田中リリス(582歳) 作:オクタマ共和国宣伝省
レベル10、地の底に設けられた司令室にて、二人は目覚めの時を待っていた。持ち込まれたオイルランプと古ぼけたラップトップのディスプレイだけが、その暗がりを照らしている。
「……ふむ、定刻じゃの。ゼフよ、始めるとするか」
「あいよ了解。……おいルル! 仕事の時間だ! もう配置についてるか?」
マイクの向こうに問いかければ、くぐもった部下の声がレシーバーから響きだした。
「ハムスターにでもなった気分ですよ、隊長。やっぱり「みんなでホイール掴んで回せ」ってのは頭がおかしいと思います。私たち、なんでもするとは言いましたけどもね、もうちょっとこう、なんか、なんかなかったんですか?」
「ない。頑張れスツルルカ。きっとお前ならハムスターよりもうまくやれる」
オクタマから発電所を持ち出せるなら話は別だが、あいにくと発電所はサイズ的に空輸できない。なら、空を飛んでる連中を発電機に仕立て上げるのが手っ取り早かろう。それが合理である。ゼフは発電機からの不服申し立てを即座に棄却した。
「せめて隊長も一緒に回すべきだと思うんですけど。発案者ですよね」
「全部片付いたら幾らでも回ってやる。お前らの気が済むまでな。分かったら黙って回せ」
「……了解、任務を開始します」
これで人力フライホイール蓄電池の方は準備完了。後はこちらの準備を終わらせるだけだ。背もたれから身を起こし、ラップトップを引き寄せ、文字の掠れたコンソールを叩いた。
「H.O.P.E. ハーモニクスを立ち上げてくれ」
「了解しました。広域ナノマシン制御システム「Harmonics protocol」を有効化します。……ナノマシン制御に用いられる共鳴シグナルには、一部のミュータント及び強化人間の精神、行動への干渉を引き起こす懸念があります。周囲の安全を確保し、幻覚、幻聴などの症状が現れた場合には、直ちにシステムを中断してください」
生真面目な印象の合成音声は、やはり生真面目に警告を発してくれる。そこに僅かな温かみを感じるのは、このラップトップに組み込まれた生体組織の体温に原因するのだろうか? ゼフは苦笑した。
「心配ねぇさ。何せこれからその共鳴シグナルの親玉を相手にするんだからな。……始めてくれ」
警告ウィンドウを閉じ、エンターキーを叩く。瞬間、僅かな眩暈が空間を揺らし、駆け抜けたパルスが一帯を走査した。
「休眠状態のナノマシン群を検出しました。ライセンス認証中……承認完了。「群体ドメイン:D1.kbg/音威子府/013112/503.Eiju」のネットワークの再構築を開始します。……プロセス失敗、群体にエネルギーが供給されていません。新しい活性源を追加してください」
「ルル、負荷が行くぞ。備えろ。……H.O.P.E. 新しいデバイスを追加した。確認しろ」
「解析中……新しいデバイスを確認しました。「パワープラント:ハトノス蓄電池」からの給電を開始します」
「私たちにっ……! ろくでもない識別名つけやがってこのっ……! がぁー重っ!」
「ネットワークの再構築を開始します。……再構築成功、「群体ドメイン:D1.kbg/音威子府/013112/503.Eiju」は正常に起動しました。恒常化プロセスを再開します。既定の主電源に切り替え中……」
とりあえず持ち込みの電源で制御中枢を叩き起こすのには成功した。後は心臓が起きてくれるかの勝負である。野ざらしで放置されていたのはたったの550年、核燃料の消費期限はまだ過ぎてはいないはずだ。
「さて運試しじゃの。これでダメじゃったら詰みじゃ」
「そんときゃ上手く行くまでお前んとこの騎士団も動員してみんなでホイール回すんだよ。カイナ蓄電池だ」
「地獄絵図じゃなぁ。サンダーボルトでジャンプスタートも一つの策じゃが、如何せん火力調整がのぅ……」
