ーーオリ主視点ーー
10月下旬。
京都レース場――秋空は高く、芝は黄金色に光っていた。
三冠最終戦『菊花賞』。
「観客さんっ……ついにここまで来ましたっ!」
パドックでマチカネタンホイザは俺を見上げ、緊張と高揚を混ぜた笑みを浮かべていた。
その目は、もう迷いなど微塵もない。
「ブルボンさんも、ライスさんも……それにネイチャだって強敵です。でも、夏も、神戸新聞杯も、全部“普通”を積み重ねてきた成果を、ここで全部出してみせますっ!」
「……ああ、信じてるよ。タンホイザの“普通”は、誰よりも強い」
タンホイザは嬉しそうに頬を染め、深呼吸をひとつ。
「ちゃんと調整……できましたよねっ。行くぞー…この日のために観客さん達と頑張ってきたんだから……!」
静かに闘志をみなぎらせ、パドックへ向かう。
その背に、観客の歓声が押し寄せた。
ーー
「今日は……ブルボンさんを追い抜くんだ……!そして、タンホイザさんを抜かせない……っ!」
「凄まじいレベルの圧をライスさんから感知。また、タンホイザさんからはあの時以上の闘志を感知……気を許せば一瞬で抜かれてしまうでしょう。相対時の情報を早急に修正……一切の気を抜かず、完璧な任務遂行が必要と判断。この菊花賞は譲りません」
ライスシャワーが登場した瞬間、アニメのように漆黒のオーラを纏っているわけではないが、観客席にいる自分の所まではっきりと圧がピリッと伝わってくる感覚がある。
直接マークされていない自分がここまで感じるのだ。ミホノブルボンがただ一人その圧を受けていると思うと、別世界で菊花賞を逃したのはライスシャワーの努力と執念に似た何かなのだろう。
そのミホノブルボンはどうだろう。この前タンホイザが声をかけてくれて嬉しかったと言った。その事を嬉しく思うが、少し複雑な気持ちでもあった。
アニメでもゲームでもミホノブルボンとライスシャワーが主役のような扱いだった。
タンホイザの育成シナリオでもミホノブルボンがライスシャワーを意識しており、皐月賞で1位を取ったタンホイザに対しては何も触れず、日本ダービーに勝つことに熱を置く。ライスシャワーに関しては「ごめんね、タンホイザさんも走るのに……」とタンホイザにはほぼ眼中になく、おまけの扱いになってしまっている。全てタンホイザが3冠を取るまでの間、あの2人のカップリングを魅せられただけにしか思えなかったのは俺の心は狭いんだろうか?
勝った時だって『勝ったのはマチカネタンホイザなのにあの2人が注目されてる。荒れなきゃいいけど』という発言がファンの声で挙がっていた。持ち前の前向きな姿勢で問題になることはなかった。
マチカネタンホイザの性格の良さを知る描写だったと思うのだが、俺としてはいいのか?これで……と思ってしまった。
あの2人が嫌いなわけではない。むしろ好ましく思っている。タンホイザ推しの俺は、もっと3人で高め合って欲しかったのが本音だ。
まぁネイチャがいい親友でいてくれたのが個人的には嬉しかったが、あんな風な関係になってほしかった。
どちらかといえばアニメのシナリオ寄りではあるが、既にシナリオなんて存在しないことを俺は知っている。
この世界でタンホイザと出会ったあの時から、俺はこの世界がデータ上の存在ではないんだと……知っている。
ーーーー
菊花賞、魂の直線
京都レース場。
空は雲ひとつない秋晴れだった。
風は冷たく、それでいて清らかに澄みきっている。
観客席を包む熱気と芝の匂いが混ざり合い、息を吸うたびに胸が熱くなった。
「まもなく――菊花賞、発走です!」
アナウンスが響いた瞬間、場内がどよめいた。
スタンドに立ち並ぶ何万人という観客のざわめき。
各地から詰めかけたファンが、ターフに視線を注ぐ。
レース前の張り詰めた空気が、肌に刺さるようだった。
俺の視線は、ただひとりのウマ娘に向いていた。
マチカネタンホイザ。
あの子の表情は穏やかで、どこか楽しそうにすら見える。
それでも――その瞳の奥には、確かな光が宿っていた。
1番人気はミホノブルボン。
そして、2番人気はマチカネタンホイザ。
3番人気にはライスシャワー。
会場のボードに並ぶその名前の文字列を見つめながら、俺は拳を固めた。
(あの子がここまで来たんだ……)
ネットでは、タンホイザが“ブルボンの対抗バ”と囁かれていた。
けれど俺の心には、別の不安があった。
もしも、あの時のように――
