知り合いからはよく「ゲテモノ食い」だと言われる。
たしかに趣味道楽で生きている。だが「ゲテモノ食い」は心外だ。美食家と呼んでほしい。
俺の体長は約七メートル、体重は三トン近い。ホオジロザメとして、この海域では知らぬ者のない存在だ。
同族たちは俺のことを理解できないらしい。アザラシやアシカ、時々クジラの死骸、そういった「普通の」獲物で満足している奴らには、俺の嗜好が異常に映るのだろう。
だが俺に言わせれば、奴らこそ想像力が欠如している。俺にとって食事とは何か。それは単なる飢えの充足ではない。味覚を通じた世界の理解、それが食事の醍醐味というもの。
俺の好物は、人間だ。
最初に口にしたのは偶然だった。十年ほど前、まだ若かった頃だ。サーフボードに乗った若い女性を下から見上げた時、それが水面を泳ぐアザラシのシルエットに見えた。本能的に飛びつき、噛みついた。
その血の味は、今まで味わったどんな獲物とも違っていた。
甘く、そして複雑。筋肉の締まり具合も悪くない。何より、知性を持つ生き物特有の、言葉では表現しがたい「何か」が舌の上で踊った。
それ以来、俺は人間の味に取り憑かれた。
誤解しないでほしい。俺は単なる殺戮マシンではない。むしろ美食家だと自負している。人間にも個体差があることを知った。若い女性の肉は柔らかく、繊細な味わい。中年男性は脂が乗っていて、コクがある。子供は…まあ、前菜といったところか。
思い返せば、俺が味に目覚めたのには、もう一つ理由があった。
人間を初めて食う前、俺は一匹の雌の鮫と出会った。
名前は知らない。鮫は名前なんて持たないから。でも、彼女は美しかった。流線型の体、鋭い背びれ、そして何より獲物を狩る時の優雅な動き。
初めて「美」というものを理解したのは、彼女を見た時だった。それまで俺にとって、獲物とは単なる栄養源でしかなかった。飢えを満たすもの。生きるための燃料。だが、彼女の狩りを見た時、俺は気づいた。同じ行為でも、そこに「美しさ」が宿りうるのだと。
俺たちは一時期、共に泳いだ。同じ獲物を追い、時には協力して狩りをした。
鮫にしては珍しい関係だった。普通なら俺たちは孤独を好む。だが、彼女といる時だけは孤独を感じなかった。
ある日、彼女が言った。いや、言葉ではない。鮫は喋らない。でも、仕草で、動きで、俺に何かを伝えようとした。
「お前は違う」
そんな意味だったと思う。
何が違うのか、その時は分からなかった。だが、彼女は俺の中に他の鮫にはない何かを見出していたのだろう。
彼女と別れたのは、春の終わりだった。繁殖期が終わり、それぞれの海域に戻る時が来た。彼女は北へ、俺は南へ。
二度と会うことはなかった。
その後すぐに、俺は人間の味を知った。もしかしたら彼女との別れが俺を狂わせたのかもしれない。孤独を紛らわすために、新しい刺激を求めたのかもしれない。
でも、そんなセンチメンタルな理由じゃない気もする。俺はただ、純粋に、美味いものを求めただけだ。
……彼女は今どこの海を泳いでいるのだろう。もしかしたら、もう死んでいるかもしれない。鮫の寿命は案外短い。特に、人間どもに狙われれば。
彼女も俺のように、何か特別なものに目覚めただろうか。味覚じゃなくても、何か他の感覚に。例えば音楽とか。海の中にも音楽はある。クジラの歌、イルカの鳴き声、そして波の調べ。
想像すると少しおかしい。音楽に目覚めた鮫。コンサートを開く鮫。
いや、俺も大概おかしいか。美食に目覚めた鮫なんて。
彼女がもし俺のその後を知ったら、何と思うだろう。呆れるか、悲しむか、それとも「やっぱりお前は違った」と納得するか。
もう確かめる術はない。
アミティという町の近海に住み着いたのは、三ヶ月前のことだ。夏が近づき、海水浴客が増える季節。俺にとってはまさに収穫期の到来だ。
最初の獲物は、夜中に一人で泳いでいた若い女だった。海をはしゃぎながら泳ぐ無警戒な獲物に、俺は静かに近づいてゆく。
俺の狩りには“美学”があった。
ただ闇雲に襲うのではない。獲物を選び、機を見て、一撃で仕留める。これが俺のスタイルだった。
まず、獲物の観察から始まる。
