前世凡人 今凡神 作:カンピオーネ二次復権派
ミラノから南東に進むこと、およそ六百五十キロ。そこには一つの都市がある。
ナポリと呼ばれる都市が、だ。
高速鉄道を用いれば数時間、航空機であれば一時間半ほどで到達できる距離。六百五十キロと言えば、日本でなら東京から函館の距離だ。イタリアという国は鉄道が遅れるなどの残念な点はあるものの、主要都市間の距離感は日本の感覚が割と近い。
では距離感が近いからとは言え、ミラノとナポリは都市の雰囲気が近いかと言われたら違う。
北部最大の経済都市にしてイタリアでも最大規模なのがミラノだ。金融と産業、特にアパレルやファッションを中心とした文化が根付いていて、都市としての印象は合理性を象徴する街である。
ならば南部の中核都市ナポリとはどんな都市だろうか? 答えはやたらと雑多で、そして生活感そのものが前面に押し出された街だ。
街路は狭く、起伏が多く、建物は石造りのまま密集している。人の声、車のクラクション、商人の呼び声が常に入り混じり、街全体が絶えず動き続けているかのような印象を与える。
美殊であればミラノが東京であれば、ナポリは昭和の大阪と答えるかもしれない。それも西成やなんばと言った地域だ。
土地的な特徴を言うのであれば、街の背後にはヴェスヴィオ火山が控え、ナポリ湾には穏やかな海が広がる。
ヴェスヴィオ火山は分かる人であれば、古代ローマ時代にポンペイを灰に埋めた存在で通るだろうか。現代においては街の日常風景の一部として受け入れられているが、古代には一つの都市を滅ぼした大いなる火山だ。
ギリシャ植民都市として始まり、ローマ、ノルマン、スペインといった複数の勢力の支配を経てきた歴史ゆえか、都市そのものに多層的な文化と信仰の匂いが今も漂っている。
そんな都市の旧市街地には、ナポリ・ソッテラネアと呼ばれる地下遺跡が眠っている。ここの一角を、とある人物が呑気に歩いていた。
「この辺な気がするんだよね……僕が再び強くなるのに、適してそうな気配がするのは」
その人物とは、ラフな格好をして、手足に生身そっくりな義肢を嵌めた人物──サルバトーレ・ドニだ。
南欧最強として名を馳せ、いまは大幅に弱体化した剣王と呼ばれた神殺し。彼はイタリアに帰って来て以来、さてどうやって剣技をまた鍛えようかと悩んだ。
悩んで悩んで──あ、そうだと唐突に思いついた。実戦で鍛えればいいじゃないか。実に簡潔で分かりやすく、それでいて悩む必要もないシンプルな回答だ。
そもそも細かく悩むのは、ドニは得意としていない。気ままにふらつき、あるいは自分のことを王と崇め奉った連中を動かして、神様が現れたらその情報を届けさせて、現地に赴き神を斬る。
それがドニのやり方であり、手足が無くなったからと言って変わるような要素ではない。いつだってやることは単純明快、戦うに適した場所に行って、適した相手と死闘をして、実戦の中で磨き上げた剣を用いて敵を打倒する。
神殺しの強固な自我を、たかが四肢を捥いだ程度で奪えるわけもなし。
そんなドニはギリシャが奴隷を連れてきて働かせていた、旧採掘場や旧倉庫跡などの地下遺跡に足を踏み入れる。
ここは元来地元の魔術師や魔女が管理している地域で、普通であれば踏み入る事は許されない。カンピオーネであるドニであれば話は違うが、それでも現在の彼はそんな魔術師や魔女と強さそのものはそこまで大差がない。
だから、普通なら止められる。なのに、今は誰も監視が立っていなかった……と言うのも、現在この区域を管理している<青銅黒十字>は、彼ら、あるいは彼女らは、とある人物の裁定を待つ為ナポリ支部に集まっているからだ。
だからここは警備が手薄。それでも普通であれば多少は人員を配置するのだが、
それをふぅん? と思いながらも、ドニは脚を止めない。この先に何かがあると、本能は語るからだ。ここを降りていけば、お前は再び強くなれる。そんな予感と、もう一つ。
それを彼は
「蛇に牛かな? やたらと壁画が彫られているね」
