田中リリス(582歳) 作:オクタマ共和国宣伝省
「ゼフよ。わらわを余人の耳目のない場所へ連れていけ。疾く。一時でも疾く」
会談を終えた公女様はそう言って俺を見上げた。人目を気にしてか、その表情は外向きの柔和なものだったが、瞳は凍えるように冷たい。傍に控える従者もまた黙して語らないが、握りしめられた拳は雄弁だった。
俺は胸の奥がじんわりと温まるのを感じた。軽く息を吐くと共に、思わず笑みを零す。内緒の話とくれば、あそこしかない。
「それならお誂え向きの場所があるぜ。ババアが寄り付かない、聖域がな」
オクタマは小さな国だ。全てのものが全ての市民にとっての徒歩圏にあって、誰も知らない場所なんてものはそうはない。プラントに改装されず、墓地にもなれず、ただ打ち捨てられ、忘れられた古い遺跡を除いて。
俺たちは市街地を離れ、プラント区画へ向かった。その一角には朽ちかけた物資搬入用のエレベーターが遺されている。地下世界に降り立ち、そこかしこに古い破壊の痕跡が残る街並を抜ければ、懐かしい図書室にたどり着く。
「ついたぜ。ババアは……リリス様は旧シェルター区画には近寄らねぇ。我がオクタマ共和国で内緒話ができるのはここぐらいなもんだ」
「うむ、そうか、よい」
床に転がった酒瓶を蹴飛ばし、埃を被った椅子を払って公女様に勧める。彼女は眉一つ動かさずに席に着くと、テーブルに頬杖をつき、そして深々とした溜息を落とした。
これでやっとこさ一息つけたが……。彼女にはいろいろと説明というか、言い訳しないといけないことがある。山ほどある。だが、その前に言っておくべきことがあった。
「……キラウ様。黙っててくれてありがとうございます。そして大変申し訳ありませんでした。事の経緯についてはしっかり説明させて頂きます。でも、まず、何よりも、……ありがとうございました」
俺は深々と首を垂れた。万感の思いを込めた感謝と謝罪だった。
「うむ、そうか。じゃがわらわはまだその感謝と謝罪を受け取るつもりはない。事の経緯とやらは聞かせてもらうが、それも後回しじゃ。先にこちらの用件を片付けさせてもらうとしよう。……ウナよ」
俺の万感の思いをさらりと流し、少女は己の騎士の名を呼んだ。
「こちらに」
「さてウナよ。お主はあの日、わらわの剣になると誓ったな?」
「……しかと、私はこの命に懸けて、大公陛下の剣として生き、そして死ぬことを誓いました」
「うむ。お主はカイナ大公たるわらわの剣であり、盾であり、牙であり、角である。そうじゃな?」
「その通りです」
「ではウナよ、お主の拳も、当然わらわの物じゃな?」
「何時如何なる場所においても」
「よい」
キラウ様は満足げに頷いた。
「では我が拳に命じる。……この阿呆の土手っ腹を一発ぶん殴ってやれ」
「御意のままに」
強化人間の全身全霊を以て放たれた拳は最短経路を駆け抜け、阿保の土手っ腹へと最速で叩き込まれた。瞬間、宙を舞う阿保の体。本棚に叩きつけられ、なお止まらず、何列かの棚を巻き込んで吹き飛ばされた。
腹に溶岩でも流し込まれたような激痛に襲われながら、俺は本の瓦礫を踏んで立ち上がる。腹立たしい限りだが、ミュータントの身体はこの程度では倒れてくれない。
「我が脚よ、次は顔面に一発だ」
「御意」
俺はまた吹っ飛んで、壁に叩きつけられて、今度こそ地面に倒れ伏す。激しく揺さぶられた脳は一時的にフリーズし、立ち上がることもできなかった。甘んじて受け入れよう。
……だってリリス様は、僕を一発だって殴ってくれなかったんだ。あの時もあの時も、あの時だってそうだ。
「まず気に入らんのは、お主のその根性じゃな」
舞い上がった埃を鬱陶しそうに払いながら、キラウ様は語り始める。
