空想鬼譚   作:庵non

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14.蜘蛛の蟲塒 三対

 

 

 

 (――風向きが変わった……鼻が、さっきよりずっと利く)

 

 川岸に出た炭治郎と伊之助は、頸無し鬼と操り糸の鬼を倒したあとも、山中を彷徨っていた。

 彷徨っている、というより――半ば強引に引きずり回されている、が正しい。

 

「こっちだ!!」

「待ってくれ伊之助、そっちは――」

「うるせぇ!!」

 

 伊之助は勢いのまま茂みを踏み荒らし、川へと向かう。鬼の気配は掴めず、返ってくるのは水のせせらぎと、草を踏み折る乾いた音ばかりだった。

 苛立ちは、はっきりと伊之助の顔に表れていた。獣の面の奥で、歯を食いしばる気配が伝わってくる。

 その時。炭治郎が、ふと足を止めた。遠くで、雷鳴にも似た音が、山を震わせた気がしたのだ。

 

「今の音………雷が落ちたのか?」

「知るか!!」

 

 即答だった。

 それでも炭治郎は耳を澄まし、首をひねる。

 

「雷雲の匂いはしないと思う。でも……刺激臭が強くて、はっきりしない」

「おい、建次郎!!そんなのどうでもいいだろ!!」

 

 伊之助が振り返り、吠える。

 

「ぼけっとしてんじゃねぇ!!まだ鬼は残ってるんだ!!」

 

 そのまま、川へと足を踏み出そうとする。

 

「ああ、分かってる。それと、俺は炭治郎だ」

はあ゛あぁ――――ん!?

 

 間髪入れずに名を訂正してから、炭治郎は視線を上げた。

 

「――伊之助。もう少し、あっちに行ってみよう」

 

 彼が指差したのは、西の方角だった。

 だが、それが伊之助の癇に障る。

 

「お前が決めるんじゃねぇぇ!!俺が決める!!」

「いや、南よりは西に進もう。月がある方向だ」

 

 冷静に、淡々と。

 

「それから伊之助。これ以上怪我をしたら、下山しよう」

「俺は怪我してねぇって言ってるだろ!!」

 

 強く言い返すが――右肩と左腕から、じわじわと血が滲んでいる。

 全集中の呼吸・常中を会得していない伊之助は、呼吸で止血することができない。それでも痛みを認めず、身体を突っ張って前へ出る。

 その様子に、炭治郎は小さく息を吐いた。

 

 (無茶だ。でも……)

 

 あまりにも子供じみた言い分に、思わず苦笑が零れる。

 

 

 

 ―――バシャッ。

 

 突如、川面を裂く水音が響いた。

 反射的に顔を上げた炭治郎の視界に、向こう岸の影が映る。二つ結びの髪を揺らした、ひとりの女の鬼。怯え切ったように目を見開き――こちらに気づいたのは、今この瞬間だった。

 

「おおお!!ぶった斬ってやるぜ!!」

「伊之助!!」

 

 制止の声は、届かない。

 伊之助は獣のように地を蹴った。思考を挟む余地もなく、本能のまま、目の前の敵へ躍りかかる。

 だが、女鬼は迎え撃たなかった。蜘蛛の糸を思わせる軽やかな身捌きで翻り、川を背にして一目散に逃げ出す。

 炭治郎がその意味を考えるより早く、甲高い声が森に響いた。

 

「お父さん!!」

 

 

 ――――――ドンッ!!!

 

 次の瞬間、大地が震撼した。轟音とともに、巨大な影が天から叩きつけられる。枝葉を薙ぎ払い、地面を砕き、川を跳ね上げながら――巨躯の鬼が降り立った。

 水と土砂が雨のように降り注ぐ。

 蜘蛛の面を思わせる歪んだ顔面。ぎらぎらと剥き出しになった牙。獣の唸り声を混ぜた咆哮が、夜の森を引き裂いた。

 

オ゛レの゛家族に゛近づくなァ!!!

 

 振り下ろされた拳が、川底をえぐる。衝撃が走り、水飛沫と土砂が爆ぜる。

 炭治郎と伊之助は、反射的に飛び退いた。視界を奪う水しぶきの中、必死に距離を取る。

 隙は一瞬。炭治郎は即座に踏み込み、刀を振るった。

 

 “水の呼吸 弐ノ型 水車”――!