砂州の陰から、人間どもの動きをじっと見極める。誰が泳ぎが上手いか、誰が初心者か、誰が自信過剰か。これらすべてが、味に影響する。泳ぎの上手い人間は、筋肉が発達していて歯ごたえがある。だが、硬すぎることもある。初心者は柔らかいがパニックになりやすく、アドレナリンが肉を酸っぱくする。
一番いいのは、中級者だ。適度に泳げて、でも油断している。リラックスした筋肉、適度な脂肪、そして俺の接近に気づいた時の、絶妙な恐怖の調合。
時間帯も重要だ。
早朝は、人間どもがまだ寝ぼけている。反応が鈍く、味もぼんやりしている。昼間は、太陽の下で体が温まっている。血行が良く肉が柔らかいが人も多く、リスクが高い。
夕方は、一日の疲れが肉に蓄積している。乳酸の微かな酸味が、いいアクセントになる。そして夜は……夜は特別だ。暗闇への恐怖が肉を引き締める。月明かりの下での狩りはまさに芸術だった。
俺は獲物に近づく時、必ず下から行く。
人間の視界は水平方向に限られている。上も下も見えない。特に下は、完全な死角だ。
深く潜り、獲物の真下に位置取る。そして、ゆっくりと上昇を始める。この時、尾びれは使わない。胸びれだけで音を立てずに浮上する。獲物との距離が縮まるにつれ、俺の鼓動が高まる。全身の細胞が、これから起こる饗宴に震えている。
最後の数メートル。ここが一番重要だ。速すぎれば水の動きで気づかれる。遅すぎれば獲物が移動してしまう。絶妙なスピードで一気に距離を詰める。
口を開く。百本以上の歯が、月光を反射して輝く。獲物が俺の存在に気づく。目が合う。その瞬間の、人間の表情。驚き、恐怖、そして理解。「ああ、わたしは狙われている」という諦め。
この表情が、最高のスパイスだった。
噛みつく場所も重要だ。胴体を狙えば、一撃で仕留められる。だが、それでは面白くない。俺は時々、わざと足を狙った。人間が必死に抵抗する様を楽しんだ後で、とどめを刺す。
人間どもの反応は、いつも俺を楽しませてくれる。奴らは海を「征服した」と思い込んでいる。船を作り、網を張り、自分たちが海の支配者だと勘違いしている。だが、ひとたび水の中に入れば、いかに無力な存在か思い知ることになる。
手足をばたつかせ、必死に水面を目指す姿は滑稽ですらある。俺は時々、わざとゆっくり近づく。恐怖で瞳孔が開き、口から気泡が漏れる瞬間を楽しむために。
……残酷だ、って? そうかもしれない。でも、これも俺なりの美食の一部だ。人間がワインを飲む前に香りを楽しむように、俺は獲物との駆け引きを楽しんでいた。
時には、わざと姿を見せることもあった。背びれを水面から出し、ゆっくりと獲物の周りを回る。人間どもがパニックになり、必死に岸を目指す。でも、俺の方が速い。いつでも追いつける。
この優越感も、また絶妙な調味料だった。
「お前の命は俺の顎の中にある」
そう思いながら泳ぐ時、俺は海の王者だった。
だが、ただの残虐行為ではない。俺には俺なりに、命への敬意をもって接してきたつもりだ。
仕留めた獲物は、必ず全部食べた。肉も、内臓も、できる限り骨も。無駄にはしない。これが、獲物への最低限の礼儀だと思っていた。
人間どもは俺を怪物と呼んだ。海の悪魔とも言った。
でも、俺に言わせれば、人間の方がよっぽど残酷だ。
牛や豚を工場で大量生産し、機械的に殺し、一部だけ食べて残りは捨てる。魚を網で一網打尽にし、売れないものは海に捨てる。
どちらが怪物なのか。
少なくとも俺は一対一で勝負した。獲物にも逃げるチャンスはあった。そして、仕留めたものは敬意を持って、すべていただいた。
そして今回も俺の勝ちだ。俺は目の前の獲物に食らいつき、女の手足を食いちぎった。
二人目の犠牲者は、アレックス=キントナーという少年だった。
正直なところ、子供はあまり好みではない。肉が少ないし、味も淡白だ。だが、その時は別の理由があった。浜辺にいる大人たちに、俺の存在を知らしめたかったのだ。昼間の、それも大勢の目の前で。
赤いいかだに乗った少年を、下から突き上げた。血しぶきが太陽の光を受けて、美しい虹色に輝いた。浜辺からの悲鳴が、勝利の凱歌のように聞こえた。
その後、町は大騒ぎになった。
ビーチは閉鎖され、漁師たちが大挙して海に出た。賞金も懸けられたらしい。三千ドル。俺の価値がたったそれだけとは、少々腹立たしい。
