田中リリス(582歳) 作:オクタマ共和国宣伝省
「──つーわけで、カイナ大公国は恭順の意思はあるものの、すぐに魔法と改造の研究を止めることはできないってことらしい。人から武力を取り上げるんなら引き換えに身の安全を保障しろ、とよ。道理だろ?」
俺の報告を、ババアは書類を処理する手と触手を止めることなく聞いていた。その視線はテーブルの上に固定され、触手によって右から差し込まれる書類にスタンプしては、やはり触手がそれを回収して左に流す。まるで巧妙に設計された工場機械のような淀みない動きだ。いつ見ても実に気色悪い。
「……なるほど、北海道では弱毒化していないオリジナルに近い状態のリンダウィルスが生き残っているのか。あれは感染者の致死率が高過ぎて広範囲に拡散しづらいから、野生化の過程で世代交代を経て弱毒化していったんだろうけど、ブラキストン線やベルクマンの法則の影響かな? 感染した動物の体格や体力に本州の個体より余裕がある分ウィルスによる肉体の変異にも耐えられた?」
ぶつぶつとしばらく呟いて、ババアはようやくこちらに視線を向けた。その表情は常の通り柔らかかったが、やはり機械の如き触手と手の動きを止めることはない。よく見ると右頬に下を向いた小さな眼球が生えていた。それで書類を確認しているのだろう。キモい。
「報告ありがと、ゼフ。とりあえずそのドラゴンとかいうのの脅威度が知りたいから、近々もう一度北海道に出向いてもらうことになると思う。名目は友好国からの要請を受けての有害鳥獣駆除ってとこかな」
「わかった、とりあえず二、三匹殺してくればいいんだな」
「必ずしも殺す必要はないけど、まあちょっかいをかけて、どのぐらいの戦闘力なのかの確認。35ミリでも装甲を抜けないようならちょっと厄介だから、その場合はすぐに撤退すること。いい?」
「はいはい。命大事にね。いつも通りと、分かってますよ」
辟易とした内心をそのまま口に出せば、ババアは初めて手を止め、ゆっくりと立ち上がった。彼我の身長差から、必然的に俺は覗き込まれる格好になる。見上げる顔には、影が落ちていた。
「本当に?」
短い言葉だった。俺はその視線を真っすぐに見つめ返しながら、深く息を吸った。
「ああ、本当さ。……んじゃ、そういうことだから。俺はドラゴン退治に備えて訓練飛行してくるわ。キラウ様からの伝言も伝えたし、今日はもう失礼するぜ」
「ちょ、待ちなさ! ゼフ! ……ああもう!」
今日は素直にドアから出入りしてやっているというのに、何が不満なのだろうか。俺はババアの声を背中に受けながら、執務室を後にした。
それから数日後、発行された命令書に従って、俺は「友好国からの要請を受けての有害鳥獣駆除任務」の為に再び北海道に飛んだ。今回は空挺隊の連中も一緒である。
「で、今日は愉快な空挺隊の仲間たちと一緒にドラゴンを殺しに来たって訳よ。案内頼むぜキラウ様」
「うむ、そうか。では次からは城門で衛兵に声をかけるようにせよ。ちゃんと歓迎するから。こっちもな、謁見の準備とかいろいろあるんじゃ。毎度執務室まで乗り込まれたら堪ったもんじゃないわ」
げんなりとした表情でこちらを見上げるキラウ様、と、その横で鋭い視線をこちらに寄越す副官の……なんて名前だったか、まあいい。とにかくキラウ様は椅子に座り、テーブルに向かって書類を処理している最中だったが、しっかりと手を止めてこちらに視線を寄越していた。
「……空を飛べない連中は面倒だよな。目的地になんて直接飛んできゃいいのに、余計な壁を生やしまくって中に引きこもりやがる。不便じゃねぇか?」
「不便だから敵が入って来づらいのじゃ。敵が怖いから壁を生やして引きこもるのじゃ。お主だって自分の部屋に虫が出たら嫌じゃろう? 許可なしに他人の空間として括られた領域に入るな戯け者が」
実に道理である。やはりキラウ様は面白い。俺は満足してしまって、顔に笑みが零れるのを我慢できなかった。
「ああ、そうだな。次からは城門からお邪魔するぜ。ちゃんと許可を取ってな。……今回と、それとこの前の件も併せて謝罪させていただきます。無礼なことをしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。キラウ様」
俺は遅ればせながら最敬礼をして頭を下げ、顔を伏せる。
「お、おう。分かればいいのじゃ。分かっているならな。うむ」
