踊る炎、火花散りて。   作:何もかんもダルい

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ああでもないこうでもないと頭捻ってたら単発でブエナお迎えしてしまったので初投稿です。

クリスマスまでに書き上げないと時季外れになってしまうので戦々恐々でしてよ!! 頑張りますわ!!!


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 俺を育てた叔母は、俺の両親の話を滅多にしなかった。

 思い返して、俺に形見としての負い目を抱えて欲しくなかったのかもしれない。母を犠牲にして生まれてきたとか、父から託されたとか。そういうものを背負わせたくなくて、わざと俺から両親という存在を薄れさせたのだろう。

 

 叔母は朝早くに仕事へ行っては幼稚園へ必ず迎えに来て、俺が寝るまでずっとそばに居た。それだけで、彼女が優しい人なのだということは幼心にもすぐに分かった。

 

「……」

「……ふふ、お前はどうにも無口だなぁ……」

 

 ……けれど、俺はそれを叔母に向けて表現できなかった。

 おそらくだが、脳の構造に異常があったんだろう。鮮明だった自我とは反対に、言語というものがまるで理解できず、文字は記号、声は音でしかない。意味というものを拾えない。『愛情』を感じても、それが『愛情』という概念であるということが理解できなかった。

 

 転機が訪れたのは、叔母の部屋へ忍び込んだ時。

 理由など特になく、子供の好奇心ありきの行動。

 

 だが、そこに山積みにされていた書物が活路を開いた。

 叔母の仕事はフリーランスのエンジニアで、そして積まれていたのは機械言語(プログラム)の参考書。

 

「瑞葉? 私の部屋で、何、を……」

「……」

「瑞葉、それは」

 

 文字は分からない。全てが記号塗れの最低の暗号解読。

 でも、それがパターンとして連なり続けていたのなら話は別だった。文字そのものの意味が分からずとも、記号の連なりとして覚えて使えばいい。

 

 模倣し、必死になって書き上げたソースコード。

 言語そのものがわからないから、言葉で表現する方法が使えない。

 

 だから、俺は書き上げたそれを携えて叔母に抱き付いた。

 

 

――――“a(あさひなみずは)”は、“(だいすき)”を実行する。

 

 

 紙に記されたそれは虫食いで、実行することが出来ない。

 だから、代替として実行したのが抱き付くこと。『愛情』を最も感じることが出来たのが、叔母からそうしてもらっていたときだったから。

 

 目を丸くして、そして紙に書かれたコードを見て。

 叔母は、ボールペンで書き足した。

 

――――“a(あさひなみずは)”は、“朝比奈瑞葉”である。

――――“(だいすき)”は、“好き”である。

 

 さしもの叔母とて、完璧に意味を受け取ることは不可能だったのだろう。ニュアンスこそ間違えていたが、そんなことは当時の俺にはどうでも良かった。

 記号と意味が繋がった。その事実こそが最も大事だった。

 

 脳に電流が走ったような感覚を逃すまいと、くしゃくしゃになった紙を裏返して、もう一度書き記す。

 

――――“朝比奈瑞葉”は、“好き”を実行する。音を用いて。

 

「……す、き」

「…………ぅ、い」

「はは…………っはは、へたくそだなぁ……!」

 

 涙をこぼしながら、叔母は俺を抱き締めた。

 叔母との間に、ようやく通じる言葉が生まれた。

 

 

 俺は、俺を定義するためのOSを一から作り上げ始めた。

 叔母は、そんな俺に根気強く付き合った。

 

「……それじゃ駄目だな。ここはこっちの方が良い」

「……?」

「これだと煩雑になってしまう。お前だって無茶苦茶のあみだくじをいちいち辿るのは面倒だろう?」

「……!」

 

 鍵括弧の意味どころかアルファベットすら理解の怪しい未就学児が一心不乱に紙にコードを書き殴る姿は、さしもの叔母をしても不気味だったに違いない。だが、そんなものを意に介さないとばかりに叔母は付き合い続けた。

 続ければ続けるほどに、俺のコミュニケーション能力は向上していく。コードを介してだけ、俺は叔母と円滑に意思疎通が出来た。

 

 それが嬉しくて、叔母の言葉を理解しようとして、言語への理解力は更に更にと跳ね上がっていく。使い続けたプログラミング言語はまるで母国語のように馴染んでいって、叔母の仕事に横から口を出せるようになるまで半年も掛からなかった。

 

 見えているのに、聞こえているのに、何一つ分からなかった極彩色の景色に、一つ一つ境界線を引いていく作業。ようやく俺は叔母と同じ人間になれたのだと思えて。

 

 

 

 ――――だから、それまで避けることが出来ていた人間社会に直面したとき、抱いたのはただひたすらの苦痛だった。

 

 勝っても負けても愚痴をぶつけられ、不満をぶちまけられて、競争が嫌いになった。

 遊んでいても、理解力に差がありすぎて孤立した。

 何を話しても話題が合わず、ついていけなくなった。

 

「……っ、なんだよ、あいつ」

「いこうぜ」

「……あの子、怖い」

「近づかないでおこう」

 

「…………なんで?」

 

 脳を走った疑問は、周囲と自分の差異。

 どうして俺と周りはこんなにも違って、俺は周りから怖がられるのだろうか?