果たして数分の後、微かな振動が指令室を揺らした。今度は眩暈ではない。数秒の間をおいて、煌々とした光が指令室を照らし出す。暗闇に慣れ切った瞳を襲った煌めきに、二人は溜まらず目をしばたたかせた。
「主電源への切り替え完了、恒常化プロセスは正常に起動しました」
「これは……成功かの?」
「そうっぽいな。よしよし……ルル、みんな、お疲れさん。もう回さないでいいぞ」
永く眠りについていた古の炉に再び火が灯り、力強く放たれた鼓動は要塞内の全てのナノマシン群を活性化させる。朽ち果てた残骸に過ぎなかった先史時代の遺跡は、かつての有機的軍事要塞としての機能を急速に取り戻しつつあった。
「オクタマからかっぱらってきた資材で足りるか微妙だったが……まあ、何とか間に合ったな」
偉業を成し遂げたラップトップを前にして、ゼフは安堵の溜め息を落とした。幾ら必要最低限の機能に絞ったとは言え、要塞の管理者を押し付けられたH.O.P.E.は悲鳴を上げている。本来ナノマシン技術開発用の研究機材でしかない端末には過ぎた重荷だったが、何、要塞側の制御が回復できたのならこちらのものだ。
露骨に肩の力を抜くゼフを横目に、キラウは部下に無線を飛ばした。
「ウナよ、外はどんな様子じゃ? 報告せい」
「……は、要塞各所のダクトに脈動を確認、また弾痕及び崩落部周辺に発光現象が確認されています。回復魔法の反応に近い物かと思われます。……話には聞いておりましたが、にわかには信じがたい光景です」
「はー、本当にとんでもないのぅ。まあそうじゃな、よきかなよきかな、ウナよ、このまま観察を続けよ。何か異変があれば都度報告を」
「御意のままに、キラウ様」
キラウは呆れと感心を綯交ぜにした表情で天を仰ぐ。緊張を吐き捨てるように息を付き、そして結ばれた口角は僅かに笑みを零していた。
「生物的な恒常性を建築物に導入する試み、エイリアンの宇宙機に端を発するナノマシン技術、その極みがこのオトイネップ要塞じゃった。……知識では知っていても、実際に廃墟が勝手に治っていくところを見ると感慨深いやらおぞましいやらじゃなぁ」
カミカゼ・ミュータントからニュークリア・グランドスラムに至るまで、ありとあらゆる攻撃に対してフレキシブルに対応し、ダメコン、適応、迎撃を一元的に行う「生きた要塞」。沖縄の首里要塞、福岡の大宰府要塞と併せ、日本国の本土防衛体制の中核たる決戦要塞群を構成した先史時代の威容である。
「くはは! こんな愉快な代物を使って戦争ができるとは! 生きてりゃいいことあるもんじゃのぉ! なあゼフよ!」
腕を組み、胸を張り、放たれた言葉は高らかなる空元気であった。半ばからへし折れた耳からして覇気は皆無である。
「……」
「せめて、何か言わんか」
「………………まあ、通用してくれればいいな。うん」
「……」
「……」
沈黙が、煌々と照らされる指令室に横たわった。地鳴りのような要塞の鼓動の隙間、ラップトップの内蔵ファンが発するせわしい音が埋まるように響く。
「……テストは上手く行ったんじゃろ?」
「ああ、ガキん頃に一回試した時にな。H.O.P.E.の共鳴シグナルなら、特異型ミュータントの精神干渉をジャミングできる。完全にとはいかねぇが」
仄かに熱を帯び始めたディスプレイのフレームを撫でながら、ゼフは懐かしい無謀な挑戦を思った。人類最高飛行高度のレコードアタック。それは純粋な空への憧ればかりで成された愚行ではなかった。愚行を呼び水として、死んだ老人が隠そうとした「希望」を検証するための、己の身を実験台とした真の愚行だったのだ。
……我々ミュータントが持つ自我とは、特異型ミュータント、即ち女王が構築するネットワークに接続されていない場合にのみ起動する緊急用スタンドアロンモードに過ぎない。ならば混線を引き起こし、通信環境を悪化させてやれば、その状態を維持できるのではないか?