「お主というか、オクタマ共和国が抱えている問題については、あの神聖独裁官様とやらの面を拝んだところで大体察しがついたわ。民草に向ける感情は愛情そのもの、一方で外敵に対しては著しく苛烈。しかして統治に民草を関わらせず、一から十まで己で差配し執行する。……統治者というより母親に近い存在じゃ。それも肥大化した母性の暴走を抑えきれずに周囲を盛大に巻き込む傍迷惑なタイプのな。宗主国の元首がそこそこ取り扱いに注意がいる存在というのは頭が痛いが、まあやりようはある。素の人格はある程度信用のおける、先史時代の学校教育を通じて育まれた文明人のそれらしいしの」
眩んでいた視界が徐々に帰ってくる。俺は上体を起こしたが、まだ立てそうになかったので、壁に背を預けた格好で座り込んだ。
「……お主があの化け物に反抗したい理由はともかく、恐らく我が公国が抱える先史時代の兵器こそが勝算なのじゃろう? それを当てにしてクーデターでもやらかそうという腹なんじゃろうが、そのクーデターが伸るか反るか、それを判断するための情報すらわらわにはなかったのじゃぞ? 何せわらわは今日初めてオクタマ共和国に来て、それがどんな国なのかを見極めようとしていたからのう。無論、すでに恭順が既定路線であり、それ以外の選択肢を選ぶことなど愚の骨頂としか思えんが、その国の武力の象徴的地位にある男が叛乱を企てているという状況なら話は別じゃ。必ずしも恭順こそが正解とも限らない」
遠く、図書室の中央にあった席を立ち、キラウ様は俺の方に歩き出した。本の瓦礫を、特に感慨もなさげに踏みつけながらの歩みだ。不安定な足場を踏み外して転びかけて、脇に控えるウナが素早く支えた。俺はぼんやりとその様子を眺めていた。
「背景も知らず、情報も集めず、全く無根拠な直感のみに従って民草の命運を左右する二択に挑むことがどうしてできようか? とりあえず延期できない会談の場は知らぬ存ぜぬでお茶を濁しながらリリスとやらの思想を一通り把握し、後からお主を縛り上げて情報を吐かせるだけ吐かせる。そして必要な情報を全て手に入れる。これが今打てる最善策じゃろうて。後手は常に悪手じゃが、それを嫌って直感を頼りにして国が滅びましたでは話にならん。故に今回の後手は甘受しよう」
やがて俺の前に立ったキラウ様は、忌々し気な表情を隠さずに俺を見下ろした。つむじが見えない。普段見下ろす身長の相手を見上げるのは、少し新鮮だった。
「ゼフよ。わらわが何より気に入らんのはな、わらわがそうせざるを得ない状況になるまで、つまり細心の注意を払って接さねばならぬ宗主国の元首相手に、一度嘘をついて騙くらかすという最悪の後手を選ばざるを得ない状況になるまで、お主が言い出さなかったことじゃ。何やら「ありがとうございました」だの「申し訳ありませんでした」だのとほざいておったが、業腹にも一旦は黙ってお主のやらかしを秘匿せねばならん状況にわらわを陥らせておいてその台詞はないじゃろ。相手が受け入れざるを得ないと分かっている状況まで盤面を固めてから、相手が嫌々受け入れる様子を得意満面で見つめるに等しい所業じゃ。……何じゃお主。馬鹿なのか? 阿保なのか? 母親が大切にしていた大皿を割ってしまって、皿を使う収穫祭のその日まで残骸をベッドの下に隠して黙っているガキか何かなのか? わらわはお主の母親ではない。こうしてお主を足蹴にして説教垂れていることまでお主の思惑通りと思うと吐き気がするわ」
口調は淡々としていたが、立板に水とばかりに並べ立てられる文句が、彼女の怒髪天を衝く怒りを物語っていた。こうして事実を列挙されてみると「我ながらとんでもないことをやらかしていたんだなぁ」ということが感慨深く感じられた。
