空想鬼譚   作:庵non

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13.蜘蛛の蟲塒 二対

 

 

 

 炭治郎と伊之助と別れ、森には私と村田さんだけが残った。

 足元には、先ほどまで操られていた五人の隊士が倒れている。三人はすでに息絶え、血に濡れた身体は冷たく硬直していた。残る二人は――まだ、生きている。

 私は微かな呼吸を探り当て、その二人のもとへ駆け寄った。

 

「おい! 何をする気なんだ!?」

 

 背後から飛んだ村田さんの声に、振り返らず答える。

 

「この二人は、まだ生きています。私には……人間を癒す血鬼術があるので彼らの命を繋ぎます。時間はかかりません」

 

 言いながら、視線は隊士たちから離さない。

 

「その間、村田さんは警戒を。蜘蛛が近づいたら、刀で潰すか、糸を斬って時間を稼いでください。周囲には血の種子で罠を張っていますが……すべては抑えきれません」

「わ、分かった!!」

 

 村田さんは強く頷き、歯を食いしばって周囲へ目を走らせる。

 私は二人の身体へ、そっと手を翳した。

 

 ――“血鬼術 癒血

 

 血が()となり、傷口から華が咲く。鬼の生命力の一部を譲渡し、人の回復力を底上げする術。一か月前までは軽傷しか癒せなかったが――今は違う。

 

 裂けた皮膚が、ゆっくりと閉じていく。折れた骨が軋むように元の位置へ戻り、傷ついた内臓が静かに再生していく。蒼白だった顔に血色が差し、硬直していた指先が、かすかに動いた。途切れ途切れだった呼吸が、微かなリズムを取り戻す。胸が上下する。その事実だけで、胸の奥が少しだけ緩んだ。

 二人は弱々しく口を開き、掠れた声を漏らす。

 呻きとも、安堵ともつかない小さな声――それは確かに、生の証だった。

 

「おぉ……」

 

 村田さんの口から、思わず零れた声。

 

「余所見をしないでください!」

 

 鋭く言うと、彼ははっと背筋を伸ばし、再び警戒に戻る。

 十秒ほどで、癒しの華は消えた。二人の呼吸が安定したのを確認し、私は小さく頷く。

 

「命の危機は脱しました。ですが、重症であることに変わりはありません。背負えるなら、安全な場所まで運んでください。無理なら……一人だけでも」

「早いな……それに、俺でも二人くらい持てる!奥に、もっと酷い状態の隊士がいるんだろ!?こいつらは俺に任せろ!!」

 

 その声に、迷いはなかった。

 

「……感謝します。あとは、お願いします」

 

 私は二人を村田さんに託し、踵を返す。炭治郎たちの向かった、山の奥へ。

 視界の先――弱々しく、しかし確かに光る人の魂が、私を呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 炭治郎と伊之助は、鬼を斬るため、山の奥へと突き進んでいた。

 那田蜘蛛山の林は薄暗く、湿った土の匂いが濃く漂う。朽ちた枝が踏み折られる乾いた音が、静寂の中でやけに大きく響いた。木々の間を抜ける風が葉を揺らすたび、月明かりに反射した蜘蛛の糸が、銀色の線となって宙に浮かび上がる。

 鼓の鬼の縄張りとは違う。

 この山に満ちる鬼の匂いは、どこか捩れ、歪み、底知れない禍々しさを帯びていた。炭治郎は山に足を踏み入れた瞬間から、体の奥がじわりと竦むのを感じている。

 

「伊之助」

「何だ!!」

 

 炭治郎は走りながら、刀の柄を強く握り直した。冷たく硬い感触が指先に馴染み、わずかな安心を与えてくれる。

 

「ありがとう。伊之助が一緒にいてくれて、本当に心強い。山に入ったとき、匂いで……少し、体が竦んだんだ。だから――ありがとう」

 

