田中リリス(582歳)   作:オクタマ共和国宣伝省

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とある騎士の転職

「では下級帝国騎士ファズ殿。これは最後の確認です。この手術を受ければ貴女は高い確率で苦しみ抜いて死ぬこととなり、生き延びることができたとしても多くを失うことになります。それでも、この手術を受ける覚悟はおありですか?」

 

「はい、私はこの肉体と魂の全てを帝国に捧げます」

 

「貴女の肉体は、もう二度と子を宿すことはできません。それでも、よろしいですか?」

 

「私には妹が二人います。何も問題はありません」

 

「……よろしい、では始めましょう」

 

医者との短い問答の後に、改造手術の準備が始められた。

 

改造手術を受けて上級騎士になれば給料が跳ね上がるし、仮に手術を生き延びることが出来なくとも結構な額の補助金が家に入る。私が死んでも、その金さえあれば妹二人を学校に入れてやれるし、母の治療の目処も立つ。この事実だけで自分の命一つを賭ける価値があると、そう思った。だから私は強化手術を受ける事に決めた。

 

鉄格子で封鎖された監獄の様な手術室の中で、私の身体は四肢を鎖に繋がれた状態でベッドに拘束される。話には聞いていたが、はっきり言って手術のビジュアルではなかった。

 

「今からこの薬液を貴女の静脈に打ち込みます。その後直ちに、貴女は今生で経験した事のないほどの苦痛に苛まれ、激しく暴れ回ることになります。この拘束は、その際に貴女の肉体を自壊行為、及び自殺衝動から守る為のものです」

 

青白い薬液が入った瓶を示しながら、医者は続ける。

 

「重要なのは、どれほどの苦痛に苛まれようと意識を保ち続けること。そうありたいという自分の姿を、この手術を生き抜いた自分の姿をイメージし続けることです。この薬は貴女の願いを叶えるもの、仮に願いが苦痛に負ければ、貴女の肉体は再構築に失敗し、それは凄惨な有様に変貌して死ぬこととなります」

 

彼の言葉に、この数ヶ月間の拷問のような鍛錬の記憶が蘇る。茨の鞭で背中を打たれ、塩をすり込まれた記憶。錆びて腐りかけた鋸で手足をズタズタにされた記憶。激痛という言葉では片付けられない恐怖と絶望に彩られたあの時間は、全てこれから受ける苦痛に耐えるためなのだ。

 

「……凄惨な有様の具体例を聞いてもいいですか?」

 

「内臓が全て蛸の足のような触手に置き換わって内側から破裂したり、500個に増殖した眼球に全ての栄養を吸い尽くされて絶命したりといった具合です。参考になりましたか?」

 

「ありがとうございます。聞かない方がよかったです」

 

私は乾いた笑いを落とすしかなかった。こういう時は前向きなことを考えよう。仮に手術を生き延びられれば、背中の傷も、四肢の爛れも綺麗さっぱりなくなって、嫁に行っても恥ずかしくない肌が手に入るのだ。それを楽しみにしよう。……いや、子も宿せない女に貰い手などいないか。前向きなことを考えるのは意外と難しい。

 

そうこうしている内に医者がスタンドに瓶をセットし、薬液が私の身体の中に流れ込み始める。……そして、地獄が始まった。

 

……100回ぐらい、いやそれどころじゃ足りないくらいの回数は「もう殺してくれ」と叫んだような気がする。いや、叫ぶ気力すらなく、ひたすら身体を暴れさせていたのだったか? 記憶はかなり曖昧だ。とにかくこの苦痛が終わるのなら死にたいさっさと死なせてくれ早く殺せと思っていたのは確かだ。全身に隙間無く針を突き刺されるような、内臓を雑巾でも絞るように捻られているような、高い山の頂から地の底に蹴り落とされて全身を強打しつつ頭を潰されるような、台所で母の拙い手つきで捌かれていた魚になったような、そんな気分だった。つまり死んだ方がマシだった。

 

しかし、ある時から苦痛以外の感情が心の中に生じていた。それは怒りだ。

 