「……ゼフ、これより行う尋問で、わらわの身の振り方を決める。つまり裏切り者であるお主の身柄を手土産にリリス様の所に乗り込んで、全責任をお主に擦り付けながらひたすら土下座して靴を舐めて民草の助命を乞うか。……あるいはお主に乗って、どう考えても勝ち目のない戦争を始めるか。それを決めるのじゃ。心して語るがいい」
激情が確かに存在していても、それを黙らせて冷静になれる。感情を支配する鋼の理性。それこそが、自ら国家たる公女の有様なのだろう。
「……ああ、そうだな、全部説明するよ。洗いざらい。……書面でもいいか? 資料をまとめてある」
「用意周到じゃな。結構なことじゃ」
さて、それじゃあこの本の山の中からあの年代物のラップトップを探す所から始めなくては。壊れていなければいいのだが。
……掘り出したラップトップをテーブルに置き、オブライエン博士の論文と爺さんのデータベースを元に俺が整理した一連の情報を呼び出した。AIに推敲させたし、以前ルルたちに読ませた時も情報を過不足なく理解してくれたみたいなので、一応論としての体裁は整っているはずだ。……少なくとも、感情に支配されやすい口頭で説明するよりはマシだろう。
キラウ様が画面に向き合ってしばらく。全てを読み終えた所で、改めて彼女は口を開いた。
「……エイリアンはカタカナ表記なのに、queen個体はアルファベット表記なのが腑に落ちんの。素直にカタカナで良かろうが。あるいは日本語で女王とでも書くか」
「……そこら辺は訳者の匙加減なんじゃねぇか?」
「一般的な概念とイコールなエイリアンと、エイリアン内の特異個体を表す専門用語としてのqueen。そんな基準かのう? ともあれ大体の事情は理解できたわ。……思ってた状況とはスケールが違ったがの」
何でもないことのようにしばらく喋って、それからキラウ様は頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
「いや……えぇ……? これマジなのか……? 信じられないというか、信じたくないんじゃが……」
「残念ながらマジだ。まあ、なんだ。このままほっとくと十中八九、全人類が完全な真社会性生物に転化するっぽくてな。人間性とか、自我とか、魂とか呼ばれていたものがまとめて単一の精神に塗りつぶされちまう。それまでにリリス様を倒さなきゃならねぇ。そのために、キラウ様にご助力いただきたい」
顔を上げたキラウ様だが、未だに半信半疑なのだろう、その表情からは何か具体的な感情よりも、ただただ困惑した様子が読み取れた。
「……分かった。心では全く受け入れとらんが、とりあえず理性では納得しよう。お主が反逆を企てる理由と、そして我が国に見出された勝機についてもな。……この情報が全て事実だとしたなら、わらわには特異型ミュータント個体、田中璃凜澄を排除しない選択肢はない」
彼女はゆっくりと息を吸い、そして吐き出した。
「わらわには、民草が笑ったり泣いたり、苦しんだり死んだり、罵り合ったり憎しみ合ったりする権利を守る義務がある。そう生まれついたからじゃ。それが国家第一の奴隷たる公主の務めだからのう。……ろくでもない話じゃ、本当に」
不安と混乱を噛み潰し、成すべきことを成す。眉間に深々とした皺を刻みながら、瞳には迷いのない意志の光が灯っていた。その顔に滲んでいるのは確かな意思に他ならない。
「じゃあ、俺たちに協力してもらえるってことで、いいのか?」
恐るおそる、確かめる。
「……いや、ゼフよ。その前に一つ、確認させてもらいたいことがある」
「何をお聞きになりたいんで? この話の出所か? それとも勝算の話か? なんでも話すぜ、もう隠し事は無しだ」
「そうか、では聞くが、お主はリリス様を殺せるのか?」
「……」
放たれたその問いは、文字通りの意味で致命的だった。……誰にとって?
「お主は、本当に"リリス様"を殺すことができるのか?」
何故、俺は黙り込んでいる?
