐな瞳が前を射抜く。

太陽が芝を照らし、汗が煌めく。

観客席が揺れた。

 

残り100メートル。

先頭との差、わずか。

俺は拳を握りしめた。

 

(行け……!)

 

だが彼女は、ただ静かに笑った。

 

残り100メートル。

先頭との差はほんのわずか。

 

「行けぇぇぇ――!!」

 

観客の叫びが重なる。

タンホイザは唇を結び、まっすぐ前だけを見つめていた。

 

「普通でも、ここまで来られるんだっ!!」

 

叫ぶように言い、彼女は最後の一歩を踏み出した。

ナイスネイチャがすぐ後ろに迫っている。

だが、タンホイザは止まらなかった。

 

ゴール板を、彼女のひまわり色の瞳が見据えた瞬間――

風が弾けた。

 

 

---

 

 

結果は二着。一位とのその差はアタマ差。

その僅かな差……彼女の“普通”は確かに会場を揺らした。

 

三着は、ナイスネイチャ。

 

ゴール後、肩で息をするネイチャが笑う。

 

「……やるじゃん。いやーまったく追いつけなかったわー」

 

「えへへ……ネイチャこそ、すっごく速かったっ!

 でも、もうちょっとだけ“普通”を続けてみようと思うよ!」

 

ネイチャは苦笑しながら頭を優しく撫でる。

 

「ホント、あんたってさ……どこまでも“普通”の天才だよ。」

 

 

---

 

 

表彰式を終え、ライブの終わったタンホイザが走り寄ってくる。

 

「観客さん! 見てくれましたっ?」

 

「ああ。最高だった。

 お前の“普通”が、また特別を超えたよ。」

 

「へへっ……そうですか?

 じゃあ、これからも普通を続けなきゃですねっ!」

 

その後ろでは、ナイスネイチャが軽く手を振っていた。

 

「次は私が前に行くからね~!」

「えへへっ、負けないぞ〜!むんっ!」

 

風が吹き抜け、ふたりの笑い声が重なる。

その瞬間、夏の匂いが確かに届いた。

 

マチカネタンホイザの“普通”は、もう誰よりも強い。

それは、夢を叶えるための力じゃなく、

夢そのものを形にする力だった。

 

ナイスネイチャもまた、その背中を追いかけていた。

――“普通”という名の、いちばん強い意志を携えて。

 

ひたむきに、愚直に。

彼女の走りは、確かにこの世界に“希望”を刻んでいた。

 

 

 

 

 

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