愚かな漁師どもは、別の鮫を捕まえて大喜びしていた。イタチザメだったか。俺の半分の大きさもない、取るに足らない雑魚を「人食いザメ」だと勘違いして。その間に俺は悠々と獲物を物色していた。
次に狙ったのは、独立記念日の海水浴客たちだった。
人間という生き物は、本当に学習しない。危険だと分かっていながら、「大丈夫だろう」「自分だけは違う」と思い込む。その愚かさが俺には理解できないが、おかげで獲物には困らない。
俺は入り江で遊んでいた人間どもを襲った。一人の男の脚を食いちぎった時の、あの感触は今でも忘れられない。骨が砕ける音、筋肉が裂ける感覚、そして何より、絶望に染まった叫び声。
だが、その時から風向きが変わった。
マーティン=ブロディ。アミティの警察署長。
マット=フーパー。若い海洋生物学者。
そして、クイント。老練な鮫ハンター。
この三人が、俺を本気で狩りに来た。
クイントの船「オルカ号」との最初の遭遇は、正直なところ少し面白かった。
奴らは撒き餌をして、俺をおびき寄せようとした。馬鹿げている。俺がそんな安い手に引っかかると思っているのか。
だが、あえて姿を見せてやった。奴らの反応を見たかったから。
「もっと大きな船が必要だ」
ブロディが漏らした言葉が聞こえた。そう、俺の巨体を見て、ようやく自分たちが何と対峙しているか理解したのだろう。
クイントは俺に銛を打ち込んだ。黄色い樽がついた銛だ。痛みはあったが、致命的ではない。むしろ、これで面白くなったと思った。追いかけっこの始まりだ。
俺は樽を引きずりながら、深く潜った。水圧で樽を潰そうとしたが、意外に頑丈だった。
仕方なくしばらく樽をつけたまま泳ぎ回った。奴らを疲れさせるために。
翌朝、奴らは再び俺を追い始めた。
クイントはさらに二本の銛を打ち込んだ。三つの樽が俺の動きを制限し始めた。少し厄介になってきた。だが、まだ余裕はある。
俺は方向を変え、真っ直ぐオルカ号に向かった。
正面からの突撃。奴らは慌てて舵を切ったが、遅い。船の横腹に激突し、船体を大きく揺らした。フーパーが海に投げ出されそうになるのが見えた。
そして、決定的な一撃を加えるため、船尾に回り込んだ。
プロペラ付近に噛みつき、思い切り暴れた。金属が軋む音、何かが壊れる音。エンジンが停止した。これで奴らは逃げられない。
フーパーが檻に入って水中に降りてきた。
勇敢なのか、愚かなのか。毒薬を持った注射器を構えている。俺を毒殺するつもりらしい。学者らしい発想だが、甘い。
檻の周りを回りながら、隙を窺った。金属の格子は頑丈だが、完璧ではない。急角度から体当たりをすれば、檻を変形させられる。
渾身の力で檻に激突した。
金属が歪み、フーパーが注射器を落とした。もう一度、別の角度から。檻の扉が外れかかる。フーパーの顔が青ざめるのが、水中でもはっきりと分かった。
だが奴は素早く檻から脱出し、海底の岩陰に隠れた。
臆病者め。まあいい、後でゆっくり探せばいい。今は、船の上に残った二人を片付ける方が先だ。
水面に戻ると、オルカ号は既に傾き始めていた。
俺の攻撃で、船体のあちこちに穴が開いたらしい。クイントとブロディが必死に水を掻い出しているが、焼け石に水だ。
船が沈み始めた時、俺は最後の攻撃を仕掛けた。
傾いた甲板を滑り落ちてきたクイントを、大きく口を開けて待ち構えた。老練な漁師は最後まで抵抗した。手に持った山刀で、俺の鼻先を切りつけた。痛みはあったが、その程度で俺を止められはしない。
クイントの半身を噛み締めた。
骨が砕ける感触。血の味。そして、最後まで俺を睨みつけていた、あの憎しみに満ちた目。ある意味で、尊敬に値する男だった。最後まで戦士だった。
だが、勝つのは俺だ。
クイントの体を振り回し、水中に引きずり込んだ。断末魔の叫びが泡となって水面に昇っていく。
残るはブロディ一人。
我らが警察署長ブロディは、半分沈んだ船のマストにしがみついていた。カナヅチらしい。海辺の町の警官のくせに泳げないとは情けない。恐怖で震えるブロディの姿をしばらく観察した。
ロレンチーニ器官を通じて、ブロディの心拍の電気が俺の舌先に泡立つ。
