私の全力受け止めて♡
「なぁ、ダンツってカレシとかいるのか?」
「んむっ!?」
ジャパンカップを終えて少し経ったある日のこと。カフェテリアに3人で珍しく集い昼食に勤しんでいた時、ポッケちゃんから唐突な爆撃を喰らってご飯を喉に詰まらせかけた。
カフェちゃんから差し出された水を一気に飲み干して、噎せながらどうにか復帰。
「けほっ、こほ、なん……!?」
「いや、なんつーか……だな、この間寮で手紙受け取ってたろ。宛名チラッと目に入っちまって……それがなんか男っぽい字ィしてたなって気になってよ」
なんだか言い訳するみたいに捲し立てるポッケちゃん。ちょっと罪悪感があるのか頭を掻きながら言いづらそうにしてるけど、本当に悪いと思ってるならあんまり言わないで欲しかった……!
トレセン学園はレースを目指すウマ娘のための場所。必然的に女子校になり、その分トレンドとか情報はやや偏る。
……こういう言い方はあまり良くないかもしれないけど、私たちだって健全な女の子。どれだけレースに全力を捧げていても色恋という学生の一大イベントには皆興味津々で。
何が言いたいかというと、周囲の意識が一気に此方へ収束していた。視線が向いてるわけじゃないけどチラチラ見てる限り耳だけはしっかり向けられている。
「ほほう、それはそれは……で? 差出人は本当に男なのかね?」
「タキオンちゃん!?」
「……正直、気にはなります」
「カフェちゃんまで!?」
不味い、カフェちゃんならやんわり止めてくれるかと思ったのに退路が塞がれた。主役になりたいとは何度も言ったけれどこんなことで注目されたくなかった。
「……男の子だよ。小学校の時から文通してるの」
「文通、ですか」
「今時随分とレトロだねぇ」
デビューから3年。熾烈な競争を繰り広げて3人ともそれなりに分り合えたけど、このことだけは明かしたことが無かった。フジ寮長にお願いして出来る限りこっそりと、誰にも見られないよう受け取っていたから猶のこと。一つの山場を越えたことですこし気が緩んでしまっていたのかもしれない。
トレーナーはこのことは知っていたけれど、妙な詮索を招くからと秘密にする方針で合致していた。
けれど、今ならある程度話してもいいのかな、なんて思えたから、言葉を選びながら口を開く。
「わたし、昔は引っ越してばっかりで、友達とはすぐ疎遠になっちゃってたのは知ってるよね。手紙の交換とかもしてたんだけど、結局みんな届かなくなっていって……けど、その子だけは、ずっと続けてくれてたの」
「ダンツ……」
届く頻度こそ月に1度とかだったけれど、何度引っ越しても必ず返してくれる。絶対に忘れないでいてくれる。
嬉しかったこと、辛かったこと――――レースの世界に足を踏み入れた事。色んなことを伝えて、その度に必ず返してくれた。
生真面目さが形になったような綺麗な字で、手紙に書きこんだこと全部に対して丁寧に言葉を綴っていた。小学生にしてはひどく大人しくて賢い子だった。
「……嬉しかったんだ。いつでも、あの子はきっと離れていかないって思えたから」
「素敵な人ですね」
「うん。とっても優しい子だった。わたしとは真反対の子でもあったんだけどね」
「んだそりゃ、ダンツの真反対ってーと……トゲトゲしてるヤンキーみたいな奴だったのかよ」
「自己紹介かい?」
「あ゛?」
「違う違う、内面の話」
友達というものを作らない。誰かを頼らない。お願いされたら一人で全部やろうとする。兎にも角にもずっと一人のままで、そしてそれでいいとばかりに心がしゃんと立っている。
男女の差もあるんだと思うけれど、私が皆と打ち解けて輪に入る方法が上手くなったのに対して、その子は高い高い壁を作り上げて距離を取り、誰も寄ってこないようにしてしまっていた。