アニメでも描かれた“あの出来事”のように、
彼女たちの勝敗が“悪意”で語られる日が来るなら……と。
だが、その心配は杞憂だった。
タンホイザは、誰かを押しのける光じゃない。
“普通”という名の努力で、誰よりもまっすぐに輝く太陽そのものだった。
ライスシャワーも、ミホノブルボンも、ナイスネイチャも――悪者にはならない。
そして誰ひとりとして、もう「怖い存在」ではない。
あの子たちは皆、自分の信じる走りを貫いている。
俺はただ、それを信じて応援すればいい。
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ファンファーレが鳴り響く。
その音が空を裂くように、京都のターフ全体を震わせた。
観客の歓声が重なり、まるで地鳴りのように響き渡る。
「各ウマ娘、ゲートイン完了――スタートしました!!」
金属音と共に、ゲートが一斉に開く。
芝の上を蹴り飛ばす音が、重低音となって波打った。
先頭を切ったのは――やはりミホノブルボン。
そのフォームは機械のように正確。
一歩のズレもなく、規定されたリズムで刻まれていく。
無駄がない。呼吸すら計算されている。
彼女の背中には、二冠を背負う者の覚悟が宿っていた。
そのすぐ後ろに、黒髪が風を切る。
先行のライスシャワー。
軽やかで柔らかな脚さばき。
泥を跳ねさせながら、鋭い視線を前に向けている。
何度も何度も靴を履き潰し、泥まみれになって走り続けてきた彼女。
その成果が、今この瞬間に燃えていた。
そして、少し離れた後方――
差し位置から、栗毛のウマ娘が静かに構えていた。
マチカネタンホイザだ。
焦らず、無理をせず。
周囲の動きと芝の感触を確かめながら、呼吸を整えている。
「……焦らない。普通に、普通に……!」
彼女の唇が、風に消えるほどの声で動く。
だが、その表情は確かだった。
いつもの“普通”が、今の彼女を支えている。
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残り1000m。
ミホノブルボンがレースを引っ張り、隊列が縦に伸びる。
規律のような静かな緊張が、レース全体を包み込む。
「ライスさん、ここまで追いついてくるとは……!」
ブルボンの無機質な瞳に、初めて感情の光が宿る。
そのすぐ背後、ライスシャワーがぴたりと張り付く。
外から風を裂き、黒髪が揺れた。
「ブルボンさんには……行かせませんっ!」
その声は短く、それでいて決意に満ちていた。
二人の間に、火花のような緊張が走る。
そして――さらに後方で、差しの影が動く。
「っ、タンホイザが動いた!」
観客の一部が叫ぶ。
後方の栗毛が、じわじわとポジションを上げていく。
夏の合宿で磨いたフォーム、神戸新聞杯で得た感覚。
すべてを一点に収束させるように、彼女は風を切り裂いた。
そのすぐ後ろで、もうひとりの影が笑う。
「私もいるんだっての! 勝手に御三方で盛り上がんないで、よっ!」
ナイスネイチャが、溜めていた脚を弾けさせた。
彼女らしい軽口と共に、真剣な走りが爆発する。
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残り400m。
京都の直線。
芝が夕陽を反射し、三人の影が伸びる。
逃げのミホノブルボン。
先行のライスシャワー。
差しのマチカネタンホイザ。
そのすぐ背後に、ナイスネイチャが迫る。
観客席から響く歓声は、もはや言葉ではなかった。
うねり、震え、会場全体を包み込む熱の塊。
その渦の中心で、四人のウマ娘が魂をぶつけ合う。
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「行けっ……タンホイザ……!!」
俺の声が、喧騒の中に溶けていく。
だが、その瞬間だった。
タンホイザの脚が――動いた。
「――っ!」
聞こえるわけがない。
だがまるで声が届いたかのように、彼女の身体がしなやかに伸びる。
風が弾け、芝の粒が舞う。
地面を掴むような接地、理想的なリズム。
無数の“普通”を積み重ねてきた努力が、すべての動作を研ぎ澄ませていく。
「あの人の声援に、応えるんだああ~~~!!」
叫びと共に、栗毛が光を帯びる。
風が割れ、ブルボンとライスの間にわずかな隙が生まれている。
そこへ――タンホイザが差し込む!