 

 話が合わない。同じ言葉を使っているのに、同じ場所に居るのに、何故か通じない。

 周囲の頭が悪いからなのだろうか。紙細工の南京錠を至上と称えるような世界にいるからそうなるのだろうか……多分、違う。

 では、俺の頭が悪いからなのだろうか。俺が致命的に莫迦だから、周りとの話の仕方が分からないのだろうか? ……それも多分違う。それでは俺と話が通じる叔母まで莫迦ということになってしまう。それは矛盾だ。

 

 この疑問を解決するために思案して、浮かんだ答えはたった一つだけだった。

 

「……ライラ。おれ、にんげんじゃ、ない?」

「――――違う! お前は、お前は……!」

 

 純粋な疑問が、俺自身よりも先に叔母を傷つけた。

 たかが一度、されど一度。そのたった一度だけで、俺は自分が嫌いになった。

 

 大好きな叔母を傷つけ、苦しめ、悲しませることしかできない。

 形ばかり似通って、実態は人間とはまるで程遠い生物。なまじ形ばかり似ているから、近づく人をまとめて傷つけるバケモノ。

 

 自分が化け物だと思うと、少しだけ生きるのは楽になった。周囲から遠ざけられても、居ないものとして扱われても、“俺が化け物だ(おかしい)から”と思えば全て解決する。

 

 ……だから、叔母の仕事の都合で頻繁に引っ越していたことは、その時は有難かった。

 ほんのわずかな時間で人間関係はあっさりリセットされて、その間自分が化け物だということを知られなければいいし、高い高い壁を作って誰も踏み越えられないようにすれば良かったから。

 

 誰にも認識されない、どこにいるかも分からない。そんな脇役(・・)になってしまいたかった。

 傷つけるのも、傷つけられるのも、もう嫌になったから。

 

 

 

 故に、もっともらしいことを言うのであれば、俺は文通という文化を気に入っていた。

 

 

 言葉を綴るのに時間を掛けても咎められず、電子の世界のように紙屑の南京錠(・・・・・・)を安全だと宣うような領域はなく。ただ紙に書かれたインクの跡だけで意味が相手へ伝わる。俺という怪物が伸ばす手が届く範疇に、改竄されるようなものがない徹底されたアナログな行い。

 それがとても心地良かった。自分がただの人間だと錯覚出来ることの1つだった。

 

――――LANEでお話しませんか?

――――アドレスは………

 

 けれど、同時に恐怖した。

 自分と他人が違うという当然の理屈に、これ以上ないほどの絶望を抱いた。

 

 はっきり言ってしまえば、ダンツからアカウント名やメールアドレスを教えられた時点で、俺は彼女の個人情報全てを握れる段階に居た。そのくらい、俺にとって電子の世界は簡単すぎたから。

 

 ただひたすらに怖かった。段ボールで出来た金庫に金塊とアルバムを放り込んで、それが大事だからと背に担いで深海へ潜水するような暴挙を目の当たりにした気分だった。

 

 消えてしまおうかとも思った。彼女にはもう、俺が居なくても大丈夫なくらいに友達も頼れる大人も居るから。

 俺のようなモノの見方がおかしい怪物がこの世にいるなんて、知らなくていいと。

 誰かや何かを傷つけるために生まれたような生き物なのに、傷つけるかもしれないと怯えるなんて本末転倒だから。

 誰かや何かを傷つけたところで何一つ感じないくらい、孤独を孤独と思わないほどに独りになれば、その時こそ俺は自由になれるから。 

 

 

 ――――うん! 書く! ぜったい書く!

 ――――だから君も、お返事書いてね!

 

 

「叔母さん」

「どうした、瑞葉」

 

 だというのに、届く紙束が重なるほどに、俺を人へと縛り付ける首輪は強くなっていって。

 傷つける力で誰かを守れたのなら、どれほど幸せだろうか、なんて。そんな夢を抱いた。

 

 

「ホワイトハッカーって、俺でもなれる?」

「……お前ならできるさ。実績を積めば、な」

 

 

 桜色の便箋に綴られた、丸っこい記号が連ねたコードが、怪物を引き留めていた。

 

 

 

 

 

 

 コートを羽織って屋外へ。

 まばらに散って動くのは赤と白。

 日が傾き始めて、冬の寒さが牙を剥き始める時間。

 

 ダンツ達と話をしてから暫し。

 作業がひと段落し、学園側からの依頼も目途がついたことで、独り学園を散策している。

 

「薄着なのに、元気だ」

 

 地を踏みしめる音が何重にも響き、気合を入れる絶叫が重なる。

 初めて見た学園の屋外練習場はとても賑わっていた。

 

 曰く、ウマ娘は常人よりも体温が高いという。人間では厚着にコートが無いと凍えそうになる寒さでもジャージ一枚で平気そうなのは、単純な運動量の話だけではないのだろう。

 走っては自身のトレーナーと何かしらを話し、あるいは同じチームや友人たちと成果を確認し合う。誰もが笑顔というわけではないが、賭ける熱量は同じで、それゆえに対峙する者同士であると同時に仲間意識が強くなる。

 

 競争は苦手だ。勝ち負けを決めるという行為には嫌な記憶しかない。

 けれど、いいや、あるいはその反動なのだろうか。研鑽を積む姿というものは否応なしに興味を惹かれるものがあった。端的に、頑張る人の姿というものが好きだった。

 

「こんにちは。隣、いいかしら」

「どうぞ」

 

 ふと、すぐ近くで足音が止まる。

 視線だけを向ければ、ニュースで見た顔がそこに居た。

 名前は……何だったか。だが、今年のクラシックを走っていた気がする。

 

「……あぁ、思い出した」

 

 とある国から留学してきた重鎮の子。

 あんまりに地位が高いものだから、トレセン学園(ここ)に在籍している以上は彼女の護衛や家族を納得させる必要もあって。

 要求される水準も高くて試験も数段飛ばしの難易度だった覚えがある。こっちを全力で潰すつもりで仕掛けてきたものだから思わず本気を出して、叔母に張り手で物理的に止められた。あのまま放っておかれたら、俺はきっとセキュリティを機材もろとも破壊していただろう。

 

「君の護衛には謝っておいてくれ。馬鹿な真似して悪かった」

「気にしてないって言ってたから大丈夫。逆にあれから少し活気づいてるんだ。“若いのには負けてられない”、だって」

「……そうか、良かった」

 

 傷つけていないか。俺が知らぬ間に、俺の行いが誰かの道を踏み砕いていないか。そればかりが気に掛かって仕方がない。

 独りは寂しいから。少しでも孤独にならない方法を探し続けている。

 

 俺と視線の先を合わせるように、彼女も手すりに体重を預けて眼下の芝生を見る。

 

