プリンセスコネクト!!Re:DIVEアナザーストーリー   作:タピオカ&ピスタチオ

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 腕輪の帰還と美食殿

一日目・昼

 

 ドアが閉じる音で、少年は目を覚ました。

 

 そこは、ギルドハウスの空き部屋だった。少年はぼんやりと辺りを見回している。半ば夢見心地のまま思考していることが、とろんとした双眸からもうかがえた。

 

 少し傷んだ壁材や、天井に渡された梁が、冬場の乾燥した空気の中で、ぱきりと音を鳴らしている。

 

「……あ、れ?」

 

 あどけなさの残る少年の顔に、ほどなく疑惑が広がっていった。

 

 視線の動かし方も、先ほどまでの取り留めのないふんわりとしたものから、次第に目的を宿したものへと変わっていく。

 

 やがて少年は、勢いよく自分に掛けられていた毛布を剥ぎ取った。

 

 寝起きの気配は、もうどこにも残っていない。ほんのり桃色を帯びた銀髪が、背丈に似合わない警戒心を浮かべた目元で、柔らかく揺れていた。

 

「ここは……?」

 

 強張った声音には、変声期前の子供らしさが残っていた。

 

 場所は、どこかの家屋か、あるいは廃屋だろうか。

 

 窓の外には森が広がり、その向こうには街並みが見通せる。ここは二階なのだろう。

 

 そばに置かれた粗末な木椅子には、少年の外套が掛けられていた。少年は初めて自分の身なりを確かめ、普段の服装のままであることを知った。

 

 寝台の足元には、革のブーツがきちんと揃えられている。

 

 ここまで丁寧に身の回りを整えられているのなら、状況はそれほど深刻ではないのかもしれない。

 

 少年は、わずかな安堵を覚えた。

 

 しかし、魔導書がないことに気付いた。

 

 さらに、ベッドから起き上がる際に床へ大きな振動を与えてしまったことにも気付き、思わず「しまった」と言わんばかりの表情を浮かべる。

 

 少年は、今すぐ逃走を図ろうとした。

 

 室内の窓を開け、屋内の大まかな構造を把握しようと身を乗り出して、左右を見回す。

 

 建物は横長ではないようだった。

 

 少年の部屋から見える範囲では、西側に薪割り用の台があり、眼下には離れの小屋――風呂場がある。それ以外に目立った特徴はなかった。

 

 この高さなら、飛び降りることも難しくはない。

 

 しかし、

 

「魔導書も……あれも、ない……」

 

 少年にとって、最大の強みは魔法だった。

 

 同時に、少年の価値は魔法にしかない。

 

 推測するに、少年を助けた者は、少年の武力の根本だけを回収したのだろう。これほど手厚い介助を施している以上、魔法、ひいては魔法使いへの対処にも慣れているのかもしれない。

 

 ならば、少年の魔導書は、その人物の手元にあると考えるのが自然だった。

 

 とはいえ、少年はそこまで悲観していなかった。

 

 安堵による油断があったのかもしれない。あるいは状況そのものが、そこまで深刻ではなかったのかもしれない。何より、これまでの経験による勘が働いていた。

 

 魔法使いである以上、主な武具である魔導書や杖を奪ったとしても、衣服のどこかに隠し持っている可能性はある。

 

 しかも、少年は外套を身につけていた。

 

 中に隠しポケットがあり、折り畳み式のナイフなどを隠しているかもしれない。相手が少年を警戒しているのなら、魔導書と一緒に、それらも没収しているはずだった。

 

 また、少年を軟禁しておく場所としても、ここは不十分だった。

 

 地上二階の高さとはいえ、壁伝いに下りれば脱出できる。普通なら、地下や日光の届かない密閉された部屋に閉じ込めるものだ。

 

 相手の危機管理能力と警戒心を考えるなら、少年の見立ては大きく外れていない。

 

 少年は、森の向こうに広がる街を眺めた。

 

 屋根から突き出した煙突が、陽光の中にちらついている。森を揺らす風が、彼方の街の活気さえ運んでくるようだった。

 

「ん……?」

 

 風の音に混じり、不規則な足音が二、三度、少年の耳へ届いた。

 

 窓から見える範囲の外に、別の建物があるのならいい。しかし、もしこの部屋へ向かっている足音なら厄介だった。

 