「っ!? タンホイザさん――!」
「……普通の、積み重ねぇぇぇぇっ!!」
残り100m。
三者が並ぶ。
ゴールまでわずか数秒。
それでも、永遠のように長く感じた。
観客が総立ちになり、歓声が爆発する。
目の前の芝が揺れ、空気が震える。
タンホイザの脚が、もう一段階、跳ね上がった。
その一瞬。
風も、声も、世界も止まったようだった。
そして――
ゴール板を、彼女は駆け抜けた。
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「は、は、はぁ、はぁ…………!!」
審判の旗が上がる。
アナウンサーの声が響き渡る。
「――1着、マチカネタンホイザっ!!」
会場が一斉に沸いた。
歓声が嵐のように巻き起こり、空へと昇っていく。
俺はその場で、息を詰めたまま動けなかった。
(ワァアアアアア……!)
人々の叫び。
紙吹雪のように舞う拍手の音。
その真ん中で――
タンホイザは両手を広げ、空を仰いだ。
「っしゃあああ〜〜〜!!やったぁああああ〜〜!!」
涙が光に滲む。
それは努力の結晶であり、誰かの“普通”が奇跡に変わった瞬間だった。
2着、ミホノブルボン。
静かに頷き、無言の敬意を送る。
3着――ナイスネイチャ。
その笑みはどこか飄々としていて、けれど温かかった。
「いやぁ~、菊花賞って、やっぱり距離が長いよねぇ……テイオーが出れなかった菊花賞の3位か……でもまあ、悪くない結果だよね」
その軽やかな声が、熱狂の中で心地よく響いた。
張り詰めた空気が少しだけ緩み、秋の風がターフを撫でていく。
そして、彼女たちの戦いは――
伝説へと変わっていった。
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表彰台の上。
タンホイザはトロフィーを抱え、涙を拭う。
「……観客さん。私、やりましたっ! “普通”を積み重ねて、ここまで来られましたっ……!」
こちらをしっかりと見ているタンホイザに、俺は手すり越しに答える。
「見てたよ。おめでとう、タンホイザ。君の“普通”は、誰よりも強かった」
その言葉を聞いた瞬間、彼女の頬がほんのりと赤く染まる。
涙で濡れた目が、まっすぐ俺を見ていた。
その向日葵色の瞳に、憧れでも、推しへの感謝でもない、もっと静かで温かい何かが灯っていた。
「……次も、観客さんに喜んでもらえるように、頑張っちゃいますよっ!えい、えい、むんっ!」
観客席から再び歓声が上がる。
秋の空を背に、栗毛のウマ娘が笑っていた。
控え室に戻っていく時に見えたその笑顔は、彼女の瞳の色のようにまぶしく、そして誰よりも強かった。
ーーそしてその後。俺もトレーナーと合流し、控え室に行こうとしたところに待ち構えた取材陣が期待のトレーナーだ!やら、マチカネタンホイザの恋人なんですか!?と質問攻めに囲まれた。
次で何と最終話です。