田中リリス(582歳) 作:オクタマ共和国宣伝省
今年の忘年会はそこそこに豪勢だった。
旅館の宴会場を借り切って、山海の料理が卓上にズラリと並ぶ。もちろん上等な日本酒も揃っていて、かなりいい眺めだ。
適当にあいさつ回りを終わらせて隅の方の席に陣取った私は、部屋の前に置かれていた大皿から分捕ってきたカニの脚をバキバキとへし折っては黙々と口に放り込む作業に従事していた。
個人主義たけなわのこの時代に福利厚生の一環として忘年会をやるというのも恐竜の化石じみているが、普段自分の意思じゃ絶対買わない、買えない食材たちが山と連なる光景はなかなかどうして悪くない。まあ参加費分は回収させてもらおうじゃないか。
「あーセックスしてぇ。仕事やめてぇ。専業主婦になりてぇ。子供産みたくねぇ。他人が稼いだ金で焼肉食いてぇ」
おかしいな、大吟醸がもうなくなりそうだ。こぼしちゃったかのかな? 私ったらドジだなぁ。
「田中先輩、愚痴のレパートリーもうちょっと増やした方がいいんじゃないすか? 毎回同じこと言ってますよ?」
「ん、おお、後輩君よく来たねぇ。お偉方のご機嫌取りお疲れさん。あんたもカニ食うかい?」
「くれるんすか? んじゃありがたくいただきます」
いそいそと隣に座ってきてカニを手に取る後輩くん。ところで、君が今テーブルに置いたカップになみなみと注がれているのは純米大吟醸ではあるまいか? 私は目を細めた。
「……君もねぇ、早いところ私を越えて出世してくれたまえよ後輩君。よく面倒を見てくれたこの優しい先輩を優遇してたくさん休みとお給料を恵んでくだされよ」
「いやそれでいいんすか? プライドとかいろいろあるでしょ先輩にも」
「ふふふ、新人教育係の田中さんと言ったら営業二課の私のことよ。基礎を教えられる程度には知識と経験はあるけど、上の方に立って人材マネジメントができるほどの器量はない。それが勤続10年で私についた評価なのさ」
「それ胸張って言うことじゃないすよ」
後輩はカニをパキパキと割り、いい具合に剥けた脚の一本を私に差し出した。気が利くじゃないかこの新人、こりゃ出世するでぇ。
「私の薫陶を受けて出世していった後輩は数知れず。君もこんな女の下で燻ってないで、さっさと私を越えていきなさい」
「まあお金は欲しいんで、ぜひそうさせてもらうすけどね」
「私もねぇ~責任と給料が正比例するんなら出世するのもやぶさかじゃないんだけどねぇ~」
できない理由を己に突きつけるより、やらない理由を並べる方が心の健康にいい。私の強さを支える秘訣である。
「ところでさ、これって食べて大丈夫なやつだったのかな? もう食べちゃったからどうしようもないんだけど」
「えっ、宴会って建前上は無礼講すよね? もしかして階級によって手を付けていい料理が決まってるみたいな因習があったんすかこの会社?」
「いやそうじゃなくてさ、海洋汚染の話よ。食の安全って奴。最近カリフォルニアが吹き飛んで太平洋まるごと汚染されたって報道されてたじゃん。海産物系もろもろダメんなったって」
「ああ、それなら大丈夫だと思うすよ。このホテルで出してるのは内陸のプールで作った完全養殖品だけとかなんとか、さっきお偉方がフグ食べながらそんな話してたんで」
「へ~技術の発展ってすごい」
私はカニを酒で流し込んだ。後輩くんは一向に酒に口をつけない。
「よーしカニはここらで良かろう。次はタコ食べよタコ」
「先輩先輩、覚えたはいいけど使いどころのなかったタコトリビア披露してもいいすか?」
「いいよ」
「タコの脳みそって、胴体に埋まってる奴のほかに、八本の脚それぞれの根元にも脳が備わってるんすよ。で、9個の脳が勝手に思考して情報を交換し合ってるんだそうです。だから一つ一つの脳みその性能は低いのに、タコは軟体生物最高のIQなんだとか」
「はえー」
酒を口に持って行った。もう空だった。悲しい。
「はい、だからタコの脚は切断された後もしばらくは自己判断で動くんですって、すごくないすか?」
「すげーや。マスタースレイヴ方式じゃないんだ。脳みそ同士で喧嘩することとかありそう」
「はい、だから俺の右手が先輩のタコの串焼きを素早く回収して口に運んでしまうのも、右手が勝手にやったことだから俺の責任じゃないんです」
「それはテメェの責任だろうがバカ野郎」
そして、その場は後輩のカップに残った大吟醸を私に差し出させることで手打ちとした。これが、まともに日本酒を飲んだ最後だったように思う。
それはさておき、私の触手も切り離すとしばらく動いている。私の思考は、アイデンティティは、この魂は、一体どこに宿っているのだろうか?
