空想鬼譚   作:庵non

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12.蜘蛛の蟲塒 一対

 

 

 山の中の道は、善逸と別れてからもなお鬱蒼と木々が連なり、頭上から足元まで、無数の蜘蛛の巣が行く手を塞いでいた。糸は風に揺れることなく、まるで待ち構えていたかのように静止している。

 私を先頭に、伊之助、炭治郎の順で歩を進める。爪や刀を走らせ、足元に絡みつく蜘蛛の糸を断ち切りながら、隊士たちのもとへ辿り着く前に、状況の最終確認をする。

 

「ひとつだけ……少し手前に、強く輝いている魂がある。それ以外は弱い。視えるのは、全部で六つ」

 

 離脱した隊士が告げていた数と合致すれば、すでに三人は命を落としている。生と死の境目が、輪郭を持ってはっきりと分かれている感覚に、背筋が張り詰めた。短く呼吸を整え、判断を固める。

 

「手前の隊士と合流したら、私とその人で操られている隊士たちを止めて、治療する。伊之助は鬼の居場所を突き止めて。炭治郎と二人で、その鬼を倒してくれる?」

「俺に指図するんじゃねえ!」

 

 荒々しい声とは裏腹に、伊之助の目は冴え切っている。その視線に迷いはない。私は思わず、口元をわずかに緩めた。彼の性格は分かっている。あれは反発ではなく、闘志と――信頼の裏返しだ。

 伊之助の威嚇を気にも留めず、炭治郎は素直に頷いた。 そして、ふと何かに気づいたように、遠慮のない口調で問いかけてくる。

 

「分かった。俺と伊之助が鬼を斬る……そういえば、山に入る前に会ったあの人の怪我は、どうして治さなかったんだ?」

 

 率直で、核心を外さない問い。炭治郎らしい正義感が、そのまま言葉になっている。

 

「あれはね……あの人の怪我を治したら、敵前逃亡したみたいに思われるかもしれないから」

 

 私は歩みを止めずに続ける。

 

「鬼殺隊に、新選組みたいな士道不覚悟の御法度があるかは分からないけど、悪鬼滅殺を本分とする隊士に見られたら、非難は免れない……だから、さっきは治療できなかった」

 

 炭治郎は短く、「そっか」と頷いた。私の判断を、きちんと自分の中で咀嚼してくれたらしい。

 

 しかし理由はそれだけではない。炭治郎には言わなかったが――この山の中には、あの人よりも遥かに酷い怪我を負った隊士が残されている。

 さらにその先には、下弦の鬼と、四体の鬼。そのうち一体は善逸に任せたとはいえ、油断できる数ではなかった。

 力を、温存する必要があった。

 

 (……識別救急。あるいは、トリアージ)

 

 傷病者が多発する状況で、緊急度と重症度によって、救う順を決める。合理的で、冷酷に見える判断。

 この時代には、概念すら日本に伝わっていない。それでも原理は同じ――生き残るための選択だ。

 

 拳を握りしめ、心の奥でもう一度覚悟を確かめる。

 冷静であること。それだけが、この山で生き残る鍵だった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 茂みの中に身を屈め、息を潜めている――唯一、まだ元気があると分かる魂を、視界の端に捉えた。血と土埃にまみれてはいるが、怪我の血の匂いはしない。隊服の背に刻まれた“滅”の文字だけが、月明かりを受けて虚しく浮かび上がっている。

 炭治郎がそっと後ろから手を差し出した瞬間、男はびくりと体を震わせ、弾かれたように振り返った。

 

「ヒッ……!」

「大丈夫です。応援に来ました。階級・(みずのと)、竈門炭治郎です」

「み、癸……?癸……!?」

 

 炭治郎の言葉を理解した途端、男の顔から血の気が引いていく。

 鬼殺隊の階級は基本的に十段階。最下位が癸、最上位に甲がいる。柱を入れたら十一階級になる。

 ()を名乗られた意味を、彼は痛いほど分かっていた。

 

「なんで……柱じゃないんだ……!!癸なんて何人来ても同じだ……!意味が無い!!」

 

 追い詰められた声は怒気を帯び、半ば悲鳴のようだった。

 伊之助が思わず拳を振り上げる。

 

