前世凡人 今凡神 作:カンピオーネ二次復権派
メルカルトがまだ本調子ではなく、ウルスラグナとの死闘で負った怪我が治っていなかったのもあるが、それでも瞬殺と呼んでも差し支えない結果に終わったのに対して、軍神と神殺しの戦闘──護堂曰く喧嘩は、一進一退の攻防を繰り広げていた。
「羽もてる我を畏れよ! 我が翼は汝に呪詛の報いを与えん!! 罪を犯せし罪人は我を討つに能わず!」
「猟兵よ、四つ足の狩人よ! 我らが敵に恐れを抱かせろ!! フェン!! 俺のサポートに回れ!!」
「ウォン!!」
ウルスラグナの姿が猛禽類のそれに代わり、はためく翼は大風をおこす。鳳とは猛禽類の総称であり、ウルスラグナが取るこの形態は速さと空からの攻撃能力に特化した姿。
また鷲や鷹──蛇を喰らう者としての素養も持つ。
蛇とは言うまでもなく、邪悪にして倒されるべき存在だ。
ウルスラグナとはゾロアスター教の
それと仁義なき戦いを繰り返す悪サイドには、悪に属するものが名を連ねている。
その中でも有名な存在を上げるのであれば、最凶の魔神アンラ・マンユによって生み出された三つ首のドラゴン──アジ・ダハーカになるであろう。
このドラゴンは先史時代のアルメニア伝承に名を残すドラゴン、ヴィシャップを起源とする悪竜だ。
そしてこの悪竜を伝承で倒すのが英雄神ヴァハグン。ウルスラグナと同一起源の神である。
ウルスラグナはヴリトラハン、つまりインドラと同一視されることも有名であるが、この辺りの逸話もウルスラグナが竜を倒す者としての側面を持つ所以になる。
そして猛禽類とは、そんな竜を空から襲い討ち倒す天空の王者としての強い在り方を示す。竜とは邪悪な術を使う存在だが、それらを鳳の羽根が産み出す風は引きはがそうとする。
「糞! 俺の抵抗力を潰す算段か!?」
カンピオーネが持つ強固な呪力耐性。それが少しずつだが、ウルスラグナにより削ぎ落されていくのを護堂は感じ取った。もたもたしていたら、丸裸にされてしまうと。
「フェン! 一時的に壁になれ!!」
護堂の命令に従い、巨狼は風除けの盾として立ち塞がる。しかしこの行為は、フェンリルの抵抗力を犠牲にする。長くは続かない以上、護堂も籠もるつもりはない。
「ふははは! どうした草薙護堂!! 我にされるがままか!」
「撃ち落としてやりたいが、こうも風が強いとな……」
神弓として狙撃してやりたいが、強風のせいで簡単に狙いはつけられない。それに飛ぶ間に、球に込めた呪力が剝がされる恐れもある。
だから球として良さそうなものを探し……これを投げつけるかと、目の前にある狼の腹を掴んだ。
「行ってこい!」
「オオオオオオオンンン!!!?」
「何を!?」
護堂が球として選んだのはフェンリルだ。呪力を剥がす風に対して抵抗力があり、ちょっとやそっとの風じゃびくともしない重量。多少狙いが外れても、自分で動いて補正してくれる優秀さ。
これ以上ない球の選別だが、狼は抗議の唸り声を上げ、軍神は自分の神獣に対する雑さに目を向く。
その意外さに思わず動きを止めてしまい、軍神は狼に嚙みつかれた。翼がブチブチと嫌な音を立てる。
「我は最強にして勝利なり!?」
すぐさま強風となって牙から逃れるが、それで怪我が治るわけではない。ウルスラグナが治療に専念しようとすれば、不死に関係する御羊か白馬に化身する必要がある。
だが手元に白馬は無く、御羊に化身してのほほんとしていれば、たちまち狼の餌となってしまうだろう。
だから選択肢として、一旦ここから離脱することも検討する。決して逃げる事は恥ではない。戦場では衛生兵がいるように、怪我を治して万全な状態で挑むのも戦士としては必要な行為だ。