果たして彼の翼は奪われず、希望の存在は実証されるに至った。
「オトイネップ要塞の再起動は首尾よく終わった。後はこれをアンプ代わりにしてシグナルを増幅、女王個体の毒電波を封殺してネットワークを細切れにしてやればよい。理論上は可能なはずじゃろう?」
「ああ、女王個体は肉体を破壊されても影響下のミュータントの脳を間借りして復活してきやがるからな。しかもその影響力は半径500㎞に及んだ記録もあると来た。……要塞の起動は終わった、後は独立宣言して待ってりゃいい、すぐにでも来るだろう。そしたら要塞周辺のキルゾーンに誘い込み、ネットワークから完全に遮断して、討つ。それが、あれを確実に仕留める唯一の方法だ」
青年の迂遠な言い回しに、少女は目を細めた。
「そうじゃな。それが、田中リリスを仕留める唯一の方法じゃ」
「……ああ、そうだ」
短く息を落とし、キラウは折れかかった話の腰を起こしにかかる。
「で、そのプランが田中リリスに通用しない懸念というのは、具体的にどんなものがあるんじゃ?」
「単純に、リリス……の、共鳴シグナルの最大出力が未知数ってことだ。彼女はずっと女王個体としての支配力を抑え込みながら生きてきた。テストにしても、俺個人を対象に行使した場合と、記録上にある戦場で不特定多数を相手に行使した場合とでは、根本的に出力が違うはずだ。要塞の出力を全開にしても、それを貫通して支配力を行使された場合は成す術がない。それに、まほろばの爺さん連中の脳にバックアップが仕込まれてる可能性も──」
「──成す術がないならそもそも考慮する必要はなかろうて。これが唯一の手段である以上、一旦は通用するという前提で往くしかあるまい」
事前の説明からおおよそ察しのついていた現実に、少女は改めて勝ち筋の細さに呻いた。まあ、勝ち目がなかろうと成すべきことを成すだけなのだが。それが自ら国家たる者の務めである。
「この決戦で問題を片付けられなければ終わりじゃ。ふん、気分はミッドウェイに挑む帝国海軍じゃな。いや迎え撃つ格好じゃから、マリアナと言った方が良いか?」
「どっちかっつーとレイテとか沖縄じゃねぇかな」
「どんどん追い詰められておるではないか。というか全部負けておるし」
「それが正しい現状認識ってもんだ。なんならダウンフォールっつった方が更に正確だぜ?」
「まあ、向こうは親玉が出向いてくる公算が高い訳じゃし、一発逆転があり得るだけマシじゃろうて」
「そのギャンブル精神は確かにミッドウェイかもなぁ……」
「ギャンブルは嫌いかの?」
「嫌いじゃない。むしろ分が悪いほど好みだ。一発逆転? 痛快で結構じゃねぇか。……ああそうさ、俺はずっとそれを待ってたんだ!」
ゼフは己の内側から湧き上がってくる、破れかぶれな勇気を感じていた。そして同時に、自分がそれをずっと待っていたことに気づいた。ギャンブル? 崖っぷち? 出たとこ勝負? そうとも、そうとも! 大いに結構! やっとその時が来たんじゃないか!