「もしかしたら……全部一人で出来ちゃうくらい賢い子だったから、周りに合わせるのが辛かったのかもしれないなって。学年のみんなで協力するより、その子が一人でやっちゃった方が早いくらいだったから」
「ふゥん……」
「アタマ良すぎるってのも考えようだな」
何か思うところがあったのか考え込むタキオンちゃんと、それを揶揄うように横目で見るポッケちゃん。思い返せば確かにタキオンちゃんに少し雰囲気が似ている子だったかもしれない。
「話を戻しますが……どうしてその……男の子と、文通を?」
「その子から言い出してくれたの」
「ダンツから言ったんじゃねーのな、なんか意外だ」
――――おまえさ、次どこ行くの。
――――これ。今の住所と次の住所。手紙出して。
――――俺もそうだから。おまえのあとくらいに引っ越す。
――――寂しいから、俺も。手紙返す。
普段から喋らない子だったから、言葉はすごく端的で、口下手なんだなぁってすぐわかった。
いつもプリントを集めたりするときに見ていた綺麗な字で書かれた住所のメモが、何だかとても大切な宝物のように思えて。絶対書くから、お返事書いてね、なんて言って握った手をぶんぶん振り回してしまって、肩が抜けるかと思ったなんて愚痴られたっけ。
「……気になるんだがねぇ、LANEやらアドレスやらは教えなかったのかい? 文通を否定こそしないが……連絡手段としては些か劣るだろう」
「あぁ……うん、教えたんだけどね」
「何か問題でも……?」
思い返していると、タキオンちゃんが疑問を投げかけてくる。
今のご時世、SNSはほぼ必需品だ。素早い連絡手段として重宝するのは間違いなく、わたしも何度か有事を心配して登録して欲しいと便箋に書き込んで送ったことはあった。
けれど、どれだけ待ってもその子はアドレスもアカウントも絶対登録してこなかった。頑なに手紙というアナログな手段にこだわっていて、それはなんだか必死さすら感じるものだったから、何か理由があるんだろうと思うと無理強いはしなかった。
――――君に要らない不安を与えたくない。
“どうして登録してくれないの”って思い切って聞いたが、返ってきたのは何ともよく分からない返事。とにかくデジタルでやりとりするのがどうしても嫌だったらしい。
そこまでかいつまんで説明すると、タキオンちゃんは今度は首を傾げた。
「ふゥん……少し気になるのだがね、その『カレ』とは全く会ってもいないのだったね?」
「う、うん……手紙だと流石に予定合わせるのは難しいし……」
「LANEどころかメールの登録も嫌がる徹底ぶりは……少し引っかかりますね……」
「それで小学校から今までカンケー続いてるってのも大概すげぇけどな」
特に学園に入ってからはトレーニングやレースの事でいっぱいいっぱいだったから気にしなかったけど、それを差し置いても嫌だというのだから、余程の理由————それこそトラウマとか————があるんじゃないかと思ってる。
わたしのレースでの活躍は華々しいものとは言えなかったけれど、それでも“テレビで見ていた”と一言添えて激励の言葉を必ず送ってくれていた。
――――療養の負担になると思い暫く控えていました。
療養に入っていた時は手紙がぱったりと届かなくなり、再び舞台に上がる決意をした時に、謝罪とともにそれまでより少しだけ分厚い封筒が届いたりもしたっけ。
「公式のアカウントとかで、本当はこっそり様子も見てたんじゃないかなぁとは思ってる。……それらしいコメントの1つも残ってないのは徹底しすぎだと思うんだけどね……」
「もうそこまでくると逆に怖ぇよ……」
ポッケちゃんにはやや引き気味に呆れられたけど、たった数枚の紙片による繋がりがわたしの心の支えの一つになったのは本当。トレーナーさんに支えてもらって、色んな人に応援してもらって、そしてその子がいつだってずっと見ていてくれてるって思えたから、此処まで来れたんだ。