理不尽な現実への怒り、川に落ちて死んだ間抜けの父親への怒り、人が苦労して稼いだ金で他所に男を作ってやがった母親への怒り、苦労して通わせてやった学校をサボる妹二人への怒り。なんであんな連中の為に私がこんな思いをしなきゃいけないんだ。世の中不公平だろうが! 何が長女だ巫山戯やがって! 男の一人すら産めなかったせいで本家に見放された期待外れの癖に人を顎で使いやがって! その所為で私は騎士とかいう剣を振り回す以外に能のないバカな男連中しかやらない賤業なんかをするハメになったんだろうが! 何が帝国騎士だバーーーカ!!! 全員くたばれ!!! 死に晒せ!!!!!」

 

……そして私は生き残った。正気を取り戻したとき、鉄格子の向こうに立っていた医者たちが笑いを堪えたような顔をしていた理由については、努めて考えないようにしている。

 

何はともあれ、強化手術の成果は凄まじいものがあった。使える魔法は以前よりも遙かに強力になったし、肉体の強度も以前までとは比べものにならない。下級騎士時代には命がけで戦っていた魔物達が、今では剣の一振りであっさりと絶命する。私の肉体は手術の前後で、生命としての次元が変わっていた。給料の次元も変わっていた。当然家族への仕送りは以前から据え置きである。学校代と病院代はくれてやったが。

 

命の危険があるとすれば、隣国との偶の小競り合いに駆り出された時ぐらいだ。相手にも私と同じような強化人間がいるから、それとの戦闘では気を付けねばならなかった。とは言え、決戦兵力として扱われた私たちの損耗を恐れてか、上層部は滅多に強化人間部隊を前線に出さなかった。お陰で強化人間同士の戦闘など殆ど生起しなかったので安泰である。そうとも、抑止力は見せ札に使ってこそ価値があるのだ。皇帝陛下におかれましては、これからもずっと腰抜けであって下さいますと家臣一同大いに幸いです。

 

そんな生活を送っていると、次の戦争が決まった。相手はオクタマ共和国という山間の小国だった。

 

人と呼ぶのも躊躇われる異形の存在が住み着き、神を名乗る異形の存在が統べる謎の国家、それがオクタマ共和国だ。外交においては不干渉主義を貫いているため、恐らくは子を成す力を持った特殊な強化人間の集団なのだろうと推測されているが、その兵力から何から、全て不明である。

 

しかし時折に空を駆けていく燃え尽きない流星の群れは、そのオクタマ共和国に住まう異形の一種と言われている。剣では戦いようのない空の彼方を飛ぶ存在を相手に、お偉方はどう戦うつもりなのだろうか?

 

まあ戦争を仕掛けるのだから、何かしらの勝つ算段があるのだろう。それに、幸いにして今の私はトコロザワ・ペンタゴンの防衛戦力として内地に配置されているのだ。前線に出されることはない。死の危険がない戦争のなんと気楽なことか。

 

……結論から言えば、勝つ算段などなかったらしい。そして死の危険どころの騒ぎではなかった。

 

当初から分かっていた通り、宙を舞う敵に剣の間合いではどうにもならず、それならばと放った矢はあっさりと躱される。これでも音よりも速く飛ぶ弓矢の筈なのだが、やっていられない。

 

そして頼みの魔法は発動することすらできないときた。勝つとか負けるとか、そういう次元にすらない。勝負の土俵に上がることすら許されなかった。まるで大人と赤子だ。いや赤子ですらない。我々は踏み潰される矮小な虫の一匹に過ぎなかった。

 

降り注ぐ鉛玉によって、アウトレンジから一方的に殺される。虐殺の様相だ。鉛玉を防ぐために盾を掲げたら、右腕ごと捥げた。そこからは必死に跳んだり跳ねたり。ミンチと化した同僚の死体の上で、私は踊っているように見えたに違いない。……やがて鉛玉は私の左腕を弾けさせ、右脚を飛ばし、脇腹を抉った。私は踊ることもできなくなって、地面に倒れ伏した。

 

「……お前、大した根性だな」

 

空の上にあった敵の一人が、私の前に舞い降りた。山と化した仲間の死体を踏んづけて、私を見下ろしている。

 

「降伏しろ。生き残りはお前だけだ。お前、改造手術受けてんだろ? こっちも一人ぐらいは生きてるサンプルが欲しいんでな、殺しゃしねぇよ」

 

私の生命を保証する慈悲深い言葉だった。それが無性に頭にきた。溢れかけた内臓も怒りに煮えくりかえっていた。コイツは騎士の間合いまで入ってきたんだ。私の事を死に損ないと舐め腐って降りて来やがったんだ! 殺してやる! 私は死ぬが、コイツも一緒だ!!!