 飾り気のない、まっすぐな感謝だった。

 その言葉に、伊之助の胸の奥で、戦場には不釣り合いな温かさがふわりと灯る。

 藤の家で老婆に用意された衣服や、夕餉に並んだ海老の天ぷらを思い出すときと、よく似た感覚だった。

 ――仲間がいると、必ず伊之助の助け(ちから)になる――灯麻希の言葉が、不意に脳裏をよぎる。

 

「…………うるせぇ!さっさと鬼を切り裂きに行くぞ!!」

「そうだな……!協力して鬼を倒そう!!」

 

 伊之助は照れ隠しのように声を張り上げた。

 

 だが、先導していた伊之助が急に足を止める。ほぼ同時に、炭治郎も走る勢いを殺した。

 前方の木々の影――そこに、人形のように操られ、ふらふらと彷徨う第二軍の鬼殺隊士たちの姿があった。

 二人は無言で視線を交わす。

 

「たしか……きつね女は、アイツらに見つかんねえようにしろって言ってたよな」

「うん。姉ちゃんは、必ず素通りしてと話していた……」

 

 炭治郎と伊之助は、木々や茂みに身を潜める。

 葉擦れの音、枝が触れ合う微かな気配――それらすら敵に悟られぬよう、呼吸を殺し、慎重に歩を進めた。湿った地面を踏む足音ひとつにも、神経を研ぎ澄ませる。

 迂回の途中。

 操られた女性隊士の一人が、仲間の首へ刀を突き立てる光景を、二人は目にしてしまった。

 

 血の弾ける音。

 断末魔。

 そして、かすかに届く泣きじゃくる声。

 

 炭治郎は鼻で嗅がずとも、この山全体を覆う絶望を、全身で感じ取っていた。

 胸の奥に、怒りと悔しさが込み上げる。姉の言いつけがなければ、今すぐ飛び出していた。人を操り、仲間同士で命を奪わせる――その卑劣な所業に、心が焼けるように熱くなる。

 

「…………あの人たちの惨劇は、姉ちゃんが止めてくれる。だから、進もう」

「……そうだな」

 

 (―――早く来いよ!きつね子分!!)

 

 二人は惨状から距離を取り、再び走り出す。

 目指すのは、鬼の頸。

 一刻も早く、この山に満ちる地獄を終わらせるために。

 

 

 

 

  ***

 

 

 

 

 高く昇った月に照らされながら、私は山道を駆け抜ける。

 鬼の巣食うこの山は、生まれ育った山や狭霧山よりも傾斜がなだらかで、足場は比較的走りやすい。だが、その静けさの裏に潜む気配は重く、風に混じる匂いは鉄と血の味を孕んでいた。

 草木に張り付いていた小さな蜘蛛たちも、私の疾走に追いつけず、踏み砕かれるか、弾き飛ばされるように散っていく。

 

「駄目……!!こっちに来ないで……!早く……階級が上の人を……!!」

 

 最後の林を抜けた瞬間、悲鳴が耳を打った。

 月明かりの下に立っていたのは、総髪の女性隊士だった。右手の刀は、仲間だった短髪の隊士の首元に深々と突き刺さり、左手はすでに事切れた男の髪を掴み、その体をずるずると引きずっている。頬を伝うのは、彼女自身の止められぬ涙。喉から零れ落ちるのは、悲痛な叫びのみ。

 彼女の腕は痙攣し、骨折のせいで不自然に折れ曲がっている。それでも、糸は容赦なく体を操り続けていた。

 

 だが、本当に危ういのは――

 彼女の背後、木々の影に見え隠れする二人の隊士の存在。

 

「……え?」

 

 一瞬だけ、彼女の動きが止まる。

 

「……隊服を着てない……鬼殺隊員じゃない、の?」

 

 私の姿を捉えた刹那の困惑。その隙を、操り鬼は見逃さない。

 

 ――――キリ、キリ、キリ

 

