アルガス転生 〜家畜に神はいない(俺以外)〜   作:葛葉狐

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詰みポイント38:畜生(松野)

 

「ーーくくく。

 まこと、憐れは家畜どもよ」

 

 なにが可笑しい、と睨みつける俺に……アジョラはその両腕を広げてみせた。

 血のごとき紅の天からは、今にも滴り落ちそうな赤光が注ぐ。

 

「この時代ではーーグレバドス教と伝わるか。

 ……唱える神の御名は聖天使アルテマ。

 そして。神の御子の名は、聖アジョラ。

 ーーこの私だ」

 

 吸収した鮮血を、ふたたびその掌中へと浮き上がらせ。

 その赤い泉の先ーーほんの一撫でで、大地で血に塗れる俺たちへと視線を移して。ニヤリと笑う。

 

「実に滑稽だな。

 ……お前たち、家畜どもがずっと崇めていた神の正体とはーーその偉大なる復活に。

 他でもない、お前たち家畜どもの絶望と悲憤……そして血涙の大海こそを、贄として必要としていた。

 そして神の御子たる私もーーその身、その血肉、その器を捧げる家畜だけを。求めていたのだ」

 

 みな。祭りの日に捧げられる、祭壇の羊に過ぎぬ。

 ゆえに。お前たちは生贄であって、信者ではない。

 アジョラは笑みを深めーーその結論を口にした。

 

「お前たち家畜に……神はいない」

 

 その通告はーーもはや疑いようもない、明白な現実でしかなかった。

 酸鼻な戦場へ、沈黙が降りる。

 もはや苦痛の呻きすら漏れずーー復活を遂げた神の御子より、まざまざと眼前へ突きつけられた真実に……信仰の対象を失い、また信仰そのものを剥奪された民たちは。

 返す言葉もなく、ただ放心する。

 その虚ろな瞳を埋め尽くしているのはーー圧倒的なまでの無為。そして徒労。

 ただ、それだけだった。

 

「……師匠……」

 

 再び立ち上がる気力を失ったティータが、すがるような瞳を向けてくる。

 俺は。

 同意ではなくーー否定の頷きを、ひとつだけ返した。

 膝をつき傷を押さえるまま、聖アジョラへと向き直る。

 

「……いや。

 家畜にーー神はいる」

 

 静かな俺の反駁は、信仰なき静寂へ響き渡った。

 ……まさか反論があるとは思わなかったのだろう。

 アルマの顔で可笑しげに片眉を上げ、聖人は下問する。

 

「ほう。ーーなんだ?

 もしや……大勢を死の運命から救った、お前こそが。

 家畜どもの神だとでもーー名乗るつもりか?」

 

 アジョラは愉快そうな顔で、眼下に転がる生贄たちーー俺が死の運命をねじ曲げた人々を見下ろす。

 ……こいつ。

 『狭間』から俺の動きを見ていやがったな。

 

「違う。ーー俺はそこまで傲慢じゃない」

 

 俺は神様なんかじゃない。

 ただ自身の生存を願う、ごくありふれた人間に過ぎない。

 未来を知り、大勢の人の運命を変えながら。

 それでも神を名乗らない俺をーーアジョラは訳知り顔で眺めている。

 

「ほう。人の子は神を名乗らぬか。

 まこと謙虚で結構なことだ。それでこそ、取るに足らぬ人の身の分を弁えているというものよ。

 ーーしかしそれではどうする?

 どうやって、家畜の神の存在を証明するのだ?」

 

 アジョラが口にしているのはーーいわゆる悪魔の証明だ。

 いないものは証明できない。

 存在を証明したければ……この場に連れてくるしかない。

 しかしそれは不可能である。

 

「神はいる。

 ーー単にお前が、知らないだけさ」

 

 その俺の返答に、とうとうアジョラは笑い出した。

 

「ーーふふ。ふはははははッ!

 神を知り!その神との合一を果たした!この私が言っているのだぞ!?

 私が永く身を置いた、この世ならざる『狭間』にさえ!お前たち人間に味方しようという、物好きな神はただの一柱も居らぬのだ!

 もう一度断言しよう! 家畜に神はいないッ!」

 

 神と崇めていたものの正体はすべてルカヴィだと。

 人を自身の復活の糧としか思わぬ悪魔しか存在せぬと。

 そう、聖アジョラは保証する。

 

「いいやーー家畜に神はいる」

 

 しかし。言下に否定した俺をーーアジョラはもはや、可哀想な相手へ向ける目で見やる。

 

「……ほお。なるほど。つまりそれは……お前の妄想の産物だな?