だが……だが! ウルスラグナに退くなどと言う、軟弱な行為は辞書にない。まつろわぬ軍神にあるのは、どこまでも全速前進の理念のみ。怨敵にして宿敵である神殺しを前に、敗戦の将として生き恥を晒すなど到底不可能。
戦いとは己が死ぬか、敵が死ぬかの二択のみ。だがウルスラグナとは、常勝の軍神なり。ならば選び取るのは、どこまでもただ一つ……草薙護堂の首兜を手に、美殊とメルカルトの前に凱旋するだけだ。
なお美殊であれば、ちょっと怪我をして、別に引いても良い理由があれば秒で逃げる。神速と転移を使ってでも、彼女は全速力で逃走する。逃げることが恥とか、生き残ることが恥辱なんて概念は美殊の中にない。
最終的に何をしても良いから、生き残れば官軍。鋼の神格も混ざっているとは思えない、臆病さの化身だった。
美殊はさておき、まつろわぬ軍神が取る手段はそう多くない。このまま強風の化身で攻撃を仕掛けようにも、護堂やフェンリルの防御を抜けるほどの攻撃能力を有していない。
再び鳳の形態になり空から仕掛けようにも、護堂は手に石を握りしめている。化身と化身に変化する瞬間、その僅かな隙を狙って投石するつもりだ。
だから狙うとすれば──肩がじくじくと痛むほどの深手を負ったことを利用した、駱駝による強襲だ。
「雄強なる我が掲げしは、猛る駱駝の印よ!」
「駱駝の化身か!」
風から二足歩行の駱駝に。護堂は化身変化の後隙を狙って光の石を投げつけるが、駱駝に変化したウルスラグナはそれをわざと受ける。
それを護堂は訝しむ前に、そういうことかと気づいて一気に前に走り抜けた。直後、落下蹴りが護堂の元居た箇所を蹴り抜く。牡牛の前脚に匹敵する、強烈なキック力。地面が爆ぜて、大地に亀裂が入りまくる。
ウルスラグナの猛攻は止まらない。ハイキック、脛蹴り、三日月蹴り、両腕、首、あばら、腿──1度でも直撃すれば、骨が砕かれ肉が爆ぜる! その直感に任せて、護堂は躱し続ける。
護堂に格闘の才能はない。だが権能と、神殺し特有の獣の感。この二つの武器が護堂にはある。
今の護堂は神弓そのもの。であるならば、当然目が良くなければいけない。それは心眼とも呼ばれる特殊な技法と全く同じもので、護堂の眼には強打を放つウルスラグナの蹴りが全て視えている。
だが、それでも躱し続けられるかと言えば違う。近接戦に優れた軍神と、そうではない魔王。軍配が上がるのは当然、軍神の方だ。
足の甲を踏みつけ、護堂の動きが無理やり止められた。破壊するための攻撃ではなく、あくまでも足止め用の足打。だがそれで充分、首をへし折らんと廻し蹴りが放たれ──
「ガルァ!」
「チ! 鬱陶しい獣め!」
る前に、主人を守らんとフェンリルが護堂諸共ウルスラグナに体当たりを仕掛ける。地面を転がされる護堂と軍神、ゴロゴロと転がり同時に立ち上がる。
「駱駝はユーラシア大陸で家畜化された、もっとも強靭な動物だ。砂漠の船と呼ばれるほどの輸送力と体力を持つそれに変化したお前は、怪我をしても動きが鈍らない。むしろ逆だ。怪我をすればするほど、砂漠を超える脚力が強化される。瘤に栄養素を溜め込むように、相手から受けた傷を蓄積させて返す力と成す。そういう理屈だな」
「いかにも! 中々目敏いやつじゃな、お主は……しかし、その狼は鬱陶しい。我の動きにたいして、これでもかと邪魔立てしてくれるわ!」
軍神が忌々しそうにフェンリルを睨みつける。その視線に籠められた感情は、この猟犬がいなければもう少し楽なものを……だろう。
事実、ウルスラグナとの戦いは護堂有利に進んでいた。化身全てが戻っておらず、まつろわぬ神としての力が全快していないウルスラグナにたいして、護堂は体調も呪力も万全な状態。ウルスラグナにとって、はっきりと言えば不利な状態だ。