「少なくとも迷いはあろう。これまでの付き合いでお主が田中璃凜澄と近しい立場にいることは分かっておる。直接会話でき、幼い頃から付き合いがあり、空挺隊を任される程に信頼されている。そして相手は文字通りの国母じゃ、思う所は多々あろう。それでもお主に、リリス様を殺せるのか? 憎しみではなく、ただ必要だからという理由だけで」
「……」
「もし迷いがないというのなら、ここまでグダグダになっておらんじゃろう? 何故お主は会談直前の、取り返しがつかなくなるギリギリのタイミングまでわらわに事情を打ち明けられなんだ? お主が迷いなく彼女を殺すつもりで動いていたなら、早々に根回しは済ませていたはずじゃし、こうしてわらわに殴り飛ばされることもなかったじゃろうて」
「……俺は」
俺は、俺は、俺は……。二の句は遂に継げず、半開きの口からは空気が漏れるだけだった。
そんな俺を見かねたのだろうか、キラウ様はそっと微笑んだ。
「仕事の殺しと、私的な殺しは勝手が違う。お主もこの戦争で相当殺したろうが、それが出来たのは兵士としての仕事に過ぎんかったからじゃろう。……のうゼフ、一つ昔話を聞かせてやろう」
「昔話……?」
「そう、昔話。と言っても3年前の事じゃが、わらわがクーデターを仕掛けて公主の座を簒奪した時の話じゃ」
やはりというか、俺は何も言えなかった。
「わらわの剣が、父上様を斬り、母上様を斬った。外戚連中も根切りにした。……父上様に色々吹き込んでくれおった木っ端役人共はともあれ、実の親を殺したのは堪えたぞ?」
カイナ大公国の血塗られた歴史、その最新の一ページ。駐在武官の一人である俺も把握している話だった。長い雌伏の時を経て、遂に始められようとしたサッポロ王国に対する報復戦争は、しかし開戦することすらなく終わった。目の前の少女とその剣によって、前公主もろともタカ派が皆殺しにされたからだ。
「人口の差から来る動員兵力の不足は、先史時代の兵器があればどうにかなるようなものではない。「一向に片付かないドラゴン災害の不満を外敵に向けて発散しよう」程度の浅い思い付きで負け戦を始められたら溜まったものではないわ」
大公家という属人的なシステムに生じた腐敗は、属人的であるが故に、公主の殺害という方法以外での解決を許さなかった。
「これで父上様が無能なだけであれば、いくらか救われよう。じゃがな、彼は良い父でもあった。幼いわらわの頭を撫でた優しい手つき、微笑み、交わした言葉、どれも忘れ難い。わらわが、それを、殺した。「これも民草のため」、「これ以外の手段はなかった」、そう何度己に言い聞かせても、耳の奥にこびり付いた悲鳴は消えん。……わらわはあの日、親殺しの罪を背負ったのじゃ」
その時、主の脇に控え続けるのみだった騎士が声を上げる。
「キラウ様! 先の改新において、前公主様ご夫妻を弑逆したのは我ら騎士団に他なりません。ですから──」
「わらわには責任がないとでも言うつもりか、ウナよ? お主はわらわの剣じゃ。殺したのは剣じゃから、柄を握って振りかざしただけのわらわは悪くないと? 童でもそんな言い訳はせん。……全く、この話には随分前に決着をつけたじゃろうが」
騎士を制し、少女は自らの十字架を下すことを拒んだ。彼女が顔に張り付けていた笑みは、紛れもない自嘲だったのだ。俺は今更それに気づいた。
「つまるところの、わらわは必要じゃったから親を殺したし、その結果戦争を回避できたから理性では納得しておる。じゃが心理的には全く納得などしておらん。ひたすら後悔しておるし、別の道もあったのではないかと無意味な思考を巡らせる毎日じゃ。罪の意識は消えず、それでも犠牲にした命を無駄にせんがため、歩みを止める訳にはいかん。……ゼフよ、わらわと同じ罪を背負う覚悟が、お主にあるのか?」
……ずっと、正面から向き合うことを避けてきた問いが、回答付きで俺の眼前に突き付けられていた。
俺は、今日までぼんやりとした目的のために動いてきた。今からすべきことは、意図的にはっきりさせてこなかった「それ」を言葉にするだけだ。しかも、「それ」はもう書き写すだけでいい。ここまでお膳立てされて、どうしてまだ俺の口は息をしているだけなのか。
瞼を閉じる。景色が遮られて、図書室の薄暗さだけが瞼の裏に残った。ここは少しだけ、高度三万フィートの世界に似ている。聞きなれた風鳴りが耳の奥に蘇ってくる。近づいてくるのは、死と、その向こう側にいる誰かの気配……。
記憶が脳裏を過っていく。父が遺した言葉。あの日、たくさんの腕に抱きしめられた温もり。そしてベッドの上で眠りにつく幼い妹の姿。
「……セリメ」
あの子を向こう側にはいかせない。だから、ごめんな、爺さん。
俺は目を開いた。ぼんやりさせていた目的を、はっきりとした言葉にして、吐き出す。
「俺は殺すよ、リリス様を。……うん、大丈夫だ。もう躊躇わない。ちゃんと、殺せる」
しばらくの沈黙、そして深々とした溜め息の後、キラウ様の冷めた瞳が俺を見つめ返す。張り付けたような笑みは、もうどこにもなかった。
「……よい。では、付き合ってやろう、お主の親殺しに」
打ち捨てられた遺跡の片隅で、叛逆は静かに始まった。
……ああ、ゲロ吐きそうだ。