空想鬼譚   作:庵non

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11.蜘蛛の蟲塒(むしねぐら) 零対

 

 

 

「あれ!?灯真希ちゃんが、綺麗なお姉さんになってる!?」

 

 朝、一番遅く目を覚ました善逸が、驚きと照れの入り混じった声を上げた。

 私は炭治郎と並んで、布団の片付けをしているところだった。抱えていた敷布団を押し入れに収める。

 

 伊之助は相変わらずで、「飯ィー!」と叫びながら部屋中を走り回っている。

 この一ヶ月ですっかり見慣れた、いつもの朝の光景だ。

 

「お陰様でね。ようやく体調が元に戻ったんだ」

「善逸も起きたのか。姉ちゃんの本来の姿だよ」

 

 炭治郎が、いつもと変わらない調子で付け足す。

 

「いやいや!炭治郎が落ち着いてるのは弟だから分かるけどさぁ!伊之助まで、なんで平気なの!?昨日まで一番ちっちゃかった女の子が、俺たちの誰よりも背が高い、綺麗なお姉さんになってたら、普通は驚くでしょ!」

「寝ぼすけ子分その一がデカくなっただけだろうが!朝からうるせぇぞ、紋逸!」

「だから俺は善逸だってば!それに朝から走り回ってるお前の方が、よっぽどうるさいよ!」

 

 軽口の応酬を聞き流しながら、私は苦笑する。

 

 ――昨日まで、私は四、五歳ほどの幼子の姿だった。

 今はほぼ五尺六寸(169㎝)。女性としてはかなり背が高い。善逸が過剰に反応するのも、無理からぬ話だった。

 

「あっ、禰豆子ちゃん!今日は早起きだね!昨日ね、綺麗なお花を見つけたんだ。あとで摘んでくるから!」

 

 布団をすべて片付け終え、炭治郎とひささんが用意してくれた朝食を、部屋へ運ぶ。

 藤の家の家主であるひささんは、この一ヶ月、私たちを献身的に支えてくれた。私と禰豆子の正体に、とうに気づいていたはずだ。それでも炭治郎たちと何一つ変わらぬ態度で、自然に接してくれる。

 魂を視れば分かる。彼女は、私たちを鬼と知ってなお、そこに恐れも嫌悪も抱いていない。穏やかで、広く、揺るがない心――ご尊老と呼ぶにふさわしい人だ。

 

 今朝も、いきなり成長した私を目にして、特別に驚く様子はなかった。その精神の在り方を、いつか私も身に付けたいと思う。

 朝食の席では、伊之助が相変わらず騒がしく、時折、炭治郎のおかずに手を伸ばしている。けれど、素手でご飯を掴んでいた頃に比べれば、随分と変わった。箸を使い、食事をする。

 荒々しいながらも、その所作は少しずつ、人の形へと近づいていた。

 

 

 朝食を終え、鍛錬の準備に取りかかろうとした、その時だった。

 炭治郎の鎹烏――松右衛門が、勢いよく部屋に飛び込んでくる。

 

「複数ノ隊士ガァァ!消息不明ィ!!一刻モ早ク、向カエェェ!!カァァ!」

 

 空気が、一瞬で張り詰めた。緊急の指令。三人揃って、那田蜘蛛山へ向かうことが決まった。

 善逸は、初めての緊急任務に顔色を変え、半ば怯えたまま荷をまとめ始める。

 炭治郎と伊之助も、余計な言葉は交わさず、静かに隊服へと袖を通した。

 

 ――――ついに、この時が来た。

 十二鬼月・下弦の伍と、その“家族”が巣食う場所。

 “知識”で知っている未来が、脳裏をかすめる。

 多くの隊士が命を落とし、柱の到着がほんの僅かでも遅れていれば、炭治郎たちは全滅していた。疑いようもなく、極めて危険な任務だ。

 

 この一ヶ月は、まさに今日のための時間だった。

 

 炭治郎は“常中”を会得し、想定通りの、いや、それ以上の成長を見せている。

 善逸と伊之助は、途中で度々サボっていたため“常中”には至っていないが、連携と体力は確実に向上していた。本音を言えば、理想には届かない。しかしこれは自分の不手際でもある。私自身、ほとんどを寝て過ごしてしまい、二人の監督は十分とは言えなかった。だが、それも織り込み済みだ。最低限の成長は果たしている。

 

 それでもなお、生存率が上がったに過ぎない。安心できる状況など、どこにもない。

 けれど――血鬼術 “茨ノ連(いばらのれん)”。

 新たに発現したこの力によって、私の支援の幅は格段に広がった。この力が戦局に与える意味は、きっと小さくない。

 私は拳をぎゅっと握りしめ、胸の奥で、静かに覚悟を確かめた。

 