……人間の恐怖は、実に味わい深い。肉体的な恐怖だけではない。家族を残して死ぬ恐怖、使命を果たせない恐怖、そして何より、自然の圧倒的な力の前での無力感。それらすべてが、獲物の味を引き立てる最高のスパイスとなる。
俺はゆっくりと近づいた。
途中、何度か水面に背びれを見せた。ブロディが持っていたライフルで撃ってきたが、水中にいる俺には届かない。弾丸は水の抵抗ですぐに勢いを失う。
マストが完全に水没するまで、あと少し。
だが、あの男はまだ諦めない。鼓動に覚悟の風味がした。「ここで決着をつける」という、強い意志。
俺も同じ気持ちだった。
逃げることもできた。深海に潜り、別の海域に移動することも。でも俺は留まった。ブロディと決着をつけるために。
最後の突撃。
俺は全力で泳いだ。今までの獲物には見せなかった、本気の突撃。水を切り裂き、一直線にブロディへ。
奴も逃げなかった。マストにしがみつき、正面から俺を見据えていた。
美しい瞬間だった。
原始的な対決。知恵と本能の激突。
その時、ブロディが何か丸い物を海に投げ込んだ。圧縮空気のボンベだった。なぜそんな物を? 溺れる前に空気を吸うつもりか? 人間の浅知恵には呆れる。
俺は大きく口を開け、最後の突撃を開始した。この瞬間が、最も美しい。獲物が完全に諦め、死を受け入れる瞬間。抵抗することの無意味さを悟り、運命に身を委ねる瞬間。それはある種の芸術だ。
ボンベが俺の口の中へと押し込まれる。
悪足掻きか、だが無駄だ。ボンベごとブロディを噛み砕いてやろう。顎の力を込めた、その瞬間。ブロディがライフルを構えているのが見えた。狙いは……俺の口の中のボンベ?
ブロディは吼えた。
「スマイル、ユー・サノバビッチ!」
あの男は笑えと言った。牙の奥で、圧縮空気が笑った。
同時に、銃声が響いた。
最初は、何が起きたか分からなかった。
口の中で、突然激しい痛みが走った。いや、痛みというより、爆発。圧縮空気のボンベに弾丸が当たり、爆発したのだ。
俺の口腔が内側から破壊された。
顎が砕け、頭部が裂けた。視界が真っ赤に染まり、そして暗転した。
走馬灯というものを、鮫の俺も見るとは思わなかった。
若い頃、初めて獲物を狩った時の興奮。
群れを離れ、一匹狼として生きる決意をした日。
そして、初めて人間を食べた、あの運命的な瞬間。
後悔はない。空の深さが海にないように、俺にその言葉は溶けない。
確かに「ゲテモノ食い」と呼ばれるような生き方だったかもしれない。同族からは理解されず、人間からは恐れられ、憎まれた。
だが、食物連鎖の頂点に立つ者として、自然の摂理の体現者として、そして何より一個の生命体として、悔いのない生を全うした。
意識が薄れていく中で、不思議と穏やかな気持ちになった。
ブロディ、お前は見事だった。知恵と勇気で圧倒的な力の差を覆した。それは称賛に値する。
恐怖はあった。でも、それ以上に強い決意があった。家族を守るという揺るぎない決意。俺は初めて、食欲以外の強い感情を理解した。奴は、俺と同じように普通とは違ったのだ。
最後に見えたのは、青い海と、白い泡と、そして遠くで安堵の表情を浮かべるブロディの顔だった。
俺は内心でつぶやいた。
「ブロディ、お前は美味そうだ」
だがもう喰えないのが残念だ。
暗い海の底で、俺の意識は完全に途絶えた。
さようなら、アミティの海よ。
さようなら、愚かで愛おしい人間どもよ。
そして、ありがとう。
最後まで、退屈しない狩りをさせてくれて。
三日後、俺の死骸の一部が浜辺に打ち上げられた。
爆発で砕けた巨大な
発見後は警察が押収し、地元の博物館が引き取りたいと申し出たが、警察署長のブロディは断った。
「海に返してやってくれ」
ブロディはそう言ったという。
敵ながら、あっぱれ。最後まで、戦士への敬意を忘れない男だった。
俺の骨は再び海へと還された。深い海溝の底で、永遠の眠りにつくために。
……時々、漁師たちは月のない夜、アミティの沖合で巨大な影を見るらしい。
正体は誰にも分からない。ただ一つ確かなことは、海は、永遠に人間のものにはならないということ。
深い青の世界には、常に何かが潜んでいる。月のない夜、海は低い調べで呼吸する。歌のない歌を聞きながら、俺のいた層はまた満ちてゆく。
深く青い海の中で、何かが必ずそこにいる。
じっくりと次の獲物を待ちながら。