何かしらに酔わずにやっていられるものか。酒がないなら、己に酔う他あるまい。地の底で、二人して笑いあう。そして酔狂に任せた言葉が紡がれた。
「……既に本は書き上げられた。今しがた舞台も整った。じきに演者も揃おう。幕が開けば、もはや踊るだけじゃ」
「奈落の底で蹲って、自分がいない舞台に幕が引かれるのを待つって性分じゃあねぇよなぁ、お互いに」
「然り。それで、隊長殿はダンスの心得はおありかの?」
深く頷き、少女は誘うように手を差し伸べる。その瞳には、どこか挑発的な色が滲んでいた。
「実は習ったことあるぜ、実家が多少気取った家でな。自分でいうのも何だが、結構上手いって評判だ」
「ほう? それは見ものじゃのう」
青年は差し伸べられた手を取り、立ち上がった。……せいぜい、舞えるだけ舞ってみるとしよう。
……そして、ゼフがオクタマに三行半を叩きつけた翌日の事である。田中リリスが来た。
音威子府要塞に集結した北日本共和国軍の総戦力、その内訳はハトノス空挺隊48名、カイナ大公国親衛騎士50騎、以上98人の強化人間からなり、この来襲を迎え撃つ構えとなる。表向き人質となる大公様はレベル10に幽閉され、要塞設備及びH.O.P.E.の運用に当たっていた。
「……隊長、なんかあの、リリス様浮いてるんですけど、どういう原理なんですかあれ?」
「さあ……知らねぇ……」
来襲した敵戦力は国家元首が一名、そして輸送グライダー6機、中身は外人部隊百数十名であろう。問題はそれらが要塞上空でホバリングしていることであった。無数の触手を従える神聖独裁官は、当たり前のように宙に身を浮かべ、こちらを見下ろしている。
どうやら予定よりもにぎやかなパーティーになりそうだ。屋上に整列した空挺隊の先頭に立つゼフは、見上げた先の意味不明な光景に乾いた笑いを落とす。
「だが、どうあれ予定通りだ。餌に食いついたんなら後は釣り上げるだけ、と」
振り返り、部下たちを見渡す。みんな、笑っていた。頭上からの圧力など知ったことではないとばかりに。
「……ありがとな、付き合ってくれて」
込み上げてきた思いを思わず口にすれば、ガラの悪い連中は一層愉快そうに笑った。また隊長が妙なことを言い出しやがった。
「別に私らは付き合いでやってる訳じゃありませんよ。できるだけやって、無理だったら私らの命でセリメちゃんたちの未来が買える。安い買い物でしょう? それがマシな選択だったってだけのことです。あんまり思い上がらないでください」
「ひでぇこと言うなぁ上官相手に」
「じゃあもう少し上官らしくなさってはいかがで? ゼフ隊長」
その上官の肩をバシンと叩き「ほら、胸を張って」と嘯くスツルルカは、可笑しくって仕方がないという様子ある。
「お前らなぁ……。ああ、本当に……」
本当に俺なんかには勿体ない連中だ。どうにか生きて返してやりたい。そう思った。
「おはよう、ゼフ」
その時、頭上から有無を言わせぬ圧力を伴った声が降ってきた。部下たちに一斉に緊張が走り、ゼフは向き直って空を見上げる。精いっぱい胸を張りながら。
「早速で悪いんだけど、帰るよ。ほら、みんなも支度して。こっちはもう色々大変だったんだから」
「帰らねぇよ。俺たちはここで生きて、死ぬ」
拒絶の意志を示せば、今度は深々とした溜め息が落ちてきた。
「……人様に迷惑を掛けて、良くないことなんだよ、こういうのは。はぁ~ほんっとに、キラウさんにどうやって謝ればいいだろ? 菓子折り何トンあれば足るのかなぁこれ」
その声色に、影が落ちる。心底申し訳なさそうに、悲し気な様子で言葉を紡いでいく。
「どうやら、少し灸を据えなきゃいけないみたいだね。本当は嫌なんだけどさ。これも私の監督不行き届きだ。また、少し信じすぎちゃったみたい。ごめんね、きっと痛いと思うけど、責任は目に見える形で取らないとだから……」
そして言葉に続き、軽く手をかざせば、彼女が従える輸送機の群れはその搭載口を大きく開き、内側に犇めく戦力を覗かせた。それは各地より集められた精鋭中の精鋭、剣と魔法の戦士にして、降って湧いた報復の機会に気炎を燃やす敗残の将兵たちである。
「さあ外人部隊のみんな、仕事の時間だよ。オール・ウェポンズ・フリー、でも手加減は前もって知らせた通りでよろしく」
さながら獲物を前に合図を待つ猟犬の如く、制御された殺意の宿る視線がハトノス隊へと降り注いだ。ゼフは鋭く声を張り上げる。
「ハトノス隊! 総員離陸! 高度上限に注意せよ!」
「了解!!!」
号令に従い、編隊は白い尾を引きながら宙に浮かぶ標的への突撃を始める。ジェットの唸りが空域に轟いた。眼下より迫る愛すべき子らを前に、田中リリスは冷めた口調で勅令を発する。
「みんなが本当は強いんだってこと、あの子たちに教えてあげて。……じゃ、降下始め」
「イエス・マム!!!」
……解き放たれた魔法の脅威が、黒い翼に牙を剥く。