「なんで止めんだ!こいつを殴らせろ!!」

「しっ……騒がない」

 

 低く制すると、伊之助は舌打ちしつつも動きを止める。

 炭治郎は小さく息を整え、先輩隊士へ向き直った。

 

「山の入り口で怪我をした隊員から話を聞きました。十人の隊員が、突然、斬り合いを始めたそうです。糸で操られていたように見えたと」

 

 男の肩が、ぴくりと跳ねる。

 

「操っている鬼は、俺と伊之助で探して斬ります。だから――えっと……お名前は……」

「村田だ!………高橋……よかった、生きてたのか……」

 

 安堵と混乱が入り混じった声だった。

 

「村田さん。では村田さんと一緒に、」

 

 そこまで言ったところで、私は気配の変化を捉えた。

 

「炭治郎。場所、もうバレてる。手筈通りに伊之助と先に行って」

 

 林の奥から、キリキリと糸が張り詰める音が響く。

 次いで、人形のように不自然な動きで、操られた隊士が姿を現した。刀は握られているが、生気はない。足だけが意志を持つように、こちらへと近づいてくる。

 

「――っ!伊之助、頼む!!鬼の位置を探ってくれ!!」

「分かってるっつうの!子分と権八郎(ごんぱちろう)ができねぇなら、俺様に任せろ!!」

 

 伊之助が二本の日輪刀を地面へ突き刺す。

 

 ――“獣の呼吸 漆ノ型 空間識覚”!!!

 

 全身を獣のように低く構え、気配を極限まで研ぎ澄ませる。空気の微かな揺らぎ、木々の間に張り巡らされた糸の振動、そして、その奥に潜む“意思ある存在”を捉える技。

 伊之助の感覚が、確実に“鬼”を捉え始めていた。

 

 

 

 最初の隊士に続き、もう一人――また一人と、虚ろな表情を浮かべた隊士が姿を現す。血を吐き、腕が不自然な方向へ折れ曲がったまま、それでも歩いてくる。

 

 合計、五人。

 

 炭治郎と村田さんの表情が、同時に歪んだ。

 生気のない瞳。糸に引かれ、意思なく動く体――それでも。

 

 (まだ、生きている人が二人いる)

 

 人としての魂が、確かに残っている。私の目には、それがはっきりと視えていた。

 

「糸で操られてるって言ってたよな……!その糸を斬ればいいのか!?」

「その必要はありません、村田さん」

 

 言い切ると同時に、私は地を蹴った。枝へと跳び乗り、幹に足をかけて体を安定させる。

 迫り来る隊士たちを見下ろしながら、拳に力を込めた。

 ――どう止めるか。

 計算が整うにつれ、心は静まっていく。

 

「は!?いや待て!!」

 

 村田さんが慌てて叫ぶ。

 

「今気づいたが、狐面はどうして日輪刀を持ってないんだ!?それに隊服も着ていない!!」

「姉ちゃんが鬼だからです!」

 

 炭治郎が即座に答える。

 

「でも人を襲わないで、俺たちと一緒に戦ってくれます!!」

「それを先に言えよ!?……まじかよ!全然気づかなかったわ……!!」

 

 混乱しながらも、村田さんは炭治郎と、索敵に集中する伊之助を庇うように前へ出る。

 操られた隊士たちは、糸に吊られ、引かれ、じりじりと距離を詰めてくる。

 私は、その糸の()を見据えた。

 

 炭治郎は、迷いなく私を信じている。ならば――姉として、応えなければならない。

 

 拳を、勢いよく開いた。血が弾け、夜気に散る。飛び散った血の雫は、空中で形を変え、茨の()となって糸へと絡みついた。

 

 ――血鬼術 茨ノ連

 

 藤紫色の茨が、瞬く間に繁茂する。蜘蛛の糸を覆い、伝い、薔薇の棘のような鋭い突起が、繋ぎ目を探るように伸びていく。

 

「うわっ!?俺の腕にも棘が――!」

「……違う!」

 

 炭治郎が叫ぶ。

 

「蜘蛛だ!!小さな蜘蛛が、操り糸を繋いでいたんだ!!」

 

