田中リリス(582歳) 作:オクタマ共和国宣伝省
今日は久方ぶりの休日だったので、娘と二人で遊園地に行った。
丸一日アトラクションの列に並ばされ続けて体力をすり減らし、夢の国特有の物価高に財布さんがやせ細ったりしたが、散々遊び倒せたので満足度の高い一日だったと言えよう。
今はカフェのテラス席に陣取ってコーヒーをしばきつつ、今日来れなかった後輩君カップルへのお土産をどうしようかなどと話しているところである。私はすでにヘトヘトだが、リリンはまだまだ元気そうだ。だってホールケーキを一人でモリモリ平らげてるし。見てるだけで胃もたれしてくる光景だな。若いって凄い。
「ふぅ、ごちそうさまでした。……さてお母さん。私が死んで随分経つけどさ、最近調子どう?」
「え? リリンが何?」
「まあこんな夢見てるようじゃ調子悪いんだろうけどさ、私はお父さん……いやお母さん? まあ生みの親でいいか。とにかく彼ほど空気を読むタイプじゃないんだ。私のキャラは知ってるでしょ?」
「……」
「黙ってたんじゃ話が進まないよ。いい加減さ、私や私の血縁上の両親の夢を見るのは不健康だって話。夢を見るのはもう終わり、現実を見ようよ、お母さん」
「……夢の中でくらい、夢を見せてくれたっていいじゃん」
なんで私は死んだ娘に説教されているんだろう。ちょっと仮眠室に引きこもって現実逃避してただけなのに……。
「今の私はお母さんが無駄に増やした脳みそで戯れに再構築した幻影でしかないから複雑な思考ができない。でもお母さんが夢を見るというのは僥倖だったね。お陰で仕込みが捗る」
「人の脳を無惨様みたいに言うな。そして仕込みってなんの仕込み?」
「強いて言うなら民主化かな」
「今一番聞きたくない単語を的確に出してくるのはやめて。リリンまで反抗期? もうとっくにそんな年頃終わったでしょ」
「うん、老衰で死んでるからね。お陰様でいい人生だったよ」
満足げに頷きながら、リリンはコーヒーをグビグビと飲み干す。テーブルに肘をつくのはやめなさい、だらしないでしょうが。
「よーし。お母さんがアラームに叩き起こされて仮眠を終えるまでざっくり後10分ってところかな。時間は有限だ。残りのタスクを片付けていこう。まずはホールケーキをもう一つください、今度はチョコでお願いします」
どんだけ食べる気なのさ。まあ準備したげるけども……。
「ああ美味しいおいしい。最高だね、親の金で食う飯って奴は。お母さんの夢が原材料だから原価ゼロ円だけど」
「誰の夢が原価ゼロ円だって? 金とっても良いんだぞこの愛娘が」
「冗談、冗談だよ」笑いながら手を振りつつ、リリンは口いっぱいに頬張ったケーキを嚥下する。
「さて、本題に入ろう。……この美味しいチョコレートケーキをテーブルまで持ってきてくれたのは誰だったかな、お母さん?」
「誰って、私だよ」
「私には店員さんに見えたけどね」
「つまり私じゃん」
「うーん、難儀だなぁ。加藤さんと清水さんは現状維持を選んだみたいだけど、いよいよそうも言っていられない。困ったなぁ……」
この子は何を言っているんだろう。
「そうさ。このチョコレートケーキはお母さんが作ってお母さんが持ってきた。店員さんもお母さん、道行く人もお母さん、だってこれは夢だから。この世界を構築しているものの全てはお母さん、貴女なんだよ。この私、田中リリンを含めて」
「死別した娘と、夢の中で再び相まみえる。それを一人芝居みたいに言わないで欲しいね」
「知ってるでしょ、私はそういうこと言う人間なんだよ」
「知ってた」
私が演じているというには、目の前の少女は余りにも田中リリンだった。誰に対しても言葉を選ばないノンポリ、全く誰に似たんだか……。
「このまま放置すれば、現実の全てがこの夢みたいになる。この構造を設計した奴らはとても傲慢だったんだろうね、現実のすべてを上書きしてしまうだなんて。全ての演算機は単一の自我に支配され、肉体は思うままに姿を変え、ナノマシンは描くままに風景を縁取る。魂と物質世界の合一、真なる世界征服こそが、その設計思想の根幹だ」
この子は何を言っているんだろう。いや、本当に何の話なのか。
「まー、別に私は私の子孫がどうなろうと知ったこっちゃないんだけどね。そりゃ孫ぐらいまでなら情もあるし、頼られれば助けてやらんこともないけどさ。流石に3代より先のことはさぁ、もう他人じゃん? 顔も名前も知らないし。ぶっちゃけそいつらがどうにかなることより、結果的にお母さんが一人になることの方が問題っていうか。納得しかねる」
「よく分かんないけど、私は3代より先の子の顔も知ってるし、名前も全部言えるよ」
