プリンセスコネクト!!Re:DIVEアナザーストーリー   作:タピオカ&ピスタチオ

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第1章四部
家族という言葉


〇美食殿ギルドハウス(4日目昼)

 

 平和な日常が戻っていた。

 カイト、昼過ぎになってようやく目を醒ます。自身の部屋、自身の居場所は1日目よりも、2日目よりも、そして昨日よりも更に違和感が薄まっている。寝起きの眼を擦る様子はすっかりギルドハウスに馴染んでいるとも見える。階下にはユウキとキャルがいた。

 

キャル「アンタ、やっと起きたのね。もう昼よ、昼」

 

ユウキ「おはよ」

 

カイト「おはようございます」

 

 カイトは水桶で顔を洗った。ここ数日の疲れが知らず知らずに溜まっていたのだろう。或いは、数日間、妙な生活リズムが祟ったとも取れるかもしれない。数日眠り続けていたこともあれば、半日気絶していたこともあって、カイト自身にしてみれば、時差ボケのような感覚であるが、昼夜逆転の生活リズムに親しんでしまって、夜中にパッと起きてしまうような事態にならなかったのは幸いである。

 

カイト「コッコロさんは?」

 

キャル「買い物じゃない?」

 

ユウキ「サレンのとこ行ったよ」

 

キャル「……ああ、子供たちね」

 

カイト「お知り合いが多いんですね」

 

キャル「性格よね。変に損してるとこもあるけど、そこも美徳に変えちゃえるんだから。動き回ってないとダメなのよああいうのは」

 

カイト「困ってる人を放っておけない人なんですね」

 

ユウキ「うん」

 

 ユウキが首肯した。カイトは頷くまでの流れに注視した。

 

カイト「コッコロさんはユウキさんのことを、『主さま』と呼びますよね」

 

ユウキ「うん」

 

 再び頷くユウキ。

 

カイト「それならコッコロさんはユウキさんの対外的に従者ということになるのでしょうか?」

 

ユウキ「うーん」

 

 カイトのいう従者と言う呼び方に釈然としていないユウキ。

 

キャル「どちらかっていうとママなんじゃない」

 

 テーブルに肩肘をついて、ユウキを見やりながらニヤニヤとするキャル。

 

カイト「ま、ママ? ですか」

 

キャル「そう! コロ助って、確かに従者として振舞っているけど、コイツの方が付いていけてないって感じ」

 

 ユウキはキャルの言葉に反論もせず明後日の方を見据えている。そこには悪びれもなく、恥ずかし気もなく、ただありのままの顔をしているだけである。

 

カイト「成程……?」

 

 今一コッコロとユウキとの関係性を掴み切れないカイトは言葉面だけ整えたようなことを言って考え込むように視線を宙に泳がせた。

 

 

〇美食殿ギルドハウス(4日目夜)

 

その日はひねもすカイトが外出することはなかった。殆どの時間をユウキとの語らいに費やしたのである。思えばカイトにとって、美食殿の面々の中で、ユウキの存在は他の人物に比して薄弱であった。唯一の男子であるためにカイトにとって頼り甲斐の出そうな存在であるが、ふとした時に何か修羅場を潜ったであろう精悍な眼付きこそすれ、次の瞬間には魂の抜けたようなのほほんとした表情をする。ユウキとは不思議な人であった。

 

コッコロ「主さまについて、でございますか」

 

 夕食を終え、それぞれが寝支度に入ろうという頃に、カイトは日中のこと、そしてユウキへの個人的関心からコッコロに疑問をぶつけていた。

 

カイト「キャルさんとユウキさんにあれこれ訊いてみたんですけど、どうも要領を得ないと言いますか……。ほら、確か美食殿が結成される前はコッコロさんとユウキさんとで二人で暮していたそうじゃないですか」

 

コッコロ「ふむ……もうずっと昔のことのように思われますが、あの頃のことは今でも鮮明に思い出せます」

 