「……最初の疑問に戻るんだけどね、ポッケちゃん。わたしに彼氏はいないよ……その、
わたしだって女の子だ。
時代遅れだと思うし、文章でしか繋がらない相手に
身近な異性となると、わたしにとってはその子な訳でして。
それでもって、わたしだけが同年代の子とそういう繋がり方をしてるのだと思うと、ちょっとダメな感じの優越感が胸に広がるのだ。何よりそれが“ちょっとダメ”と自覚できるのが猶更ダメだ。なんというかこう、悪い事をしてるわけでもないのに背徳感でゾクゾクしてくる。
「……カレシってわけじゃねーのな」
「………………違うよ?」
「物凄く不満げでしたね今」
「告白すればいいだろうに」
「こッッッ!?」
書き損じたレポート用紙を放り捨てるように投げられたタキオンちゃんの一言に尻尾と耳が天を衝く。
告白というとあれだろうか。わたしの場合、次に送る便箋に“あなたのことが好きです”なんて書いて送れというのだろうか。
「……む、むり…………!」
想像するだけで頭が茹で上がりそうになる。ほんのちょっと勇気を出してボールペンを滑らせれば、あとはもう何とでもなれとばかりに完遂できるはずなのにまるで出来そうな気がしない。
加えて、今は頭に冷や水を掛けてくる感情がある。
「……文通相手だし。私が一方的にそう思ってるだけで、向こうはそう思ってないかも――――」
「では聞くがねダンツ君。キミ、彼から『彼女が出来ました』なんて送られてきたらどうするんだい? 祝福するのかね?」
「ちょ、おま……!」
「タキオンさん……!」
「かの、じょ」
脳天に雷が落ちたような気分だった。
彼女、ガールフレンド。そういう話は聞いたこともないし、けどあり得ない話じゃない。
文面でしかやり取りしない相手に特別な感情を抱く方がおかしいという自覚がある以上、自分がそういう枠に入れるとは……正直、あんまり思ってない。
それに、わたしは手紙で自分の伝えたいことを書くばかりで、返ってきた手紙はそれに対するコメントが大半で……
「……あれ?」
「ダンツ!? なんかすごい勢いで顔が青くなってんぞ!?」
気づいてはいけないことに気づいた気分だった。わたしは彼に色んなことを伝えていたけど、彼のことは近況くらいしか知らないんだ。
好きなものは? 嫌いなことは? 趣味は? そういった長い付き合いがあれば知っていそうなこと、全部知らない。手紙を書いている間は心が小学生に戻ったみたいになって、話したいことを一方的に捲し立てるように書いていて、あの子に“何が好きですか”とか、そういう形の問いかけをした覚えがまるでない。
今の今まで舞い上がっていたけど、もしも彼がわたしのことを本当に文通仲間としか思っていなくて“彼女ができました”なんて言われたら……
「やだぁ……」
「真っ赤になったと思ったら真っ青になって萎びていくねぇ」
「貴女のせいですが……」
胸がズキズキする。わたしの知らないところで知らない関係を作ってると思うとおかしくなりそう。
嫌だ、絶対やだ。あの子に彼女がいるなんて認めたくない。あの子が誰かのものになってると思うだけで怒りとも悲しみとも違う何かが渦を巻いていく。
どうしよう、自分の中にこんなにもどろどろの想いがあるなんて気づかなかった。タキオンちゃんが弄る薬品みたいなすごい色で感情が煮立っているのが分かってしまう。
「ダ、ダンツ……?」
「目がすごい勢いで澱みましたね……」
「……彼女が居たら奪えばいいのかな」
「おっと??」
だって仕方がないじゃない。他に的確な方法が無い。いっそ本当に家に押し掛けて「久しぶり」なんて言って押し倒してしまえば万事解決じゃないか。
思い立ったらもう止まらない。レッツダービー、外出届と、念のため外泊届も出しに行こうか。
