田中リリス(582歳) 作:オクタマ共和国宣伝省
「──赤色攻撃警報が発令されました。落ち着いて、自治体の指示に従って行動し、安全を確保して下さい。電波機器は電源を切らずに保持して下さい。繰り返します。赤色攻撃警報が発令されました。落ち着いて、自治体の指示に従って行動し、安全を確保して下さい。電波機器は電源を切らずに──」
いつ聞いても心臓に悪い警告音と合成音声がそこら中から流れ始めて、オフィスの中は途端に騒然とし始める。私もポケットからスマホを引っ張り出して画面を確認した。
「避難指示、核攻撃の恐れがあります。契約済みのシェルターやジオフロント、最寄りの地下鉄駅に避難しましょう、ねぇ……。何回目だよこれ」
詳細情報まで辿って見れば、欧州で戦略級核兵器の使用が確認されたとのこと。地球の裏側じゃないか。それにこの間も重慶とカリフォルニアが吹っ飛んだばかりだろう、今更もう一発増えたところで何だというのだ。核を神格化して大げさな避難指示を出すのは結構だが、正直もうその意義も感じない。
同僚達も私と同じ感覚のようで、皆さっさと警報を切ってスマホをポケットに突っ込み、仕事を再開していた。向かいの後輩君は警報を切ってからも、しばらくスマホを弄っていた。多分旦那さんと互いの無事を確認しているんだろう。
「……最近多いすね、赤色警報。今年に入って5回目くらいすか? みんな残って仕事する空気すけど、先輩は避難します?」
「いんやぁ、この書類今日中に上げなきゃいかんしなぁ。クライアントが急に駄々こねて納期繰り上げてきやがったから方々に頭下げてライン確保しなきゃだからなぁ。今私が帰ったらみんなに迷惑掛けちゃうしなぁ。でもお国の指示だしなぁ。仕方ないよなぁ。お国の指示だもんなぁ。……という訳で私は帰る。後輩君はどうすんの?」
「俺も帰ります。夫が心配するんで。てか、先輩も避難先はオクタマシェルターすよね。もう引っ越し済んでたんすか?」
「まだ全然。というかウェブで契約済ませただけだから内見すらしてない。一応ベッドとマットレスはあるらしいから泊まれはするけど。向こうで毛布でも買うかねぇ」
「んじゃオクタマシェルターに行くのすら初めてすね。それじゃ俺案内するんで、一緒に帰りましょうか。というかウチに泊まってって下さいよ。夫も紹介したいですし」
「気が利くじゃーん。お邪魔しまーす」
そんなこんなで私たちは仕事を切り上げ、警報を無視して労働に励む非国民たちを尻目に颯爽と退勤していった。その脚で向かうのは新宿駅の最下層、最近になって開通した新たな国営地下鉄、東京都縦貫地下鉄道のホームである。
「へぇ、地下鉄で直にシェルターまで乗り入れてるんだ。便利じゃん」
「ジオフロントとシェルターを地下鉄で繋げて核攻撃に強い街作り、だそうで。税金の無駄遣いとか色々言われてましたけど、東京の果てのド田舎から20分で新宿まで到着するんで便利すよ。先輩も早いとこシェルターに引っ越しましょうよ」
「荷造り面倒くせぇ、手続き面倒くせぇ。けどまあ、流石に明日家に帰ったら始めるかな……」
乗り込んだ列車の中は、流石に人で一杯だった。けれど毎朝のラッシュに比べれば楽な物で、乗車率150%と言った所か。そのまま20分ほど揺られれば、オクタマシェルター駅に到着である。私は如何にも新築感のある小綺麗なホームに降り立った。
「ここもうシェルターの中なの? はえー確かに早いねこりゃ」
「でしょう? だから先輩も早く──」
──その時、激しい地震が私たちを襲った。思わず悲鳴をあげそうになりながら、立っていられない程の揺れに手近な柱を掴んでどうにか耐える。
揺れは数秒で収まった。
「……後輩君、今のってさ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。確認してみます」
「確認って何を」
「渋谷交差点とかのライブカメラです。これで地上の様子を見れます」
しゃがみ込んでスマホを操作する彼の後ろに回って、私も画面を覗き込む。そこには何も映っていなかった。
「……東京、仙台、名古屋、大阪、北九州、京都、どこも映りません。どこもかしこも全部。全部映りません」
私は息を呑んだ。……つまり、それってさ、そういうことじゃん?