 お前が『こんな優しい神様が居たらいい、居て欲しい』。そう願うだけのーー架空の存在ということだな?」

 

 救世主願望に取り憑かれた、頭のおかしくなった信仰者気取り。

 その。狂人とみなす目をーー俺は真っ向から見返す。

 

「違う。俺の妄想でも架空でもない。

 その家畜の神の名はーー世の全ての人が知っている」

「なに……?」

 

 今や、場を埋め尽くす沈黙はーー放心の絶望ばかりではない。

 眉を上げるアジョラへと。俺はさらに言い募る。

 

「そして。

 その神の御名はーー唱えるだけで力を与えてくれる」

「……は……?」

 

 今度こそ理解できないといった顔で、アジョラは俺を見た。

 

「…………」

 

 背後から漂う雰囲気も、もはや困惑の一色だ。

 聖者に神を否定され。信仰を否定され。浮世の家畜扱いしかされていない現実を突きつけられ。その絶望の中で、それでも神はいると。もはや到底信じられぬ事を言われ。さらにその神の名は皆が知っていると言われ。神の名を唱えるだけで力が得られると言われ。

 もう何者も信じられなくなっていることだろう。

 俺が何を言っているのか誰一人解らないだろう。

 ーーしかし。

 この場の皆が。俺の言葉へ……耳を傾けている。

 

「ーーふ。ふは、ふはははははッ!

 ならば教えてみよ! その皆が知る、神の名をッ!

 そして唱えてみよ! 御力を賜れる、神の名をッ!」

 

 アジョラは水平に腕を振り抜き、その解を求めた。

 俺は背後……階段下に倒れる仲間たちへ振り向き。

 ーーひとつだけ、お願いをする。

 

「ーーみんな。

 これから、俺が。……その神様の名前を言うから。

 神様の名前を思い出したらーーどうか皆も呼んでくれ」

 

 神の名を。

 

 ……皆からの返答は待たず。

 俺は、階段上のアジョラへと顔を戻し。

 痛む身体に、大きく息を吸い込んで。

 ーーその『神名』を口にする。

 

* * *

 

「ーー畜生ォォォォォォォォォォッ!!」

 

* * *

 

 王宮前を風が吹き過ぎる。

 は……?

 理解不能といったアジョラの呟きが通り過ぎた後は、再び沈黙が落ちた。

 誰もーー何も、動かなかった。

 しかし。……しばらく経ってから、ぷっ。と吹き出す音がする。

 あの声はーーダイスダーグか。

 堪える笑いに嗚咽しながら、息を吸い込む音が続く。

 

「ーーチクショオオオオオオオォッ!!」

 

 笑い混じりのその絶叫が響いてからはーー皆の反応は早かった。

 

「ちくしょおおおおおおおおぉッ!!」

「チックショオオオオオオオォッ!!」

「畜生ふざけんなあああああぁッ!!」

「畜生なめやがってええええぇッ!!」

「バカにしてんじゃねえええぇッ!!」

「この化け物めええええええぇッ!!」

「何が神だああああああああぁッ!!」

 

 ーーさっきまでの意気阻喪はどこへやら。

 思い思いに叫び始めた人間どもを、アジョラは信じられない様子で見つめている。

 そして首を振る。

 

「いやーーいや。違うだろう?

 これは、神の名などではない。断じてない」

「ーーみなが知っている神の名だ。

 その証拠に……」

 

 俺は背後を指し示す。

 階段下では。怒りに任せ吠え散らかした戦士たちが、ふたたびーー次々と立ち上がっている。

 

「……この通り。

 神の御名を唱えただけでーーみなが力を取り戻している」

「違う! こんなものは神ではない!

 神とは、もっとーーそう! この私だ!

 この私こそが!唯一絶対の!神なのだッ!」

 

 神の定義を認めぬ悪魔が、他者の信仰を否定する。

 俺はあきれ、教えてやる。

 

「……わかってないな。

 神様ッてのはーー御利益(ごりやく)があるモンだろう?」

「なにィーー!?」

 

 皆が親しくその名を口にでき。

 その名を唱えるだけで、再び元気が湧いてくる。

 けして人を犠牲になんてしない。

 

「そういうのを神様っていうんだよッ!