 

 身体を垂直に回転させ、鋭い斬撃が鬼へと叩き込まれる。

 

ガアアアッ!!

 

 狂乱の咆哮。同時に、残った左拳が唸りを上げ、炭治郎の胴を薙ぎ払おうとする。

 だが――その拳を、伊之助の刃が真正面から受け止めた。

 

「硬えええ!!」

 

 金属同士を叩きつけたような衝撃。反動が伊之助の腕を貫き、痺れが一気に走る。

 炭治郎は鬼の腹を蹴り、伊之助は肩口を蹴って――二人は同時に後退した。

 

「なんとか斬れる……けど、隙を作ってしまう!!伊之助!力を合わせて戦おう!!」

「はァ!?俺は斬れなかったのに、なんで丹吾郎は斬れてんだよォ!!」

「“常中”を身に付けたからだ!」

 

 伊之助の血走った眼に、苛立ちと悔しさが渦巻く。

 一方の炭治郎は、父鬼の瞳に理性の欠片すら見えないことに、背筋が冷えた。

 

 (この鬼……正気を保っていないのか……!?)

 

オ゛レの゛家族に゛ィィィ近づくな゛ァア゛ァア゛!!

 

 地鳴りのような咆哮が、夜の山を揺さぶった。

 父鬼は、伊之助めがけて拳を叩きつける。地面ごと抉るような一撃――土砂と岩が砕け散る。伊之助は反射的に後方へ跳躍し、間一髪でその範囲から逃れた。

 

 次の瞬間。

 

 “水の呼吸 弐ノ型・改 横水車”――!!

 

 炭治郎の刃が、川沿いにそびえていた巨木を横一文字に断ち切る。水流のような回転の斬撃が幹を裂き、そのまま――父鬼の巨体へと倒れ込んだ。

 

グガアッ!!

 

 轟音。

 大木に押し潰される父鬼の姿に、伊之助は思わず目を見開く。

 

 (――アイツ……木を利用しやがった……!クソッ……やるな!)

 

 好機は一瞬。

 炭治郎と伊之助は、同時に駆け出した。左右から挟み撃ちにし、炭治郎が大きく振りかぶる。

 

 (これなら――頸を、斬れる!全集中……水の呼吸・拾壱ノ型!!

 

 だが。

 父鬼は背負ったままの大木ごと、立ち上がった。そしてそのまま、横薙ぎだ――――

 

「――――ッ!!」

 

 巨木が唸りを上げて振り回される。

 

「危ねッ……!」

 

 伊之助は瞬時にしゃがみ込み、辛うじて回避する。だが、跳躍していた炭治郎には――逃げ場がなかった。

 迫る巨木。炭治郎は咄嗟に刀を逆手に構え、柄で受け止める。

 そして――衝撃。

 全身に、雷のような衝突が走った。

 

 ――――ゴオォッッ!!!

 

 炭治郎の身体が、弾かれるように吹き飛ばされる。視界が揺らぎ、夜の森が回転し、世界が遠ざかっていく。

 

「健太郎――――――っ!!」

 

 伊之助の叫びが、遅れて耳に届いた。炭治郎は、吹き飛ばされながらも――ただ、伊之助の姿だけを捉え、必死に声を張る。

 

「伊之助、死ぬな!!俺が戻るまで……絶対に死ぬな!!そいつは――十二鬼月だ!!」

 

 言葉が、叩きつけるように繰り返される。

 

「死ぬな!!絶対に死ぬな!!

 

 その叫びは、木霊のように山へと広がり――やがて、炭治郎の姿は闇に呑まれた。

 残されたのは、伊之助ひとり。

 静まり返った川辺で、荒く、乱れた彼の呼吸だけが、やけに大きく響いていた。

 

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 炭治郎が来るまで消極的な方法を取ろうとしていた伊之助だったが、思い直した猪は父鬼の太く、岩のように強靭な左腕へ踏み込んだ。

 二本の刀に全体重を乗せ、獣のごとく一気に振り抜く。

 

 ――――ザンッッッ!!