だからこそ、さてどうしてやろうかと少年神は思考し……それが来た事ににやりと笑った。
「なにを笑って──避けろ!」
ゾクリと護堂の背に悪寒が走り、左に飛びのく。フェンリルも主人に倣い、同じ方向に飛んだ。直後、焔が降りそそぐ。地面がドロドロに溶けるほどの熱量が、いきなり護堂を狙って天から落ちて来たのだ。
その方向にいたのは、光り輝く白馬──ウルスラグナがまだ回収していなかった、最後の化身だ。
「ようきた、我の一部よ。神殺しと我の闘争の香りを読み、急遽駆け付けたか。今すぐ取り込み、我の力の一部となれ!!」
ウルスラグナが手を向け、白馬に命令する。今までの化身達は暴走状態だったが、この白馬はウルスラグナが神格を取り戻したことで全く違うのか、酷く落ち着いている。
主の命に従い戻ろうとする姿を見て、護堂はまずいと焦る。このまま化身を戻させては、ウルスラグナの力が戻ってしまうからだ。
ならば今すべきは、それを阻止する事。
ゆえに、これを使うならば今だと、美殊から渡されていた
「プロメテウス! あの馬を奪い取れ!! フェンはウルスラグナの邪魔をしろ!」
「なに!?」
こちらの様子にウルスラグナが気づき、阻止しようとしたが遅い。護堂の意を汲んだフェンリルが白馬と軍神の間に飛び込み、その間に
今までの神獣と変わらぬ巨大でたくましい白馬の体が焔に包まれ、燃え落ちていく。燃え尽きるのにかかった時間は30秒ほど。ウルスラグナはその焔を止めようと強風に変化したが、フェンリルが咆哮し、風を吹き飛ばそうとしたことで徒労に終わった。
「……プロメテウスが持つ偸盗の神力じゃと? お主、そんなものをどこで……いや、そもそも我が気づかぬように細工された神具……そうか! あの魔女か! 大地母神は与えるもの!! その力で神具をお主に与えたか!?」
「ああ、その通りだ。俺の友……友達……友達は、色々と俺にくれるんだよ。色々な」
護堂の左手に装着された指輪。それは草薙一郎の下に届き、サルデーニャに住まう魔女、ルクレチア・ゾラに返される予定だったプロメテウスの魔導書だ。
「不滅不朽が神具の本質だけど、あいつに言わせれば壊れないのであれば、好きな形に加工できるらしいぞ」
元は石板の形をしていたプロメテウスの魔導書──『プロメテウス秘笈』。対象とする神と長く接し話し込んだ人物が神に向けて使うとその神力をかすめ盗り、力を溜めて放出する能力を持つ神具だ。
これを美殊は護堂が戦闘中に使いやすいようにと、石板から指輪の形に加工した。
大地母神は生命に与え、育ませる権能を持つ神格。護堂を神殺しに転生させたパンドラも、『強奪の円環』と呼ばれる神具をその権能で『簒奪の円環』なる神具へと改造し直した。
ただ護堂のために──そう願われ再生成された、プロメテウス秘笈。ウルスラグナに気付かれないようにと隠ぺいされていた神具が、ここぞと言う場面で牙を剥いた瞬間だった。
「おのれ……あの魔女め! 神殺しの協力者どころではない! あまりにも依怙贔屓の塊ではないか!? どれだけお主、あの大地母神を誑かしたのじゃ!」
「誑かしてなんかいるかー! むしろこっちが酷い目に合わされてるんだよ!! 俺がどれだけ、あいつの無自覚な誘惑に耐えてると思ってんだ!!?」
「具体的に言うてみい! 我がその罪諸共、お主を叩き潰してくれるわ!!?」
「だから何もしてねえ!」
……ここに美殊がいれば、何もしてないなんて評価よく言えるね? と冷やかすだろう。護堂にとっては普通のことかもしれないけれど、あれは僕にとって嬉しかったんだよ?