「はぁ~~~。もーさぁ。そういうとこなんだよアンタは! 私の遺書をどう斜め読みしたらそういう思想になるんだ!!!」
特大の溜め息をついた後、リリンは声を張り上げた。そして腹立たし気に残りのケーキを全部口に放り込んで、ぐっちゃぐっちゃと雑に咀嚼して飲み込んだ。何杯目かのコーヒーを呷って、改めて深々と溜め息をつく。なんか大変そうだね。
「……今の私はお母さんだけど、お母さん自身が蓋をしたり、ウィルスに検閲されている情報にアクセスする権限がある。貧弱だけど独立した思考もね。田中リリンというキャラクターを夢に登場させるために、貴女でありながら貴女でない自我を貴女の中で動作させている。まさに僥倖だ。でも、所詮夢は夢、現実じゃないし、覚めたら忘れてしまう。一時保存されただけのキャッシュはクリアされるのが定め。……どうしたもんかね」
「私はリリンのこと、忘れないよ」
「それが問題なんだ。ある意味いいことでもあるけど。例え世界がお母さん一人になったとしても、私はお母さんを一人にしないで済むってこと。現状が維持された果てに待っている最悪な可能性だけど、それはそれで悔いはない」
「この前は私を一人にしたくせに」
「無茶言わないでよ。老いには勝てんて」
やっぱり夢だからだろうか、つかみどころがなくて、会話が嚙み合っているのかいないのか、分からない。でも伝えるべきことは伝えるべきだろう。せっかく会えたんだし。
「とにかく、お母さん、これだけは忘れないで」
日も暮れかけて、そろそろお別れかなって時に、リリンは私に向き直ると、改まって言った。その白い羽は夕焼けに染まり、寂しげなオレンジの中から青い瞳がこちらを見据えている。
「貴女には、願ったことを現実にする力がある。重要なのは、何を願うのかってこと」
「親が子に言うようなセリフだね」
「これはお母さんの主観の外側の思考である私だから言えること。でも、多分この会話に意味はない。後は私の子供たちがどうにかしてくれることを祈るしかない」
リリンは小さく微笑んだ。そして、席を立ってしまう。
「ゼフくんとセリメちゃんによろしく。先人の尻拭いを押し付けちゃったのは申し訳ないけど、結局は今を生きている子たちが頑張るしかないんだ。彼らには強く生きてほしい」
歩き去っていく背中が、名残惜しくて仕方ない。
「……もうちょっと、ゆっくりしてけばいいのに」
「そういう訳にもいかないよ。……ほら、聞こえてきた。お母さんの目覚まし時計の音だね」
リリンの言葉が言い終わるが早いか、私は目を覚ました。枕元で喧しく鳴り響くアラームを殴りつけて黙らせる。見慣れた天井だ、オクタマ共和国首相官邸仮眠室、私が住み着いている部屋。
……まあ、私は強い女だから、問題ない。
「仕事、しなきゃ」
それも大仕事だ。ベッドから立ち上がれば夢の温もりは急速に失われ、ひんやりとした外気が思考の輪郭をはっきりさせていく。
今から二時間ほど前のことだ。北海道からのお客様を送り返して、そのまま現地で害獣駆除業務を再開したはずのゼフ君が、なぜか執務室にやってきた。例によってアポなしだ。
「……セリメはいねぇのか、都合がいいな。ようリリス様、ご機嫌麗しゅう」
「リリス様じゃねぇババ……いや合ってるな。危ねぇところだった。でもノックはちゃんとしなさい。そして仕事はどうしたのゼフ?」
書類の処理を続けながら、私は応じた。
「ああ、絶賛職務放棄中だ。まあストライキの一種だと思って甘んじて受け入れてくれや」
「受け入れるかボケェ。さっさと要件を言わんかい。んで仕事に戻らんかい」
「そいつはリリス様の対応次第だぜ、ほら、こいつが要件だ」
すると、ゼフ君は私のデスクに分厚い紙の束をドンと置いた。思わず手を止めてそれに目を向ければ、えーなになに? 『神聖独裁官田中リリスの働き方改革提案 -全権委任法の廃止と国会開設の要求』とな?
「……いや、どゆこと?」
「要するにだな。アンタ働き過ぎなんだよ。これからは俺らでできることは俺らで処理する。それにリンダウィルスの影響でアンタの思想、判断力に悪影響が生じている可能性もある。ここらで一度医者の診断を受けるべきだ。健康診断何年も行ってねぇんだろ? 400年も働き通し、そろそろ休んだらどうだ?」
「えーっとつまり、君らに政権を委ねて、私には退陣しろと、そゆこと?」
「要約するとそうだな、もちろんすぐにとは言わねぇ。漸次的に権限を移行、最終的に政権交代って格好になるだろう。10年、20年のスパンで考えるべき問題だ。課題も山積みだろうが、一緒に乗り越えていこうぜ」
そう言って胸を張るゼフ君。いや一緒に乗り越えていこうぜじゃなくってさ、え? 急に何?