 

私はその辺に転がっていた剣を口に咥えて、顔面を支えにして起き上がった。きっと、半身を踏み潰された芋虫が必死に身を起こそうとする様子に似ていただろう。構わない。私の身体にはまだ使える関節と筋肉が残っている。左足と背骨と首と顎が残っている。この発条を総動員して、あの忌々しい鳥人間を斬り殺してやる。

 

しゃがみ込んだ姿勢から、残された全身の力を振り絞って、私は飛び掛かった。

 

「……外にお前みたいのがもっといりゃあ、俺も腹くくれるんだがなぁ」

 

異形が目前まで迫った次の瞬間、天地がひっくり返った。地面に墜落して、口から剣を取り落とす。呻きながら視線を落としてみれば、左足がなかった。

 

「ゼフ隊長、なぜ止めを刺さずに嬲るような真似を? 非人道的です」

 

「ルル、今の見たろ? これから持って帰るってのに、左足一本でここまで抵抗して来やがったんだ。これ以外にどうしろって?」

 

「我々はこれから敵の侵攻部隊を背後から襲撃しなくてはなりません。共和国の防衛ラインが金床、敵の首を討って返す刀の我らが金槌です。この強化人間を生かすためには直ちに共和国へ連れ帰って病院に叩き込む必要がありますが、防衛作戦の発動に遅れは許されません。この場で止めを刺し、捨て置くべきです」

 

「達磨一つ医務室に放り込むのにそんな手間は掛かんねぇよ。それにエリコンの35ミリは過剰火力だ。ババアがうるせぇから持ち出したが、嵩張るし継戦能力にも劣る。ブローニングの12.7ミリに持ち替えるぞ。そのためにも一旦帰投だ。分かったか?」

 

「了解。ハトノス空挺隊は直ちに帰投し、装備変更の後に再出撃します。……その危なっかしいものを持ち帰るのは、隊長、貴方がやってくださいよ?」

 

「……ああ、当然だ」

 

伸ばされた手に噛みつこうとしたら、素早く顎を強打された。私の記憶は、そこで途切れる。

 

再び意識を取り戻したとき、私は包帯でグルグル巻きになっていて、当然の様に手足がなかった。清潔なベッドの上で、私は筆舌に尽くし難い絶望に苛まれて、自殺する気力すら失っていた。どうして怒りに任せて最後の悪あがきをしたときに、あの鴉の羽を持つ男は私を殺してくれなかったのだろう。

 

もはや怒りすらなくなり、私はどこまでも従順になった。口に流し込まれる食事を素直に飲み込み、聞かれた事には何でも答えた。能動的に何かを出来るだけの能力は、すでに失われていた。もう、殺されるまでされるがままであろうと思った。

 

ある日、私は車輪の付いた椅子に座らされて、無数の触手を従えた巨大な異形の前に引き出された。聞けばこの異形こそがオクタマ共和国の最高指導者、神聖独裁官閣下その人であるという。これが私を殺してくれるのだろうか? 少し期待したが、その異形は私に事務的な質問を投げかけるばかりで、どうやらただの尋問らしい。肩透かしも良い所だった。

 

「……インタビューにご協力ありがとう。お礼に新しい手足をプレゼントしよう」

 

そしていつもの通り従順に質問に答え続けていたら、眼前の異形は徐に己の触手を千切り、編み合わせて四本の縄を作ると、私の両肩と腰に押し当ててきた。何をされているのかと目を白黒させていれば、その縄は瞬く間に変形し始めて、まるで手足のような見た目になった。

 

「この触手はもう君の管制下に入った。今は不格好だけど、使ってるうちに馴染んでくるはずだから。しばらくは我慢してね」

 

気が付いた時、私は立っていた。己の脚で、地面に立っていた。義足などではない、血の通った、本物の脚だ。腕を曲げたり伸ばしたりして、手を握ったり閉じたりしてみる。思った通りに動いた。触れれば、触れられていると分かった。本物の手だ。つまり、これがどういうことなのかというと……