そんな言葉を返すかもしれない。
とは言え、それらはここでは何にもならず。ウルスラグナは太陽を司る白馬を奪われた。それが事実として、軍神を追い詰めるだけのことだ。
「……そろそろ降参したらどうだ? お前だって分かってるだろ。そっちが持つ手札では、俺を倒し切るのは難しいことぐらい」
「はっ! 何を言うかと思えば。我は勝利の軍神、自ら降ることなどせぬ。最期まで戦い抜き、お主を討伐する。それが我の流儀そのものよ!!」
「強がりやがって……牡牛と猪はフェンが対処できる。強風にはこちらを倒すだけの攻撃力がない。鳳はまたフェンを投げつける。駱駝は俺とフェンの同時攻撃に弱い。山羊の電撃は強力だけど、美殊の爆発で雷雲が吹き飛んだせいで、最大火力が出し切れない。あと出していないのは御羊だが、これは回復能力だろ? そうなると、あとお前が使える化身は、少年の言霊だけ。その言霊は、俺やフェンには通じない。そうだよな、ウルスラグナ」
「見透かしたようなことを言う。それも魔女の入れ知恵か?」
「あいつは俺のブレインも兼ねてくれているからな」
少年の化身が使う言霊。これは言葉にした事象を引き起こす原初の魔術を再現する。しかし多岐に渡る能力だけに、出力に乏しい欠点がある。配下に鼓舞の言霊を授けて強化する方法もあるが、残念なことにここは現代。大昔に、軍神が率いていた数多の軍勢は一人としていない。
すなわち、護堂が言うようにウルスラグナの手札は尽きつつある。これが完全な力を取り戻している状態であれば、神としての大出力に物を言わせて状況を打破出来たかもしれない。
だが現実は違う。衰弱していた軍神と神殺しの戦い。それは終わりが近づきつつあり──
「そうじゃな……ああ、仕方ない。ではそろそろ、我も……鋼の本領たる剣を抜かねばならんのう」
「──とうとうそれを出すか。抜ききる前に、止めるぞ!」
「ウォン!」
フェンリルが護堂より先に飛び出し、軍神を潰さんと爪を体に向けて振り下ろす。それをウルスラグナは一切みない。観る必要もない。なぜなら、それはウルスラグナの周囲に浮いている、眩しいまでの輝きを放つ光球に止められたからだ。
光球は一つではない。一つ、二つ、四つ、八つ──爆発的に数を増やしていく。
「我が名にかけて告ぐ。北欧を席捲した旧き時代の狼よ……我を畏れ、退くが良い。我はあらゆる障碍を打ち砕き、力ある者も不義なる者も、全てを撃ち滅ぼす剣神。あらゆる邪悪は我を討つに能わず!」
数百を超え、数千以上に増えた光り輝くウルスラグナが呼び出した円球。これは円ではない、球でもない。これらは全て剱……軍神の前に立つ、あらゆる神を切り裂く最強の武装だ。
「我は言霊の技を以って、世に義を顕す! これらの呪言は強力にして雄弁なり! 強力にして、勝利をもたらす!」
「言霊の技……美殊の予想通りか。少年が振るうならば、それは言霊を素材にした剱。対神兵装の筈だってな!」
「そこも魔女は読んでおったか! あやつがいなければ、お主との勝負、もう少しは粘れたものを……まぁよい。それでは、お主はこれが何なのか、知っておるのだな。我の剣の正体を」
「……言葉を素材にするならば、言霊とするのは神の知恵。妖怪が正体を知られたら力を失うように、神の正体を解き明かして貶める。天空から落ちる霊験あらたかな稲妻は、ただの電荷の集合体となったようにね。それが黄金の剣の本質だよ……だそうだ」
「分かるようで、分からぬような理屈じゃな……しかし我が剣については正鵠を射ておる。その通りじゃ! いかにも! 知恵の剱を研ぎ澄ませ、我は神を切り裂く! ……その狼。まずはそやつから斬って捨てる!!」
「させると思うか!」
護堂が石を投げつけるが、ウルスラグナはそれを避けてしまう。今までであれば、フェンリルがそのサポートをして当てさせていたのだが、空中に漂う黄金の剣がそれを阻んでしまう。