「聞いたよ、キミのこと。とってもロマンチックでドキドキしちゃった」

「そうか」

「……照れてる?」

「どうなんだろうな。自分でもよく分からない。……でも、彼女を守りたくて頑張ったのは事実だ」

「ふふ、格好いい騎士さまに守ってもらえるなんて幸せだね、その子」

「どうだか。騎士様なんて立派なものじゃなくて、精々がヒトの真似ばかり上手いバケモノだろう」

 

 人間のふりをしたくて、同時に人間でないことを悟られたくなくて、自分を救ってくれた少女と文通でだけ言葉を交わし合っていた怪物。言葉にしてみればこれほどしっくりくる配役もない。

 どれだけ振りが上手くなろうと、どれほど引き留められようと、根底に居るのは化け物なのだ。それだけは、誰にどう言われようと忘れてはいけない。

 

 けれど、返ってきた言葉は毅然としていた。

 

「ううん。君は格好いいよ。誰かを守りたいって思って、そうなれるように頑張った人を化け物だなんて、私は言えない」

「不可能を息をするように覆す者は須らく怪物だ。叔母さんに言ったら泣きそうな顔で抱き締めてきそうだから、面と向かっては言えないけど……俺はいつもそう思ってる。だから、俺は化け物だ。化け物でいい」

「それでも、私は君のことを騎士様って言うよ」

「……頑なすぎやしないか?」

 

 誰かを傷つけることしかできない怪物だって、誰かを好きになっていい。守ろうと思ったっていい。でも、自分が怪物ということを忘れてはいけない。自分と周りが違うのだという事は、忘れてしまえば不幸になる。

 だから騎士なんて夢物語に浸る訳にはいかなくて、強く拒みそうになる。だというのに、三つ葉の髪飾りの少女はそれを遮って真っ直ぐに見つめてくる。

 

「たとえ生まれついて“そう”だったとしても。持って生まれたものを真っ直ぐ見つめて、知らぬ間に背負わされた責務を背負う覚悟を決めた君のことを、私は謗りません。君がどう言おうと、これは曲げられない」

「……そっか。なら、しょうがないな」

「うん、君が素敵な人だってこと、君自身が知らないのはとても勿体ないもの」

 

 素敵な人と言われて、また咄嗟に否定が出そうになって、止める。

 

 そんな風に見られるんだな、と納得したくなったから。

 俺の怪物性を、あらゆる守りを一瞬で叩き潰して作り直す電子の世界の化け物を、この学園の誰よりも間近で見届けた少女に言われてしまっては、否定する方が無粋なのだろうから。

 

「俺はバケモノだよ。それは事実だ。変わらない」

「……」

「…………でも、バケモノが騎士になっちゃいけないなんて、誰も決めてないもんな」

「ふふ、分かってくれた?」

「そうでもないといつまでも言い続ける気だろ? 顔に書いてある」

 

 守りたくて、傷つけたくなくて、けれど本質は壊して傷つけることに特化している。そんなザマを晒していても、抱いた夢を素敵と表現して貰えたことが、嬉しかった。

 

「変な話だけど、君が見初めたトレーナーも素敵な人なんだろうな」

「分かっちゃう?」

「分かるさ」

 

 彼女の正体を知っている以上、彼女のトレーナーがどれほどの重圧を背負って立っているのか、俺には想像も出来ない。

 けれど、生まれた時から何かを背負った子供を支えようとしている大人というものがどんな顔をしているのか、それだけはよく分かるから。それは、俺が素敵な人だと思える顔だから。

 

 だって、ほら。

 

「そこに居るの、当の本人だろ」

「……え?」

 

 俺たちの居る観覧席から少し離れた場所を指さす。灰色のスーツの上にコートを羽織った若い男性。

 疲れたような表情をしているが、瞳にははっきりと生気を湛えていて。それが叔母とよく似ていた。

 

 男性、もとい彼女のトレーナーは軽く手を振って笑っていて、それに会釈を返す。

 あちゃあ、なんて言葉を漏らした少女を尻目に踵を返す。

 

「それじゃ、俺はこれで。間違っても自分は周りと違うとか、口に出すなよ。皆悲しむから」

「はぁい、気を付けます」

 

 少しだけつまらなそうに、そして安心したような声でそう言う少女。

 もう一度会うかどうかわからない、なんて考えて、彼女がこの学園に居る限りは何度でも顔を合わせるんだろうな、と思い直す。

 

 

 少女と男性が見えなくなったところで、口を開いた。

 

「貴女達や彼女の家族は、俺のことを化け物だとは思わないんですか?」

「たとえ本質が真に怪物であろうと、守りたいという想いと覚悟が本物である限り我々は貴方を蔑ろにはしません。それに、もう示されてしまいましたから」

「……ありがとう」

 

 柱の影に居た黒服の女性は、サングラスを外して笑っていた。

 

 

 

 

 思い立った順に巡ろうとひた歩いて、次に辿り着いたのは教室棟。学校は中卒かつ引っ越し続き、それ以降は高卒資格と並行してひたすら実績(・・)を積み上げることに専念していたから、普通の学生生活というものは俺にとって想像しにくいものとなっていた。

 

 沢山の机があって、大きな黒板と教壇のある、ごく普通な教室。

 その一角から、声が聞こえる。

 

「あ゛ー! もうマジ無理、分かんないってぇ!!」

 

 目を向ければ、いわゆるギャルっぽい生徒達が集まって勉強をしていた。聞こえてくる内容からして、やっているのは数学らしい。

 計算は得意だが、教えるのは苦手だ。それに、変に関わりに行ったところで不審がられるだけだろうと、そう思って歩を進めようとする。

 

「ほらほら、自分だけで頑張りたいって言ったのジョーダンじゃん。もうちょいもうちょい!」

「ゔぅ~……覚えること多すぎて頭ぶっ壊れるぅ……」

「そう言わないでさ。トレーナーにいいとこ見せたいんでしょ?」

「……頑張って、いい点取れたらさ。クリスマス………遊び行こって言った」

 