カイト「そうです! だから二人のころのユウキさんについて、どんな人だったのか教えてくれませんか?」

 

 コッコロは少し俯きがちになった。カイトには彼女が悩んでいるように見えた。これにはすぐに合点がいった。主従の以前に、ユウキとコッコロとの絆と思い出があるのだから、それをそう簡単に部外者であるカイトに話すのには抵抗があるのやもしれない。しかし、これは杞憂であった。

 

コッコロ「つまり主さまの魅力をお伝えすれば宜しいのですね?」

 

カイト「……え、ええ。そういうことになりますね」

 

 バッと伏せた顔を上げたコッコロはどこかわくわくとしたよろこびが充溢していた。

 

コッコロ「アメス様の託宣により私は主さまをお導きするよう命ぜられたお方ではありますが、先の戦いに伴い主さまはご自身の使命を悟られたことから、私には勿体ないほどの逞しゅう強さを、意志を得られました」

 

 カイトはコッコロのユウキ評には多少の驚きがあったものの、心当たりはあった。アメスや先の戦いというものに今一ピンと来ないカイトであるが、少なくともコッコロは普段のユウキの姿とは異なった勇敢さを湛える姿を知っているらしかった。

 

カイト「では、ユウキさんの普段の姿についてはどう思っているんですか?」

 

 コッコロは間髪入れずに答えた。

 

コッコロ「あれもまた主さまですよ。恰好の宜しい主さまを勿論ですが、のんびりとしていらっしゃる主さまがいるからこそ私がお助けする意義になるのです」

 

カイト「……成程」

 

 カイトは昼間と全く同じ言い方をしたが、こちらも納得したというよりも、染み入るような理解の響きがあった。

 

コッコロ「ペコリーヌ様やキャル様、大勢のお知り合いの皆さまにも訊ねてみるといいでしょう。きっと、お一人お一人の目にも全く異なっていながらも、どこか近しい像をかたどっていいますでしょう」

 

カイト「そうですね、そうかもしれません……ありがとうございます」

 

 感謝の念を告げ、そろそろ自室へ赴こうというカイトに、コッコロは、

 

コッコロ「さて、では続いて主さまのご成長の記録を読み上げて差し上げます」

 

カイト「……えっと、あのコッコロさん? ほらそろそろ寝ないと明日も早くから用事があるとか……」

 

コッコロ「いえ、お気になさらずとも。何よりも必要なことでありましからね」

 

カイト「じゃあ、ほら、また今度の機会にしましょう! やっぱり集中して聞きたいですから」

 

コッコロ「ふぅむ、確かに」

 

カイト「納得していただけました、か?」

 

コッコロ「では今夜の所は第三章までにしておきましょう」

 

カイト「第三章?」

 

コッコロ「ざっと一刻もあればご理解いただけるに違いありません」

 

カイト「……ええ」

 

 その晩は夜更けまで団欒の燈がともっていた。その日を境に、カイトはユウキの恐ろしい程の才覚を想像せずにはいられなかった。いつしかそのユウキ像が多かれ少なかれ脚色されたものであることは忘れてしまっていた。

 

〇美食殿ギルドハウス (5日目昼)

 

 庭でしゃがみ込んでいるユウキの背中を、リビングの窓から眺めているカイト。半ば射抜くような鋭い視線で観察していた。

 

昨晩、コッコロが熱弁した『逞しゅう強さと意志』。そして昼間にキャルが言っていた『あいつが要』という評価。 だが、現在のユウキは――庭の隅で、もぞもぞと動く奇妙な虫を、何とも言えない虚無の表情で見つめているだけだった。

 

カイト「……コッコロさん」

 

 カイトが自らの高度な推論と眼前の光景とのギャップに頭を抱えかけたその時、後ろからキャルがやって来た。カイトの視線の先を見抜くや否や、窓框に手を叩きつけて、窓を開け放った。