そう……今この場にあるウルスラグナの剣。戦士の化身が振るうこれらは、全てが神の神力を切り裂くための対神権能。
ゆえにフェンリルは簡単に動けない。下手に動けば最後、全身を切り捨てられると理解するが故に。
「お主の狼。フェンリル……なるほど。確かにそれはフェンリルじゃろうな。我の眼も、ここにおる狼はフェンリルじゃと教えてくれておる。じゃがな! 草薙護堂! お主が弑した神は、決してフェンリルなどではない!」
「言霊で剣の切れ味を鋭くするつもりか!」
護堂が石を投げ続けるが、それらは先ほどと同じようにひょいひょいと避けられる。ならば直接近づいて殴ると決めた護堂だが、一歩踏み出した瞬間にそれはまずいと理解した。
近くにあった黄金の剣に触れた瞬間、護堂の中にある狼の権能に、一筋だが掠り傷がついた。
「俺にも効果あるのかよ、この剣は!?」
「当たり前じゃろうが、これは神力を切り裂く権能じゃぞ? そう、お主が奪った神力を、じゃ。我は当初、フェンリルと聞いた時、微かな疑問を抱いた。なぜならば、我の中でそやつを切り捨てられる剣。それが研ぎ澄まされる感覚がせなんだからな」
朗々とウルスラグナの言葉は続く。知恵を振るう神格として正体を探ろうにも、美殊の霊力がその邪魔をしていたのもある。しかしこれだけ長い時間共にいれば、軍神の眼にははっきりとした形が映るようになる。
護堂が長い時間いたことでプロメテウスの力をウルスラグナに使えるようになったように、軍神の側も恩恵を得ていたのだ。
「その理由は明白よ。なぜならば、お主が弑した神狼。それは複数体の神格を統合したもの! あの時、お主は言うておったな。あいつらと。その言葉で得心がいったわ! そも北欧神話において、狼とはなんじゃ? かの神話には、多くの狼が登場する。しかし、それらはエッダによって伝えられた後年の物語。お主らが知るものとは、元来の北欧に伝わる物語とは違う。成立した時期よりも、遥か後年に編纂されたものじゃ!」
エッダ。アイスランドの詩人スノッリ・ストゥルルソンにより描かれた北欧神話の教本であり、これなくして北欧とゲルマンの神話は語れないとまで呼ばれる貴重な資料だ。
ではなぜ、この資料がそれほど貴重となったのか。
「北欧に住んでおった人間の子らは、口承により古くからの我らが逸話を伝え続けて来た。そうじゃ……スカンジナビア諸国で信仰されていた民間伝承や逸話は、口伝で伝えられていたもの。一部には古ノルド語で書き綴られた物語もあったじゃろうが、忌々しい一神教が伝来したことにより多くの逸話が失伝しよった。今代まで遺った北欧の原典にしても、要所要所に一神教が取り込まれておる。巨人ユミルの洪水神話など、聖書に記された箱舟の伝説が取り込まれたものよ」
北欧とゲルマンの神話。これらは数多くが歴史の闇に消えていった。キリスト教が伝えられたことにより、信仰が上書きされたからだ。
それらは今日まで残り続けて来た、北欧神話にも影響を残している。オーディンはすべての人間にとっての全父と言う概念も、キリスト教の唯一神の要素が輸入されたものだ。一度死ぬが、光と共に蘇るバルドルはイエス・キリストそのものと言えるだろう。
「では一神教が伝来する前の北欧において、狼とはなんだったのか? そも、狼の恐ろしさとはなんじゃ? 砕く牙か? 四つ足が生み出す機動力か? 強靭な鋭き爪か? 否! それらは副次的な恐ろしさに過ぎぬ! 真の脅威とは、集団で狩りをし、知性の高さを活かした数の強さ。戦場でも真に力を発揮する、四方からの攻撃性こそが雑多な獣と狼を分ける、最大の武器そのもの!! 人間が知るであろう北欧の狼は一体一体が強力な力を持つ獣であろうが、どれだけ強かろうと、一頭の狼は脅威に非ず! ゆえに後年の人間どもは集団の力を畏れて、集団としての狼を解体したのじゃ!! 一頭が強い……そのように物語を歪めて」