 守る。一人でも多く助け、無為に失わせはしない。

 

 最後に面を顔へと当て、禰豆子と共に身体を縮める。木箱の中へと収まると、外の音が、少しだけ遠ざかった。

 不安がないわけではない。けれど、それは既に、覚悟という名の静けさに覆われている。

 

 夜の任務。そして、その先に待つ戦いへ向けて。

 私は心を引き締めたまま、浅い眠りへと身を委ねた――

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 那田蜘蛛山を目指し、炭治郎たちは幾時間も走り続けた。

 日が沈み、空が完全に闇へ沈んだ頃、私は箱から出て三人と歩き出し、その足で山の麓へと辿り着く。

 ――空気が、重い。

 湿り気を帯びた土の匂い。夜気に混じる、かすかな血と恐怖の残滓。

 

「待ってくれ!ちょっと待ってくれないか!!」

 

 入山しようと足を踏み出した、その瞬間だった。

 背後から、善逸の悲鳴にも似た声が響く。

 

「どうしたんだ、善逸」

 

 炭治郎が立ち止まり振り返ると、善逸はすでに地面に座り込み、体育座りのまま肩を震わせていた。

 

「怖いんだ!!目的地が近づいてきて、とても怖い!!」

「……何座ってんだ、こいつ。気持ち悪い奴だな」

「お前に言われたくねーよ、猪頭!!」

 

 伊之助も足を止め、善逸を見下ろしている。

 けれど、私は歩みを止めなかった。

 

 ――この先。

 炭治郎たちの“記憶”に刻まれている、あの気配を確かめるように。私は静かに、しかし迷いなく山へと近づく。

 

「気持ち悪くなんてない!!普通だ!!俺が普通で、お前らが異常だ!!

 ……って、灯真希ちゃん!?一人で行くのは危険だよぉぉぉ!!」

 

 その声を背に受けながら、一歩、踏み込んだ瞬間。

 

 ――いた。

 山の入り口。隊服と刀を携えた青年が、地面に倒れている。

 私は一気に距離を詰め、膝をついた。胴体には、細く不気味な糸が幾重にも絡みついている。

 

「……たす……助けて…………」

 

 わずかに顔を上げた青年の声は、掠れていた。暗闇でも、鬼の目にははっきりと見える。私は爪を尖らせ、糸を一息に断ち切る。

 

「――っ!」

 

 糸が切れた瞬間、青年の身体から力が抜けた。そのまま抱き上げ、危険域から離れる。

 

「俺にも……糸が……!あ……ありがとう……!」

 

 涙を滲ませながら、青年は面をつけた私に向かって、必死にお礼の言葉を吐く。応えるように頷くと、安堵したように大きく息を吐いた。

 

「姉ちゃん! その人は大丈夫か!?」

「怪我はしているけど、命に別状はないよ。話を聞くためにも、善逸くんのところへ戻ろう」

 

 追いついてきた二人にそう告げ、私たちは来た道を引き返した。

 道端に取り残されていた善逸は、子鹿のように震えながら変わらず座り込んでいた。

 

「良かったぁぁ……!置き去りにされるかと思ったよぉぉ……!」

「置いてなんか行かないよ。それより――山の中で、何があったのか……話せますか?」

 

 問いかけると、怪我をした隊士は顔を伏せ、震える声で語り始めた。

 

「ああ……指令を受けて、十人で山に入った……でも、少し進んだところで……突然、隊員同士が斬り合いを始めたんだ」

 

 言葉を詰まらせ、拳を握りしめる。

 

「おかしくなったんじゃない……糸で、操られてた……!俺は……仲間を止められなくて……逃げることしかできなかった……」

 

 懺悔するような声と共に、涙が地面へと落ちた。

 

「……生きて戻ってくれて良かった」

 

 私は優しく言葉をかける。

 

「あなたは撤退するか、増援が来たら状況を伝えてください。ここから先は、私たちが引き受けます」

「俺たちが必ず仲間を助けて、鬼の頸を斬ります。あなたの情報があったから、対策ができます!」

 

 炭治郎も力強く頷き、真正面からその目を見て告げた。

 

「……本当に、すまない……!頼む……!!」

 

 隊士は傷を抱えながらも、草むらへ身を隠していった。

 

 

 私は炭治郎、伊之助と共に、再び山を見据える。

 善逸はまだ震えているが、その瞳には、逃げ出さない覚悟が宿り始めていた。

 

「……怖いのは、皆同じ。でも、私たちが行かなければ、隊士たちは全滅してしまう。善逸くんの力が、必要なんだ」

「善逸……」

「俺は怖くねぇ!!伊之助様が先頭だ!!お前らはガクガク震えながら後ろについて来い!!」

「…………わかったよぉ!すごく怖いけど!!山から強い鬼の音しかしないけど!!俺も………………行く!」

 