 その言葉で、動きかけた足が止まった。

 どうしてこんなにも頭が悪いのかと周囲に辟易した過去が浮かび上がる。

 誰も彼もが、すぐに分からない分からないと投げ出していた姿を思い出す。

 

「……アタシだって、トレーナーにいいとこ見せたいし。いつまでも頼りっぱじゃないとダメとか、ダサすぎだし。だから、アタシ一人でも………うぅ」

 

 彼女は、頑張って、何をしたいのだろう。

 分からないことを投げ出さずどうにかやってみようと思えるまで、何があったのだろう。

 

――――瑞葉。お前に必要なのは実績だ。

――――思うことがあるなら動け。その結果がどうであれ、責任が生じたのなら私が背負うさ。

 

 叔母の言葉が頭を過って。

 気が付けば、その生徒たちの横に立っていた。

 

「……えっ誰?」

「今日の集会で紹介あったよ……って、そういえばシチーは居なかったんだっけ? 今日から新しく入ったセキュリティの人」

「ちょっと見せて」

「あ、ちょっと!」

 

 説いていた問題集を斜め読みして、必要な情報を抽出。

 使う方程式、公式、あるいは解き方を脳内に浮かべて要約。

 

「ペンと……適当に使っていい紙、ある?」

「……これでいい?」

 

 借りたボールペンでルーズリーフに数式を書き殴る。

 abxyなどの文字をなるべく省き、〇□△と計算記号で代用し、そしてどれが何の公式なのかをそれなりに纏めて。

 

 あくまでも簡素に、今やっている部分であればどこにでも当てはめられるものを。

 

「これが基型。ここの単元は全体的に問題の書き方や公式の使い方がややこしいけど、最上位の難問以外はこれ一つの変形でしかない。覚えるべきはこれだけでいい」

「え、っと……?」

「問題の暗記なんてしてたら頭がパンクするだろ。本番で少し違うものが出てきただけでパニックになるのがオチ。公式だけ紙に纏めて、どこの記号にどの数字が当てはまるのかを考えたほうがずっと楽だ」

 

 解き方を見ていると、彼女はどうにも問題に対する答えそのものを丸暗記しようと躍起になっているようだった。それじゃあどれだけやったって手間だけ掛かって身に入らないし、何より後が続かない。

 

「覚えるの、辛いんだろ。覚えなくちゃいけないっていう点は変わらなくても、共通点を絞って覚える方が後にも活かしやすい」

 

 うまく伝えられたかは怪しい。彼女の欲する答えを出せたかもわからない。

 けれど、それでも。胸の裡から膨らむ“放っておけない”を取り逃したくなかった。的外れでも迷惑でも、動かないまま無視したくなかった。

 

「……いきなり口出してごめん。勉強、がんばって」

 

 なんだか恥ずかしくなって、そのままそそくさと教室を後にする。

 背後から聞こえた“解けた”という声が、いやに頭に残っていた。

 

 

 

 ぼんやりと歩いて、訪れたのは体育館。

 今日は誰も使う人が居ないのか、靴音だけがだだっ広いフローリングを満たしていた。

 

 体育は……得意と言えば得意だったし、苦手と言えば苦手だった。

 身体を動かすのは得意だが、体力が続かないのだ。だから延々と走らされたり泳がされたりというのは極めて嫌いだった。苦しいだけで何かが変わった気がまるでしなかったから。

 

 ふと思い立って、用具倉庫からバスケットボールを一つ拝借する。

 叔母とやった1対1は疲れはしたけど楽しかったと思い出す。叔母の足があまり良くなかった関係もあって、さほど真剣にやっていたわけではないけれど、ボールを追っている間だけは、覚束ない自分の体がなんだかおかしくて、自分が怪物なのだということを忘れられた。

 

「こう、やって……」

 

 だむ、だむと音を立てるオレンジ色。手に馴染む反発と重さを感じて、そのまま足の間を8の字にくぐらせ、跳ねる球体を捉える感覚を掴み直す。

 最後にやったのが小学校の時分だったから、新鮮さと懐かしさが入り混じって不思議な気分になる。

 

「それで、こう!」

 

 左手を照準器に、右手を射出ボルトに。

 添えて、押し出す。

 

 感覚は鈍っていなかったらしく、ゴールへ向けてすんなりとボールは落下した。

 

「お上手ですのね」

「体が覚えてただけだ」

 

 背後から掛けられた声に振り返る。自信家と一目で分かるその笑みは負けず嫌いも含んでいるようで、紅玉みたいな瞳がギラギラと燃えている。

 バウンドして戻ってきたボールを少女が拾い上げると、そのまま指の上で回し始める。そして床に向けて投げ下ろすと、どむん、と自分がやった時の数段強い音が響く。

 

「一勝負、していきませんこと?」

「いいけど、正直言って上手くないぞ。期待には応えられないと思う」

「構いませんわ。もとより期待と興味は別ですので」

 

 溜め息を一つ。ウマ娘、その中でもレースに執心する手合いは競争心が強いとは叔母から聞いていたが、これほど容易く火が点くのだと思うと少し身の振り方を考えた方がいいかもしれないと思った。

 

「……1点先取、接触はなし、開始はボールを投げ上げてバウンドしたら。叔母とやった時のルールだけど、それでいい?」

「ええ、ではそれで」

 

 コートとジャケットを脱いで、可能な限り身軽になる。

 投げ渡されたボールを数度ドリブルし、真上へ放擲。

 

 一瞬、視線が交錯して……どん、と球が地を叩く音。

 

「……っ、な」

「――――」

 

 ウマ娘の方が人より強く、速い。そして眼前の彼女はその中でもとびきり“強い”。それがわかっているのだから真正面からなんてやり合わない。

 真横に大きくステップしながら掌だけでボールを掻っ攫う。少女は此方が真っ直ぐ来ると踏んでいたのか思い切り直進してしまい、慣性のコントロールが間に合わず僅かにもたつく。

 