「一人じゃない!?」

 

 少年の聴覚を信じるなら、足音の主は多くて三人。

 

 さらに、屋内のどこかに一人か二人いる可能性もある。

 

 一人だけなら、どうにでもなっただろう。しかし、複数人となれば、身の危険は一気に高まる。

 

 少年は、迷うことなく窓枠に手を掛けた。

 

 その直後、部屋の外から新たな足音が近づいてくる。

 

 少年は、地面に生い茂る草花を見た。家屋の外壁に、伝って下りられそうな足場がないかを探した。続けて、扉の方へ振り返る。

 

 そうしている間にも、扉が開く。

 

 やけに低い音が響いた。

 

 その音に背中を押されるように、少年は全身を中空へと投げ出した。

 

「えっ!? ちょ、ちょっと!」

 

 物音を聞きつけたキャルが自室から駆けつけると、少年がちょうど宙へ身を躍らせたところだった。

 

 少年が目を覚ましていたことも驚きだった。

 

 しかし、そんな驚きさえ取るに足らないほど、その光景は衝撃的だった。

 

 一瞬、時間が止まったように感じられた。

 

 だが、キャルの中で時間が動き始めると、彼女はすぐに少年の姿を追った。

 

 窓辺に立ち、落下していく少年を視界に収めたそのとき、視界の端に見慣れた金髪が映った。

 

「ペコリーヌ!」

 

 キャルが叫ぶのとほぼ同時に、ペコリーヌは事態を把握していた。

 

 彼女は、少年へ向かって猛然と駆け出す。

 

 少年は確かに落下していた。しかし、危なげな様子はなかった。

 

 見当識を失っているわけではない。逆さになった体勢でも、自分がどこにいて、どちらが地面なのかを正確に理解している。

 

 足が地面へ近づく中、少年は体を翻した。

 

 天地を正そうとする一瞬、少年の視界にペコリーヌの姿が映る。

 

 少年は五点着地によって衝撃を和らげようとした。

 

 しかし、踏みしめるはずの地面に足を着けた感触がない。

 

 体が衝撃に備えてぴんと張り詰めた。

 

 それでも、いつまで経っても痛みは訪れなかった。

 

 少年は、恐怖を解くように全身から力を抜く。

 

 そして、目の前には――

 

「おいたをしちゃ、ダメですよ?」

 

「……え。は、い?」

 

 ペコリーヌの顔があった。

美食殿ギルドハウス

一日目・昼前

 

 先ほど買い出しに出掛けたペコリーヌたちは、外出する前に、自室で過ごしていたキャルへ少年の看病を頼んでいた。

 

 しかし、キャルとしては、ここ数日眠り続けている少年に、ほとんど付きっきりだった。

 

「言われなくてもやるわよ」

 

 キャルは、愚痴のような一言をこぼした。

 

 キャルの性格を知っている面々も、わざわざ言わなくてもいいのではないかと思っていたようだ。

 

 それでも彼女のもとへ足を運び、あえて頼んだのには理由があった。

 

 そこには、ある種の気遣いがあった。

 

 一つ屋根の下で共同生活を送っている以上、普段とは異なる雰囲気をまとったキャルに気付かないはずがない。

 

「まったく……お人好しばっかり」

 

 キャルは、呟きに込められた感情へ気付かないふりをした。

 

 室内へ差し込む陽光に照らされ、彼女の尻尾が、氷が溶けたように柔らかく上下している。

 

 少年の眠る部屋は、キャルの部屋から二つ隣にある。

 

 その間には、ペコリーヌの自室があった。

 

 少年は自分が立てた物音に、思わず「しまった」と言わんばかりの声を上げていた。しかし、キャルの部屋とそれほど離れているわけではない。音は筒抜けだった。

 

 名も知らぬ少年は、今も眠り続けている。

 

 あどけない寝顔と淡い髪色が相まって、キャルの中では無垢な印象が、彼のほとんどすべてを占めていた。

 

 キャルは、器物に触れるような慎重さで、少年の髪を撫でた。

 

 彼女の表情には微笑みが浮かぶ。

 

 しかし、手を離した途端、その表情は複雑なものへ変わった。

 

「この子は……ううん、きっとあたしの勘違いに決まってるわ」

 

