シナリオがトレ島だと目標じゃない限りやらないのと同じ感じでしてはい。
宝塚記念が終わった。
結果は四着。だが、彼女の顔には、負けた者の陰はなかった。
「うんっ、ちょっとだけ届いた気がしますっ!」
皐月賞二着、日本ダービー二着――
そして宝塚で四着。
誰もがその安定した成績に舌を巻いた。
しかし、彼女はただまっすぐに前を見ていた。
「“普通”を続けたら、少しずつ強くなれる。それを、ちゃんと確かめられましたっ!」
……努力を重ねて笑う。
その姿が、もう誰かの励みに、自信に繋げていることを本人だけがまだ気づいていなかった。
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夏合宿。潮の匂いと日差しが混じり合い、海岸線を包むように光が跳ねる。
夏の合宿地は、真っ青な海を望む小さな湾のそばだった。
遠くでトンボが飛び、波の音が静かにリズムを刻んでいる。
「ほっほー!合宿、合宿!トレーニングの前に、砂浜を裸足で駆けたいですなぁ~……うっみだぁ~~~っ!!」
最初に駆け出したのは、やっぱりタンホイザだった。
靴を脱いで裸足のまま砂浜を走り、波が足元をさらうたびに「ひゃっ」と跳ねる。
トレーニングというより、もう完全に子どもみたいなはしゃぎっぷりだ。
俺はそんなマチカネタンホイザの後ろを追いかけながら苦笑していた。
どうしてか、合宿スタッフ兼トレーニング補助として同行することになっている。
会社の夏休みを利用してるだから全部が全部参加できるわけではないが、全力で行こう。
「観客さんも一緒に来れるなんて、なんか不思議な感じですねっ」
「正式には“補助スタッフ”な」
「えっへへ、どっちでもいいですっ!」
潮風が髪を揺らす。
タンホイザのひまわり色の瞳が、海の青を映していた。
「タンホイザ、砂が柔らかい分、沈み込みが大きい。ストライドよりピッチを意識してみろ。脚を上げる動作を丁寧に」
俺が声をかけると、タンホイザは振り向いて元気に返す。
「はいっ!わかりましたっ!」
波しぶきを上げながら姿勢を直し、軽やかに走りを切り替える。
真剣な表情に変わる瞬間、ほんの少し見とれてしまう。
「ちょっとー、最初から飛ばしすぎでしょアンタ!」
追いかけてきたのはナイスネイチャだ。
腕を組んで、息を切らしながらぼやく。
「えへへ~、だってさ、海だよ?テンション上がっちゃうんだもん!」
「アンタはテンションで走る犬か……」
ふたりのやり取りに、まわりのウマ娘たちが笑い声を上げる。
どこか安心する光景だった。
明るいタンホイザと、それを支えるように軽口を叩くナイスネイチャ。
合宿の空気が一気に柔らかくなっていく。
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翌朝、浜辺。
太陽が昇る前の静かな時間、砂がまだ冷たい。
「よーしっ!今日のメニューは、砂浜ダッシュですよっ!」
「……そのテンションで言うの、反則だと思うんだけど」
「ネイチャ、やる気出していこーっ!夏だよ?」
「夏関係ないよねそれ」
俺は少し離れた場所からストップウォッチを構えた。
波音を聞きながら、二人はスタートラインに並ぶ。
ネイチャがぼそりと呟く。
「タンホイザ、さ。あんたほんとに疲れ知らずだよね」
「え?ううん、ちゃんと疲れるよ?でも普通に頑張るんだよ〜」
「その普通がいちばんすごいんだっての……」
「位置について――よーいっ!」
砂を蹴る音が響く。
タンホイザの脚が砂を払って軽く浮くように動く。
波が崩れるたび、陽の光がその姿を照らして――美しかった。
ネイチャが途中で苦笑する。
「タンホイザ、あんた波と競争してるの!?」
「波が速いっ!ほわっちゃちゃ~っと、なんの!でも負けませんよっ!」
「……ほんとバカだなぁ」
でも、その声には笑いが混じっていた。
ゴールに戻ってきたタンホイザは息を弾ませながらも満面の笑みを浮かべる。
「観客さんっ!タイムどうでした!?」
「前回の記録より0.7秒短縮」
「やりましたっ!砂の上でも普通を更新ですっ!」
その“普通”がどれだけすごいか、彼女自身だけが分かっていない。
それがまた、たまらなく愛おしいと思ってしまった。
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夕暮れ、トレーニングが終わったころ。
空がオレンジ色に染まり、波がきらきらと光を返している。
合宿所の前には、小さな笹が立てられていた。
明日は七夕。みんなそれぞれ短冊を手にして、願いを書いている。
「ネイチャは何書いたの?」
「え、わたし?『今年こそGⅠ勝ちたい』かな。現実的でしょ?」