 その隙を突いて大股で疾走。彼女たちの主戦場を考えれば、この程度は詰めるのに長く見積もって数秒。だからチャンスは一度きり。

 

 射程ギリギリに捉えたゴールへ向けて、さっきの一投で掴み直した感覚通りに投射。万一の妨害を避けるためにかなり山なりに放ったそれは、枠に引っ掛かって暴れこそしたが問題なく吸い込まれていった。

 

「俺の勝ちだな」

「……もう一度、よろしくて?」

「一勝負、って言っただろ。種明かしされた以上もう勝負にならないぞ」

「比喩表現ですわ。それに、世に絶対に勝てないということは無くてよ」

「ダメ」

「そう言わず」

「……あと1戦だけなら」

 

 再び始まる1vs1。彼女は今度は此方を見ることなくボールを凝視していたが、それが仇になる。

 バウンドした瞬間に低姿勢かつ両手で掴み取り、そのまま奪われないようターン。接触禁止だから相手は無茶な取り方は出来ず、回り込んでボールを叩き落しにかかる。

 

「承知の、上っ!」

 

 叩き落される瞬間、ボールを下に投げ下ろして足を潜らせ、自身の真後ろへ。

 そのまま後ろ手でキャッチし、砲丸投げのようにシュート。

 

「っし!」

「……ッ」

 

 何の考えも無い運任せだったが、今は俺の方がツイていたらしい。バックボードに衝突したボールはそのまま底抜けの網の中へ吸い込まれた。

 思わずガッツポーズをすると、不機嫌そうに彼女は耳を絞った。

 

「勝負にならないとは私では勝てないということでしたのね」

「いや、今のはまぐれだから……次はもう無理」

 

 もう一度、と詰め寄ってくるのをどうにか躱してボールを片付ける。それでどうにか諦めがついたのか、不満を隠そうともしないながらも離れてくれた。

 

「ウマ娘は人間よりフィジカルで有利だ。その時点で正面からやり合うなんて選択肢はなくなる。となれば、後に残るのは不意打ちでの初見殺しくらいだ」

「その“くらい”を二度も食らわされた訳なのだけれど」

「二度目はまぐれだって言っただろ……プロにでもなればフィジカルの差もどうにか出来るのかもしれないけど、俺じゃ無理。だから勝負するならいわゆる塩仕合しかなくなる」

「その塩仕合を二度も喰らうと苛立ちが勝りますわね」

「負けると結構根に持つタイプだな君?」

「まさか」

 

 ……やっぱり勝負事は苦手だ。勝ち負けに拘ると途端に疲れる。

 

 

 

 打って変わって、足を運んだのは図書室。

 本の多い場所特有の匂いがあって、併設されたスペースでは幾らかのウマ娘が勉強や読書に勤しんでいる。

 

 本は好きだが、あまり多くは読めなかった。俺の頭は文字を文字として認識する機能が鈍いらしく、文庫本1冊読み切るのに1か月以上かかるのがザラだったから。

 

「……あ、これ」

 

 手に取った本は、とあるSF小説。

 実験により人間を超えるほどの頭脳を手に入れた一匹の狼が、人の輪にも獣の輪にも馴染めない自身の在り方に葛藤しながら歩んでいくというもの。

 

 立ち読みしていると、横から声が掛けられた。

 

「こんにちは、えぇと、確か……」

「朝比奈瑞葉。集会で紹介あった通り、今日から学園(ここ)のスタッフになる。……それで、本ってどう借りれば良いんだろうか」

「あ、では此方に。手続きしますね」

「よろしく頼む」

 

 黒縁の眼鏡を掛け、三つ編みにした髪を前に垂らした小柄なウマ娘。彼女に先導され、カウンターへと移動する。彼女自身もいくつか蔵書のバーコードが貼られた本を抱えており、此処での役割と同時に自分の趣味に時間を使っているようだった。

 ふと、カウンターに置かれていたハードカバーの題名が目に入る。

 

「……ロブ、ロイ………英雄譚だったっけ」

「ご存知なのですか!?」

「あぁ、いや……赤毛のロブロイ、知ってるのはその名前だけだ。そっち方面のジャンルは、あまり読まなくて」

「あ、そ、そうでしたか……ごめんなさい」

 

 少女は羞恥からか頬を染めたまま、慣れた手つきで貸出処理をしていく。

 その最中、俺が借りようとした狼の本、その表紙を眺めながら、大きな耳を少しだけ畳んで呟くように話し始めた。

 

「これ、読んだことがあるんです。主人公の狼の孤独が、重苦しく伝わってくるような文体で……ちょっとだけ、読んでて辛かったな、って思って」

「俺も昔読んだ。狼の寂しさが文字に滲んでるみたいだった」

「……その、不躾なのですが……もう一度この物語を読もうと思ったのは、何故なのでしょうか」

 

 何故、と問われると反応に困ってしまう。

 彼女にとっては辛い物語でも、俺にとってはまた違う感想を抱く物語だったから。けれど、何となく伝えるべき答えはそうじゃない気がして、少しだけ考え込む。

 

「……狼を気に掛ける人々が優しかったから、かもしれない」

「――――ぁ」

「狼が出会った人々が全員善人というわけではないし、善人だった人たちも空回りして、最終的に狼にとって害にしかならないこともあったけれど。それでも、狼に独りで居なくてもいいと懸命に伝えようとしてる姿が、なんだか好きだったんだ」

 

 ――――最終的に、狼は人の善性の空回りで追い詰められ、焦がれた宇宙の果てへ自ら飛び発ち、無重力と真空の中で苦しみながら没することになる。

 全てを押し並べて仕舞えば悲劇なのだろうが、この物語を俺は悲劇で片付けたくなかった。

 

「狼は、最期には人のせいで死んでしまったけれど……その最中で、ちゃんと伝えようとしたんだ。“貴方達を恨まない”って。それは狼が人の善性を理解できていて、人々の想いを汲もうとしたからで……空回りにこそなってしまったけど、すれ違うことは無かったんだなと思えたから」