……考え出すとドツボに嵌りそうなので、この問題には答えを出さないでおこうと思う。
「よしっ、それじゃあ企画を変更して将来的に目指すべきオクタマ共和国の体制の構想図を作ろう」
こういう時は真面目な話題に逃避するに限る。
「リリス様、我が国が目指すべき体制の構想図とはなんなのでしょうか?」
「セリメちゃん、これまで私がやってきた統治政策はどれも必要に駆られて行ったものなんだよ。にわか作りの占領政策、捕虜を動員した応急的な官僚組織、取り急ぎ始めた市民への懐柔策。どれもこれも、需要を認識してから大慌てで準備して供給した制度に過ぎないんだ」
ろくな経営ロードマップもなく、無我夢中であがき続けた数週間であった。
これは組織の運営方法として、とても健全とは言えない。自転車操業では、この過酷なポストアポカリプス日本列島をこの先生き残ることはできないのだ。
「という訳で、未来にあるべき姿のイメージを今作って、今後はそこに向かって一歩一歩進んでいくことができるようにしようと思います」
仕事に追われるよりも、仕事を追い立てる方が幾分か健康的であろう。
「なるほど、合理的ですね。では何から手を付けましょうか。計画の立案というと、まずはゴールの設定でしょうか?」
「流石は我が副官、慧眼だね」
この場合のゴールというと、まあこんな感じか。
「とりあえず日本列島の制圧と、持続的にミュータント技術が復活していないか監視できる体制の構築かな。もっと言えばミュータントに限らず、とにかく私たちの寝首を掻きうる技術発展の兆しを潰すこと」
まあ統治機構については捕虜というか、旧来の各国家の官僚組織をそっくりそのまま残して、王族や貴族を人質にとって服従させるスタイルになるだろう。
江戸時代の幕藩体制的な封建統治の方向に持っていけるとベストだ。独立国家の連合体を構築し、それを束ねる立場にオクタマ共和国を置くのだ。さながら”タコの脚”のように。……いかんな、気をそらし切れていない。もっと真面目に仕事しなきゃ。
……何はともあれ、隣国のサイタマとオダワラはこのまま直轄領として我が国の一部になってもらって、私の監督のもと統治者側で業務に従事してもらうとしよう。これで我が国の高度知的人材の不足も解決できる。
「このやり方なら、私の仕事量をどうにか過労死ラインの下で抑えつつ、日本全土を監視できる体制を構築できると思うんだけど、どうかな?」
セリメちゃんは、数秒ほど何かを考えるように俯いた。
「……やっぱり、オクタマ共和国の国民を戦力以外では動員できないのがネックですね。やはり将来的に必要となる高度人材のために、教育制度の見直しを考えてみてはいかがでしょうか」
「ダメ」
ダメったらダメである。
「はあ、わかりました。でしたら後の問題は……ミュータント技術を禁止する大義名分でしょうか? 素直に寝首を搔かれるのが怖いです、と言う訳にも行きませんし」
「あーそれがあったか、セリメちゃん的に何かいい感じの策はある?」
セリメちゃんは、再び数秒ほど何かを考えるように俯いた。
「……リリス様は現在、諸外国から”神”なるよくわからない上位存在として扱われていますね」
「不本意ながらね」
「それを利用するのはどうでしょうか? 神に対して不敬になる儀式だから~とか適当に言ってやめさせるんです。信仰や教義というのはしばしば教条主義的で無根拠と聞きますし、「とにかく禁止」という論法であっても神の威光を盾にすれば押し通せるのではありませんか?」