 つまり!聖天使アルテマ!ーーお前は、神じゃないッ!」

「ッーー!?」

 

 俺の指弾にたじろいだアジョラを前に。

 神様の御利益があることを、俺も証明してみせる。

 

 全身の痛みをこらえーーゆっくりと立ち上がる。

 片手でも使えそうな武器ーー衛兵のものか、足元に転がる自動弓を拾い上げる。

 胸いっぱいに息を吸い込んで、……その運命へ否を唱える。

 

「……松野ォォォォォォォォォォッ!」

 

 俺の咆哮に……アジョラはたたらを踏み。

 "えっ自分松野じゃないです"みたいな顔をした。

 

 その時ーー俺とティータの間を、誰かが走り抜けていった。

 傷ついた身体に巻く包帯を赤く滲ませ……今にも崩れ落ちそうな身体を持ち上げ。

 階段を舐めるように低姿勢で走るその後ろ姿はーー背のマントの赤獅子紋で知れた。

 聖騎士ザルバッグーー北天騎士団長だ。

 

「……ザルバッグ様!?」

 

 騎士団公邸で重傷に倒れているはずの男はーーずっとこの機を伺っていたのか。

 

「ーーうおおおおおおおッ!!」

 

 凶行の主たる妹へと走り寄り。驚きの表情から反射的に放たれる黒羽根の猛射を浴び、なお止まらず。勢いのまま階段上へ身を投げ出すと。

 そのまま兄はーー灰髪金瞳、有翼の異人に変じた妹へと……抱きついた。

 

「……なっ!? 何をするっ!?」

 

 長身のザルバッグはそのまま妹より長い手足を絡め、一切の動きを封じてしまう。

 背の黒翼が迷うように揺れる。脆弱な己が身を巻き込むために、もう黒羽根も撃ち込めない。

 血まみれの顔を。彼方の俺へ振り向けてーー北天騎士団長ザルバッグは叫んだ。

 

「構わんッ! やれッ!

 ーーアルガスッ!」

 

 その言葉とともに。ーー俺の時間は、停止する。

 脳裏に時間は巻き戻る。人質を盾にした賊が叫ぶ、雪降る岬ーージークデン砦に。

 ーー幾度となく、その命に従うさまを、見過ごしてきた光景だった。

 アルガスは忠実に、与えられた命を果たし続けてきた。

 そして今またーー命が下された。

 

「ッ…………!!」

 

 兄は妹の凶行の責任を取り。自分ごと撃てとーー命じているのだ。

 

 “ここまで変異してしまってはーーこれだけの事態を起こしては。

  アルマはもう、助からない”

 

 脳裏に計算高い誰かがささやく。

 

 “ザルバッグは兄としてーーその責任を。

  その結末を、受け入れている”

 

 自動弓を握る人差し指に力が籠もる。

 諦めて受け入れ、ジークデンの悲劇を今一度再現しようとする腕を……俺は止める。

 

 ーーだが。本当にいいのか?

 ーーここで撃ってしまっては、今までと何も変わらないじゃないか?

 ーーけれど。それなら、俺はどうすればいい?

 ーー多を救うため少を切り捨てる。やらなければ、次に犠牲になるのは俺たちだ。

 ーーそれができないのなら。やはり俺も、ラムザのように……

 

 その俺の逡巡は……一瞬だけで済んでくれた。

 

「ーーアルガス」

 

 背後から。

 戦場にありながら一切の感情を感じさせぬーーその平板な声が響き。

 俺が振り返ると同時に……回転して飛来した何かが。

 握りしめる自動弓を弾き飛ばしーーそして、俺の手中に収まった。

 軽い身頃。光る刀身。その反り刃の大剣を受け取って、俺は数歩よろめく。

 左肩へ深い傷を負う今の俺。右手一本では、とても扱えない剣だった。

 

「ーー師匠」

 

 満身創痍だったはずのティータが立ち上がり。その俺の傷を庇うように左側から寄り添うと、その小さな手を添えた。

 俺の手とティータの手。二本の手が握りしめる白銀の刃はーーもはや、微塵の震えもない。

 

 ーー俺はけして、神ではないけれど。

 ーー俺が死から逃がし得た人たちが……俺を助けてくれるんだ。

 

 俺はティータと頷き交わしーー彼方の北天騎士団長へ、命令承諾を告げる。

 

「ーーハッ!!」

 

