田中リリス(582歳)   作:オクタマ共和国宣伝省

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愛した人々の子ら-2

私を産んだ時に、私のお母様は死にました。お父様はそれから三日三晩泣いて、お母様の後を追って死んだそうです。お父様は多分、お兄様と私よりも、お母様の方が大切だったのだと思います。

 

私は物心すらついていなかったので、彼らについて取り立てて思う所はありません。が、お兄様はきっとそうではないのだろうと思います。そんなことを尋ねるような勇気はないので、確かめたことはありませんが。

 

だから、私たちは親ではない大人の人たちに育てられました。小さな私がお屋敷のどこを歩いていても、たくさんの大人の人がぞろぞろとついてきました。私が急に走ったりすると、みんな大慌てで追いかけてきて、私が急に立ち止まると、たまに止まり切れずに転ぶ人がいました。大人は膝が固いのです。

 

昔はそれを指さしてケラケラ笑ったりしていましたが「もし転んだ人が怪我したら危ないよ。ごめんなさいじゃすまないんだから」とリリス様に言われて、今はもうしていません。

 

そう、リリス様。

 

初めて会った日のことは覚えていません。私が物心つく前からよくお屋敷に来ていて、私と会っていたそうです。だから小さな私にとってリリス様は「たまに来て抱きしめてくれる、大人よりも大きな人」でした。

 

ふらっとやってきては、嬉しそうな顔で私の前にやってきて、しばらく喋ってから私を抱きしめて、それで帰っていく。とても不思議な人でした。でも一番不思議なのは、嬉しそうな顔をしているのに、ちっとも嬉しそうじゃないからです。

 

お兄様も私のことをよく抱きしめてくれました。最近はしてくれませんが、その手つきはあんなに強張っていなかったはずです。優しくて乱暴で、思わず振り払って駆けだしたくなってしまうほど馴れ馴れしいお兄様の手つきと、大きな体と腕でそっと包み込んで、触っているのかも分からないほど弱弱しくて、だけど強張った手つき。全然違います。

 

顔と心が違う人もいるんだなぁ、と私はその時知りました。

 

お兄様に抱きしめられているとき、逃げ出せなくて諦めた後は、私もお兄様を抱きしめ返します。だからリリス様にそうされたときも抱きしめ返してあげようと思いましたが、上手くできませんでした。リリス様は大人よりも大きいし、背中から生えているたくさんの腕が邪魔で、腕を回せないのです。

 

でも、リリス様も家に帰れば抱きしめてくれる人がいるから大丈夫だろうと思っていました。大人よりも大きな人がたくさん住んでいる大きな家が、きっとあるのだろうなぁ、と考えていたのです。

 

でもでも、後になってから、リリス様は大きな家に一人で住んでいるのだと知りました。じゃあ、誰があの人を抱きしめてあげるんだろう。私はそう思いました。

 

「ねぇ、リリスさまはどうして一人で暮らしているの?」

 

私は、近くにいた大人の人に尋ねました。大人の人は私の前にしゃがんで、私の目を真っすぐに見つめます。

 

「……私たちは、失敗したのです。だから、あの方はすべてをお一人で担おうとなさっているのです。ああ、我々の愚かさのなんと救いがたいことか……」

 

悔しそうな顔で、大人の人は言いました。よく分かりませんでした。

 

「そうだ、リリスさまに会いに行こう」

 

ふと思い立って、私はお屋敷からリリス様の住んでいる大きな家に向かいました。実は近所だったのです。大慌てで追いかけてくる大人たちを引き連れて、私は大きな家のドアを開きます。

 

「……やあ、セリメちゃん。いらっしゃい」

 

家の中で、リリス様は大きな椅子に座って、見上げるほど大きな机に向かっていました。机が邪魔でリリス様が見えなかったので、私は部屋の隅にあった椅子を机の前に持ってきて、その上に立ちました。やっとリリス様が見えました。

 

「なにをしているんですか?」

 

「うん? これはね、お仕事っていうんだ」

 

「おしごと」

 

リリス様はたくさんの紙を、触手を使って次から次に持ってきては、次から次にスタンプを押していきました。ダン、ダン、ダン、ダン。スタンプはリズムを刻んでいます。私はリズムに合わせてカスタネットを叩くのが得意でした。お兄様もよく褒めてくれます。

 

「リリスさま、私もやってみたいです。おしごと」

 

「……わかった。じゃあ、こっちにおいで」

 

リリス様のたくさんの腕が、いつものようにゆっくり丁寧に私を包み込んで、私をリリス様の膝の上に運びました。私の手にスタンプを握らせてくれて、その手をリリス様の手が上から包みます。滑り込んできた紙に向かって、ダン、ダン、ダン、ダン。私はリズムを刻みました。

 

「ほらね、リリスさま。私はとっても上手です」

 

「そうだね、とっても上手だよ。セリメちゃん」

 