 

 狼は人の言葉を話せず、人は狼の意志を汲み取れない。それでも彼らは最期まですれ違うことなく、互いを尊重し合うことが出来ていて。それがどうしようもなく美しく思えた。

 結果としては悲劇であったのかもしれないけれど、その過程まで陰鬱だと思われたくなくて、頭の中から想いを手繰り寄せていく。

 

「多分、この作者の人は結構なリアリストで、同時にそこそこのロマンチストだったんじゃないかと思う。現実はどうしようもなく儘ならなくて、人の想いだけで変えることはできない。けれど、その分想いが通じ合えば……辿る結果へ抱く感情を、少しだけ良いものにできる。そんな風に感じたんだ」

「結果は変えられなくても、結末は変えられる……って、ことですか」

「あるいは、人間に変えることが出来るのは同じ人間だけ、ってことかもな」

 

 苦笑しながら、少しだけ皮肉を込めて言葉を返す。

 もしも狼に関わった人々のやり方が全部うまく行っていたのなら、俺がこの物語にこうまで心惹かれることは無かったのだろうと思う。

 狼は人と違う。だから、人は狼を助けられなかった。

 人と狼は違う。だから、狼は人を理解できなかった。

 けれど、お互いがお互いを想う心だけは、通じ合えていた。

 

 ……少しだけ、自分に重ねてもいたのかもしれない。俺が電子の怪物であるという事実は変わらなくて、誰との出会いにも関係なくハッカーにはなっていたのかもしれない。けれど、“どうしてハッカーになったのか”は確実に変わっているだろうから。

 もしも狼が悪人としか出会えなかったら、狼は世界を呪いながら死んでいっただろう。けれど、実際は愛を抱えて、恨みなど無く、感謝だけを零しながら散っていった。

 

「……憧れたのかもな。狼の旅路に」

「……」

「すまない。何言ってるか分からないな。忘れてくれ」

「……いいえ、その………」

 

 両手の指を合わせて、もごもごと口を動かして。何かを言うべきか否かを散々迷ってから、図書委員のウマ娘は意を決したように言葉を紡いだ。

 

「朝比奈さん、本当にこの物語が好きなんだなぁって、伝わってきました」

「そう、だろうか」

「はい。だって、そうでもないとそんなにも作品への想いを語るなんて出来ませんから」

 

 そう言われて、なんとなく自分が語ろうとした言葉が腑に落ちた気がした。どうにも俺は、他の人にもこの物語から感じたものに共感して欲しいと思ったらしい。

 

「……返却期限は2週間です。忘れたら罰則もありますから、気を付けてくださいね」

「ああ、ありがとう」

 

 笑顔で本を渡してくれた彼女に謝意を告げ、本の海を後にした。

 

 

 

 日が落ちて暗闇に包まれ始める頃。散策を終えて委員会室へ戻ってくると、扉の前にダンツが居た。

 制服に着替えてコートまで着込んでおり、あとは帰るだけという風貌。なにか急用でもあったかと思い話を聞けば、返ってきたのは“一緒に帰りたかった”という言葉。

 

「自主トレーニングとかは良いのか」

「またケガをされても困るから、ちゃんと治るまでは駄目って言われちゃった」

「そっか」

 

 少し待っててと言い、部屋の中を片付ける。散策に出る前にパソコンは電源を落としてあったから気にする必要はなく、空調を切ってから私物とパソコンをバッグに片付けていく。叔母は今日は委員会室には来ないと言っていたから問題は無いと判断し、照明も消す。

 

「お待たせ、行くか」

「うん」

 

 鍵をジャケットの内ポケットに仕舞い、歩を進める。

 隣に立った少女の尾は揺れっぱなしで、耳も弾むように動いている。ただ一緒に歩いているだけなのに、まるでこれから遊園地にでも行くかのような喜びよう。それがおかしくてついつい笑ってしまい、不思議そうな顔を向けられた。指摘すれば、寒さで赤くなっていた頬が別の要因で染まる。

 

「っきょ、今日は君はどうだったの!?」

「どう、って?」

「部屋に誰も居なかったから、どこ行ってたのかな、って」

 

 無理やりすぎる話題の路線変更にまた笑いそうになるのを堪えて、さっきまでのことを思い起こしていく。ほんの少しの散策ですら感じた、あまりにも多くの感情を。

 

 頭の中で錯綜して出てこない数多の言葉を、一つ一つ紡いでいく。

 

「俺は、素敵な人らしい」

「君は最初からそうだったよ」

 

 守りたいという想いを、素敵だと言って貰えたこと。

 

「誰かにアドバイスするのって、難しいんだな」

「傷つけないかとか、迷惑じゃないかとか……色々考えちゃうよね」

 

 無意味かもしれなくても、放っておけなくて手助けをしたこと。

 

「バスケットボール、久しぶりにやったら楽しかったんだ。自前のシューズとボール、買おうかな」

「今度一緒に用品店に行こっか?」

 

 小学生以来のバスケットボールが楽しかったこと。

 

「お気に入りだった本、見つけたんだ。読み返そうと思って借りたけど……改めて買うのも良いかもしれない」

「買ったら、私にも読ませて欲しいな。私も君に見て欲しい映画があるんだ」

 

 思い出に残る本と、もう一度巡り合ったこと。

 

学園(ここ)は、良い場所だな」

「うん。わたしの大好きな人達が、沢山居る場所」

 

 ほんの数時間程度の話とは思えないほど充実していて。此処で過ごす日々を、改めて楽しみだと思えた。

 

 中空を眺めていた視線をダンツの方へ向ける。じっとこっちを見ていた瞳は相も変わらずきらきらとしていて、あの日の思い出の姿のままで。

 けれど背丈は伸びて、声は少しだけ低くなって、あの日の寂しさを感じさせないくらいに色々なものを胸の裡に集めてきたんだとわかる顔をしていた。

 

