竈門家が七人きょうだいのため、六太の名前を七太と変更あり。
1.姉も鬼になった
炭治郎には七人の家族がいる。
母の葵枝、姉の
炭焼きの暮らしは決して豊かではないけれど、寄り添って生きる家族がいることが、炭治郎にとって何よりの幸せだった。
炭を詰めた籠を背負い、麓の町へ売りに行く支度をすると、母が煤だらけの頬を拭ってくれる。
「雪が降って危ないのに……無理しなくてもいいんだよ」
「正月には、みんなで腹いっぱい食べたいから。だから、これだけでも売りに行くよ」
そう言えば、母は申し訳なさそうに微笑み、「……ありがとう」と答える。
花子と茂が「私も!」「僕も!」と駆け寄れば、竹雄が一足先に籠を背負い、兄の隣で得意げに胸を張った。
炭治郎が外に出掛ける気配を感じたのか、茂と花子が自分も行きたいと駆け寄ってきた。
「今日も町に行くの?」
「私も行きたい!」
「だめよ、二人とも炭治郎みたいに早く歩けないでしょう。今日は荷車を引いていかないから、疲れても途中で乗せてもらったり休んだりできないのよ」
「俺は背負って行けるから兄ちゃんと一緒に行ってもいいだろ、母ちゃん!」
母が二人を宥めている最中、炭治郎より一回り小さいが炭が入った籠を背負った竹雄が得意げに兄の隣に並んだ。
「薪割りはどうした?」
「灯麻希姉ちゃんがやってくれるって!」
斧を掲げて笑う姉に、炭治郎は「危ないよ!」と慌てる。
家族は騒がしくも優しく、互いを補い合って暮らしていた。
「炭治郎、竹雄。気を付けてね」
「早く帰ってきてねー!」
「いってらっしゃーい!」
母と花子、茂、奥から姉に見送られながら、炭治郎と竹雄は出発した。
白い雪を踏みしめながら――炭治郎と竹雄は山を降りていく。
その帰り道を、二人はもう二度と同じようには歩けないとも知らずに。
***
「禰豆子、お帰り」
炭治郎達と入れ替わるようにして七太をおんぶした禰豆子が帰ってきたので木を割りながら、声を掛けた。手伝いに参加した茂も一緒に出迎える。花子は母と一足先に家の中に戻っている。
「ただいま。竹雄、嬉しそうだったね」
「そうだね、やっと十貫の炭を背負えるようになったから」
私としては、張り切りすぎて途中で疲れ過ぎてしまわないか心配だが、匂いで人の体調までも分かる炭治郎もいることだし、大丈夫だろう。出掛ける前に見た
「七太、重たくなってきたね」
そう言いながら禰豆子が背中の七太をあやすと、彼女の魂がふわりと揺れた。
淡い桃色に金の光がひとかけら――家族を思いやる、優しい色だ。
私は薪を割る手を止めて、彼女の魂のまわりに漂う光の具合を眺める。今日の禰豆子も、茂も、皆それぞれの色で生きている。茂は快活な黄緑色。彼の喜怒哀楽は分かりやすくて、いつも見ていて安心する。
七太は眠っているのか、魂の色は柔らかく、小さく呼吸するように明滅している。
魂の核は透明で、穢れひとつない光を灯していた。
こんなふうに、誰の魂を見ても今は穏やかで、暖かい。
(……でも、今日の空気は少し、重たい気がする)
「お姉ちゃん、薪運ぶの手伝うよ!」
茂が元気に声をかけてきたので、私はぱちりと瞬きをして顔を上げた。
いつの間にか、手が止まっていた。
斧を握ったまま、思考の波に飲まれていたようで、茂の声にハッとする。
「……ごめん、ちょっとぼんやりしてた」
「大丈夫? 眠いの?」
「ううん、なんでもないよ。ありがとう」
私は微笑んで、茂が薪を抱えるのを見守った。
魂が発する黄緑の光が、勢いよく揺れている。元気そのものだ。
さっき感じた違和感は気のせいだったと思い直し、薪割りを再開した。山の空気は澄んでいて、炭の匂いと樹々の香りが心地よく混ざっている。いつもと変わりはない。緩やかに時間は過ぎて行った。
湯気の立つ汁物が冷める頃には、外はすっかり夜の顔になっていた。
夕方からちらちらと舞いはじめた雪は、今ではもうしんしんと降り続けている。
「……雪、降ってきたね」
「ほんとだー!」と花子が障子を少し開けて覗き、寒い寒いと肩をすくめながら戻ってきた。
禰豆子や茂はもう布団に潜り込み、七太は早くも寝息を立てている。私は湯たんぽの入った布団の端に座りながら、みんなの様子を見守っていた。
「炭治郎たち、大丈夫かな」
