真夏の海風の中に、ツンと鼻を突く塩素の臭いに、浅葱は眉を顰めた。気怠い午後の青空に、生温い水飛沫。
彩海学園の屋外プールに、浅葱は居た。
正確には、女子は体育の授業でプールに居た。
「うー……怠……こんな周りに海しかないような島に住んでるのに、何が哀しくて学校のプールなんか……荷物も増えるし髪乾かすの面倒い……」
出席番号順にタイムを測っていた為、真っ先に測り終えた浅葱が、プールサイドで愚痴をこぼしていた。
因みに、バスタオルを頭から被っているが、気休め程度の日焼けへの抵抗だ。
絃神島は赤道に近い海域に浮かぶ人工島で、亜熱帯特有の強烈な紫外線が、容赦なく降り注いでくる。
「まあまあ。あんたはスタイル良いんだから、まだ良いじゃない。お陰で目の保養よ」
そう言いながら浅葱の隣に座ったのは、クラス委員の築島倫だ。
愛想が乏しく、少々物言いも厳しいが、そこが良い、踏まれたいという変た……失礼、男子も居る。
そんな彼女だが、胸は控えめだが身長は浅葱よりも高い、スラリとした体形をしている。
「あんたが言うと、嫌味に聞こえるわよ。お倫」
「まあ、この炎天下でマラソンさせられてる男子よりはマシじゃない? なかば拷問よ」
そう言いながら倫は、グラウンドを指差した。
フェンスの向こうでは、体操着の男子達が汗だくになりながら走っている。
その中で、明久が虚ろな目をしながら走っていた。
因みに、プールを囲っているフェンスは魔術と工学の合わせ技でプールの外からは見えない仕様になっている。
「そう言えば、浅葱……伝説のフェンスって、知ってる?」
倫はそう前置きしてから、ある噂話を浅葱に教えた。
その伝説のフェンスというのは、今居るプールの近くにある循環式濾過装置の置いてある小屋を囲むフェンスなのだが、実はほんの僅かに隙間があり、そこにラブレターを挟むと成就する、という話だ。
それを聞いた浅葱は
「うわー……嘘臭い」
と一蹴した。
「いやいや、本当っぽいのよ。ほら、イマイ先輩って居るじゃない」
「ああ。あの魔族研究会の?」
「そうそう。その人、サッカー部のコサカ先輩に告白しようとしたらしいのよ。ラブレターに手編みのマフラーを添えて」
「……
倫の話に、浅葱は思わず顔を顰めた。
何しろ、絃神島は真冬でも気温は20度を下回る事は無いのだから。むしろ、嫌がらせでは? と浅葱は思った。
「けど、そのコサカ先輩が綺麗な女の子と歩いてるのを見て、ラブレターとマフラーをそのフェンス近くのゴミ箱に捨てたんだって」
「いや、不法投棄……」
思わずツッコミを入れる浅葱。
「すると、その2つを拾ったコサカ先輩が、イマイ先輩に告白してきたんだって。それで今付き合ってるみたいよ」
「あ、そう……」
ちなみに、イマイが見たという綺麗な女子というのは、コサカの妹というオチである。
「まあ、その噂が広まって、今そのフェンスにラブレターを挟むのが人気なんだって」
「へぇ……って、なんでそれが伝説のフェンスなのよ」
「ん? 電気設備のフェンス……略して、電設のフェンス」
「くっだらな……」
完全にダジャレである。
「浅葱って、魔族特区の人間なのに、オカルトとか信じてないの? 頭堅いわね」
「魔族特区の人間だからよ。誰かが催眠術を使って、とかならまだ分かるけど」
と二人が話していると、タイム計測が終わった棚原夕歩が近寄り
「なになに、オカルトって聞こえたけど、殺人人形の事話してる?」
『殺人人形?』
何やら物騒な単語に、浅葱だけでなく倫も同時に夕歩を見た。
実はここ最近、美人な女性が相次いで行方不明になるという事件が起きていた。
「あの転校生の子とか、狙われそうだよね」
「まあ、確かにね」
夕歩の言葉に、倫は納得していた。
「で、その犯人が人形だっての?」
「狂った機械人形って噂だよ? 顔の半分が焼け爛れてて、下半身が蜘蛛みたいな見た目。その顔を張り替える為に、綺麗な肌を探してるんだって」
「ありがちな怪談話になってきたわねぇ」
夕歩の話を、浅葱は信じていなかった。
なにせ、オートマタに使用されているコアには、人間を傷付けてはならない、という最優先コマンドが市販品のコアには刻印されている。
だから本来なら、殺人事件を引き起こすなど不可能。
しかし、人形用の部品をコアから全て手作りすれば、話は別である。
だが、そんな技術を有する職人は、世界中を探しても片手で数える程度しかいない筈だ。
「それがさ、彩海学園の敷地内で目撃されたって話なんだよね。夜な夜な校舎を徘徊して、獲物を探してるって」
「ふーん……」
話を聞き終わったタイミングで、体育教師の笹崎が女子達を呼んだ。恐らくこの後は、終わりの時間まで自由時間だろう。
そんな浅葱を、熱風が撫でたのだった。