「ダンツは? 今日、どんなことがあったんだ」

「んー……いつも通り、かなぁ。勉強して、トレーニングして……あ、ポッケちゃんと併走したりもしたよ。全力はダメって言われちゃったけど、程々について行けて嬉しかったな」

「そっか」

「それと、タキオンちゃんが珍しくコースに出てきててね。いつもは理科準備室に籠りっきりなんだけど、調べたい事があるとかでカフェちゃんにくっ付いて回ってた」

「迷惑そうな顔をしてるのが目に浮かぶ」

「そうそう、でも最終的にはOKしてくれたみたいで、二人とも真剣な顔で結果について話し合ってたよ」

「仲が悪い訳じゃないんだな、あの二人」

 

 他にもね、と前置いて語られる話は幾らでも耳を傾けられるくらい色彩に満ちていた。競争は今も嫌いだけど、この笑顔が競争の果てに生まれたのだとしたら……それは、寿ぐべきことだと思う。

 同時に浮かぶ黒い靄めいた感情。嫉妬、というよりも羨望と言うべきそれは、どこか濁った思惟を帯びていて、口に出すことが憚られた。

 

 けれど、それを見通したかのようにダンツは瞳に真剣さを宿して問うてくる。

 

「何かあるなら、遠慮しないで言って欲しいな」

「……けど」

「知りたいの、君の事。手紙でもほとんど自分の事話さなかったでしょ? だから、わたしは君が何を考えてるのかを知りたい」

 

 

――――君は、何を考えてたの?

 

 

「いつもわたしを励ましてくれた君の事、もっと知りたい。それがたとえ綺麗じゃなくても。そう思えるくらい、わたしは君に支えてもらってたんだから」

「……敵わないな」

 

 優しく微笑まれてそう言われては、何も反論できなくなる。

 俺が出来た事なんてほとんどない、と言おうと思ったのに。俺なんかが居なくてもきっとダンツは何だって出来たはずなのに。

 結果は変わらなくても、結末は変えられる。俺がダンツに変えてもらったように、ダンツのそれも俺の微かな応援で変わっていたのなら………

 

「……正直、引くと思う。委員会室で話した比じゃないから」

「それでもいいの。言葉で伝えてもらえるって、すごく嬉しい事なんだよ」

 

 彼女に嫌われたくない。

 けれど、彼女はきっと俺を嫌わないのだろう。そう自惚れたくなった。

 

「……俺は、競争は嫌いだ。勝っても負けても文句を言われて、頭がいいからとか何とか言われて……ウザかった」

 

 手助けのつもりで知恵を貸せば疎まれ。

 手を貸しても邪魔だろうと俯瞰すれば難癖を付けられる。

 

 負けを慰めれば逆上され。

 勝ちを褒めれば調子に乗るなと言われる。

 

 競争を好む癖に、競争で負けると今度は勝った側に対して不平不満をぶつけ始める。まるで訳が分からない。どうすればいいのか、正解というものがさっぱり見えてこない。

 

 完璧な回答のない、未成熟の感情が氾濫する世界。理由もなく優劣を競いたがり、その中でも自分が一番だと信じてやまない未熟な時期。意思疎通がそれなりに出来るようになった分、それがダイレクトに突き刺さって来るから、俺にとってはどうしようもなく苦しくて。

 

 競争というものそれ自体を嫌いになるのに、そう時間は掛からなかった。

 

「競えば競うほど俺は嫌われるのに、ダンツは競えば競うほど誰かから好かれていく。俺は本性をぶつけるほど遠ざけられるのに、ダンツは自分を見せるほど人を惹き付ける」

 

 

――――ダンツフレームです、よろしくおねがいします!

 

 思えば、最初から正反対だった。

 

 ある日、俺と同じようにどこかから引っ越してきたウマ娘の子。

 どうでもいいと思っていた。実体のないどこかの誰かでしかなかった。

 どうせ少しすれば居なくなる、十把一絡げのどこかの誰かだった。

 

 けれど、周囲に馴染むことが上手くて、打ち解けるのが早く、そして言葉は丸く丁寧で。

 

『ねぇ、どうしたの?』

『……ぁ、ううん、なんでもないよ!』

『……そっか』

 

 皮肉だと思った。

 壁で孤立することを望んだ俺と、壁を作らず馴染むことを望んだ彼女。辿る道は、結局周りから一歩遠ざかることだったから。

 

「引っ越しを機にダンツと別れてからも、俺は独りだった。何処に行っても……俺を知れば知るほど、周りは離れていくんだよ。“アイツは天才だから”とか、“何を考えてるか分からない”とか……お前の頭が悪いからだとか、バカに付き合うと俺までバカになるとか、そんな風に考えてた」

「……」

「寂しくて、ダンツの事が嫌いにもなりかけた。何でアイツばっかり幸せそうなんだって、俺ばっかり独りになるじゃないかって、逆恨みしそうにもなった」

「自分の事、ほとんど書かなかったのは……」

「少しでも自我を出すと、恨み言を吐きそうになったから……ダンツを守りたい、って思った後は別にそうでもなくなったんだけど。そう思うまではどうしようもなく寂しくて、覚悟を決めるまですごく時間が必要だった」

 

 今となっては飲み下せた感情だけど、当時はそうもいかなかった。

 どれだけの時間を掛けても、最後に残ってくれるのは叔母一人だけで、誰も彼もが俺と距離を取る。それがどうしようもないほど辛くなった時期があった。

 手紙を書くことを止めようと思ったのが丁度その時で。乗り越えるまでは、心を凍らせて文面をしたためていた。

 

「……なんで、わたしのこと守りたい、って思ってくれたのかな」

「レースで君を見たから」

 

 それだけは、何の迷いもなく口から出てきた。

 

「君はずっと真剣な顔で、負けてしまえば悔しそうで。それでも、君と走れたことを喜んでくれる人たちが、君が走ってくれることを喜んでくれる人たちが、そこにいたから。そして、君が勝った時にそれを喜んでくれた人たちが大勢いたから。誰に知られなくてもそれを全て守ることが出来たのなら、どれだけ良いだろうって憧れたんだ」