私の問いに、母が針仕事の手を止めて小さく笑う。
「三郎さんのところに泊めてもらっているわよ。あの人、優しい人だから。きっとあったかくしてくれてるわ」
(そっか……それなら大丈夫)
母の声は、昔から不思議と安心させる力がある。それを聞いてから、ようやく私の肩から力が抜けた気がした。
「お姉ちゃん、今日の薪いっぱい割ったねー」
茂が布団の中から顔を出してくすぐったそうに笑う。
「ふふ、茂も手伝ってくれたから助かったよ」
「明日はもっとできるよ!」
「うん、楽しみにしてる」
私は茂の髪を優しく撫でてから、自分の布団へ滑り込んだ。
火鉢の火はほのかに赤く、家族の息づかいが重なっていくこの時間が、私はとても好きだった。
雪は今も、静かに降っている。夜の帳が優しく家を包みこみ、何もかもが穏やかだった。
***
しんと静まり返った家に、不意にーーコンコンと戸を叩く音が響いた。
「……こんな時間に、誰かしら」
母は小声で呟くと、そっと布団から出て明かりを手にとった。
私はぼんやりと目を開け、隣で寝ていた茂の寝顔を確認してから起き上がった。
(嫌な気配……)
背筋を冷たい何かが撫でていった気がした。気配の向こうに、“強すぎる魂の色”が揺らいでいる。こんな色をした魂を今まで見たことがない。母一人では不安だ。
「花子…起きられる?茂と一緒に居てね。禰豆子は七太を」
「……? お姉ちゃん?」
「……どうしたの?」
「いいから。……お願い」
慌てて起きようとする妹たちにそう伝え、私は母の背後に駆け寄ろうと近づいた。
「……こんな山奥に、何かご用でしょうか? どちらかで道にでも迷われたのでは……」
母の声は穏やかだ。
雪混じりの冷気とともに、ひとりの男が立っていた。
辺りが暗くて、男は影になっていて格好はよく分からない。異様に、妖しく光る紅の瞳が酷く恐ろしい。
「――
男は淡々と告げた。
「花札の……? 申し訳ありません、その様な者は――」
「……いない、か」
男の声音が、急に冷え込んだ。
そして次の瞬間、私の視界が一瞬だけぐにゃりと歪んだ。
「え―――」
「――――ッ!!」
“それ”が動いた時、母が目の前に飛び出していた。
鋭利な触手のようなものが、母の腹を深々と貫く。
「お、お母さん……!」
私の叫びが届くより早く、さらに一閃。焼けつくような熱が走り、足元が崩れた。床に倒れ込み、肺の奥から、熱いものが逆流する感覚。誰かの悲鳴がガンガンと耳鳴りの向こうから刺さってくる。
男は、忌々しげに吐き捨てた。
「くだらない……この私を山奥まで足を運ばせておいて、何もないとは……忌々しい。
……どれかが、私の求める“鬼”になれば、いい」
その言葉には感情がなかった。興味もない。命を、意味もなく踏みにじることに、何の呵責もない。
「……に……げて……」
声にならない声が喉から漏れる。でも、それしかできなかった。
意識が途切れかけた中、“魂”が光が揺らいで見えた。
母の魂。妹たちの魂。幼い七太の、か細い光。
駄目だ。嫌だ。皆死んでしまう。
あの時の父のように。
燈火が、消えてしまう。そんなの、だめだ――
死にたくない。
皆を守れなかった。
何もできなかった。
ごめんなさい。炭治郎…竹雄……ごめん。
そして――赤黒く、重たく、圧倒的に濁った“それ”が、私たちを飲み込んだ。
***
ーーーー私は、死んだのだろうか。
気がつけば、私はひとり、暗闇の中に佇んでいた。この場所は静かだ。さっきまで耳を塞いでいた耳鳴りも体を焼いたような熱も、匂いも何もかもが消えていた。
ここはどこだろう、行くべき場所があるのだろうか考えているうちに、ぽつりと光が浮かんでいた。
――これは、私の“魂”だ
そう思った理由は分からない。ただ、そうだとしか思えなかった。
他にすることもなかったので、そっと光に手を伸ばす。
瞬間、眩い閃光が視界を覆い、光はまるで映写機でもあるかのように、空間に景色を映し出した。
それは絵本のようでもあり、夢の断片のようでもあり――どこか懐かしい。
町の景色、光に塗りつぶされた誰かの顔。
発展した街並みと、灯りに包まれた部屋で笑い合う家族。
映し出される光景は、誰かの記憶のようだった。
そして私は気づいた。