 村田さんの肩へ噛みつこうとしていた蜘蛛。炭治郎たちの影に忍び寄っていた蜘蛛。

 そこへ、さらに血の雫が飛ぶ。紫の棘が、蜘蛛の体を貫いた。痺れにも似た毒が走り、蜘蛛たちは一斉に震える。

 隊士に取り憑いていた蜘蛛は、そのまま塵のように消滅する。周囲に潜んでいた無数の蜘蛛も、脚を震わせたまま、動きを止めた。

 

 糸が弛み、張り詰めていた空気が、わずかに軋む。

 森が、()()()()()()()()()

 

 

 

「――――お前……今、一体何をした?」

 

 ぞくり、と背筋を撫でる声。

 顔を上げた瞬間、満月を背に、糸の上に立つ少年の鬼がこちらを見下ろしていた。

 木々の葉を繋ぐ細い糸を足場にしているせいで、まるで夜空に浮かんでいるように見える。

 

 那田蜘蛛山を支配する鬼――十二鬼月・下弦の伍、累

 

 その瞳に宿るのは、冷たさか。それとも、歪みきった執着か。

 鬼とは何度か対峙してきた。だが、この鬼は違う。ぞっとするほどの幼さと、背筋を凍らせる残酷さが、不自然なほど同居している。危険度が――桁違いだ。

 

 だが累は、次の瞬間には表情を整えた。先ほどの敵意など、最初から存在しなかったかのように。

 

「僕たちの家族の、静かな暮らしを邪魔するな。お前らなんて、すぐに()()()が殺すから」

 

 吐き捨てるように言い放ち、興味を失った玩具を見るような目で背を向ける。

 

 私は、追わない。

 累の魂は異常なほど歪んでいる。だが、そのすぐ後ろで――まだ救えるかもしれない人間の魂が、か細く揺らいでいる。

 鬼を斬るより先に、人を守る。それが、私が選び取った戦い方だ。

 

「オラァ!!」

 

 伊之助が、木の幹を蹴って飛びかかる。だが、届かない。

 累は振り向きもしない。まるで、相手にする価値すらないとでも言うように。

 

「くっそォ!!どこ行きやがるテメェ!!勝負しろ、勝負!!―――何のために出てきたん、だうっ!!

 

 受け身も取らず、伊之助は背中から地面へ叩きつけられた。

 

「伊之助!!」

 

 炭治郎の声に、伊之助は即座に跳ね起きる。無鉄砲で粗雑、だが強靭だ。

 私は枝から地へと降り、伊之助の隣に立った。

 

「操り糸の鬼は、見つかった?」

「見つけたぞ!!お前が言ってた鬼は、あっちだ!ビンビンに感じるぜ!!」

 

 伊之助が刀で指し示す先を、魂視でなぞる。累ほどではないが、確かに鬼の魂が蠢いている。そしてその手前には――第二軍の、操られた隊士たちがいた。

 

「見つけたのか!凄いぞ、伊之助!」

 

 炭治郎の声が、夜に力強く響く。

 

「よし……今のうちに、伊之助と炭治郎は鬼の元へ向かって。途中で操られた隊士がいても、気づかれないように迂回して。必ず、()()()するんだよ」

「俺はこの女鬼の援護に回る!」

 

 村田さんが、震えを押し殺すように前へ出る。

 

「情けないところを見せたが……俺も鬼殺隊の剣士だ!!だから、二人は鬼を斬ってくれ!!」

「小便漏らしが何言ってんだ!」

「誰が漏らしたクソ猪!!テメェに話しかけてねぇわ!!」

 

 反射的な言い合いが、張り詰めた空気を一瞬だけ緩める。

 炭治郎の赤い瞳が、真っ直ぐに私を映した。疑いのない、揺るぎない信頼。鬼である私に向けられる、その光を――絶対に、裏切ってはいけない。

 

「まずテメェを一発殴ってからな!!誰がクソ猪だ!!………おい!離せ、紋次郎!!」

「炭治郎だ!!行くぞ、伊之助!」

 

 振り返り、叫ぶ。

 

「――村田さん、姉ちゃん!後は頼みます!!」

 

 二人の背中が、闇の奥へと消えていく。

 その先で待つのは、十二鬼月の巣窟。どれほど苛烈な戦いになるか、想像はつく。

 

 だからこそ、ここで踏ん張る。

 ――人を守り、彼らの背を支えるために。

 

 

 

 

 

 

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