「待て待て待て待て掛かんなダンツ! それこそ手紙で一旦寄越しゃいいだろーが!? 会いたいなり会いに来てなり何なり何かしらこう……あの、何か理由だいぶアレだけど、こう……あんだろ!?」
「そうですよ……! いきなり押し掛けて奪い取ろうなんてストーカー一歩手前みたいな挙動、タキオンさんの向こう側です……!」
「カフェ?」
正論だ。でも、もしも万が一、億が一、いいや京が一に彼女が居るので嫌ですとか予定が合わないので駄目ですとか言われたらもう立ち直れる気も立ち止まれる気もしない。
引き剥がすのも億劫になって体を掴むポッケちゃんごと歩いていこうとするのを、カフェちゃんが正面に立って止めてくる。
「ちょ、止ま、いや力つっっっよ!? お前なんかレースん時よりパワー上がってねぇか!?」
「ふゥん、未体験の感情によってレースの時以上に力が引き出されているのかな? 存外情熱的な方ではあるしあながち可笑しくも……」
「言ってる場合かテメー!!」
「……その、不安な気持ちは分かります、ダンツさん……ですが、やはり無理矢理ほど信頼を失う行為も……」
「何でもお友達のせいにできるカフェちゃんには分かんないもん……」
「ダンツ!?」
「…………カフェさんちょっと横になりますね……」
「カフェーッ! お前が沈んだらもう止められねーぞ!!」
胸がきゅうきゅうと締め付けられて苦しい。実際、宛名でどこに住んでいるのかは知っているのだから直接会いに行くのが一番早い。
けれど、垓が一に本当に女の人が出てくるなんてことがあったら……
「……ふう゛え゛ぇぇ…………」
「掛かったと思ったらソッコーで逆噴射しちまった……けど助かった」
「死屍累々だねぇ」
想像しただけでその場にしゃがみ込んでしまった。2人の声が遠い。
自覚してから燃え上がるまでこんなに早いとは自分でも思ってもみなかった。今の今までどこか他人事だったはずの想いが湧き上がって止まらない。
わたし以外に文通相手がいたら嫌だ。彼女さんだって居て欲しくない。わたしだけ特別で居てほしいし、他の誰にも取られたくない。
あの子の隣に誰かが居るって考えるだけで頭がおかしくなりそう。自覚できるくらいドロドロの独占欲が次から次へと溢れて止まらなくて辛い。
「やだよぉ……盗っちゃやだぁ……」
「……ダンツ君、想像を絶する程に重い女だねぇ」
「ふぐぅ」
「やめてやれって」
頭の中がぐるぐるして、涙まで出てきていよいよ収集が付かなくなってきた。
ふと、ポッケちゃんの驚いたような声が響く。
「やぁ、随分愉快なことになってるね」
「フジさん!」
しゃがみ込んだまま視線だけ上げて……そして、その手に持つ封筒が目に入った。藍色に金の模様があしらわれた、白い文字で宛名の掛かれたそれ。
見ただけで意識がはっきりしてくる。垂れていた耳がピンと立つ。
「りょ、寮長、それっ!」
「あぁ、
もうバレたみたいだし隠さなくても良いだろう、なんて茶化して渡してくる。いつからと問えば、随分前から、と。わたしの知らないところで手紙の件は結構広まっていたらしく、そのことに羞恥が込み上げてくる。
「シンボリ家とか、メジロ家とか……まぁとにかく、そういうある程度
「うぅ、優しさがむしろ痛い……」
「…………ごめんね? 正直これ以上隠し通すのは無理があってね……」
「い、いえ、いいんです。むしろご迷惑おかけしてたのはわたしの方で……!」
むしろこれまであまり茶化すことなく黙っていてくれたことに感謝したくなる。私の一方的な都合で無理を押し付けていたのだから、フジ寮長が謗られる謂れはないはずだ。
「……えっと、その、読んでも……?」
「君あての手紙なんだから、君が決めて良いんだよ?」
「あ、そ、そうでした」
「過去類を見ないくらい挙動不審だねぇ」
「こんなテンパってんの初めて見たかもしれねぇ……」