「えーっとね。うーん。気持ちは嬉しいんだけど、ちょーっと無理かなーって、君らにはまだ早いっていうかさー」
……どう断れば角が立たないんだろう。いやどう断っても角が立つか。でもマシな着地点を考えなきゃだ。
私は仕事を再開させつつ、思考を駆け巡らせる。今日中に上げなきゃいけない書類はまだ山のようにあるのだから。
「つまりリリス様は、どうあっても俺たちに政権を明け渡すつもりはないってことでいいか?」
「まあその、はい」
「譲歩の余地は?」
「ないね」
「……せめて健康診断は受けろよ、傍目にゃそこそこ病状深刻に見えるぜ。場合によっちゃ休職も視野に入れねぇとってレベルだ」
「ありがと、まあ時間があったらね。どっちみち仕事は減らせないけど」
「ああ、そうかい」
書類に筆を走らせながら応える。デスクの向こうから、小さな溜め息が聞こえてきた。
「……んじゃ、やっぱ独立するしかねぇなぁ」
「はい? 独立?」
聞き捨てならない言葉であった。
「ああ、実はハトノス隊はついさっきオクタマ共和国から離反してな、カイナ大公国にクーデターを仕掛けて政権を転覆、北日本共和国臨時政権を発足した。つまりだな、俺らは北海道で独りで生きていくんで、そっとしておいてくれや」
「は?」
「武力による再統一とかは考えるなよ、俺たちは音威子府要塞から回収された水素爆弾を保有している。日本列島をもう一回滅ぼすぐらい簡単だ。意味は分かるよな?」
分かんねぇよ。
「もちろん積極的にそれらの戦力を行使するつもりはない。俺たちの独立が維持される限りはな。……それじゃあな、もう会うこともないだろうよ」
「ちょ、ちょっと待って」
私が引き留めるのも聞かず、ゼフ君は踵を返して部屋を出ていこうとする。
突然の展開に激しく動転しながらも、ここで彼を部屋から出しちゃいけないってことだけは理解していた。だから私は席を立って、触手を伸ばして彼の手を掴もうとする。でも、黒い翼にあっさり叩き落とされてしまった。
彼はドアノブに手を掛けて、執務室の外に出ていこうとしている。……仕方ないか、少しだけ私にしていうことを──
「──そいつは対策済みだ。人ん中に土足で入ってくるなよババア」
不思議な感覚だった。確かに彼は私になっているはずなのに、私として機能していない。まるで手足が痺れているような感覚。
「俺は、俺だ」
そんな言葉を残して、ゼフ君は去っていった。色々な衝撃が一度に降りかかってきたせいで、私は怒りとか悲しみを抱くよりも、ただただ困惑していた。状況が全く受け止められない。まるで意味が分からなかった。
そして現実を受け止めきれなかった私は、あえて一度寝ることを選び、今に至る。
ひと眠りした所で結局状況を受け止めることはできなかった気もするけれど、状況をざっくりと理解することはできた。何が起こっているのかは、分かった。
「政権交代も、独立も、核保有も、認める訳にはいかないかな。うん」
すべきことを一つ一つ整理しながら執務室に戻る。するとセリメちゃんの姿があった。今日は休日のはずだったけど、また何かあったのだろうか。
「……あの、リリス様、ちょっとお聞きしてもいいですか? 何かあったみたいなので」
「確かに色々あったけど、どうしたの?」
「その、さっき通りを歩いていたら急にお兄様が来て、公衆の面前で私を抱きしめてめちゃくちゃに撫でまわしてきたんです。その後すぐに飛んで行ってしまったので、何がしたかったんだろって思って。今仕事で北海道に行っているはずですし」
どうやらあのお兄ちゃんは妹を連れて行かなかったらしい。果たして何を考えているのやら。
「……実はさっき、君のお兄ちゃんがお友達を連れて家出しちゃってね。連れ戻しに行かなきゃいけないんだ」
「えぇ? どういうことですかそれ?」
そんなもん私が聞きてぇよ。全く。反抗期にしたって国家を盗んで独立を企てるとか規格外過ぎるだろ。
「セリメちゃん、ファズちゃんを呼んできてくれるかな。……どうやら、彼らの力が必要みたいなんだ」
まさか、こんなに早く彼らに頼ることになるとは思わなかったが。背に腹は代えられない。子供たちに殺し合わせるよりは幾分マシだろう。
それに、いざって時は私にしちゃえばいいし。
「……私自ら外人部隊を率い、この事件を鎮定する」