「うん、ネイチャらしいね~!」
タンホイザは嬉しそうに笑いながら、自分の短冊を見つめる。
「私はね〜『自分だけの個性が見つかりますように』って書いた」
「個性? へぇ~、タンホイザが言うと、なんかすごい目標っぽいじゃん」
「そうかな? 最初は普通にお願い事、お願い事…うう~ん。みんなと同じにならない特徴的な…あっ!世界平和!!ってなったんだけど……」
「いや、それは普通じゃないでしょ。アンタほど変な子、そういないよ」
「変って言った~!」
「ある意味褒めてんの!」
ふたりの軽い言い合いに、また笑い声が広がる。
タンホイザは照れたように笑い、短冊を笹に結びつけた。
「……よーし!これでお願い完了、っと!」
風に揺れる短冊が、月明かりに透けてきらめいた。
「……なあ」
俺が声をかけると、タンホイザがこちらを振り返る。
「はいっ?」
「今日も走り、すごくよかったぞ。差し脚のタイミングも完璧だった」
「ほわっ……えへへっ、やっぱり海の風と相性いいのかもですな〜っ!」
ネイチャが口の端を上げた。
「違うでしょ。褒められてうれしいんでしょ?」
「ち、ちがうって!いや、うれしいですけどっ!」
砂浜の夜風が二人の笑い声を運んでいく。
波の音と笹の葉の揺れる音が混じり合い、穏やかな夏の夜がゆっくりと過ぎていった。
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その夜、静かになった合宿所の窓辺から外を見ると、
笹の短冊が風に揺れているのが見えた。
『自分だけの個性が見つかりますように』
月光に照らされて揺れるその文字を見ながら、俺は心の中で小さくつぶやいた。
――いや、もう見つかってるさ。
あの走りも、あの笑顔も、全部がマチカネタンホイザという“個性”だ。
そして、波がそっと砂を撫でるように音を立てた。
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皆が寝静まった後、砂浜に座ってタンホイザが波打ち際に指で小さな文字を書く。
「“普通”、っと……」
「それ、また書いてんのか」
「へへへ、ここに書いたら、すぐ波に消えちゃうじゃないですか。でも、ちゃんと覚えていれば、消えても大丈夫って意思表示ですっ!」
「……なるほどな」
「観客さんも、何か書きます?」
「そうだな。じゃあ――」
俺は隣に座り、“歩幅”と書いた。
「これが俺のテーマだ」
「“歩幅”ですか?」
「ああ。ちゃんと覚えていれば大丈夫……お前と、一緒に歩けるようにって意味だ」
「……っ!」
タンホイザの頬が赤く染まる。
「な、なにをさらっと言うんですかっ!」
「いや、深い意味はないけどな?」
「う、うそだぁ……!」
照れ隠しに彼女は帽子のつばを下げる。
風が吹いて、髪が少し揺れた。
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合宿最後のイベント、海辺で花火。
タンホイザとネイチャ、そして他のウマ娘たちが手持ち花火を楽しんでいた。
「うわぁ~!綺麗っ! これ、写真撮っとこ〜!」
「タンホイザ、近い近い!火花飛んでるって!」
「だ、大丈夫っ! これも“普通”の距離感ぃっ!」
「どこが普通よ〜〜!」
笑い声が弾ける中、少し離れた場所で俺は線香花火を灯していた。
そこへネイチャとの触れ合いに満足したのか、タンホイザがやってくる。
「お、観客さん、線香花火ですか〜……線香花火って、ちょっと切ないですよね」
「ああ。でも、最後の光がいちばん綺麗なんだ」
「……なんか、わかります」
彼女の横顔を見て、思った。
“普通”を積み重ねてきたこの子は、もう誰よりもまぶしい光を放っている。
「観客さん」
「ん?」
「また、来年も一緒に来たいですねっ」
「……ああ。来年も」
線香花火が落ちるのと同時に、波の向こうで花火が夜空に咲いた。
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合宿を終え、帰りの車。
ネイチャ達や他のウマ娘は眠っていて、タンホイザは窓の外を見つめていた。
「……この夏、また“普通”が変わった気がしますっ」
「どう変わった?」
「誰かと一緒に頑張る“普通”って、こんなに楽しいんだなって」
彼女の笑顔が、夏の光をそのまま閉じ込めたように見えた。
「次は秋ですっ。菊花賞!獲りにいきますよ!」
「おう。そのための“歩幅”は、もう揃ってる」
「むわ……む、むんっ!じゃあ、一緒に歩いてくださいねっ?」
そう言って差し出された手を、俺は静かに握り返した。
波の音がまだ耳に残る――
そんな夏の終わりだった。