 善逸が、ついに立ち上がった。

 

「腹が減るぜ!!」

「腕が鳴るだろ!……うぅうう………」

 

 伊之助、炭治郎、私、善逸。

 四人は、その順で――那田蜘蛛山へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 山の中は鬱蒼とした木々に覆われ、進む先々に蜘蛛の巣が絡みついていた。

 払っても、払っても、次の枝にまた張られている。虫の声も、鳥の羽音もない。聞こえるのは、自分たちの足音と、風が枝を揺らす低い音だけだ。とても不自然だ。沈黙の奥に、じわじわと鬼の気配が満ちている。

 伊之助が舌打ちし、鬱陶しそうに糸を斬り払いながら先へ進む。

 

 やがて、視界の端に“異変”が映った。

 

 二つに分かれて揺れる、人間の魂の光の塊。

 そして、左奥に滲む――歪で、濁った鬼の魂。

 

 私は足を止め、静かに息を整えた。

 

「何か見つけたのか、姉ちゃん」

 

 炭治郎の問いに、小さく頷く。

 

「左の奥に鬼が一人。右には、隊士たちの魂が視えてる――ここから、二手に別れよう」

「俺が左だ!鬼を斬るのは、この俺だぜ!!」

 

 伊之助が即座に名乗り出る。けれど、私は首を横に振った。

 

「駄目。まず助けるべきは、操られている隊士たち。鬼を斬る剣士と、隊士を守る者で人手がいる――二人は必要だから」

「なんだと!?」

「それに……左奥の鬼は、操り役じゃない」

 

 私は山の起伏を指先でなぞるように視線を走らせる。

 

「地形からして、本命は右の奥。左は斜面も浅く、魂も一つだけ――別の鬼だと見て、間違いない」

 

 炭治郎に目を向ける。

 

「匂いでは、分からない?」

「……ごめん。山に入ってから鬼の匂いが強すぎて、全部かき消されてるんだ。奥に進むほど、変な匂いも混ざってきて……」

「そう……」

 

 納得して頷く。

 

「入口の隊士に絡みついていた糸と、山全体に漂う気配……似ているけど、同じじゃない。少なくとも――右の奥には、二人の鬼がいるってことだ」

 

 言葉が途切れ、沈黙が落ちる。山の静けさが、重くのしかかった。

 

「だから、左にいる鬼は――」

「俺が……行くしか、ない……んだな」

 

 善逸の声が、震えていた。

 魂を視ずとも分かる。恐怖と同時に、自分が最適任だと理解してしまった声だ。

 

 善逸の電光石火の“抜刀術”は、単体で潜む鬼を討つのに最も適している。

 左奥にいる鬼は、炭治郎が言う“変な匂い”の正体。私の“知識”では、それは強烈な刺激臭を放つ鬼だ。炭治郎の嗅覚では、戦う前に行動不能に陥るだろう。

 一方、伊之助の強みは触覚で察知する異常な勘と、豪胆な連携力を持つ。嗅覚を封じられた今、右奥で待つ鬼に挑むには、伊之助が不可欠だった。

 

「……うん。そうなるね」

 

 私は、逃げ道を与えずに告げる。

 

「酷だけど、一人で行ってもらうしかない」

「行くよ……行くしかないよ……女の子の頼みは断れないし……禰豆子ちゃんは箱の中だし……お、お願い!最後に結婚してくれえぇぇぇ!!」

 

 一瞬、言葉を失った私の前に、炭治郎が素早く割って入る。

 

「善逸!落ち着け!!姉ちゃんは結婚なんて断ってるだろ!それに、今はそんな場合じゃない!!」

 

 炭治郎の説得により、不承不承ながらも、善逸は左手へ向かう覚悟を固めたようだった。

 振り返った瞳には、恐怖と、同じ分だけの勇気が宿っている。

 別れ際、私は一つだけ助言を送る。

 

「ここまでの道は、蜘蛛がいない糸ばかりだった。でも()()がいないはずがない。茂みや木の陰……どこに潜んでいてもおかしくないから、油断しないで」

「……分かったぁ」

 

 弱々しい返事を残し、善逸は闇の中へ消えていく。

 その背を見送り、伊之助が鼻を鳴らした。

 

「弱味噌のあいつで、大丈夫かよ」

「善逸は強い。ただ、自分でそれを認められないだけなんだ」

 

 炭治郎の言葉に、私は同意するように頷いた。

 そして――私たちは、右手の奥へと歩を進める。

 

 

 

 

 

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