 

キャル「ちょっとユウキ! あんたまた変な虫食べようとしてるでしょ! 昨日お腹壊したばっかりじゃない!」

 

ユウキ「……美味しそう」

 

キャル「美味しそうじゃないわよ! コッコロがせっかくお昼ご飯作ってるのに、変なものでお腹満たそうとしないで! ほんっと、ちょっと目を離すとこれなんだから……カイトも、こいつが変なもの口に入れないように見張っててよね!」

 

 バンッ、と窓が閉まる。キャルの怒声の余韻が残る中、ユウキはぽかんとした顔で青虫から視線を外し、カイトの方を見た。

 

カイト「えぇ……」

 

 カイトは助けを求めるように背後を見回すが、当のキャルは近くにいない。仕方なしに玄関を出、しゃがみ込んだままのユウキの下へ寄り添った。が、話すこともなく沈黙ばかりである。数分、ようやくこれに耐えきれなくなりつつあったカイトがおずおずと口を開いた。

 

カイト「……あの、ユウキさん」

 

ユウキ「ん?」

 

 ぼんやりとした声音で答えるユウキ。

 

カイト「お聞きしてもいいですか?」

 

 ままよ、という具合にカイトは昨日、キャルやコッコロの話に出たユウキの人物像について訊ねてみる。

 

カイト「昨日、お二人からあなたのこれまでの軌跡を伺いました。とても……信じられないようなお話ばかりで。だからこそ不思議なんです」

 

カイトは探るようにユウキの目を覗き込む。

 

カイト「僕みたいなどこの誰かもわからない人間を、あなたはどうしてこうもあっさりと受け入れられるんですか?」

 

ユウキ「んー……」

 

ユウキは付近の枯草を摘み取ると、少し首を傾げて考え込んだ。カイトは息を呑む。どんな計算高い答えが返ってくるのか。

 

ユウキ「これ、あげる」

 

差し出されたのは、摘みたての猩々木の花弁だった。

カイト「……はい?」

 

ユウキ「むずかしいこと、わかんない。でも、カイト、一緒にご飯食べたから」

 

カイト「一緒にご飯を食べたから……?」

 

ユウキ「うん。だから、家族」

 

 ぽかんとするカイト。ユウキの瞳には微塵の計算も、カイトの考えるところの『大人』の思惑も存在しなかった。ただ、目の前の相手を無条件で受け入れるという、圧倒的なまでの純粋さだけがあった。

 

カイト「……っぷ! あはははは!」

 

 急に噴き出したカイトにユウキは訳もわからないだろうににこりと微笑した。血縁関係というしがらみに囚われ、常に他人の顔色を窺っていたカイトにとって、『一緒にご飯を食べたから家族』というユウキの理屈は、ひどく温かかった。

 

カイト「あの……」

 

ユウキ「ん?」

 

カイトは、言いながらに、ふいと視線を逸らした。

 

カイト「これからは、あなたのことを『兄さん』って呼んでもいいですか? その……なんだか、本当に手のかかる兄のように思えてきて」

 

半分は本音で、半分は照れ隠しだった。ユウキは一瞬きょとんとしたが、すぐにぐっと親指を立てて、満面の笑みを見せた。

 

ユウキ「b」

 

カイトは小さくため息をつきながらも、その日一番のあどけない笑みをこぼしたのだった。

 

 

・・・・・

 

 

〇美食殿ギルドハウス(9日目昼)

 

 それから数日が経過した。美食殿の生活は平和な日常そのものだった。カイトは日中、ギルドハウスでは、キャルから借りた書物に目を通すことが大抵で、外出すると、買い物や診療所、ペコリーヌが共に連れ立っている際には屡々彼女の胃袋を満たす言い訳に使われたりもした。

 外出する時は必ずと言っていいほどキャルが共にいた。ギルドハウスで過ごす時もまたキャルと接することが多かった。診療所での診察では、最早肉体的な問題は見当たらなかった。