「……もしかして、今さ、この国、滅んだ?」
その直後、ポケットに入れていたスマホから例の心臓に悪い警告音と合成音声が流れ出した。そこら中から同じ音が聞こえてくる。後を追うように、いくつもの悲鳴が重なった。
「──我が国は核攻撃を受けています! 命が危険です! 直ちに安全を確保して下さい! 頑丈な建物の中に避難して下さい! 生き残る為の行動をとってください! 繰り返します! 我が国は核攻撃を受けています! 命が危険です! 直ちに安全を確保して下さい! 頑丈な建物の中に避難して下さい! 生き残る為の行動を──」
スマホが垂れ流す今更な警告を聞きながら、私はただ呆然と突っ立っていた。世界の終わりは、思いの外あっさりとやってきた。
……ここからしばらくの事は、あまり記憶が定かではない。
まず、座り込んでいる後輩君を引っぱたいて、阿鼻叫喚のホームを出口に引き摺っていった。初めて足を踏み入れたシェルターの中は、まるで高層マンションを釘打ち機で地面にまるごと埋め込んだような構造で、それぞれのビルが渡り廊下で繋がっていた。どこもかしこも混乱の坩堝で、私は人波をかき分けて歩き続けた。
私は後輩君を引き摺っているくせにどこに向かえばいいのかも分かっていなかった。一時間ほど速足で彷徨ってから、我に返った私は立ち止まって、振り返って彼に尋ねた。
「……ねえ、これってどこに行けばいいんだろ?」
それから、確か、後輩君の家に行ったはずだ。幸い在宅ワーク中で無事だった彼の夫を紹介して貰って、普通に挨拶して、普通に料理を出して貰って、普通に布団を借りて寝た。全ては恙ない日常に見えた。翌朝、私は二人から毛布と着替えをわけて貰った。
「あの、いいんですか、こんな、こんな時にお世話になりっぱなしで」
「いいんですよ田中さん。こんな時だから助け合うんです。情けは人のためならず、と言うでしょう? 僕らが困ったときは助けて下さいね」
後輩君の旦那さんは本当にいい人だった。こんな時だというのに笑みを絶やさず、前向きなことを口にしていた。
私は自分に割り当てられた部屋に向かった。部屋の中には、二人から貰ってきた毛布と着替えの他には、ベッドとマットレスしかなかった。私は剥き出しのマットレスの上に横たわって、その日一日を過ごした。
「──こちらはシェルター公社です。オクタマシェルター居住者の皆様は、セントラルホールへお集まり下さい。繰り返します。こちらはシェルター公社です。オクタマシェルター居住者の皆様は、セントラルホールへお集まり下さい」
その翌日以降、色々なことが動き出した。シェルター中のスピーカーから広場に集まるようにとアナウンスが流れた。広場に集められて整列させられて、人数を数えられた。その後、何か偉そうな人が喋っていた。何も心配は要らないとか、全ては計画通りとか言っていた気がする。そして食料が配給制になった。部屋に戻って動かないように、とも言われた。私は部屋に戻ってきた。
「……寒いなぁ」
それから、剥き出しのマットレスの上で寝っ転がるだけの生活が数週間続いた。その間に、分かったことが幾つかある。
まず、配給される食糧が不味いこと。地上は完全に壊滅して、汚染されたこと。このシェルターで生き残ったのは31万人ということ。東京地下のジオフロントとはどうやっても連絡が付かないこと。そしてどうやら、食料の生成プラントと空気の浄化装置に不具合があるらしいこと。
「通りで飯が不味い訳だ。そこはかとなく息苦しいし」
特にプラント設備の不具合は深刻だったらしい、今のままでは31万人全員を養い続けられない程度に。勿論シェルター公社の連中が実際にそう言ったわけじゃない。ただ、異様な慌ただしさから察する物があった。
対応は迅速だった。遠征部隊を編成して、地下鉄経由でジオフロントを目指す。そして生き残りがいれば接触して協力を頼み、いなければ設備の修理に必要な部材を引っぺがして帰ってくる。そんな計画が立てられて、300人ほどの男性が集められて、彼らはぶかぶかの宇宙服のような防護服を着て、ジオフロントへと出発していった。
そして後輩君の夫は、その遠征部隊に参加していた。一度しか会ったことはなかったが、彼らしいなと思った。
「……先輩、起きてますか?」
遠征部隊が出発した日の多分夜中に、後輩君が訪ねてきた。