暇なのか、ドニは独り言を呟く。
彼の言うとおり、地下遺跡の通路には大量のシンボルやモチーフが刻まれている。一番多いのは蛇だ。
とぐろを巻いた大蛇に、複数の頭部を持つヒュドラ。蝙蝠の羽根を持つ空飛ぶ蛇。その他には牛が刻まれている。大きな牛から子牛に二足歩行の牛と枚挙に暇がない。
それらは地母神に捧げられた数多の遺物だ。
キリスト教が国教となり、旧来の神々が「異教」として否定されて以降、こうした信仰は徹底的に地上から排除されていった。
大地に宿る神。豊穣や出産、血と生命の循環を司る存在は、唯一神を掲げるキリスト教にとって相容れない信仰。天に召される父なる神ではなく、大地にあり人に近い地母神とは不都合なのだ。だから否定され、倒されるべき竜蛇と認定され、地母の系譜は異端となった。
それでも魔女の系譜は残り続ける。なにせ地母神はまつろわぬ神として顕現し、地上で亡くなって神祖に転生することがある。
彼女ら神祖の血筋が魔女の系譜なのだ。ならば地母への信仰は絶対に残る……どれだけ異端認定しようとも。
秘儀は祈りとして口伝で伝えられ、儀式は地下で行われ、神の名残は遺跡に存在する壁画として刻まれる。
蛇は地母神を代表する象徴であり、再生と循環を。牛もまた大地母神の旧い象徴だ。だから当時の魔女達は遺し、いまなお魔術結社によって管理されている。ここが始まりの一つなのだから……
そんな歴史的背景が存在するのだが、あいにくドニはそんなあれこれにそこまで興味が無い。神様絡みなのでそれなりに耳を傾けたりはするのだが、戦いに関しない知識はすぐに忘れてしまう。
結局のところ、シンプルに切り捨てられるかどうか。それが彼が覚えるに値するかどうかの基準だ。
そこを奥まで進めば、それは鎮座していた。黒曜石のような黒い石で造られた円柱の柱。それが地面から生えて、禍々しい気配を放っている。
「へぇ、これが僕の探してたものかな? 何か力は感じるけれど……ま、いいや。良く分かんないけれど、壊せば良い気がするんだよね」
ドニがこれと言った円形の柱──名を神具『ヘライオン』と呼ぶ。古代ギリシャからこの地下遺跡に持ち込まれた物で、大地の霊脈から抽出された力が物体化した神具だ。
神具としては非常に格の低い代物で、アテナが探し求めたゴルゴネイオンよりもよほど格下の破壊可能な物品。もちろん美殊が持っている三つの救世の武具や、その気になれば地球全土を焼き払える宇宙兵器『獣と弾倉』とは比べるべくもない。あれらは神具としては最上位中の最上位、特に救世の武具に関しては文字通り頂点の『鋼』だ。
ドニはヘライオンが神具だとはもちろん知らない。だが何かしらの直感が囁くのか、これを破壊したら何かいい感じの事が起きる。そんな予感に従って、持って来ておいた剣を抜く。
「今の僕に連撃なんて不可能。権能だって一瞬しか使えない……けれど一太刀ぐらいなら振れるんだよね──ここに誓おう! 僕は僕に斬れぬ物の存在を許さない。例え手足が不十分であろうとも、剣は振れるのさ!!」
神殺しとしての権能が行使される。それは以前に比べれば、遥かに歪な発動だ。手足に刻まれて大量の封印を示す梵字が輝き、ドニの権能発動をこれでもかと邪魔する。以前の消費量が1とするならば、100や200の呪力を注がないと
起動したとしても、以前のような常時維持すら出来ない。手元から離れても遠隔で魔剣化出来ていたのに、それすら不可能になった。
だが──斬る直前に一瞬だけ魔剣化はさせられる。ならばその一瞬だけ、以前の全てを裂く魔剣は復活する。ならばそれで十分だと、ドニはこれまた以前からは信じられないほどの凡愚としか言えない速度の剣を振る。
手の関節稼働に制限が設けられたことで、十全に真価を発揮できていない。それでも全てを切り裂くと言われた魔剣の切れ味が一瞬だけ剣に宿り──ヘライオンは真っ二つに断ち切られた。
「これで何かが変わるのか──うわぁ!」