うるさいな。みんなだって文通してみればわかるよ。
そんなふうにぶーたれたくなるのを我慢して、封蝋を割って中身を取り出す。縁に紺を染めた白い便箋は書店とかで探してもまるで見当たらないもので、見慣れたといえど良いものを使って書いてくれてるんだということを改めて突き付けられて照れてしまう。
息を吸って、吐いて。
そして、意を決して目を通した。
拝啓 ダンツフレーム様へ
年の瀬の足音も近くなってきた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
足の怪我が痛んではいないかと、そのことばかりが気に掛かってしまいます。
先日のジャパンカップ、中継で見ていました。
長めの療養から明けての参戦でしたから、勝ち負けよりも不安が勝ってしまい、つい完走ばかりに注目してしまっていたことを謝らなければなりません。
貴女が勝つことを一切信じていなかった。それは悔いても悔やみきれぬことで、合わせる顔がありません。
ですが、貴女は勝利した。
全霊を賭して、数多の物を背負って、しかしそれでいいとばかりに。
恥ずかしい話ですが、あの日、私は部屋で独り泣いていました。貴女が勝利する姿を、貴女が主役を飾る様を、涙なしに迎えることが出来なかったのです。
手紙ではいつも不安を漏らしていましたね。雑誌はあまり貴女のことを取り上げず、テレビで見る姿は笑顔ばかりでしたので、その落差もありやはり不安でした。
同期たちとの差に苦悶していたジュニア期。
冠を掴むに至らず、燻り続けたクラシック期。
そして、あまりにも大きな選択に悩み続けたシニア期。
何度貴女の下へ駆けて行くべきかと悩んだか分かりません。ですが、只の人である私に、貴女が抱く競技の世界で主役に立ちたいという想いは正しく解せない。下手な事を口走り貴方を逆に傷つけてしまうかもしれない。それが怖かったのです。
どうか嗤ってください。私は臆病者でした。
貴女を信じるという建前で、要らぬ負担を掛けたくないという言い訳で、貴女に寄り添うことをしなかった。ただ傍観していた。
文通相手など思い上がりも甚だしい。どうか貴女の交友関係がこれからも続く善きものであることを願います。
そして、この場を借りて貴女のトレーナー様へ感謝を申し上げます。
彼女を見出し、支え、共に歩んでくれたことが我が事のように嬉しく、そして何よりも有難いものと感じています。
どのような事を思い、どのような事を考え、そしてどれほどの決断をしてきたのか。私には想像も出来ぬ程の苦悩もあったことと存じます。ですが、最後にはかならず彼女の隣に立ってくれていたこと。その意思に、まさしく頭が上がりません。
贈り物の類は逆に手間をかけてしまい迷惑になるかと思いますので、言葉のみでの謝意となること、どうかお許しください。
~~~~
あまり長く描き過ぎても迷惑かと存じますので、この辺りにしておこうかと思います。
また、少々予定がありそちらの近傍へ寄ることになりましたので、今年中には会いに行きます。
だから、その時に聞かせてください。
貴女の口から、これまでにあったことを。
敬具
その子から届く手紙は、いつでもちょっと高級な封筒と便箋だった。
文房具屋さんで買えそうなものじゃなくて、印刷所とかに特注で頼むようないい材質のもの。後でデジタルちゃんに聞いてみたら、やっぱりそれなりに値の張るものらしくて。ちょっと古風な封蝋まで押してある、手紙1つ1つにしっかりお金を掛けているものだった。
べつに何かを自慢したいとかではなかったのだろう。文面や朧気な記憶から、彼が今も不器用で真面目なんだっていうことは想像できたから。
わたしが手紙に書いたことは一つも漏らさず言葉を返してくれていて――――返答に終始していて、彼は殆ど自分のことを漏らさなかった。所感や感想を書き綴っていることはあったけれど、自分が今何をしているのかとかは書かれていた記憶がない。
