完結したのに書き足すのもどうなんだとだいぶ悩んだんですけどもやっぱり書きたい事あるので不定期かつ短く更新したりしなかったりしますわよ!
あんまり期待しないで楽しみにしてくれると嬉しいですわ!
母親というものに、憧れがあった。
私の――――私達の母と父が、とても立派な人だったから。
母は私達と同じウマ娘で、父と共に私達を望んだが故に、全てをかなぐり捨てた。
ありとあらゆる己の夢を断ってまで、私達を愛してくれた。
父の事も愛していたけれど、やはり同性という事もあって共感するのは母の方が多くて。
仕方ないな、なんて言って苦笑するその顔が寂しそうに見えたのが苦しくて、それを悔いるようにリビングで新聞を読む広い背中に肩を寄せる。そうしていると姉がファザコンだなんて揶揄ってきて、母が年甲斐もなく嫉妬して父にしがみつく。父はたじたじになって私から渋々身体を離して、それがなんだか面白くて私も笑う。
ずっと、こんな日が続くと思っていた。
父と母が、事故で逝くまで。
幸いだったのは、それが私が成人してからの出来事であったということだろう。
姉は病弱で、どうにか競争ウマ娘としての人生を駆け抜けたけれど、とても就職して朝から晩まで働けるような体ではなかったから。
そのころには姉にはもう夫がいた。二人三脚でレースを駆ける中で惹かれ合い、大学生としての時間を挟んで健全に結婚した人だ。
無理が祟って足を不可逆に圧し折ってしまった私と違い、最後まで駆け抜けて、その先へ辿り着いた姉。そんな彼女を、私のように無理ばかりしたがっていたらしい姉を、どこまでも見放すことなく献身的に支えてくれたこと。細かい点を挙げれば色々とあるが、ともかく私は姉の夫のことをとても尊敬していた。
そして、姉は身ごもった。
嬉しかった。目いっぱいお祝いをして、生まれたら何を買えばいいかなんて気の早い話までした。
……けれど、いいや、或いは必然だったのだろうか。
病弱だった姉が子供を産むのは、文字通り命を賭ける行いだと言われた。
そして、そんな状況で姉の夫には病が見つかった。
細かいことは記憶が曖昧――――ショック過ぎて覚えきれなかったのかもしれない――――だが、治療は出来ず終末医療への一本道という段階だった。
私は、敢えて口を出さなかった。まだ
二人は選んだ。
そして、瑞葉が生まれた。
姉は命を賭してもう一つの命を生かし。
夫は、最低限の治療による苦痛の終末と引き換えに多額の遺産を残した。
断言しよう。私は、二人から子供を託されたことを誇りだと思った。
己の命よりも、その先にあるものを願い、そしてそれを私に預けた事。レースで冠を得ることなんかより、社会人として地位を駆けあがる事より、ずっとずっと誇らしい事だと。
だから……瑞葉が生きることに苦労するなんてどうでも良かった。そんなものは私が支えてやればいい。抱えた業を“何だこの程度か”と言えるくらいに立派になって欲しくて。
けれど、そんな醜い傲慢と悍ましい利己心を、現実は端から丁寧に、木端微塵に叩き壊していった。
瑞葉はたった4歳で機械言語を理解した。
5歳になる頃には私の仕事に口を出せるくらいになっていた。
6歳になる頃には、常人と大差ないくらいに受け答えが出来た。
――――そして。自分が常人でない事を、理解できてしまった。
前例が通じない。暗中模索の中で、あらゆる受け答えを間違い続ける。
瑞葉を傷つけたことは、いったい幾度あったのだろう。あの子はあまり表情に出すということをしなかったから、私はそれを察せなかった。
あの子の青春を、私は鈍感という努力不足で取り上げた。
どんな道でも進めるようになってほしいと色々なことを教えたけれど。結局あの子が進んだのは私とまるで同じエンジニアの道だった。
あの子の人生を、私は親子というくだらない絆の糸で締め上げた。
母親になりたかった。
母親になれた。
母親に、なっただけだった。
最低で、卑劣で、愚かで、惨めで、最悪の保護者。
絵に描いたような子供の敵が、朝起きるたびに鏡の向こうから見つめてきていた。
だから、あの子が手紙を出したいと言ったとき。私は救われたような気分になったのだ。
あの子に私以外の寄る辺が出来たのなら、こんな奈落の底から脱することが出来る。こんな女の下から抜け出して、本当の意味で幸せになれる。