リリス様は優しく撫でてくれて、そのあとお菓子をくれて、私をお屋敷まで送ってくれました。

 

楽しかったので、私はそれから何回もリリス様の家に行きました。しばらく経って、学校にも通うようになって、私も大きくなりました。そんな時に、私はリリス様の副官の方に声を掛けられました。リリス様が処理する書類を持ってきたり、持って行ったりするのが仕事の人です。

 

「セリメ様。私に代わって、リリス様の副官になっては下さいませんか?」

 

「……? どういうことでしょうか?」

 

「もちろんセリメ様にはセリメ様の夢があり、志望する進路があろうかと思います。ですがセリメ様と過ごされている時、リリス様は常にはない、とても楽しげな様子なのです。私もリリス様にお仕えして長いですが、あんなお姿や言葉遣いをなさる所は、初めて見ました。……あるいは、貴女の血筋がそうさせるのやも知れません」

 

「はあ……」

 

「ですから、セリメ様には、リリス様の傍にあっていただきたいのです」

 

何が「ですから」なのかは良く分りませんでしたが、とりたててやりたいこともなく、勉強している時以外はフラフラとお散歩して、たまに走ったりしゃがんだりして、後はリリス様のお仕事の風景を眺めるのが私の生活でしたので、特に断る理由もありませんでした。

 

むしろ「するべきこと」を与えられて、それが自分でもできそうなことだったので、ほっとしたのを覚えています。

 

「うぁああ。もうお仕事いやぁああ。なんでお仕事終わらないのぉおお」

 

「ダメですよリリス様。ちゃんと働いてください。ほら、これが次の書類です」

 

書類運びとお茶入れの合間に、時折発作のように奇声を上げるリリス様とお話しする。書類運びとお茶入れ以外はいつも通りの生活です。結局リリス様が言葉通りに仕事を投げ出す所なんて見たことがありませんし、私がお休みの日も普通に働き続けていらっしゃいます。私はただお話しているだけ、こんなことを仕事と呼んでいいのでしょうか?

 

しばらく経って、戦争が起こりました。良くないものだと教えられてきましたが、意外とあっさりしたもので、私の暮らしはあまり変わりませんでした。私は書類を運んで、リリス様とお喋りします。

 

けれど、人が増えたことは大きな変化でした。それも普通の人ではなくて、羽も生えていないし、爪や触手もない、何もついていない人たちだったのです。そんな不思議な人は初めて見たので、少し驚きました。

 

そんな不思議な人たちの一人が、ファズさんです。

 

ファズさんは手足を失った姿でオクタマ共和国に運び込まれてきました。初めはそういう人なのかなぁと思っていたのですが、どうやらそれはお兄様にボコボコにされたせいらしいと知って、申し訳なくなりました。お兄様は以前リリス様と喧嘩してから、ずっと素行が悪いのです。

 

それからリリス様がファズさんに新しい手足をくっつけて、彼女はオクタマ共和国で働くことになりました。

 

今日の私は、そのファズさんから魔法を習うことになっていました。先日外人部隊の訓練を視察した時に、私が”魔法”に興味を持ったことをリリス様は覚えていたようで、教師役を手配してくれたのです。

 

「巫女様、魔法とは、意志の力で望む現象を引き起こす業です。空間中に存在するマナ……神聖独裁官閣下のお言葉を借りれば”ナノマシン”ですね。これに命令を下し、様々な姿に変じさせます」

 

ファズさんが手のひらを翳せば、空に小さな火の玉が現れます。それは悪戯に宙を舞い、オレンジ色の光を辺りに振り撒いて、やがて弾けて消えました。まるで花火とシャボン玉を一遍にするようです。

 

揺れる火の玉を一心に眺めていた私に、ファズさんが尋ねました。

 

「失礼ながら、巫女様は戦いの業としての魔法ではなく、その見た目の美しさに惹かれて魔法をお修めになろうと思い立たれた、ということでお間違いありませんか?」

 

「……はい、その通りです。前に見たのが、あんまり綺麗でしたので」

 

少し恥ずかしかったですが、そう正直に白状すると、戦いの業としての魔法を修めた彼女は、とても嬉しそうにはにかみました。

 

「では、ファイアボールやサンダーボルトのような物騒な魔法よりも、ずっと楽しくて、人のためになる魔法をお教えいたしましょう」

 

ファズさんは改めて空に手を翳しました。

 

「ファイアワークス」

 

再び空に小さな火の玉が現れます。それも今度は一つきりじゃなく、たくさんの火の玉です。火の玉たちはファズさんが指揮者のように手を振るのに合わせて、まるで空を渡る鳥の群れのように激しく、けれど規律正しく空を飛び回ります。

 

揺らめく淡い光のつぶつぶと戯れる時間が過ぎて、やがてすべての火の玉が勢いよく空高く舞い上がっていき、大きく弾けて消えていきました。

 