地下に建設されたシェルターは言うまでもなく光源がなければ真っ暗で、節電の為とかいって光量がギリギリまで抑えられていたせいで常に薄暗かった。お陰で、時間の感覚が狂っていく。定期的に流れる時報だけが、感覚を保つよすがだった。
不要不急の外出は禁止されているので、私は彼がやってきたと気づくや直ぐにドアを開けて、彼を中に引き摺り込んだ。まあ、後輩君なら誰かに見られるようなヘマは打つまいが。
椅子もないので、二人でマットレスに並んで座る。部屋の中には牛乳や弁当なんかの配給物のパッケージが散乱していて、少し恥ずかしかった。
「すいません、一人は、寂しくて」
私はいつだって一人さ。そんな言葉を飲み込む程度の理性はまだ残っていた。だって、彼のあんな顔を見れば誰だって何も言えなくなる。薄暗がりの中でも分かるほど、青ざめた顔を。
「いやぁ、どうしてこんなことになっちゃったんだろうね。核ってそんな大層なもんでもないじゃん? 印パで投げつけ合って、中華とアメリカの内戦でも割と気軽に使われてたし、なんで今更滅ぶのって感じ。ねぇ」
「……多分、今までの戦略核の使用は、国際的な条約機構や国家共同体から離れた局地的な対立や、外国勢力とは無関係の内戦で使われたから、大丈夫だったんです。それが欧州での使用では、国家共同体同士の戦いに使われた。それで報復システムの発動が拡大連鎖していって、アジアまで飛び火したんでしょう」
「第一次大戦のピタゴラスイッチ開戦みたいなもんかぁ。やってられんね」
薄暗い核シェルターの中で、少しだけ日常が返ってきたような気がした。
「……ねぇ先輩」
「どうしたの?」
「俺が寝るまで、寝ないでいてくれますか?」
「……分かったよ。君が眠るまで、傍にいよう」
彼は壁の方を向いて、横になった。啜り泣く声が聞こえたので、私はその肩を撫でてやった。しばらくして、体の震えが静かな寝息に変わっていくのを見届けてから、私も横になった。
……一週間ほどして、遠征部隊が帰ってきた。彼らの報告によると、ジオフロントは核の直撃に表層部が耐えられずに圧壊、そこから流れ込んだ衝撃波によって内部がグチャグチャに破壊されていたらしい。つまり壊滅、生存者なし、使えそうな部材もなし。
同時に、彼らは地上での偵察も行った。しかし地上には点在するクレーターの他には砂漠が広がるばかりで、かつての大都市の面影は一つとして残っていなかった。遠征部隊は何の成果も得られないまま、帰路につくこととなった。
そして地上から引き上げる直前、遠征部隊はミュータント兵器の襲撃を受けた。彼らの肉体は核戦争対応だ。どこかで爆風をやり過ごして生き延び、軍による統制を失って”野生化”したのだろう。遠征部隊は武装など一つも持っていなかったため、成すすべがなかったそうだ。
300名中261名が殉職。後輩君の旦那さんは生きて帰ってきたが、ミュータントの攻撃で防護服が破損。被曝した。現在、彼は治療棟にいる。まあ、生きていることに違いはない。
更に数日後、大気循環・浄化システムが完全に破損し、機能が大幅に低下、同時にシェルター内部への汚染された大気の流入が確認された。これを受け、シェルター公社は居住区の60%を放棄する決断を余儀なくされる。そして、それに追い打ちをかけるように食料生成プラントの稼働率低下が確認された。
この事実は、31万人全員が生き延びることは不可能であることを意味していた。
……私の部屋も放棄区画に含まれていて、私はゴミだらけの部屋を出ることになった。呆れたことに、公社の連中は引っ越し先は自分で工面しろという。仕方ないので、私は後輩君の家に転がり込むことになった。
けれど多くの人は広場やショッピングモール区画でホームレス生活をする羽目になっていたので、受け入れてくれる人の宛があった私は、運がいい方だ。
「その、えっと、今日からよろしく」
「……先輩、ありがとうございます」
「いや、それは私の台詞で──」
「そうじゃないんです先輩、そうじゃなくて……今日から、夜、一人じゃないから」
「……そうだね」
……その頃から人々の間で、そして私の中で、一つの予感が確信に変わっていった。
つまり、私たちは、生き残ったのではなくて。救われたのではなくて。
ただ、滅びをほんの少しだけ先送りにした、それだけに過ぎないのではないだろうか?