 

 刃が肉を裂き、骨を断つ。乾いた破砕音が夜気を震わせ、血飛沫が弧を描いた。

 

「しゃぁぁ!!斬れたぁぁ!!!」

 

 確かな手応え。

 父鬼は、炭治郎と伊之助によってそれぞれ腕を失い、肘から先のない両腕を、ただ黙って見下ろしていた。無数の眼に宿るのは、怒りでも、痛みでもない。虫のように冷たい、感情の色を欠いた光だけだ。

 

「だって俺、刀二本持ってるもん!ウハハハハ!最強!!」

 

 伊之助は勝利を確信したように、二本の刀を交差させて天へ掲げる。猪が牙を突き立てるような、誇示の仕草。

 ――だが、その束の間。父鬼は伊之助から()()()ように、踵を返した。

 

「は?」

 

 巨体が地を蹴る。その大きさからは想像できない速度で、父鬼は森の奥へと駆け出した。

 

「――――――何逃げてんだ、コラァアア!!」

 

 怒声を残し、鬼は忽然と姿を消す。地面を叩くような足音すら、瞬時に途切れた。

 

 

「あいつ、どこ行った!!」

 

 歯噛みする伊之助。

 だがその直後、肌が粟立つ。空気が、震えた。木の葉が、不自然に揺れる。

 ――いる。伊之助の獣じみた触覚が、微細な気配を捉えた。

 

「そこかぁぁあ!テメェ、何してやがる!!」

 

 視線の先。

 大木の枝に、父鬼が()()()()()いた。口を大きく開けたまま、微動だにしない。そして――失ったはずの両腕は、すでに再生している。

 鬼の体が、震え始めた。

 

「フハハ!!俺に恐れをなして震えてやがる!!」

 

 再び、勝ち誇る伊之助。

 

 ――――――だが、それは、間違いだった。

 紫色の顔面が、ぐずり、と音を立てて溶け落ちる。皮膚が剥がれ、肉が崩れ、まるで殻を破るように。身体全体が、脱皮する。

 内側から、さらに巨大な()()が、生まれ落ちた。

 

 (…………デカすぎだろッ!)

 

 伊之助の倍はある体躯。蜘蛛と鬼が溶け合ったような怪物が、地を踏み砕く音とともに降り立った。

 ――違う。さきほどまでの父鬼とは、まるで別物だ。放たれる気配は重く、鋭く、皮膚を刺すような圧となって周囲を押し潰す。足元の土が低く呻き、地面そのものが震えていた。

 全身の産毛が逆立つ。本能が、はっきりと告げてくる。

 

 ――やべえ。死ぬ。

 

 それでも。

 伊之助の闘志は、消えなかった。

 脳裏に、炭治郎の顔がよぎる。歯を食いしばり、必死に戦っていたあいつの背中。藤の家で、何も言わずに飯を差し出してきた老婆の手の温もり。腹が満たされるという、当たり前の感覚。

 そして――胸の奥に、灯る声。

 

 ――死んじゃったら、強い生き物がいても力比べできないからね。

 ――負けても生きて、諦めなければ、何回でも強い者に挑める。

 

 その言葉が、獣の心を引き戻す。 死を待つのではなく、生き抜くために。この瞬間も、牙を剥き続けるために。

 

「俺は鬼殺隊の嘴平伊之助だ!!」

 

 腹の底から、名を叩きつける。

 

「……かかって来やがれ、ゴミクソが!!」

 

 怪物が、応えるように腕を振り下ろした。空気が裂け、風圧が爆ぜる。まともに受ければ、身体は砕け、肉は千切れ飛ぶ。

 刹那。伊之助は二本の刀を交差させ、真正面からその一撃を受け止めた。骨が軋み、内臓が揺さぶられる。

 

 衝撃に弾かれ、身体が宙を舞った。

 

 それでも――伊之助の瞳に、死の影は映らなかった。

 あるのはただひとつ。生き抜く意思。何度でも立ち上がり、強者に喰らいつくという、本能だけが――全身を、貫いていた。

 

 

 

 

 