 

私には、私の身体には、本物の脚と、本物の手が付いているということだった。失った筈の手足が、返ってきたということだった。

 

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます! この御恩は一生、いっしょうかけてお返しいたします! 私は今後の全生涯をオクタマ共和国と神聖独裁官閣下のために捧げることを誓います!!!」

 

こうして、私はサイタマ帝国の上級騎士から、オクタマ共和国の外人部隊指揮官に転職することになったのである。

 

「……私も目の前で見てはいましたが、背景を知るとやはり壮絶ですね」

 

「そうでしょうか? 私としてはなるようになったという感じなのですが。元からお金の為に兵隊へ行って、お金の為に命がけの改造手術に手を挙げた人間ですから。ハトノス空挺隊による強襲で死に損なった件然り、たまたま生き残り続けた運の良さだけが私の取り柄ですね」

 

「運が良かったで片付けて良い経歴ではないと思います」

 

巫女様はあきれ果てたという様子で呟き、眼鏡をかけ直しました。

 

オクタマ共和国の国防総省で働き始めてしばらく。前職ではあり得なかった午後休という素晴らしい制度のお陰で昼食前に退勤した私は、散歩中の巫女様と偶然出会い、暇で仕方がないという彼女の暇つぶしに協力していました。今は適当に街中を歩きながらの暇つぶしトークの第一弾、私の身の上話が終わった所です。さて、何か次の話題を準備しなくては。

 

「ところで巫女様。急に暇になってしまわれたということですが、一体何があったのでしょうか?」

 

「……今日はリリス様の公務に余裕があって、長期出張中のお兄様も一時帰国中ですから、この機会にリリス様とお兄様に習得した魔法を披露しようと思っていたのです。でも、どうやら二人とも用事が入ってしまったらしくて、暇になってしまいました」

 

「それは残念でしたね。お二人のご用事とは?」

 

「カイナ大公国からやってきた公女様御一行との会談が終わったら、リリス様は「今日はもう疲れたから寝るぅ」と寝室に向かわれてしまって、お兄様は公女様に首根っこを鷲掴みにされて何処かへ連れていかれてしまいました。やはりサプライズに拘るのは失敗だったようです。次からはしっかり予定を抑えることにします」

 

お二人とも大丈夫なのでしょうか?

 

ゼフ殿は頑丈だから別に良いとして、特に気に掛かるのは神聖独裁官閣下です。閣下の常軌を逸した業務量は私もよく知っています。その負担を軽減するために、我々は雇われたのですから。

 

「……巫女様、以前から疑問に思っていたことがあるのです。なぜ閣下はオクタマ共和国の人間を行政に登用せず、我らのような征服地の人間を使っているのでしょうか? 国防総省の人員すらサイタマとオダワラで確保された捕虜が殆どです。自分のことながら、とても信用できない立場の人間を登用する理由が分からないのです。差し支えなければお答えいただけませんか?」

 

少々真面目な話題になってしまうが、この際だから聞いてしまおう。どうせ私の身の上話で場は盛り下がっているのだ、多少真剣になってしまうからなんだ。

 

「リリス様は、私たちに権力を渡すことを厭っているのです。私たちは以前失敗して、内戦を起こしてしまいましたから。私も色々調べましたが、正直あの内戦の経緯は野蛮そのものでしたから、権限の移譲には慎重になるべきだと思います」

 

「……ですが、こうして街の様子を見ていると、皆さんとても穏やかに暮しています。内戦が起こった時期とは、人も文化も変わっているのではありませんか?」

 

私は閣下から賜った腕を大きく広げて、道行く人々を巫女様に示しました。大通りには、角のある人、翼のある人、触手のある人、毛皮のある人、多種多様な見た目を持つ人々が、和気藹々と過ごしています。それは、今はオクタマ共和国に併合されたかつての祖国でも見た、当たり前の日常と同じように見えました。あらゆる意味で異なる外見を持つ人々が調和して日常を送り、更に私のような羽も角もない"不思議な人間"すら受け容れてくれる、その懐の広さと言ったら。

 