ずっと、ずっと。初めて手紙を受け取った日からずうっと、わたしの言葉をひたすら聞いてくれていた。真面目に、愚直に。
それが嬉しくて、なんだか特別に感じられて。タキオンちゃんの一言で気づかされるよりも前に、ただの文字だけでわたしはあの子に惹かれていた。
今、あの子はどんな風になっているのだろう。背は伸びたのかな。ウマ娘のお母さんに似たという黒に白いワンポイントの髪はそのままにしているのかな。
一度だけ写真を同封しようかと思った事もある。トレセン学園に入ってすぐの制服の写真。だけど、いざ封筒に入れようとしたらなんだか恥ずかしくなって、慌てて便箋に追記だけしてそのままポストへ放り込んだんだっけ。
いつか会える、なんて言われてからどれだけ経ったんだろう。デビュー前だったから少なくとも3年だ。
いつ途切れてもおかしくない、本当にか細い縁だった。でも、それをこんなにも長い間繋ぎ留めてくれていたことが、わたしの支えの1つだったことは間違いなくて……
「あぁ、そっか」
トレーナーさんやポッケちゃん達に抱いた、大きすぎる感謝とはまた別のもの。
“好き”って気持ちは、いつだって彼にだけ向けていたのかもしれない。
今、どんな顔をしていて、どんな事をしているのかまるで知らない同年代の男の子。
嘘を吐かれているかもしれない。騙されているのかもしれない。でも、そんな不安を全部頭からきれいさっぱり振り払えちゃうくらい、わたしは彼のことが好きだったんだ。
◇
それから数日後。
放課後を迎えたダンツフレームは教室で溶けて突っ伏していた。
「はぁ……」
ここ最近ダンツフレームの様子がおかしい。それは彼女のクラスを主として広がっている共通認識であり、同時になにか凄まじい危機感を煽るものだった。
事あるごとに溜め息を吐き、窓の向こうを眺め、授業中もしょっちゅう上の空。頬は緩み、目は潤み、何か遠いものに焦がれるようなその仕草――――手紙を眺めては再び机に突っ伏す。
それはまさしく恋する乙女そのものであり、その手に大事そうに持つ手紙も相まって周囲の脳を若干破壊し始めていた。通りがかったアグネスデジタルはぶっ倒れた。
ダンツフレームは人当たりのいい性格だ。基本的に根明で優しく、そして頼まれごとは大抵断らない。同性であっても“勘違い”を誘発するくらいには距離感が近かったせいで、良からぬ方向に情動が暴走する事例もいくつかあった。
「んん~……」
「今日も今日とてダレてんなダンツ」
「ポッケちゃぁん……」
背もたれに顎を預ける姿勢で座り、ダンツフレームと向き合うジャングルポケット。あの日の一件以来また彼女が暴走しやしないかと肝を冷やしている一人であり、今となっては呆れ顔で付き合っていた。
「いくら会いに来るったってそんな3日4日ですぐどうこうってわけじゃねぇだろ」
「だってぇ……」
「そもそもお前“今年中”だぞ? まだ2週間はあんだろーがよ……」
「もう2週間しかないもん……!」
ダンツフレームは掛かりっぱなしであった。“もうすぐ会える”という期待と“どんな顔で会えばいいのだろう”という不安を交流電流もかくやという速度で行ったり来たりを繰り返すせいで情緒がガタガタになっている。
自身のトレーナーにもう一人の兄のような感情を抱いているジャングルポケットもこれには困惑である。自分も恋をしたらこう成り果てるのかと戦々恐々としていた。
「ほら帰んぞ、立てって……!」
「うぅ~……」
帰り際、階段を下りては棒立ちし、下駄箱を眺めては上の空。気心知れた仲とはいえそろそろ我慢の限界が近いジャングルポケットが気合の一発でも入れてやろうかと思い立った頃、異変は訪れた。
―――――ふと、俄かに正門付近が騒がしい。
「……あん?」