それからしばらくキラウ様と仕事の話をして「ドラゴン駆除なら軍の業務じゃから、そこのウナの領分じゃな。詳しくはこいつに聞けぃ」ということだったので、実は軍の司令官だったらしいウナとかいう男と話すことになった。
「……ゼフ殿、基本的にドラゴンは我が国の領内を気まぐれに飛び回っており、その出現を予測するのは極めて困難です。故に、騎士団の出動は被害が起きてから現地へ急行する形となります。更に討伐は困難であるため、撃退を主目的としています。」
ドラゴンと一戦交えるには、まずはドラゴンを見つけなくてはならない。そこでウナにドラゴンの居所を尋ねてみればこの返答である。……ウナがこちらに向ける剣呑とした、それでも割り切って礼を払う態度が心地よかった。
「じゃ、どこかで人が襲われるのを待たなきゃいけねぇってことか? 手短に済ませてぇんだが」
「心配には及びません。先日ドラゴンの襲撃を受けて壊滅した村があります。今回、騎士団の救援は間に合いませんでした。そしてドラゴンは十分な肉を手に入れるとしばらくそこに居座り、すべてを食いつくしてから立ち去ります。今もそこにいるはずですから、上空から奇襲すればよろしいでしょう」
「なるほど、都合がいいじゃねぇか。じゃ、その村の座標を教えてくれよ」
俺はウナから情報を聞き出すと、離陸して上空で待機させていた部下たちと合流し、ドラゴンがいるという現場に直行した。
そして北西に向け飛行を続けることしばらく、眼下に瓦礫と化した村と、その上に立つ赤黒い、山程もある巨体の姿が見えてきた。
「アレか。確かにデケェな。……よし、お前ら仕事の時間だ。今日の獲物はあのバカでかいトカゲ、空を飛んで火を吹くらしい。ついでにめちゃくちゃ硬い。さっさと仕留めて帰るぞ。では各員散開、戦闘を開始せよ」
号令を打てば、響く返答。総員が武装を起動し、ドラゴンへ向けて急降下を開始した……。
──結論から言うと、ドラゴンは殺したが、アホみたいに強かった。今回の戦争でやりあった敵のなかで一番ヤバかった。ちょっとだけ死ぬかと思った。
「つーわけでドラゴン殺してきたんだが。ありゃやべーな。35ミリでも至近距離まで近づかねぇと抜けないとかどんだけだよ。ババアと同等の硬度じゃねぇか。しかも飛行速度は俺たちと同等で亜音速域まで対応してて、緩降下で超音速飛行も可能。おかげで一人振り切れなくて食われ掛けたぜ? ハトノス空挺隊の隊員、オクタマ共和国軍の精鋭中の精鋭がだぞ? ついでに燃料気化爆撃もヤバい。衝撃波で体表面の硬度を無視して内臓を潰しに来やがる。本物のバケモンだ」
「ほう、流石のお主らでも何人かは死ぬと思っておったが、全員生き残って殺し切ったか。見事なもんじゃ」
キラウ様は素直に感心したといった風に呟いた。ドラゴンがあそこまでヤバいものならもうちょっと真剣に脅しておいてもらいたかった。まあ、ここ最近の勝ち戦に緩んでいた己の慢心だろう。戒めねばなるまい。
「……空も飛べねぇお前らが、よくあんなのの相手してたな」
「相手になどできてはおらんよ。ドラゴンが来れば民草をどうにか逃がし、必死こいて空に魔法を投げつけ、地上に降りてくれば剣を振り回し、そうやって追っ払うのが精いっぱいじゃ。まあ、ウナはたまに殺しておったが」
「マジかよ、スゲーな。どうやって?」
俺はウナの評価を大幅に上方修正しながら、玉座の脇に控える男に目を向ける。
「……公女様、開示してしまっても良いので?」
「別に構わんじゃろ。隠し立てしてリリス様とやらの不興を買うのも面白くない」
どうやら何かしらのトップシークレットらしい。面白くなってきたじゃねぇか。
「カイナ大公国領の北部に、巨大な遺跡があるんじゃ。先史時代、西暦と呼ばれた時代のものでな、どうやら北方からの敵の来襲に備えて作られた軍事要塞らしい。その名を、オトイネップ要塞」
「要塞の、遺跡」
「わらわたちはそこに残された遺物を回収し、調査研究を行った。お主がさっき言っておった”35ミリ”とかいうのは、恐らく39式35粍高射機関砲のことじゃろう? どう考えても携行兵器ではないが、お主ら強化人間なら持ち運びもできよう。そして少数だが、わらわたちも同じような兵器を持っておる。それだけのことよ」
「マジか」
オクタマ共和国以外の国家が先史時代の装備を稼働状態で維持しているというのも興味深い話だったが、それ以上に驚くべきは「たかが武器があるだけで」ドラゴンの討伐を成し遂げてしまったことだ。あれは武器があったところで、飛翔能力を獲得していない低性能の原始的な強化人間が相手にできる存在ではない。にわかには信じがたい話だ。
