9月前半。
トレセン学園のグラウンドは朝露を抱き、芝が陽光に照らされてきらめいていた。
夏の名残を感じさせる風が、秋の匂いをほんのりと混ぜながら頬を撫でる。
ーーマチカネタンホイザ視点ーー
「マチタン体操だいいち~!脚を上げて、タタタンターンッ。腕を伸ばして、ホホホイホ~イ♪」
グラウンドに響く明るい声。
マチカネタンホイザは、いつものように少し調子外れのリズムで体をほぐしていた。
太陽の光をいっぱいに浴びながら、体操の合間に芝の匂いを胸いっぱいに吸い込む。
今日も自分のペースで自主練習を行っている。
「ふんふんふ~んっ♪なんだかいい気分っ。今日は気持ちよく走れそう!!」
朝の光に照らされ、髪を伝う汗が輝く。
脚は軽くも、一歩一歩に力が宿っているのを感じる。
タンホイザの頬には自然な笑みが浮かんで、髪の間を流れる汗が光る。
合宿の砂浜で繰り返した走り込み。
波打ち際の不安定な足場に耐え、ひたすらフォームを安定させることに集中した。
あの日々で得た感覚――接地の重さとリズム、差し脚のタイミング、そして「普通」を積み重ねる強さ。
それが今、確かな自信として体の芯に残っていた。
「……観客さんと出会えてから、上手く行き始めたんですよね……」
小さく呟いて、目を細める。
あの日、声をかけてくれた観客さんの存在が頭をよぎる。
「観客さんのおかげで、みんなのおかげで、頑張れた…!」
胸の奥から熱が湧き上がり、やる気が体の隅々まで満ちていく。
気持ちが込み上がって原動力に変える。
やる気が絶好調になった。
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そんなタンホイザの近くに近寄る一つの存在。
「ステータス『興味』の対象を確認」
ビクッと驚き振り返ると、そこに立っていたのはミホノブルボン。
運動着を身に纏い、今しがたランニングをしていたのかしっとりと汗が額から流れている。
その瞳は無機質ながらも鋭く、すべてを見通すようにタンホイザを捉えていた。
「タンホイザさん、随分と成長されているように見受けます」
タンホイザは息を整えながら立ち止まる。
「えっ、ブルボンさん……!?」
突然の登場に、タンホイザの声が上ずる。
胸の鼓動が跳ね、心の奥に焦りと嬉しさが同時に生まれる。
皐月賞、日本ダービー共に1位となったミホノブルボン。
あの異常なまでに正確なラップタイムが皐月賞ではバ身差、日本ダービーではアタマ差で並ぶことを許さなかった。
世間では彼女の特徴である〈普通の少女〉が、〈坂路の申し子〉である二冠ウマ娘ミホノブルボンの対抗バとしてかなり好感的に見られている。
取材陣はマチカネタンホイザに話を聞こうと近くを彷徨いていたのだが、マチカネタンホイザのトレーナーが「今が大事な時なので、菊花賞を獲って全てお応えします」とマチカネタンホイザの事を想い、そして時間稼ぎの為に断っていたのだ。
マチカネタンホイザは自分のことで精一杯だったためエゴサすることがなく知ることはなかったが……。
そもそもメイクデビュー後の戦績により、ファンの期待を裏切ってしまったと思ってしまった時期もありエゴサをすることをやめてしまっている。
それらが噛み合ってしまったことにより、世間ではどう見られているかタンホイザは知らなかった。
そんな二冠達成している彼女は今、タンホイザの前に立っている。
「タンホイザさんの走行機能、好調。夏の間に鍛えられたフォームと差し脚の成果を把握しました」
淡々とした声。
だが、確かな観察眼。
タンホイザは目を丸くする。
「はわ!?な、なんで?どうしてブルボンさんが……」
「タンホイザさん。私の夢である三冠ウマ娘まで、あと一つとなりました。しかし――皐月賞、日本ダービーで貴方と私とのバ身差は、決して偶然のものであったとは到底思えませんでした」
ブルボンの言葉は、風の音よりも静かに、しかし確実にタンホイザの心に刺さった。
――おや?ブルボンさんに、褒められてる?
信じられない気持ちと、嬉しさが混ざり合う。
「そして夏の間に培った“普通の力”が随分と強化を確認。それが努力の結晶であると……」
その声には、機械的な抑揚の中に、確かな敬意が滲んでいた。
「私は菊花賞に向けて全力を尽くす所存です。しかし、タンホイザさんの“普通”の積み重ねは、私にとっても良き参考になる対象であり、脅威であり、非常に良きライバルと認識しております」
その瞬間、タンホイザの胸が熱くなる。
息が震え、心臓が早鐘のように打ち始めた。
「……わ、私が……ブルボンさんの、ライバル……っ?」
呟いた声は風に紛れたが、確かに彼女の中に届き頷いた。
タンホイザは小さく拳を握る。
胸の奥が熱くなる。
ミホノブルボンに意識されていた――それは、自分の努力が誰かに届いた証拠であり、同時にさらに努力せねばという刺激でもあった。
「……はいっ! 私も、もっと“普通”を積み重ねて、ブルボンさんに負けないくらい強くなっちゃいますよっ!次は勝ちます!」
「……強者の気配を感知。一切の気を抜かず、完璧な任務遂行が必要と判断しました。タンホイザさん、菊花賞は譲りません」
ブルボンは微かに首を傾げて頷いた。
踵を返し、無駄のない動きでグラウンドを離れていく。
来たときよりもどこか嬉しそうなその背中は、どこまでもまっすぐで、揺るぎなかった。
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しばらくその場に立ち尽くしていたタンホイザは、拳を胸元に当て、小さく呟いた。
「……ブルボンさんに、意識されてたんだ……」
嬉しさと同時に、背中を押されるような緊張感が湧く。
並ぶことができなかった相手が、自分を“ライバル”と呼んでくれた。
その事実が、彼女の中の“普通”に力を与えていく。
栗毛の瞳は、秋の舞台に向けて一層輝く。
「……ほどよい緊張感、うん。大丈夫。頑張れ、私!よぉし、元気百倍、勝利はいただき!えい、えい、むんっ!」
唇に笑みを浮かべ、空を見上げた。
秋の空は高く、雲ひとつない青。
――この空の下で、もう一度、ブルボンさんと走る。
観客さん、トレーナー、そして支えてくれた人たちに、走りで恩を返すんだ。
「ネイチャとブルボンさんとの勝負、その瞬間まで!」
その声が芝の上に響く。
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そして、その光景を――遠くの木陰から、じっと見つめる影がひとつ。
「凄いな、二人とも……。ブルボンさんは二冠ウマ娘になって、タンホイザさんも僅差で迫ってて……あの二人みたいに、努力でみんなを笑顔に……ライスも頑張らなきゃ……!あの二人に追いつく……ううん、追い抜くんだ……!」
胸元に手を合わせ、瞬きもせず見つめていたのは……
いずれ黒い刺客と呼ばれる少女――ライスシャワーだった。