ドニの余裕そうな表情が溶けて、あ、しまったとでも言わんばかりのちょっとだけ焦り気味な顔になる。その原因は、壊されたヘライオンだ。
この神具は霊脈の精気そのものが物質として現れ出でた物。そんな神具には、土地の霊脈由来のエネルギーがこれでもかと詰まっている。ましてやこの神具は、ゴルゴネイオンがイタリアに流れ着いたのを切っ掛けに、春先から呪力の吸収と増大を早めていた。
そんな神具を破壊した以上──中に納まっていた呪力が間欠泉の如く吹き出し、物理的な破壊力を伴って地下遺跡を破壊しにかかる。
巻き込まれたドニは石の破片に飛ばされて、近くの壁に叩きつけられた。呪力の噴出であれば神殺しの肉体が持つ霊的耐性が散らせるが、物理的な石ころや岩はどうしようもない。自慢の鋼鉄の体を構築するジークフリートのルーンは、皮膚の代わりとして全身に張られたスマートスキンに邪魔されて展開すら出来ない。
あーこれまずいなーと冷静に状況を観察するドニは、そのまま崩落する遺跡の瓦礫に呑まれて姿が見えなくなっていく。脚も義足となり走る速度が時速8キロぐらいまで落ちているので、脱出すら今のドニは困難だった。
だが表情はまずいなーであって、致命的とは感じていない。ここからでもどうにかなるだろと、最終的にいつも通りのそれになり石と土の中に姿を消してしまった
……ドニは神殺しだ。その幸運で以って、なんやかんや生き残ってしまうだろう。しかしそれらとは別に彼が土の下の住人になったからと言って、切断したヘライオンの呪力放出が納まるかと言われたら違う。
ゴルゴネイオン──旧き大地母神であるアテナを求めて出現した神具に呼応し、ヘライオンの呪力は高まった。なぜならこの神具もまた、大地から誕生した地母の力を持つ。ゆえに持ち主を求めて、この神具は呪力を高めた。己を見つけて貰おうと願って。
しかしアテナの狙いは小さなメダルの方で、ヘライオンは求める蛇では無かった。だから──この神具が求めたのは、もう一つの方。ナポリからそう遠く離れていない地であるローマ付近に春先頃出現した、恐ろしく強大な力を持つ大母だ。
存在自体が世界を歪ませるのではないかと錯覚するほどの、『鋼』を内包させた大母の女神。それに見つけて貰い、自らが使われる事を願った。
それはかつて日本でも起きた現象だ。強大な神具──壇ノ浦に沈み役目を果たした最源流の鋼が、地上に顕れたとある『鋼』の眷属になることを願い、再び地上に出現したのと全く同じ。道具の本懐とは使われる事で、故に人ではない所有者として自らの持ち主に相応しい大地母神を求める。
ヘライオンは感じ取っていた。つい数時間前からそう遠く離れていない地に、その地母が再び出現したことを。それもその大地母神だけでなく、もう二柱も自らの所有者に足る大地の女神がいる。
だから歓喜して力を高めて──その願いは虚しく神殺しの手で二つに裂かれた。
高まった力は止まらない。ナポリ全域どころかイタリア南部の霊脈から集まろうとしていた力が、穴となってしまったヘライオンに向かって流れ込む。
それにより噴出はより一層酷くなり──納まりきらない力は、ヘライオンが求めた一つの存在をこの地に降臨させる。大地と水の精気を持つ神格である、大地母神を。
エメラルド色の呪力が集まり、一つの形を成していく。それは女性だった。170半ばの体格を持つ女性で、顔立ちは神々らしく整い過ぎた美貌を持つ。白を基調とした衣は、古代ローマの彫像を思わせる簡潔な造り。
服の上からでも確認できる豊満な肉体に、白衣の上から赤色のマントを羽織っている。
その出で立ちはまるで女王のようでもあり、だが女王と呼ぶには一つの違和感があるそれを頭に被っていた。
彼女が被るのは王冠ではなく──兜。山羊の頭を模した角ある兜を被り、深い黒、あるいは夜のような濃紺の眼を輝かせている。
「──ほう? ふむ……なぜ
ヘライオンの呪力爆発を発端として出現した女神は、もう一度ふぅむと首を捻る。まつろわぬ神は神話から生れ落ちる存在だが、なぜ産まれるのかは彼女らにも良く分からない。