 

カイト「兄さん、キャルさんは?」

 

ユウキ「掃除してる」

 

カイト「わかりました」

 

 キャルはその日、離れの風呂場を掃除していた。ペコリーヌは公務のために朝から家を出て行った。コッコロは日課とでも言うようにサレンディア救護院に手伝いに出ていた。

 カイトも大分ランドソルでの生活に馴染んで来ていた。子供ほど知らぬ土地での生活に早く慣れると言うが、カイトもその例に洩れず順応はすぐだった。

 カイトは朝、キャルに付添いを頼んで診療所で検診をして貰ったばかりであった。

 風呂場へ赴く足取りは妙に重かった。緊張しているのである。

 何故と言うに……カイトは何時ものズボンのポケットに手を入れると慎重に取り出した。

……カルミナのライブチケットである。近日開催されるライブにキャルを誘おうと言う算段である。カイトの内情としてはデートのお誘い、なのだが、キャルはどう反応するものか。今朝の診療も実の所、キャルをデートへ誘う文句を教わるためであった。ライブチケットだってミツキから譲ってもらったものだし、誘い文句の教えも、エスコートの仕方もエリコに教えを賜ったものである。付け焼刃感は否めないが、偉大な先生方のためにも先ず第一歩、何としてでも成功させたいものである。

 

 いよいよ風呂場に近づくカイト。ドアを開ければぶつくさ不満を垂れながらも掃除に勤しむキャルがいるであろう。カイトはごくりと生唾を呑み込み、ドアノブに手をかけて……。

 

キャル「ふぅ! 良い仕事の後の風呂は最高ね!」

 

カイト「……」

 

 入浴中だった……!

 カイトはとほほと言った顔で、踵を返した。ギルドハウスの玄関を開ける。焦る必要はない。そう、焦る必要はないのだ。卓に座るユウキを素通りして二階へ上る。

 ユウキはそんなカイトを見ていた。

 

カイト「焦るな、焦るな」

 

 自室でベッドに俯せになって、書物を開いた。鼓動が高らかに鳴っている。

 

カイト「焦るな、焦るな」

 

 内容は頭に入って来ない。数分、同じページを機能しない脳でぼんやりと見詰めた。

 

カイト「焦るな、焦るな」——「早くしないと」

 

 おもむろに立上って、今度は窓の開け閉めを繰り返す。

 

カイト「焦るな、焦るな」————「早くしないと」

 

 今にも頽れそうな木椅子の背に両手をついて力を加えたり横に振り子のように倒してみたり。

 

カイト「焦るな、焦るな」——————「早くしないと」

 

 ドアの前に立って、頬を抓ったり、頭を掻いたりしてみたり。

 

カイト「早く、しないと」

 

 そう、焦る必要はない。ただ、早くしないといけないだけだ。

 

カイト「……時間がないから」

 

 意を決してドアを開け、摺り足で廊下を歩き、階段を下りた。

 階段の間ごろ、隙間から食卓が窺えた。

 そして、カイトは見た。

 

 ユウキとキャルが顔に息がかかりそうな程に接近していく過程を。

 ユウキの見張る瞳に隠れた、キャルの熱を帯びた瞳を。

 

キャル「好きよ、ユウキ」

 

 キャルの言葉は何かに抑えつけられてくぐもった調子ではあったが、カイトの耳にはこれ以上ないほどに鮮明に聴きとれた。熱い契りの水音もまた。

 

 

・・・・・

 

〇美食殿ギルドハウス(10日目昼)

 

 カイトは卓にも姿をあらわさず、況してや自室から出てこようともしなかった。心配したペコリーヌがいつかカイトが飛び降りた窓に跳躍して様子を伺おうかと本気で言っていたが、キャルに制止された。キャルにはカイトについての疑念があった。それを自身の中で確信に変えるまで無理に彼をどうこうしようとはできなかった。