 ……傷ついた足で、同時に石段を蹴り。

 ……俺たちは大階段の直上目掛け、飛び出してゆく。

 

「やーーやめろ……! その剣は……ッ!」

 

 ……驚愕の表情の聖女と。その抱擁を求める聖騎士が。ぐんと視界に迫る。

 ……もはや一片の躊躇いもなくーー俺たちは、握りしめた刃を突き立てる。

 

「「ーーはああああああああッ!!」」

 

 突き出した刃はーー易々とザルバッグの背を貫き。

 そして抱きしめる聖アジョラの心臓をも、ごくあっさりと貫き通した。

 勢い余って少女の背より飛び出す白銀の刃はーー灰色の後髪を割って飛び出す。

 その刃先には……何かが貫かれているのが見えた。

 

「うあああああああああッ!?」

 

 その甲高い悲鳴は、アジョラ一人のもの。

 全身に走る衝撃に大きくのけぞって……そして力を失うアルマの身体。

 白銀の刃ーー斬魔刀の先に、貫通されたそれは。

 少女の髪の灰色を吸うように凝集し、少女の瞳の金色を持ち去るように呑み込んで……

 ……やがて宙に。もがくような灰色の人影を一瞬残すとーー破魔の光にかき消えた。

 

“モット……チカラ……ヲ……”

 

 最後に響いた言葉は。

 ーー何も信じぬ、己しか信じぬ、神ゆえの言葉か。

 

 頭上に赤く渦巻く雲は消え、空が青さを取り戻してゆく。

 木々のざわめき、草々の息吹が甦ってゆく。

 破壊された王宮前にーーふたたび空から光が差し込む。

 ウオオオオオーー!!!

 ーーごくちっぽけな人の子の、勝利を確信し。

 歓声に沸き返る階段下から……二人の勇者が駆け上がってくる。

 

「アルマ様ッ!」「アルマッ! 兄さんッ!」

 

 俺は……力を失う手を苦労して引き剥がし、二人を貫くままの聖刃をようやく引き抜いた。

 ーー斬魔刀は、悪しきもののみ貫く刃。

 抱き合ったまま気を失う二人には。胴体を刺し貫くも、傷ひとつつけてはいない。

 

 ラムザとディリータが駆け寄って、ザルバッグとアルマへ重なるように抱きついた。

 ……これでようやく倒れられる。

 意識のない二人を支え続けていた俺とティータは、そのままずるずるとへたりこむ。

 その時。ぐらり、と視界が傾く。

 ここまでの無理に加え、肩の重傷。ーー俺ももう限界だったらしい。

 

 あ、れ……。

 意識、が……もう……。

 

 霞む視界。

 俺の胸に縋りつき、大粒の涙を浮かべながら、ティータが震え声で喚き散らす。

 

「ーーいやぁッ! 師匠ッ! ダメですよッ!

 集めた聖石、全部使って!ーーわたしに結婚指輪つくるって!

 約束してッ! 下さいよぉッ!」

「……おまえ指12本あるの……?」

 

 ……多指症なの……?

 

 続く言葉は。遠ざかる意識の闇にーー霞んで消えた。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 ーーあれから数十年が過ぎた。

 無事にシナリオを。そして、聖者アジョラとの最終決戦までもを生き延びた俺は。

 アルガス・サダルファスとしての余生を生きーーそして天寿を全うした。

 ーーそのはず、だった。

 

「おや……? ここは……?」

 

 末期の床に、思い残すことなく安心して目を瞑ったはずが。

 瞼の奥に弾ける光にーーふたたび、もう二度と開くはずのない目を開いてみる。

 

 ……そこはほの暗い地下室だった。

 目の前の書き物机には、じりじりと油煙をあげる燈明。

 傍らの筆写台へ広げられているのは、古い羊皮紙。

 そして机の上にはーーまっさらな原稿が、書き込まれる文字を今か今かと待っていた。

 インク壺にささる羽ペンを、俺は指で弾く。

 そして筆写台の羊皮紙……長い長い巻物の、その表紙に記された題名を覗いてみて。

 

「……はっはぁ〜ん」

 

 改めて自分の背格好を見下ろしーー俺は、深く納得した。

 机上の羽ペンを取り。原稿にインクを派手に飛び散らせつつ。猛然と、書き始める。

 

 ーーどうやら。

 俺には、最後のおつとめがーーまだ残っていたらしい。

 

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