吹っ切れて、私の教えられる限りの全てを教えた。瑞葉が守りたいものを選んで守れるように。守るために守りたいものを傷つけるようなことが無いように。そのために多少無茶をしてでも知遇を得て、経験を積ませた。やりすぎるような事があれば張り倒してでも止めた。
嫌われてもいい。憎まれてもいい。果てに突き放され、檻の中に閉じ込められたとしても、あの子が日の当たる場所で笑えるのなら、それでいい。
私に笑顔なんて向けなくて良い。私を慕う必要なんてないんだ。きっとそれは刷り込まれただけの、一過性の病でしかないのだから。
あの子が幸せになるのなら、私は喜んで私に垂らされた蜘蛛の糸を千切ろう。地獄で一生の責め苦を受けるのが似合いの人生だ。
そう、本気で思っていた。
「思えば、君とこうして話すのは……初めてだね、ダンツフレーム君」
「う、えっと、はい……」
委員会室で、甥の想い人と向き合う。
緊張しているのか耳はあちこち動いているし、スカートも握り締めすぎて皺になっている。
明るく、優しい子だ。その炎が穏やかに見えるせいで、あまり目立たないけれど。迂闊に触れれば火傷を負いそうな熱量を確かに秘めている。
「あまり緊張しなくていい……他意はないぞ?」
「あ、はは……」
……私はそんなに怖い顔をしているのだろうか。先ほどから微妙に視線が合わないのだが。
一挙一動を起こすたびにびくつかれると流石に申し訳なくなってくる。
「君には感謝してもし切れない。あの子があんなにも笑えるようになったのは、君が居たからなんだ」
「……そんなこと、無いと思います。でも、そう言ってもらえて嬉しいです」
「いいや、君のお陰さ。お……私だけでは、あの子を変えられなかった」
もしも私だけを寄る辺にしていたのなら。
あの子はきっと、自認通りの怪物となっていただろう。
「既存文明の天敵。誇張でも何でもなく、あの子の才能は世界を滅ぼしうる。それが電子の海にある限り、あの子の手は必ず届く……本人が望んでいなくても」
何処に逃げようとその首を掴み、どんな手を使おうとその心臓を握り、どれほど抵抗しようと急所に風穴を開ける。
その気になれば痕跡を完全に隠蔽して遠隔操作し、他者を無意識の操り人形にだって仕立て上げられる。SNSのアカウントを一斉操作して世論すら傾けることができるだろう。人を操る段階まで届けば、ネットワークから独立していようがもう何の意味もない。
瑞葉がそれを実行しないのは、偏にそれで悲しむ誰かが居るから。それを他人事でないと受け止められるだけの経験があるから。
繋がりが私だけであったのなら、そんな箍すら存在しなかっただろう。
「私があの子を引き取った時点で、あの子の手がプログラミングへと伸びることは止められなかった。あの子が怪物だなんて言い始めたのも、私が居たからで……」
「いいえ、違います」
「違わない」
「違います、絶対に」
ばちり、と。火花が散った気がした。火傷をするはずのそれは、不思議と熱いばかりで傷を付けることは無い。
膝の上で握った手は、いつからか緊張ではなく覚悟で力を込めていた。それでも震えだけは収まらないままで。
その有様がどうしようもないほど眩しくて、目を逸らすように話題を変えた。
「……あの手がキーボードではなく便箋の上へ向かった時、私は安心したんだ……安心してしまった」
彼女のために。ただ一人のために。そして、その相手に嫌われたくない。怖がられたくない。
人間として当たり前に抱く執着、偏向、不公平。それが生まれて、瑞葉はようやく人間的になり始めた。
「君に怖がられたくなくて、彼はSNSを避けた。君に嫌われたくなくて、君との電子的な繋がりを断ち続けた。ダンツフレーム君、キミが居たから、瑞葉は人間で居られたんだ」
常人からすれば極めて歪で異質かもしれない。けれど、それは確かに怪物を羽化させることなく押し留め続け、遂には人間として完成させた。これをどうして喜ばずにいられるだろうか。そう伝えたのだが、ダンツフレーム君は此方を睨むように見るばかりだった。
「……その、あんまり偉そうなことは言えないです。リアスライラさんのこと、瑞葉君からの言葉でしか知らないので。でも、そんな風に言っていたら、彼は悲しみます」