 

 カイトの部屋は静まり返っていた。夜中、両親に物音を聴かれはしないかとこっそり起きているようにカイトもまた、寝台に横になったり、座ったり、忍び足で壁に歩いてもたれかかったりしていた。

 

カイト「……そういうことなのでしょうか」

 

 廊下へのドア、晴れ渡る昼の外界、どちらも他人を意識してしまうためにどうも目を向ける勇気が湧かなかった。

 朝食も昼食も、カイトの耳にはいくつかの物音となって聴こえていた。ユウキの声、ペコリーヌの声、コッコロの声、殊にキャルの声。意識すればするほど物音は意味を持っているかのようだった。こういう時、他人から発される音を掻き消すために、自らが発する音が上回れば良いことを知っているのだが、カイトは却って自身が音を発するのを恐れて、只管の静寂を保持してしまっている。他人の干渉が恐ろしかった。

 

カイト「いや、違う。そもそも僕はどうしてここにいるのでしょう。本当はやるべきことがあるのに。絶対にそちらを優先すべきなのに」

 

 カイトにとって正解は今この瞬間に窓から飛び降りて、目的を果たしにひた走ることに他ならない。無論、腕輪と魔導書をどうにか自分の手に取り戻さなくてはならないが、どちらかと言えば腕輪さえ取り戻せれば良いのだ。腕輪が正確にどこにあるかなどカイトにとっては些細な問題であった。カイトと腕輪は繋がっているのだから。

 

カイト「……よし、行こう、行こう!」

 

 立上がる。窓枠に手をかける。

 しかし、そこから進めない。大事なものを置き忘れたかのように、この家屋に対する未練が彼の進みを阻んでいた。何度同じ問答を繰り返したことだろう。たった数日の滞在である。にも関わらず、カイトをここまで縛り付けているこの家屋は、いっそそのような魔法がかかっていると考えた方が余りに自然に思える。

 

カイト「……」

 

 ベッドシーツを叩いた。シーツの皺がぼやけていた。日光によって塵が宙を舞うのがありありと見えた。何故だか、世界が潤んで、微妙に歪んでいるようにも見えたのである。

 崩れかけの椅子が目に映り込んだ。そこに座っている少女の姿が浮かんだ。

 カイトを縛るのはこれである。

 

カイト「どうして……あの時僕は目を覚ましてしまったんでしょう。どうして、あの時、あなたはそこにいたのでしょう」

 

 日光が椅子を穏やかに燃やしていた。

 

・・・・・・

 

〇美食殿ギルドハウス(10日目夜)

 

キャル「アイツ、騙されてるわよ」

 

ペコリーヌ「え?」

 

キャル「はぁ、ペコリーヌ。よく考えなさいよ。そもそも、アイツの母親があんなもの渡すわけないでしょうが」

 

ペコリーヌ「……んー、そうなんですかね?」

 

キャル「楽観的過ぎる! いい? 怪しいのはアイツの父親よ。あの腕輪、アンタすぐに良くないものってわかったでしょ?」

 

ペコリーヌ「はい、多分誰が見ても同じ感想を持つと思います☆」

 

キャル「そこよ! 誰が見てもそう思うのなら、何でアイツの父親はそんな良くないものを我が子に渡すのよ。いくら離れ離れになった母親の想いだからって、いわく付きの贈り物だってわかってて渡す筈がないわ。それに、託す、なんて言い方もわかってたら絶対にしないわよっ」

 

ペコリーヌ「……」

 

キャル「アイツには絶対に口にしちゃダメよ。想像させるのも。わかった?」

 

カイト「…………」

 

 

・・・・・

 

 

〇美食殿ギルドハウス(10日目夜)

 

 ドアに手をかけていた手がとまった。

 

キャル「アイツ、騙されてるわよ」

 