 言葉では否定している。

 

 それでも、キャルの表情が晴れることはなかった。

 

 ペコリーヌたちには、余計な心配をかけている。

 

 否定できないもの。否定したいもの。そして、都合よく否定しようとしている自分。

 

 それらが、キャルの表情を形作っていた。

 

 そして仲間たちは、何よりもその表情に不安を覚えていた。

 

 キャルは、木椅子に掛けられた少年の外套が、背の歪みによってずり落ちそうになっていることに気付いた。

 

 彼女は外套を掛け直した。

 

 その下に揃えられていたブーツも、少年が目覚めたときに寒くないよう、寝台の足元へ移動させる。

 

 それから十数分。

 

 キャルは少年のそばで悶々としたり、部屋の中を動き回ったりしていた。

 

 やがて、彼女は部屋を出ていくことにした。

 

 少年が窓から飛び降りようとしたのは、その数分後だった。

美食殿ギルドハウス

一日目・昼過ぎ

 

「それで? アンタ、どうしてあんな無茶をしたのよ」

 

「……」

 

「わたしでも、寝ぼけて窓から落ちるなんて経験ありませんよ。

 

 でも、助けに入らなくても大丈夫そうでしたし……

 

 もしかして、飛び降りのプロなんですか?」

 

「おお、ランドソルには、そのような特技を持った方もいらっしゃるのですね」

 

「すごい」

 

「そこ! 静かにしなさいよ!

 

 飛び降りにプロも特技もないに決まってるでしょうが!」

 

 キャルが食卓を叩きながら立ち上がる。

 

 少年はびくりと身をすくませ、縮こまった。

 

「ダメですよ、キャルちゃん。

 

 彼がびっくりしちゃったじゃないですか」

 

「……むー、悪かったわ。

 

 ほら、食べてからでいいから」

 

 少年の前に出された食事へ、彼はおずおずと手をつけ始めた。

 

「……はぁ。口に運ばれたみたいで安心いたしました。

 

 それに……」

 

 コッコロは、少年が口をつけたスープを見つめた。

 

「主さまの晩ご飯が一品減ってしまう惨事は、

 

 避けられそうにございます」

 

「ペコリーヌは食べ過ぎよ。

 

 コロ助も、そうぽんぽんと与えないようにしなさいよ」

 

「でも、食べていいって……」

 

「元は毒見のためだったわよね……」

 

 キャルは、苦々しそうにツッコミを入れた。

 

 少年が食事を続ける傍ら、キャルとペコリーヌは、少年を見守るコッコロとユウキを残して二階へ上がった。

 

「んー、それにしても、彼ってばなかなか警戒を緩めてくれませんね」

 

「……普通の子じゃないってことでしょ」

 

「普通じゃない、ですか?」

 

「ええ、見るからにね。

 

 あの子、ユウキより年下でしょう?

 

 そんな子が、出された食事に毒見を求めたり、さっきの飛び降りだって……」

 

「確かに、慣れている様子でしたけど」

 

「これまではっきりしたわ。

 

 間違いなく、訳ありよ」

 

「ワケアリ……」

 

「……一応、補足しておくけど、

 

 ワケアリは蟻の名前でも食べ物の名前でもないわよ?」

 

「え?」

 

 そのとき、ペコリーヌのお腹が鳴った。

 

 キャルは心の中で、話す相手を間違えたかもしれないと嘆息した。

 

「主さま、わたくしは晩ご飯の支度に取り掛かりますね」

 

「がんばって」

 

 数日間、腹に何も入れていなかった少年は、一口スープを運んでから、無我夢中で食欲を満たしていた。

 

 コッコロが気を利かせて持ってきた、買ったばかりのパンも加わっている。

 

 ユウキは、そんな少年の姿を微笑みながら見つめていた。

 

 少年は、ユウキの視線に居心地の悪さを覚えた。

 

「……食べたかったら、どうぞ」

 

 少年は、パンの載った籠を卓の中央へ滑らせる。

 

「食べて」

 

「えっと……でも、お腹が空いているんじゃ?」

 

「お腹、空いてるでしょ?」

 

「……は、はい」

 

「いっぱい食べて」

 

 ユウキは、パン籠を少年の方へ寄せた。

続く

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