 新たな姿へと変貌した父鬼が、咆哮とともに襲いかかる。拳が大地を抉り、木々を根こそぎ薙ぎ倒す。地鳴りが森を揺らし、砕けた破片が雨のように降り注いだ。

 次元が違う。速さも、力も、さきほどまでとは比べものにならない。一撃でも受ければ、伊之助の命はそこで終わる。

 呼吸を繰り返す。肺いっぱいに風を流し込み、意識を研ぎ澄ます。

 迫る巨腕を、紙一重で躱す。身を捻り、地を滑り、枝を蹴る。だが、反撃の隙はない。鬼の猛攻は途切れず続く。

 歯を食いしばり、伊之助は待ち続けた。

 

 ――たった一度きりの好機を。

 

 何本目かの大木が、巨腕によって叩き折られた瞬間。伊之助は、獣のようにしなる身体を回転させながら跳躍する。

 

 “獣の呼吸 三ノ牙 喰い裂き”!!

 

 交差させた二刀を外へと広げ、荒々しく振り抜く。

 狙いは、頸。だが――刃は食い込む寸前で止まり、甲高い破断音が夜気を裂いた。

 

 ――――バキィィン!!

 

 左右、同時に。日輪刀が、折れた。

 

 (折れ……ッ………!?)

 

 一瞬の動揺。その刹那、鬼の拳が伊之助の胸を直撃する。骨が軋み、肺の空気が一気に吐き出される。

 巨木へ叩きつけられ、視界が激しく揺れた。

 

「ぐはッ――――!」

 

 血反吐を吐きながらも、立ち上がろうとした、その瞬間。

 父鬼の巨大な右手が、伊之助の首を掴み上げた。

 

オ゛レの家族に゛……近づく な゛アァア!!

 

 メキメキと頸椎が悲鳴を上げ、世界が狭まっていく。

 

「俺は………………死なねぇぇェェ!!」

 

 肺に残った、わずかな空気を絞り出す。伊之助は、最後の牙を解き放った。

 

 “獣の呼吸 壱ノ牙 穿ち抜き――!!

 

 折れた二本の刀身が、鬼の頸へ突き立つ。金属が岩に食い込むような、嫌な音が響く。

 だが、刃は止まる。深くまで届かない。

 握力が、さらに強まる。視界が、闇に塗り潰されていく。

 

 (ち………ちくしょう…………………が)

 

 走馬灯のように、記憶が駆ける。涙を浮かべた、長髪の女の影。こちらを見据える、炭治郎と善逸。灯麻希の声。飯を運んでくれた、老婆の笑顔。

 

 その奥―――――――闇の底から、声が響いた。

 

「………………伊之助!!敗けるな!!!

 

 その瞬間、鬼の握力がわずかに緩む。血肉の奥で、何かが侵食するように震え、父鬼の巨体が痙攣した。

 誰の声かは、分からない。ただ、その響きが――死に沈みかけた獣を、引き戻した。

 

 失われかけた呼吸が蘇る。

 熱が、胸の奥に灯る。

 力が、肺へ。心臓へ。四肢へと、戻ってくる。

 

「………………オラァァァアアアア!!!

 

 渾身の力で、二本の刃を――引き裂く。

 

 ギギギギギ…………バキッ!!

 

 硬質な音とともに、頸の肉が割け、骨が裂ける。ごう、と風を巻き込み、父鬼の巨体が大きく仰け反った。

 

 ――――ドシュウッ!!

 

 血飛沫を撒き散らしながら、鬼の頸が宙を舞い、地へと落ちた。

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

 父鬼の頸と胴体は、塵となって散った。

 同時に、伊之助の身体から力が抜け落ちる。勢いよく地面へ叩きつけられ、衝撃と痛みに息が詰まった。

 

 ――生きている。

 

 そう理解するより先に、視界が白く滲む。砂煙の中、身体を起こそうとしても、指一本すら思うように動かなかった。

 

「伊之助くん!」

 

 その声と同時に、駆け寄る気配。霞む視界の向こうで、灯麻希が膝をつく。

 彼女は一瞬で状況を見て取った。折れた日輪刀、砕けた地面、引き裂かれた森――そして、今にも意識を手放しそうな少年。“棘華双響”で戦いに介入し、死の淵に落ちかけた伊之助を押し戻したのは、確かに彼女だった。

 けれど、立ち上がり、牙を突き立てて頸を斬ったのは――他でもない、伊之助自身だ。

 