――これは、“私”の記憶だと。
今と似ても似つかない世界なのに、どうしてか、それだけは確信できた。
あの頃、私は“物語”を読んでいた。
鬼になった妹と共に、家族を失った少年・竈門炭治郎が、鬼舞辻無惨という名の鬼の始祖と戦う物語。
禰豆子を人間に戻すために、幾度となく命の瀬戸際に立ちながら、それでも誰かを救い続けた少年の物語。
私は、ページを捲るたびに胸を打たれていた。
彼が流した涙も、振り絞った叫びも、すべて心に残っている。
でも今、私はそれを――ただの“読者”としてではなく、炭治郎と共に歩いた記憶として思い出している。
あの物語は、もはや“本の中”ではなかった。
彼が流した涙も、振り絞った叫びも、すべて心に残っている。
――知ってしまったからこそ、“選べる未来”がある。
家族を守れなかった自分が憎い。もっと早く、この記憶を思い出せていれば、と自分を責める声が頭をかすめる。
でも、もう時間は巻き戻せない。
それに、あの時あの場所にいるはずだったのは――竹雄だった。
それなのに、そこにいたのは“私”だった。
本来ならばいなかったはずの存在が、存在したことで竹雄は違う選択をしたのだ。
その事実が、心に火を灯した。
***
意識の底から這い上がった私は、雪の中に倒れていた。
頬に触れる冷たさも、吐く息の白さも、どこか現実感がない。だが、全身を襲う飢餓感と血の匂いが、私に“何かが変わった”ことを突きつけてくる。
喉の奥が焼けるように熱く、胃が裏返るほど空っぽだ。
思考がまとまらず、ただ本能だけがせり上がってくる。散漫な思考の奥で、私は鬼になったのだと直感した。
すぐ近くで、三つの魂の光が揺れているのを感じる。
どれも懐かしくて、大切で、手放したくない光。
「竹雄!大丈夫か!」
「俺は平気…雪がふかふかに積もってたから……っ、それよりも姉ちゃん達が……!」
雪まみれの炭治郎と竹雄が、驚いた顔で私と禰豆子を交互に見ていた。
炭治郎が少し息を整え、禰豆子の方へ歩み寄る。
「……竹雄は灯麻希姉ちゃんを頼む。俺は禰豆子を見てくる」
「うん……姉ちゃん、意識が戻ってよかったぁ」
竹雄がほっとしたように涙を滲ませて、私に駆け寄ってくる。
しかし私は座ったまま、じっと禰豆子の方を見つめていた。
――禰豆子の魂がおかしい。あんな色は初めて見る。
「……灯麻希、姉ちゃん?」
不安そうに顔を覗き込む竹雄。体の中の魂の赤みのある黄土色が、灰色と黒の靄に覆われていくのが見えた。恐れと戸惑いが滲んでいる。それは、鬼となった私を前にした困惑か、それとも傷ついた私への心配か。
いずれにせよ、今はそれを気にしている暇はない。
まさに今、春の土のような温かさを持っていた禰豆子の魂が、赤黒い濁流のような闇に蝕まれているからだ。
魂が呻くように揺れているのに、禰豆子の体はほとんど動かない。
いや――今、体がかすかに動いた。
「禰豆子!歩かなくていい!俺が町まで運んで――」
炭治郎が駆け寄ろうとするより先に、私の体が勝手に動いた。
「姉ちゃん!?」
竹雄の声が背後で響く。
その瞬間。
「……グゥゥゥ……グアアアッ!!」
唸り声とともに、禰豆子が炭治郎に飛びかかってくる。
私は迷わずその間に飛び込み、全身で禰豆子を受け止めた。
「!?」
「――禰豆子、だめだ!それは炭治郎だ、お兄ちゃんだよ!!喰べてはだめ……っ、駄目だよ!!」
力任せに禰豆子を仰向けに押し倒す。
暴れる彼女は鬼としての力を解放し、体を膨らませるように変化させた。
「姉ちゃん達……三郎爺さんが言ってた“鬼”になってる……?」
竹雄のつぶやきが耳に届く。
「炭治郎、竹雄は――――逃げなさい!!」
私の叫びに反して、二人は駆け寄ってきた。
「嫌だ!禰豆子……頑張れ!……禰豆子!こらえろ!頑張ってくれ!!」
「鬼になんかなっちゃだめだ!禰豆子姉ちゃん!!」
「禰豆子!……負けないで!!」
「――――!」
私たちの声が、真っ赤に染まりかけていた禰豆子の魂の奥底に、静かにしみ込んでいくのが見えた。
そして、張りつめていた力がほんのわずかに緩み――禰豆子の目からぽろりと涙が零れる。
膝をつき、力なく私の胸元に倒れ込む禰豆子を、私は両腕でそっと受け止めた。髪は冷たく濡れていて、指先に彼女の震えが伝わってきた。