ただそうなると言う結果があり、なぜ神話から地上に転がり出るのかなど気にもしたことがない。世界がそうあるのだから、それで良いじゃないか……そんな思考だ。
それでもその女神はどうしてだろうな? と思考を働かせ──結局のところ、理由などないのかもしれないなと思考を放棄した。
それよりもここはどこだと辺りを見渡せば、少し離れた地にヴェスヴィオ火山を見つける。それで地理が把握できたのか、ここはパルテノペかと口にした。
「はは、ヘレネスの民どもが侵略し、築いた都市かここは……随分と様相が変わったようだな。随分と……醜くもあるが、発展はしておるか」
女神の眼からみれば、ここはかつての古代ギリシャ人──ヘレネスが築いた植民地のパルテノペだ。ナポリなどと言う、現代の名称は彼女の知識にない。
まつろわぬ女神はそんな土地を見て、灯りが闇を切り裂く姿を見て少し眉を顰めるが、それですぐに地上を破壊しよう──とまでは感情が動かない。
火が人に灯りを与えたように、何やら良く分からぬ光で地上を照らすのも定命の子らの意思かと鷹揚に頷いた。
「はてさて……まつろわぬ身となったわけだが、我はどうしたものだろうな? 神話には縛られぬ身にはなったが、さりとて……ないな。目的が見つからぬ」
まつろわぬ神は神話に縛られず、己が望むままに行動する。それが地上を破壊する破壊神に繋がる事もあれば、逆に存在するだけで人の意識を狂わせ洗脳する邪神に繋がることもある。
それで言うならば女神も確かにまつろわぬ身となったのだが……これと言って、目的が見つからない。
「……良いか。地上を彷徨えば、何かしら目的は見つかるだろう」
まずは現在の地上とやらを観察してやろうかと踏み出そうとして──すぐに足が止まる。彼女の視線は再びヴェスヴィオ火山に向けられた。
なぜそちらに目をやったかと言えば……稲妻が火山からこちらに向かって走ったからだ。
雷が大気を切り裂く轟音を響かせて、女神の前に落雷として落ちる。地面が爆ぜて土埃が舞い、それが納まった時には一人の青年が雷の着弾跡に立っていた。
その人物もまた眉目秀麗な美男子だ。太陽の如き山吹色の巻き毛に、190㎝はあるだろう長身。白い衣と白いマントと女神のように現代人の出で立ちではなく、服の上からでも分かるほどに鍛えこまれた肉体。
彼を見て、女神は土埃が鬱陶しくてかなわんなと服を払って汚れを落とす。同時に、ああ、こいつは我と同じまつろわぬ身だなと察した。女神の前に稲妻となって現れる豪快さと、神を前にして不遜な表情をする輩など、同じ神か──それか神々を抹殺し、権能を簒奪するような神殺しだけだ。
女神は面倒なやつが来たなと顔を顰めながら、己の前に立つ青年神に語り掛けた。
「我の前に立ち塞がる者よ。そなたがなぜ我の前に姿を見せたのかは存ぜぬが……まずは名乗れ。我の脚を止めさせた理由、少しは語ろうてくれるか?」
「──ふふ。御身がどこの地母の女神かはこちらも存ぜぬが、訊かれた以上は答えねばなりませんな。どれを名乗るべきか悩みはしたが、やはりこう告げるのが良いでしょうな……我が名はペルセウス! 以後お見知りおきを」
恭しく礼をしながら、オーバーリアクションで挨拶をする青年に対して女神の方は──
「ペルセウス……この地に持ち込まれ、新興神と習合した太陽神。ヘレネス共が蛇殺しの英雄として創り出した、歴史の浅い神か」
「これはなんとも手厳しい評価で。ですがペルセウスの名は新しかろうと、我が旧き名は御身の来歴にも匹敵すると思いますな……さて、我が名を新しきと呼ぶ御身こそ、どこの女神ですかな?」
「ふん……我が何者なのか知らぬ身で、我が前に立つか。なんとも無礼な男であるが……良かろう。訊きたいと申すのであれば、我が名を語ろうではないか──」
ペルセウスの態度に憮然としていたが、問うのであれば答えてやるのも女王の器量かと気を持ち直し、女神は紅いマントを翻し、高らかにその名を口にした。
「我が名は