あっけに取られる俺に、キラウ様は少しだけ楽し気な様子だった。鼻を明かせて嬉しいのだろう。
「もちろん武器があるだけではどうにもならんが、要は使いようじゃ。魔法でドラゴンの視界を潰し、決死隊が谷間のキルゾーンへ誘導して、最後に至近距離から砲撃を叩き込む。徹底して正面からの戦いを避け、相手が隙を晒したところに致命の一撃をぶつけるのよ。そしてこのウナこそが、ドラゴン狩りの戦術を編み出した張本人という訳じゃな」
「……お前、本当にすげぇな」
俺の感嘆の声にウナは答えず、ただ鼻を鳴らした。その仕草には、確かな誇りが滲んでいた。
もし考えなしにカイナ大公国に戦争を仕掛けていれば、何人かは殉職者が出ていたかもしれない。後期型の強化人間にすら、こいつらの牙は届きうる。俺は軽く寒気を覚えた。
「さて、お主らの”神”は己の首に届きうる武器をこのニホン列島から消し去るつもりなのだろう? ならばあの要塞遺跡に残された武器や兵器の類も皆回収せねばなるまいて、近々案内しよう」
「……ああ、そうだろうな。その時は、よろしく頼む」
己の牙をあっさりと差し出すその姿に、俺は奇妙な居心地の悪さすら感じていた。
……こうして、カイナ大公国での「友好国からの要請を受けての有害鳥獣駆除任務」は終わった。
「──つーわけで、カイナ大公国に生息しているドラゴンとかいうミュータントは馬鹿みたいに強い。正直舐めてました。……そのせいで部下を一人死にかけさせました。全部俺の責任です、リリス様。処罰は受けます」
例によって、書類を捌く手を止めずに俺の報告を聞き始めたリリス様は、報告の途中から手を止め、真顔でこちらを見つめ始めた。そして話し終わるころには立ち上がり、こちらを見下ろしていた。俺は顔を上げることができなかった。
「……死にかけたのは誰? ファウ? エク? スツルルカ? メルコ? リンザン? トムレイ?」
「メルコだ。俺の退避の指示が遅れた。敵の能力を侮って距離を詰めさせた俺のミスだ」
「メルコにケガはない? 容体は? 意識は? 受け答えはできてる?」
「ああ問題ない。かすり傷一つない」
「ああ、ああ、でも、あの子あれで繊細だからショックを受けているかもしれない。すぐ様子を見に行かないと……」
落ち着きをなくして今にも部屋を出ていこうとするリリス様を、俺は両手を上げて留めた。
「大丈夫、大丈夫だ。ちゃんと病院には行かせて、今頃は適切な処置を受けてる。カナル先生のカウンセリングは評判だろ? 後に引くようなことは、きっとない」
「そっか、そっか。そうだね。今私が急に行っても施術の邪魔だもんね。うん、夕方に行くよ。きっとその方がいい」
リリス様は、席に座り込んだ。俺よりずっと大きなはずの体が、嫌に小さく見えた。俺は一つ咳払いして、改めて切り出した。
「それで俺の処分は……」
「大丈夫、処分はしない。今回の件で身に染みたでしょ? もう同じことは起こさないって約束できる?」
「ああ、できる」
俺は即答した。
「では良しとします」
俺の言葉を聞き届けたリリス様は、書類の処理を再開した。「良しとします」ね、そうかい。
「それで、他に報告する事項はある?」
「……」
一瞬だけ思考する。オトイネップ要塞、稼働状態で維持された先史時代の兵器、カイナ大公国が編み出したドラゴン狩りの戦法、報告すべきと思われるいくつかの情報が脳裏を駆けた。
「……ゼフ?」
「……いや、特にないな。とにかくドラゴンは極めて危険なミュータントで、俺たち後期型の強化人間でも対処は一苦労だ。カイナ大公国には、他の国家とは異なる特別な対応が必要になる。それだけ把握してもらえれば十分だ」
「そっか、分かった。しかしドラゴンか、流石はオリジナルに近いリンダウィルスの効力だ。生物を兵器に作り替える冒涜的研究の産物……どうにか安全に殺しつくす方法を考えないと。いっそ私が出るか……? いや……」
俯いてぶつぶつと呟き続けるリリス様を前にして、俺はただ立ち続ける。やがて、見かねた妹が歩み寄ってきた。
「……お兄様、リリス様はこうなるとしばらく他の事が目に入らなくなりますから、今日はもう下がってもらって大丈夫ですよ。後で私から言っておきます」
「ああ、分かってる。それじゃ今日は失礼するぜ」
そして俺は執務室を辞した。……さて、俺もメルコが心配だ。早いところ、見舞いに行ってやらねば。