「それは内戦を経て、全てをリリス様が掌握するようになってからのことです。……リリス様はもう、権力の奪い合いで私たちが戦う所を見たくないのです。だから、リリス様は皆さんを雇用しているんです。あえて酷い言い方をしてしまうと、仮に何か不手際があって殺すことになっても心が痛まないから、ということです」

 

「……なるほど。ご説明下さり、ありがとうございます」

 

「……我ながら同僚にする話ではありませんね。私たちの”神様”も困ったものです」

 

巫女様は溜息を吐かれました。いや、まさかここまで重々しい方向に展開するとは。興味深い事実に触れられたことは有り難かったが、こんな気軽な暇つぶしの時間に歴史の問題に首を突っ込んではいけない、私は深く反省した。

 

「ファズさんはこちらに来て日が浅いですし、ずっと働きづめでしたよね。あまりこの国について学ぶ時間もなかったのではありませんか?」

 

「はい、お恥ずかしながら。一応、閣下から頂いたオクタマ共和国の資料には目を通しているのですが、外様の我々には明かせる情報も限られるらしく、詳しい歴史などはあまり……」

 

「では、それを説明するのに丁度良い場所があります。昼食もそこで取れますから、ますます丁度良いですね。ついてきて下さい」

 

行き先のない散歩が明確な目的地を得て、巫女様は足取りを少し速めました。私もその後に続きます。

 

……オクタマ共和国の街並みは、私の亡き祖国とは似ても似つかない景色でした。

 

山面の傾斜にへばり付くように、背の高い角張った建物が犇めく石造りの森。まるで向かい合わせの階段の一段一段に、積み木で作った塔をぎっしりと並べたような見た目です。そしてその隙間を縫うように、峡谷を渡る背の高い橋が幾本も掛かっています。空間を余すところなく利用した立体的な都市、それがオクタマ共和国の風景でした。

 

「それにしても変わった建材ですよね。よく見ると石積みでなく、漆喰とも言い難い。なんとも言えない風合いで……」

 

「鉄筋コンクリートですね」

 

そして現在歩いている谷底の通りが、オクタマ共和国のメインストリートです。昔は川が流れていたそうですが、今では暗渠になっていて見えません。ここには洋服店や飲食店が建ち並び、いつも賑わいを見せています。

 

「……着きました。ここがオクタマ共和国人の終の棲家、老人ホーム「まほろば」です」

 

「巫女様、老人ホームとは?」

 

「仕事からリタイヤしたお年寄りが集団で生活する公営の施設です。お年寄りと言っても皆さんお元気ですから、併設のレストランで働いたりしているんですよ」

 

「なるほど、実に素晴らしい福祉政策ですね。流石は神聖独裁官閣下です」

 

「……そうですね」

 

例によって角張った建物の扉を押し開けて、巫女様は老人ホームの中へと脚を踏み入れます。

 

「あら! いらっしゃいセリメちゃん! よく来たわね! そちらにいる軍人さんは外から来たって言う方かしら? よく来たわね! ゆっくりしてって頂戴!」

 

レストランの区画で席を確保し、テーブルの上に置かれたボタンを押すと、背中に黒い羽を生やした老婆がしっかりとした足取りでやってきました。どうやら給仕係のようです。今回は巫女様に私の分まで注文して頂きます。何しろメニューを見ても見知らぬ料理の名前が並んでいるばかりで、私には味の想像もできませんから。

 

「じゃあ私はカルボナーラと、ファズさんの分はナポリタンでお願いします。こういうときはド定番行くのが安牌でしょう」

 

「いやいや、ご新規さんにこそモーコ風激辛タンメンを勧めるわよ! どうかしらファズちゃん?」

 

「ダメです! あんな物を食べるのはリリス様だけです!」

 

「そうでもないのよ? いや私も食べられないけど、アレって癖になるらしくてね、結構リピーターが沢山いるのよ」

 

「正気の沙汰とは思えません……。とにかく、カルボナーラとナポリタンです! お願いします!」

 

巫女様はブンブンと腕を振り回し、最初の注文を押し通しました。一体私は何を食べさせられるところだったのでしょうか。ともあれ閣下の好物らしいので、今度食べに来ようと思います。

 

「あ、クムロさん。ちょっと待って下さい、聞きたいことがあったんです」

 