 

 委員会室で語ったことを、本音と共に改めてもう一度口に出す。

 初めて抱いた原風景、遅咲きの憧れを。

 

「……隣に立ちたいって思ったのは、本当は俺の頑張りを君に見て欲しかったから。嗤ってくれ、徹頭徹尾俺のエゴだったんだよ。醜い怪物の、悍ましい虚栄心でしかない」

「笑わないよ」

 

 怒るよ、なんて言った時と同じくらいに食い気味に断言された。

 あの時みたいに誤魔化すことは、もう出来なかった。吐こうとした言葉は白く淀んで夜空に消えていく。

 

 レースの前みたいな強い意志を込めた顔で、ダンツが俺を真っ直ぐ見てくる。

 瞳に灯る炎が輝いて、火花を此方へ飛ばしてくる。

 

「わたしだって、色んなことを思ったよ。どうしてわたしが主役になれないんだろうとか、本当に色々。怪我した時なんて、レースを諦めてフリースタイルに転向しようとか思った事もあった。色んな人に支えられて、わたしは此処まで来れた……一人じゃ、たぶんむりだった」

「違う、君なら――――」

「違わない。わたしだって嫉妬したり、羨ましいって思う事、沢山あったから。レースを見てるだけでいいなぁとか、怪我で苦しんだり悩んだりしたことないんだろうなって、君に八つ当たりしたくなったことだってちゃんとあったよ。でも、それ以上に君の手紙が来ることは嬉しくて、いつも楽しみだったから。君と文通を続けたかったから、隠してた」

 

 愕然とした。

 ダンツにとって、レースも努力も楽しいというのが大前提だと思っていたから。

 手紙に不安や葛藤を綴ることは有っても、そんな風に思っている素振りなんて一つも無かったから。

 

 だから、その一言だけで混乱して、思考が滅茶苦茶になっていく。それではまるで、俺は普通の人(ダンツ)と同じじゃないか。

 そんな訳がない。ダンツのように、あるいはダンツの友人たちのようには誰かに好かれないのがその証明だったはずだ。俺は怪物だ。怪物だから、何もかもうまく行かなくて、傷つけることばかり上手いんだ。

 傷つけない為に努力しなくちゃいけなくて、傷つけるために生まれてきたから世界が脆く見えて、女の子一人と会うために何年も時間を掛けないといけない。

 

 そのはずなのに。

 

 

 

 

「でも、誰とも出会えてなかったら、君に不安をぶつけることも出来ずに仕舞い込んでた。主役になれないまま、君と文通するのも怖くなってやめてたかもしれない。だから、変わらないんだよ、君も、わたしも」

 

 トレーナーさんと出会えてなかったら、こんな風に気持ちをぶつけられなかった。

 ポッケちゃん達と出会えてなかったら、あんなにもレースで主役になりたいと頑張り続けられなかった。

 彼が文通で私の裏側の言葉を少しでも聞いてくれていなかったら、どこかで心が折れていた。

 

 だから、そういう醜い感情を抱えることは、絶対可笑しなことじゃない。

 いつもだったら隠していたかもしれないけれど、今だけははっきりと伝えなきゃと思って、ぜんぶ曝け出す。

 

 ……けれど、彼はそれに狼狽えていて。

 

「……違う、違う。ダンツはきっと一人でも大丈夫だった。でも俺は、俺は、怪物で、バケモノで、だから、独りのままで」

「もう独りじゃない。ううん、最初から君は独りじゃない」

 

 後ずさる手を、しっかりと握る。

 冷たくて、氷柱みたいだった。

 

 冷えた手で誰かを凍えさせるのが怖い、そんな優しい子だった。

 

「でも、ばけもの、だから……大好きだった叔母さんも、傷つけて、誰も彼も、怖がらせて。そんな奴、いない方が良いって、ずっと、ずっと……」

「いない方がいいなんて、一度も思わなかった。八つ当たりしたら君を傷つけるから隠したんだよ? そのくらい大切だった」

 

 掴まれた手を無理矢理引き抜こうとして、彼は更に後ずさる。

 だから、大股で一歩、前へ。

 

 寒い場所で独りで立ち尽くそうとするのを、引き留めないと。

 

「私は、君に会えて嬉しかった。ずっと会いたかった。それは決して嘘なんかじゃない。だから、君は怪物なんかじゃない。“素敵な人”なんだよ、君は」

「――――ぁ」

 

 握っていた手を両手で包んで、そのまま頬に当てる。手指が冷たい人は心が温かいなんて言うんだから、彼だってきっと同じはず。

 怪物なんかじゃ、絶対にない。

 

「………………かなわない、なぁ……」

 

 泣きそうになるのをじっと堪えて、ようやく聞こえてきた声はか細くて、嗚咽に震えていて。

 大好きな人がそんな顔をしているのが苦しくて、抱き締めた。

 

「クリスマス、予定開いてる? パーティーに誘われてるの。……一緒に参加しようよ」

「……でも、来たばっかりの俺が行っても……」

「色んな人がごちゃまぜだって話だから、大丈夫。叔母さんと一緒に行こ?」

 

 ねぇ、君はわたしのお陰だなんて言ってくれたけれど。

 わたしの方が支えられてばっかりだったって、思ってたんだよ。

 

 これからも支えてほしくて。だから、こうやって会えてからもずっと文通を続けたいって思ったんだ。 

 

「君は怪物なんかじゃないんだよ? 皆きっと君の事を好きになってくれるから、大丈夫」

「………そう、かな」

「そうだよ。だから、そんなに壁を作ろうとしなくてもいいの」

 

 壁の向こうへ、君を連れていきたい。

 君が皆に注目されると思うと少し……いや、かなり妬けてくるけれど。

 それでも主役になって欲しいから。誰かに見てもらえることは、誰かに見て欲しいと思うことは可笑しなことじゃないって、君に伝えたいんだ。

 

 




朝比奈瑞葉のヒミツ
実は、とても寂しがり。
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