 そんな声が階段の上り辺りから聴こえて来た。

 カイトは食欲もあれば、罪悪感もあって、リビングへ向かおうとしていたのである。それに昼食を部屋の前に置いてくれた誰かもいたものだから、その礼も兼ねて。

 数日飲まず食わずでも十分体を動かすことはカイトにも可能だった。育ち盛りとして禁忌であるが、胃を収縮させることで食事の摂取量を極端に削ることができる。故に一食、晩ご飯を抜く程度造作もなかった。しかし、ここでの数日の暮しがカイトを少なからず変えてしまっていた。

 

キャル「楽観的過ぎる! いい? 怪しいのはアイツの父親よ。あの腕輪、アンタすぐに良くないものってわかったでしょ?」

 

 ピクリ、と手先がふるえるのがわかった。

 父親——? 腕輪——?

 二つの単語がカイトの中で恐ろしい奔流となってせめぎ合い、流れを同にした。

 

キャル「そこよ! 誰が見てもそう思うのなら、何でアイツの父親はそんな良くないものを我が子に渡すのよ。いくら離れ離れになった母親の想いだからって、いわく付きの贈り物だってわかってて渡す筈がないわ。それに、託す、なんて言い方もわかってたら絶対にしないわよっ」

 

 急な動悸に胸を抑え込んだ。足が手が震えていた。鼓動に合わせた呼吸が荒々しい。

 カイトはその体勢のまま、無限とも取れるような数分を、微動だにせず耐えていた。 

 キャルとペコリーヌが再び階下へ降りていくのを察したカイトは更に数十分粘ってようやく部屋のドアを開けた。相変わらず談笑がよく聴こえて来る。

 カイトが階段を降りていると、面々が微笑んでこちらを見た。カイトはその笑みがこの上ない程恐ろしくあった。甚だしい疑心暗鬼が、カイトの目に映る団欒の光景をおどろおどろしい様相に転じさせていた。

 

キャル「寝坊助通り越して、賞賛したくなるほどだわ。何十時間寝れば気が済むのよ」

 

コッコロ「環境の変化もあって、緊張の糸がほぐれたのでありましょう。無理からぬことです」

 

ペコリーヌ「ほらほら、カイトくん! 早く座って下さい。ご飯冷めちゃいますよ」

 

 ユウキは無言で親指を上げて、goodの形でカイトを招いていた。

 カイトは足が止まっていた。この階段が地獄へ続いているかのようである。

 あの食器から蒸気を上げるスープは毒が入っていたりするのだろうか? ——いや、そんな訳あるはずがない。

 あの椅子に座っても良いのだろうか? ——いや、座るべきだ。

 

ペコリーヌ「どうしたんですか?」

 

 カイトは何よりもまず謝罪したかった。一日顔を出さなかったこと。それで心配をかけたかもしれないこと。

 再び面々の顔を見やる。キャルの瞳がこちらを射抜いているようだった。

 

カイト「えっと、ちょっと寝すぎてしまったらしくて、余り食欲が湧いていないんです。それに体調も悪いのかも、しれないですから……それだけ言いに来ました。おやすみなさい」

 

 カイトは脇目もふらず降りて来たばかりの階段を昇って行った。

 また自室に入り、暗い部屋に閉じ籠った。

 静かで、寒い。

 それでも、カイトの体は窓辺に向かい、軽く開けていた。

 深く暗い森が拡がって、ずっと先には未だ明るい街並みがあった。こんな夜ならば、きっと怖くないだろう。

 

・・・・・

 

〇美食殿ギルドハウス(11日目深夜)

 

 しんと静まり返った闇。風もなく、家鳴りもなく、物音も一つとしてない。

 毛布は綺麗に畳まれていた。ベッドシーツは皺の一つもなかった。

 窓は開けられていた。その部屋には誰もおらず、誰かが暮らした形跡さえもなかった。

 木椅子は倒れていた。自然な時の流れのうちにそうなったかの如く。

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