「うん? どうしたんだいセリメちゃん?」

 

厨房へ去ろうとする老婆を巫女様が呼び止めました。

 

「もし、リリス様が失敗したとき、クムロさんはどうしますか?」

 

「何言ってるんだい。リリス様は失敗なんてしないよ」

 

ぴしゃりと言って、老婆は下がっていきました。

 

「あの、巫女様? 今のは……」

 

「ふむ、料理が来るまで少し掛かりますからね。ファズさん、ついてきて下さい」

 

「え?」

 

巫女様は席を立ち、スタスタと歩き始めました。私も慌ててその後に続きます。彼女が向かったのは、額に角を生やした老人のテーブルでした。挨拶もそこそこに、巫女様は再び問いを発しました。

 

「ヘーゼルさん。リリス様が寝坊したらどうしますか?」

 

「そりゃあセリメちゃん、勝手に壊れた時計が悪いに決まってるよ。何しろリリス様は失敗なんてしないんだから」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

次に行きましょう。巫女様は再び歩き始めると、今度は四本の腕を持つ老人の前に向かい、再び問いかけました。

 

「テジャウさん。リリス様が人を殺してしまったら、どうしますか」

 

「……それは殺された人間が罪人だったんだろうな。リリス様は失敗しない」

 

「ありがとうございます」

 

では次に来ましょう。次です。次、次、次……。レストランにいる老人たちを回ることしばし、巫女様はひたすら同じ問いを発し続け、老人達は同じ答えを返し続けました。

 

「リリス様が失敗したら、どうしますか?」

 

「リリス様は、失敗なんてしません」

 

……私たちはテーブルに戻りました。既に料理は配膳されており、平皿に盛られた赤と白の麺料理が湯気を立てていました。故郷では嗅いだことのないような、やや刺激の強い香りが食欲を煽ります。が、どうにも口を付ける気にはなれませんでした。

 

「……巫女様、今の問答は、一体何だったのでしょうか?」

 

「ここにいる老人達の多くは、100年前の内戦に参加した方々です。皆さん敵味方に分かれて、派手にドンパチやっていました。互いが肉親の敵と言える存在のはずです」

 

「今紹介していただいた方々が、かつて殺し合っていたと?」

 

「はい」

 

殺し合った者同士が和気藹々と一つ屋根の下で暮している。俄には信じがたい事実に、私は眉を顰めました。

 

「大昔の話です。私たちが生まれ持った違いは、待遇の格差に繋がって、私たちの間に無数の対立の火種を産みました。100年前、唯一の安全弁であったリリス様が勇退された後、それらが一挙に火を噴きました。俗に、岩戸内戦と呼ばれる醜い戦いの始まりです」

 

巫女様は滔々と語りながら、三つ叉の食器で麺を絡め取って口に運んでいきます。

 

「その戦いを止めるためにリリス様が地底から呼び戻されて」

 

巫女様は食器を置いて、口に水を含みました。

 

「今見せた物が、リリス様が問題解決の為に取った方法です」

 

「あのう、よく意味が……。国家元首の行動を肯定するのは、普通のことなのではありませんか?」

 

「普通、そうですね。平和で何事もなく運営されている国家の国民ならば、それが普通なのかも知れません。でも、彼らは平和で何事もなく運営されていない国家の国民でした」

 

「……」

 

「リリス様はそこそこアホで間抜けです。慣れていないことにはとことん要領が悪くて、よく失敗します。料理なんて絶対にできません。そんなことをさせたらキッチンが爆発します。性格の方は頑固で意地っ張りで涙もろくて、私が転ぶと仕事を投げ出してすっ飛んでくるぐらい心配性です。私に限らず、この国の国民誰に対してもその調子です」

 

巫女様は再び食器を手に取って、麺をグルグルと絡め取り始めます。

 

「ですがリリス様は、私たちが互いを傷つけ合うことを何より嫌います。その結果が、今お見せした物です」

 

絡め取った麺を口に運んで、よく噛んで、飲み込んでから、巫女様は言いました。

 

「だからと言って何という訳ではありませんが。一応、覚えておいてください。……長々とすみません、話は以上です。料理が冷めてしまいますよ、ファズさん。ほら、こうやってフォークでぐるぐるして食べるんです。できますか?」

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