だからもうやめてください、と。続けられた言葉に、返す言葉は浮かばなかった。
代わりに浮かんできた感情を飲み下そうとして、返事の代わりにコーヒーに口をつける。苦味で先鋭化する思考でもう一度彼女の言葉を反芻しても、出てくる結果はやはり同じで。
「……ふ、ははは」
「あ、あの……ご、ごめんなさい」
「ああ、いや、違うんだ。怒ったり機嫌を損ねたわけじゃない。すこし、可笑しくてな」
「可笑しい、ですか?」
首肯する。だって、そうだろう。それはとうに捨てたはずの執着なのに。今更になって――――
「
机に置いたハンドクリームへ視線を向ける。あの日に告げられた感謝と愛情が、私を引き留めている。
なんと浅ましい女だろうかと、自嘲すら漏れてくる。嫌われても構わない、いいや嫌われているはずだと己に鞭を打ち続けた結果として、自分ではなく一番悲しんで欲しくない相手を悲しませる本末転倒。
その有様を、ダンツフレーム君は一切目を逸らすことはなく。先ほどの緊張ぶりが嘘であったかのように、真っ直ぐに、私を見据えていた。
「わたしだって、瑞葉君に嫌われたくなくて、手紙に書こうとした言葉を押し込めたこともありました。まっすぐ思いを伝えたら場をかき乱してしまうんじゃないかって、口を閉じたことだってあります」
「……」
「……嫌われたくないって心は、きっと誰にだってあるんです。嫌われるのは怖いし、きっと痛いです。でも、たぶん……楽になってしまうんだと思います」
「楽に、か」
「はい」
嫌われてもいいと思ってしまえば、行いの箍が消えてしまう。どんなことをしても、最後には繋がりが消えてしまうからと自分で自分を許せてしまう。
そうして、大切なはずの誰かを悲しませてしまうのだ。嫌われたくないという想いを手放したばかりに。
「だから、わたしは……わたし、は」
ダンツフレーム君は言葉に詰まって、俯く。言うべきか否かを迷っているのはさすがの私でも分かる。
告げるべき言葉は、不思議なくらいにするりと喉から出てきた。
「言ってくれ」
「え……?」
「
甥の大切な
いつか甥と共に途絶えるかもしれない縁だ。嫌われてもいい。
対極の想いは、しかし矛盾することなく混ざり合って、目の前で踊る炎を見据えている。迷って揺れていた瞳は、それではっきりと焦点を定めた。
「わたしは、リアスライラさんにもっと自分を大事にして欲しいです。嫌われたくないって思いを、手放して欲しくないです」
「……そうか」
「さっきみたいに卑下してると、今度は一人だけじゃなくて二人も悲しませることになりますから……な、なんて」
「……そこは言い切ってもいいんだぞ?」
「う、えへへ……」
優しい子だ、と的外れな感想を抱いてしまう。胸の裡で燻る炎を、自ら遠ざけて暖かさに変える術を知っている。
もう十分だとばかりにすっかり冷めたコーヒーを飲み干して、ソファから立とうとする。しかし足の痛みと痺れでまた座ってしまった。それを見咎めるように、彼女は声を発した。
「足……ずっと痛んでるんですか?」
「どうにも折り方が不味かったようでね……破片で神経を千切ったらしい。ずっと痺れて痛みだけが消えないんだ」
ウマ娘にしてみれば笑い事ではないのだろう。実際彼女も結構な怪我をしたと言うし、他人事とも思えなかったのかもしれない。オーバーワークには気を付けるようにと告げると、思い当たる節があるのか頬を引きつらせていた。
「また怪我をしたなんて言ったら瑞葉は心配するし、悲しむぞ」
「き、気を付けます」
「……あ、さっきのやり返しではないからな?」
「えっ? ……あ」
「いや、なんでもない」
「……えへへ」
「何だねその笑いは」
後から意地の悪い事を言ってしまったかと思ったが、彼女は気にしていなかったらしい。
今度は杖に体重を預けてしっかり立ち上がると、彼女もまたソファを後にして私に付いてきた。甥の想い人に目を掛けられているという事実がなんだかむず痒くて、思わず眉をひそめてしまう。
「とうの昔に怪我人ではないのだから、そこまで敏感にならずともいいんだが」
「私がこうしたいんです。だから、ちょっとだけ付き合ってくれませんか?」
「……意地の悪い言い方をする子だ」
苦笑して、カフェテリアへと歩を進める。
冬の寒さが、少しだけ和らいだ気がした。