名残のような煙と火の粉が散っていく空を見上げ、私はただただ息を飲みます。

 

「酒の席で、余興に使うために覚えた魔法です。このようなものですが、お気に召されましたか?」

 

「はい! とっても! ぜひ教えてください!」

 

「ふふっ。ええ、畏まりました。では、まずは魔法の基礎、イメージを構築する手順からお教えいたしましょう……」

 

そうして、私はファズさんから魔法の手ほどきを受けました。リリス様が言うには「ライセンスは発行されているので原理的には可能なはず」とのことですが、ファズさんの真似をしても中々上手くいきません。とうとう、その日は火の粉の一つすら起こすことはできませんでした。私はがっくりと落ち込みます。

 

「巫女様、そう気を落とされずに。誰だって初めては上手くゆかないものですから。ゆっくりと覚えてゆきましょう」

 

「うう……」

 

ファズさんは優しく慰めてくれます。本当にいい人です。こんな人にお兄様は一体なんてことをしてくれたのでしょうか。今更のように申し訳なさがこみ上げてきました。

 

「その、ファズさん。お兄様……ゼフが貴女にしたこと、本当にごめんなさい。多分あの人は謝っていないと思うので、私が代わりに謝らせていただきます」

 

「いえ、我々から仕掛けた戦争だったのです。ゼフ殿がなさったのは正しいことですよ。巫女様はご立派な兄上をお持ちです」

 

何というか、ファズさんは本当にいい人でした。私は押し切ることにしました。

 

「それでも、ごめんなさい」

 

「その、手足を落としていただいたお陰で、私は神聖独裁官閣下から新しい手足を、それも以前までの物よりずっと強靭な物を賜ることができたのです。私はゼフ殿に、むしろ感謝せねばなりません」

 

受け止め切られてしまいました。これはもうどうしようもありません。私は謝罪の押し売りを諦めることにしました。

 

「……所で巫女様、そのゼフ殿についてなのですが、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 

「はい、何でも聞いてください。今なら何でもお答えします」

 

お兄様を出汁に申し訳なさをかき消すチャンスである。私はすかさず飛びついた。

 

「神聖独裁官閣下とゼフ殿は、何かしらの確執を抱えているという話を小耳に挟んだのです。それを肉親に問うというのも不躾なこと甚だしいとも思うのですが、何分オクタマ共和国の元首と最高戦力の間の事、ぜひ把握しておきたいのです」

 

「ああ、その件ですか……」

 

私は少し考えて、どうせ皆知っていることだから、私が言わなくても何処かで知るだろうな、と思ったので、素直に話すことにしました。

 

「お兄様には、昔危ない趣味があったんです。人類最高飛行高度のレコードアタック、酸素ボンベを抱えて、脚のジェットを全力で吹かして空に昇っていく、そんな趣味が」

 

「それはまた……凄まじい趣味ですね」

 

羽も爪も触手もない人には、より一層凄い行為だと感じるのでしょう。ファズさんは息を飲みました。

 

「高度が上がると空気が薄くなって息ができなくなりますし、気温も一気に下がって体が凍り付きます。それなのに日差しは強くなって激しく肌を焼きます。地上に戻ってくる度、お兄様の体はボロボロになっていました。だというのに、お兄様は毎度とても楽しそうに笑っていたんです」

 

私は目を閉じて、あの頃のお兄様を思います。墜落同然の着陸をして、駆け寄った私とリリス様の前でゲラゲラと笑いながら酸素マスクを乱雑に放り捨て「今日は8万5千フィートまで登ったんだ! 俺が真のブラックバードだ! 見てたかロッキード!」と、良く分らないことを言っていたことを思い出しました。

 

「心配性のリリス様がそんな挑戦を許すはずもなく、ほどなくお兄様にはレコードアタック禁止令が出されました。お兄様も反発したんですが「言うことを聞かないなら脚のジェットを封印しますよ!」言われて、そこからもう大喧嘩です。それ以来、二人はお互いを”ババア”に”悪ガキ”と悪し様に呼び合う仲になってしまった、という訳ですね」

 

「なるほど……ゼフ殿と神聖独裁官閣下の事情、委細承諾致しました。巫女様、ありがとうございます」

 

ファズさんはお礼を言ってお辞儀をしてくれます。これでお兄様が彼女にしたことはチャラ……にはなりませんが、もう私がその件で気負う義理はなくなったということにしましょう。

 

「では、次の魔法のレッスンはいつに致しますか? 私は司令部勤務であまり現場には出ませんので、巫女様の予定にお合わせできますよ」

 

「なるべく早めにお願いします。明日とか」

 

「うーん、明々後日でご勘弁いただけませんか?」

 

何はともあれ、早くきれいな魔法を使えるようになるために、たくさん練習しなくては。

 

きっと二人とも、褒めてくれるだろうから。

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