遥かなる昔、古代の世界では獣は脅威だった。現代の銃がある時代ですら、大型の肉食獣が出れば大騒ぎになる。ではそんなものどころか、鉄器や青銅器すらなかった時代はどうか? どれほど、狼とは人間にとっての敵になったのか想像もつかない。
「お主が呼ぶフェンリルだけでない。スコルにせよ、ハティにせよ、北欧の狼は星喰らいの逸話を多く持ちよる! それはかの集団が、家畜を喰らうからよ! お主が奪った我の白馬然り、ギリシャのアルテミス然り、狼とは月や太陽と結び付けられる動物や家畜を襲い、喰らう獣。古代人はその様を見て、太陽や月を喰らうと暗喩した!!」
多くの家畜がそれらに喰われ続けて来た。大切に育てた牛も、馬も、羊も……一切合切を喰らいつくす飢えた獣の集団。人間が畏れるに足るだけの実績を持つ、まつろわぬ狩人ならぬ狩獣の群れ。
「しかし、何も狼とは恐ろしい生き物なだけではない。中には人間と迎合し、共に暮らす事を決めた者らもおる。それらは後年の物語でこう編纂された。北欧の主神に仕えるゲリとフレキとして」
のちに犬になるように、狼はその知性の高さから、人間と協力することを覚えた個体もいる。それらが神話として取り込まれた事例になったのだ。
「ゆえに我はこう〆よう! 草薙護堂が弑した獣はフェンリルに非ず。お主が弑し奉った神、それはのちにフェンリルと名付けられることになる狼を含む、集団としての神格!! 口伝でのみ伝えられ続け、一神教の伝来と共に失伝した狼の真なる脅威を形どった姿!! 北欧の神話が、編纂されるよりなお古い時代。フェンリルだけでない。スコル、ハティ、ゲリ、フレキ。そう呼ばれることになる狼すら含む、脅威を分割される前の集団が神格化したもの! スカンジナビアの
ウルスラグナの言霊を受けて、黄金の剣はその輝きを最高潮に達させている。これらが一度に襲い掛かれば、立ちどころに護堂の神力は切り裂かれてしまうだろう。
だから護堂は決めた。ことこうなれば、戦力の逐次投入は愚策。短期決戦で、一瞬で潰し切る。
「そこまでバレてるなら隠してもしょうがないな……我を畏れよ……我らを畏れよ!! 森奔る黒き影にひれ伏し、鉄砕く鋭き牙に慄け! 大地を抉る爪を恐れよ! 我らは森の王、狩りの王! ワイルドハントの行軍なり!! 全員出てこい!! 一気に片をつけるぞ!!」
フェンリルが這い出た時と同じように、護堂の影が広がる……どころではない。影が立ち上がり、複数の形を取り始めた。
それはスコルと呼ばれる、青白い月のような毛に覆われた狼だった。ハティと呼ばれる、赤い毛をした太陽のような狼もいる。
ニブルヘイムと現世の境界を守ると言われる、地獄の番犬ガルムがいた。ハティと同一視される、月を喰らうマーナガルムも姿を見せる。
護堂の傍で付き従うように頭を伏せたのは、ウルスラグナが言及した主神に仕えた猟犬──ゲリとフレキだ。
総勢七頭。一体一体が、フェンリルと同等の力を持つ神獣たち。草薙護堂が最初に討滅した狼──スカンジナビアのウルヴル。それらの劣化召喚と使役こそが、護堂の権能の本質だった。
全員呼び出したことで、護堂は自分の呪力が一気に目減りしたのを自覚する。だが問題ない。無くなる前にウルスラグナを倒せばいいだけの話。
「くははっは!! フェンリルと同格の神獣を、それだけ呼び出すか! どうやらお主が弑したウルヴル、相当の難敵だったようじゃな!」
「そりゃな。神七体が合体した神格……あいつも死ぬほど苦戦してたからな。これぐらい強力じゃないと、釣り合いが取れないだろ?」
「強きを倒した褒美が、強き権能か。道理じゃ……ではその道理、我が全て切り裂いてくれようぞ!」
「やってみろ。俺はお前をぶっ倒して、これ以上の馬鹿を止めてやる!」
護堂の愉快な仲間たち
ガルム「おれはやるぜ」
スコル「おれはやるぜ」
ハティ「そうかやるのか」
フェンリル「やるならやらねば」
マーナガルム「ごす!」
ゲリ「にく!!」
フレキ「ほね!!!」
美殊「ふぁいあー!!!」
我ら!!