「君よく天才って言われない?」
「それほどでもありません」
今まで忌々しく思っていた邪神扱いだが、利用できるとなれば話は別だ。神が怒るからダメ、なぜなら、神が怒るから。これがまかり通る宗教のなんと便利なことか。
「それじゃあこの方向性で行くとして、他の問題点は──」
「おいババア、邪魔するぜ」
「ババアじゃねぇよ悪ガキ。邪魔するんならノックくらいしなさい」
セリメちゃんと非常に建設的な現実逃避に励んでいた最中に、その建設現場を粉砕する来訪者があった。
我がオクタマ共和国自衛軍が誇る最高戦力。先日もトコロザワで大暴れしてくれた蛮族ことハトノス空挺隊の隊長、ゼフ君である。
「ウツノミヤ王国とアイチ首長国が喧嘩ふっかけてきたぞ。殺してきていいか?」
早くない? いや向こうから仕掛けてくるだろうとは思ってたけどさ。
「殺すのはなるべく禁止。王族を捕虜にして、ミュータント関連技術を接収するだけにしておきなさい」
「向こうは殺しに来てるのに手加減しろってか? 俺だって部下の命預かってんだ。必要なら殺すぜ?」
「やむを得ない場合は許可します。が、とにかく禍根を残さないこと優先。勝てる戦いなら気にするべきは戦後のことだよ、ゼフ。あとね、ファズちゃんの四肢を捥いだの君でしょ? ああいうのも禁止ね」
「ああ、外人部隊枠作って雇ったおもしれー女な。あの時はなぁ、アイツ何回ぶちのめしても立ち上がってきてスゴかったんだぜ? 左足一本になっても抵抗してきてなぁ、こりゃあ本物の戦士だって、流石に殺すのが惜しくなったんで、左足も捥いで持って帰ってきたんだ。いい拾いモンだったろ?」
誇らしげに胸を張るゼフ君。蛮族がよ。
「……にしたって、あの女に手足くれてやる代わりに寝返らせたのババアだろ? あんたにしちゃ手慣れてる上に悪辣なやり口で違和感あったんだよなぁ。……なあセリメ、お前の入れ知恵か?」
「いえ、私は何も」
「じゃあババアが邪悪だっただけか」
「誰が邪悪だ誰が」
蛮族には言われたくないセリフだった。
「とにかく! 安全第一! 8時までにはオクタマまで戻ること! 良い?」
「夜襲する時は前もって申請しろって? あんたも知ってるだろ? 戦闘ってのは流動的で、勢いが大事なこともあるんだぜ? 相変わらず柔軟性ねぇなぁ」
「なくて結構。わかったらさっさと出発なさい」
「へいへい」
ひらひらと手を振ったゼフ君は、しかし扉の方へは向かわず、スタスタと窓際に向かって行って、ガラリと窓を開けた。
「んじゃ行ってくるわ。みんなもう空で待ってる」
窓から身を乗り出したゼフ君は、腰から生えた一対の翼を大きく広げ、両足からジェットの噴射炎を迸らせる。執務室を熱風が駆け抜けた一瞬の後、ゼフ君は空高く飛び去って行った。
書類がめちゃくちゃに飛び交う部屋の中で、私は叫んだ
「こらァ! ちゃんと玄関から出てけって何回も言ってるでしょうがッ!」
果たしてゼフ君の返事はなかった。窓から見上げる空には、北に進路を取る幾筋もの飛行機雲が走っている。どうやらウツノミヤから片付けるらしい。
「……ねぇセリメちゃん。君のお兄さん、もうちょっとなんとかならない?」
「どうにもなりませんよ、あの人は」
言えば言うほど跳ねっ返る叛骨心の塊。思春期ももう終わりかけという歳だろうに、そろそろ落ち着きの一つくらい見せてほしい。このままじゃお嫁さんだってもらえないだろう。
私は胸の内の煩悶を押し殺しながら、部屋を片付け、業務に戻っていった。