「よく頑張ったね……禰豆子」
•
•
•
禰豆子が落ち着きを取り戻したことで、私たちの張り詰めていた空気がほんの少し緩む。
だが、私は気づいていた。
雪と冷気に紛れて――それでも消しきれない、“鋭さ”のような気配が、遠くからこちらをじっと見つめていることを。
鬼となった私の感覚が、確かにそれを捉えていた。人の気配。だがただの人間ではなく、研ぎ澄まされた気配である。動かずとも威圧感を放つ存在だ。
「……そこにいるのは誰ですか」
誰なのか、私はもう知っている。
けれど、本当にその人物か、確かめなければならない。
声に応じるように、木々の影からひとりの男が現れた。
黒い隊服に身を包み、肩には黒と水色の片身替の羽織。抜かれはしていないが、手は刀の柄にかかっている。冷たい眼差しが、じっとこちらを見つめていた。
男の名は、冨岡義勇――鬼殺隊の“水柱”。
間違いない。
私はすぐに禰豆子、炭治郎と竹雄を後ろにかばい、義勇の前に立った。
体の奥からくる飢餓感に、手足が震えそうになるが、今はそれを抑え込む。
――守らなければ。私の、大切な家族を。
「なぜ、人を襲わない。庇う」
義勇の問いは、感情の色を一切含まない。それでも、鋭く胸を突く。
「その姉妹は二人とも鬼だ」
「姉ちゃんや禰豆子は人食い鬼じゃない!!」
炭治郎が一歩踏み出して叫ぶ。
「灯麻希姉ちゃんは禰豆子姉ちゃんを止めてくれた!禰豆子姉ちゃんだって、今はもう俺たちを襲うようなことはしてない!」
竹雄も声を張り上げる。
「鬼は嘘を吐き、人間を騙す」
「姉ちゃんや禰豆子は、嘘を付いたりしない!!騙したりしない!!」
「“飢餓状態”になっている鬼は親でも兄弟でも喰う。栄養価が高いからだ。俺が斬った鬼は皆そうだった」
義勇は一歩、足を踏み出す。その気になれば、すぐにでも私たちを斬れる間合い。だが私は退かない。
「……確かに、私と禰豆子は鬼になった。でも、この子たちは私にとって、私たちにとって、かけがえのない家族です。喰べるなんて、ありえない。絶対にしません。断言できます」
私の声が震えていないことが、自分でも意外だった。
禰豆子も威嚇するように義勇を睨んでいる。
炭治郎も竹雄も、私と禰豆子の前に立とうとしていた。
その小さな体で、それでも私たちを守ろうとしている――
義勇の目が、一瞬だけわずかに揺れた。
「……そうか」
低く、呟くように言った義勇の声には、先ほどまでの冷たさが幾分か消えていた。
そしてその場の空気が、すっと緩んだ。
***
その後、私たちは家へと戻っていた。
お母さん、花子、茂、七太――もう目を開けることのない家族を、私たちの手で埋めてやらなければならなかった。
雪を掘り、凍えた土を退けながら、手は震えていた。義勇も、何も言わずに黙って手伝ってくれた。
そして、埋葬を終えた後。私たちの前に立った義勇は、真っ直ぐに私たちを見据えた。
「人を喰わず、鬼のまま人間の心を保っていた例は、お前たち姉妹以外に見たことがない。
人間に戻りたい、戻したいというのなら……強くなれ。己の意志や願いを貫き通す力をつけろ。弱者のままでは何の権利も選択肢もない。悉く力で強者にねじ伏せられるのみだ」
義勇の目が一瞬、私と禰豆子に向いた。
「そうでなければ、いずれその二人は斬られる」
炭治郎と竹雄が息を呑む。私は黙って頷いた。
「狭霧山の麓に住む、鱗滝左近次という男を訪ねろ。冨岡義勇に言われて来たと言え。
それと、今は日が差していないから大丈夫なようだが、妹を太陽の下に連れ出すなよ。姉も同じく気を付けろ」
言い終えると、義勇は背を向け、音もなく雪の中へと姿を消していった。
その後、家に残された食料や衣服、数枚の手紙を整理し、町の人たちや三郎お爺さん宛にあてて置いた。
私たちはそれぞれに家を見回した後、小さく頭を下げて――
「竹雄………学校はどうするの?」
問いかけたのは、私だった。ほんの少しでも、彼に日常を残してやりたかった。
しかし竹雄は、きゅっと唇を結んで首を振る。
「いやだ。俺だけ置いて行くのは嫌だ。俺も行く」
その横で、炭治郎もまた、静かに頷く。
そして、私たちは背を向けて出立した。