 軋む糸の音とともに、彼女の腕が無理やり引き上げられる。

 刀が、月光を弾いて振り上げられた。

 

「逃げてぇ!!」

 

 甲高い叫びとともに、刃が振り下ろされる。

 私は後方へ跳び、紙一重でそれをかわした。

 

「操られてるから……!動きが、全然違うの……!()()()は……こんなに強くなんて、なかった……!!」

 

 一閃、また一閃。

 人の体の可動域を無視した速度と角度。斬撃が振るわれるたび、骨の軋む音が響き、彼女の喉から呻きと悲鳴が零れ落ちる。痛みに泣き叫びながらも、それでも体は止まらない。

 私は連撃をかわし続けながら、意図的に距離と角度を調整する。一歩ずつ、確実に――彼女を()の中心へと追い込んでいく。

 

 ――――――キリキリキリキリキリキリ

 

 糸の鳴る音が、さらに濃く、重くなる。

 やがて、木々の陰から、もう二人の隊士が――ふらりと、姿を現した。

 

「……こ、殺してくれ……!骨が……骨が…内臓に……刺さって……るんだ…………俺は……もう……死ぬ……」

「……助けてくれ…………」

 

 死の縁から、絞り出された声。

 掠れ、震え、それでも生に縋ろうとする音が、胸の奥を締めつける。

 

 同時に、確信が走った――今だ。

 地面を蹴り、身をひねる。木の背を越えるほどに跳躍し、空中で両腕を広げる。

 

 血鬼術 複合技――棘華双響(きょっかそうきょう)”!!

 

 右の掌に集うのは、実戦で二度目となる藤紫色の茨の種子

 左の掌には、何度も馴染ませてきた蘇芳色の花弁

 

 二つを、同時に使ったことはない。

 それでも。この場、この状況、この距離。両の力は、必ず共鳴すると――私は、疑わなかった。

 

 放たれた二つの血は、空中で絡み合い、一本の棘を持つ花へと姿を変える。茨の棘が花弁を抱き込み、刺と柔が反発しながらも溶け合い、まるで生き物のように蠢きながら、三人の隊士へと降り注いだ。

 

 糸に操られていた三人の体が、引き上げられるように浮き、次の瞬間、力を失って崩れ落ちた。

 支配が、断たれる。

 棘に絡め取られた蜘蛛たちは、脚を丸め――ぽとり、ぽとり、と地に落ちると同時に、塵のように消えていった。

 

 そして――

 癒しの波が、彼らの身体を満たす。折れ曲がっていた腕や脚が矯正され、繋がる骨の痛みに一瞬だけ顔が歪む。だが、すぐにその表情は、苦悶から安堵へと変わった。

 

 茨と花――刺と柔――攻撃と癒し。二つの力が、一本の棘華として完全に共鳴した瞬間だった。

 

「うぁぁぁっ…………!……あ……あれ……?……痛みが……和らいでいく……!」

「ほ、本当だ……!!っ、いて……でも……!!」

 

 瀕死だった二人の男は、全身の骨折と内臓損傷のため、完全回復には至らない。腕を動かせば鈍い痛みが走り、呼吸もまだ浅い。それでも、出血は止まり、裂けていた皮膚は確実に塞がっていく。呼吸のリズムが、わずかに整う。瞳に、生気が戻る。

 一方――女性隊士は、骨折が癒え、ほぼ完治に近い状態まで回復していた。震える手で刀を握り直し、荒い呼吸を整えながらも、その顔には――確かな安堵の色が差していた。

 

「あなた方は、後遺症は残らないと思いますが……中等症程度までしか癒せていません。どうか、無茶はなさらないでください」

 

 そう告げてから、私は一拍置いた。呼吸を整え、相手の目を正面から見据え――名を名乗る。

 

「私は、竈門灯麻希です。あなたの名前を、聞かせてもらえますか」

「……尾崎よ。怪我を治してくれて、ありがとう」

 