「どうした、の……」
正門前に棒立ちしている誰かがいる。それが自分たちと同じ年代の
真面目で不器用と顔面に大きく書いて成型したような仏頂面。着ているのは制服の類ではないが、ある程度までの場なら通用する服装、いわゆるスマートカジュアルと呼ばれる出で立ち。
思い起こすのは自身やマンハッタンカフェのトレーナー。彼らを10代にすればちょうどこんな感じだろう、という印象を抱かせる。
それなりに整えたような短いざんばらに前髪の一房だけが白く染まった独特の髪型は、ともすればウマ娘と勘違いしかねない。瞳の色が違えば敬愛するフジキセキの肉親と間違えうるかもしれないとすら彼女は思った。
「なんだぁアイツ? なんであんなとこに突っ立っ、て……」
ジャングルポケットは少年がその手に持つ物を捉えた。
瞬間、彼女の脳内を電流のように駆け巡る思考。
男子、同年代、封筒――――“会いに行きます”。
それら全てが繋がって隣を振り向いたときには、声を掛けるはずの人物は既に鞄を放って駆け出していた。
不味い――――ウマ娘の速度で激突されれば大怪我は確実――――そう思って一歩踏み出した直後には、少年とダンツフレームの距離は1mも無くなっていて。
急ブレーキをかけるように少女は1度踏み込み、少年へと飛びついた。僅かに少年は仰け反るが、直前の急制動が上手く働いたのかギリギリで倒れることなく抱き留めている。
「ふ、ぁ、あはは、あの日のまんまだぁ……!」
「そっちは随分背が伸びた。危うく追い越されるところだ」
抱き付き、そのまま肩口に顔を埋めて擦り付けるダンツフレーム。少年はされるがままにそれを受け止め、あやすように彼女の背を優しく叩く。
黄色い悲鳴もなんのその。互いの顔も声もまるで変わっているけれど、二人はすぐに互いが誰なのかを理解できていた。
「久しぶり。見ない間に立派になった」
「うん」
「元気だったか?」
「うん……」
「友達、出来たんだな」
「うん……! 沢山、沢山出来たよ……!」
手紙で知っていた、などと少年は言わない。彼女の口から、ちゃんと聞きたかったから。離れた場所で放り捨てられた鞄を拾い上げ、仕方がないとばかりに溜め息を吐いているジャングルポケットへと少年は会釈する。
「レース……全部、見てた。頑張ってたな」
「わたし、頑張れたよ。トレーナーさんが支えてくれて、友達と本気で競って……主役には、全然、なれなくて……」
「そうだな。中継に映る君は、いつも悔しそうだった」
「でもね、でも、頑張れたんだ。友達はみんなすごくて、頑張ってて、負けたくないって思えて……それに、わたしのこと、応援してくれてる人がいたから……!」
「……怪我してた時、しんどかっただろ。変に慰めたら駄目だと思って……手紙、送れなかった」
「寂しかったよ。周りに優しい人はいっぱいいたけど、君の手紙だけ来ないから」
「俺は競争って嫌いだったから。競争の世界に身を置く君の事は理解できてないと思ってた。だから、俺のことは全部封じて、君の言葉だけを聞き続けた」
慈しむように頬を寄せ、少年はダンツフレームの髪を撫でる。
少年は迷った。競争の世界が嫌いな自分が慰めの言葉を送ったところで傷つけるだけなのではないかと。だから、全ての言葉を飲み下した。聞き手に徹し続けた。たった一歩、ほんの一歩を歩き出せる程度の力になればいいと、ただひたすらにそれだけを願って、彼女の声なき想いに応え続けた。
少年は戸惑った。只の市井の人間として、彼女の傍に立っていいのかと。
故に尽力し続けた。彼なりの努力を続けて、彼女に胸を張って会えるようになってから顔を合わせようと。
「そうしていたら、こんなに時間が経ってしまった。ごめん」
「いいよ、いいの。だって今、すごく嬉しい……!」
――――ずっと、会いたかった。
その言葉が、冬空に響いた。