 わずかな間を挟み、彼女は続けた。

 

「あなたは……鬼なのね?」

 

 問いかけに、敵意はなかった。警戒も、恐怖もある――だが、刃を向ける気配はない。尾崎さんは静かに刀を鞘へと収めた。

 その仕草を見届けてから、私は面の奥で、誠実に言葉を紡ぐ。

 

「そうです。私は鬼です。けれど……人を守り、傷を癒す鬼でもあります」

 

 視線を逸らさず、続ける。

 

「操り糸の鬼は、仲間の鬼殺隊員が………たった今、頸を斬りました。ですが……この山には、まだ鬼が棲んでいます」

 

 だからこそ――

 

「あなた方三人は東へ。山を降りてください。残りは、私たちに任せてください」

 

 声は揺れず、命令でも懇願でもない。状況を見据えた、明確な判断だった。

 

「……ありがとう」

 

 尾崎さんは小さく息を吐き、私を見て言う。

 

「貴方も……どうか、気を付けて」

 

 来る途中で、村田隊員と出会ったこと。彼がすでに二人の隊士を連れて、山を下っているはずだということを伝える。それを聞いた尾崎さんは、短く頷いた。

 

 ――そして、彼女たちは東へと去っていく。

 霧に紛れ、森の奥へと消える背中を、私は確かに見送った。

 

 

 

 

 

 

 彼らが下山の途についたのを確認し、私はようやく深く息を吐いた。

 背が森の奥に溶けていくまで見送りながら、胸に込み上げてくるのは――安堵と、悔恨の入り混じった感情だった。

 助けられた。確かに、五人を死の淵から引き戻すことはできた。それは紛れもない事実であり、喜ばしい成果だ。

 けれど同時に、胸の奥に焼き付いて離れないのは――

 

 繭玉の中で溶かされ、叫び声すら届かないまま失われた、十四の命だった。

 

 私たちは東の方角から山へ入った。入り口近くに広がる斜面を駆け上がり、辿り着いたのは北奥――そこは操り糸を操る鬼が潜んでいた区域だった。

 だが、この山の西には、別の鬼がいることも知っていた。繭玉を紡ぎ、人を囚えて体を溶かす姉役の鬼。そして東から西への道中を塞ぐように位置する、毒で人を蜘蛛へと変える兄役の鬼。

 累の魂を視て、私はその配置を正確に把握した。

 

 だからこそ、理解していた。

 

 西へ回り込むには、あまりに時間がかかりすぎることを。繭玉に囚われた十四名の隊士を救うには、もう遅い。たとえ今から駆けつけたとしても――肉体はすでに失われ、魂だけが苦痛の淵に縛られているだろう。

 

 さらに、あの方面には胡蝶しのぶが向かっている。

 

 もし遭遇すれば、私は間違いなく彼女に刈り取られる。そうなれば、救えるはずだった命すら、救えなくなる。

 

 そして、炭治郎たちの記憶と“知識”が示す通り、東側には十四人はいなかった――ならば。確実に救える五人を、救うしかなかった。

 正しい判断だったと、頭では分かっている。だがそれでも――命を選別し、見捨てたことに変わりはない。見捨てた十四の命は、鉛のように私の身体へとのしかかる。背に、胸に、沈み込み、息を重くする。

 

 (それでも……立ち止まることは許されない)

 

 私には、まだできることがある。血も力も多く削ったが――もう一戦分だけ、動ける。

 

 母役の鬼の魂が消滅した後、遠く西の方角から雷鳴が轟いていた。裂けるようなその音は、まるで天が下す審判の声のようにも思えた。

 

 この後、増援に向かうべきは――

 下弦の伍・累と対峙する弟妹か。それとも、父役の鬼に単騎で挑む猪か。

 

 再び現れた二つの分かれ道の前で、私は一つを選ぶ。

 選び、進むしかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

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