「…………灯麻希、か……!ごふっ」

 

 咳き込み、血の味を感じながらも、伊之助は目を丸くした。

 灯麻希は言葉を返さず、迷いのない動きで手を伸ばし、覆いかぶさるように身体を支えた。

 

「大きい声出さないで。喉、ひどく痛めてるから」

 

 掌に、温かな血鬼術が宿る。

 首元へと流し込まれた力が、じんわりと広がっていく。腫れ上がっていた皮膚が静かに引き、擦り切れた肉が塞がっていく。肺に、深く息が満ちた。肩へ、腕へ、脚へ。奪われていた力が、少しずつ戻ってくる。戦いで失われかけた“熱”が、胸の奥に、再び灯るのを伊之助は確かに感じていた。

 

 灯麻希は視線を上げ、周囲を見渡す。砕け散った木片。抉られた地面。壮絶な戦いの痕。

 

 ほんのわずか、到着が遅れていたなら――伊之助の命は、ここにはなかった。

 胸の奥で、安堵と戦慄が同時に交錯する。それでも彼女は顔に出さず、ただ緩やかに息を整えた。

 その場の緊張が、ほんの一瞬ほどけた――その瞬間、水を落としたような冷たさと、圧。それが背後から、灯麻希を貫いた。

 

「!」

 

 振り向くよりも早く、影が迫る。林の暗がりから一足。踏み込みは静かで、無駄がなく、殺気だけが鋭く研ぎ澄まされていた。

 冨岡義勇。鬼の気配を察した彼は、迷いなく型へと入る。遠目には、鬼が人を襲っているようにしか見えなかった。

 刀身が、灯麻希の首へ届くその寸前、彼女が振り向く。月光を受け、狐の面がひらりと反射した。

 

「……その面は」

 

 義勇の動きが、ぴたりと止まる。

 見覚えのある意匠。そして、鬼の仕草――それは襲うものの動きではない。傷ついた少年を庇い、癒している動きだった。

 理解が追いついた瞬間、張り詰めていた空気が、わずかに緩む。

 

 (速ェ……)

 

 伊之助は、ただ呆然とその一連の動きを見ていた。

 気づいた時には既に目の前で、命を断つ一太刀が寸前で止まった。

 格が違う。そう理屈ではなく、皮膚で悟った。今まで出会ったどの剣士とも違う。“強さ”そのものが、研ぎ澄まされていた。ぞくり、と震える。恐怖ではない。高揚だ。

 

「お前は……」

 

 義勇が口を開きかけた、その瞬間。

 

「俺と戦え、半々羽織!!」

 

 伊之助の声が、森を裂いた。

 

「お前の一太刀の威力は、俺が倒した十二鬼月よりも強い!!そのお前にも、俺は勝つ!!」

 

 義勇の眉が、わずかに寄る。だが言葉を返すより早く、灯麻希が口を挟んだ。

 

「伊之助くん。あなたが頸を斬った鬼は、十二鬼月じゃないよ」

 

 その声は、落ち着いていて、はっきりしていた。

 

「この山で一番強い鬼は、別にいる。村田さんと、操られていた隊士たちの前に現れた――少年の鬼だよ。この山に十二鬼月が潜んでいるなら……彼に、違いない」

 

 伊之助が首を傾げる。

 灯麻希は、短く補足した。

 

「糸の上に立って、宙に浮かんでいるように見えた鬼」

 

 その一言で、伊之助の表情が変わる。

 

「あァ……あの、チビのヤツか」

 

 二人のやり取りを、義勇は黙って見ていた。刀は下げたまま、しかし気配は解かれていない。

 

 やがて、伊之助の身体を包んでいた癒血の温もりが、次第に薄れていく。

 灯麻希はゆっくりと手を引き、狐の面を外した。月明かりに晒されたその顔は、確かに鬼のものだ。それでも、その表情に獰猛さはない。彼女は面を胸に抱き、義勇へ向き直る。

 

「義勇さん、竈門灯麻希です。また……あなたにお会いできて嬉しいです」

 

 深く、静かな会釈。

 その所作を見た瞬間、義勇の記憶が呼び覚まされた。

 

 二年前。

 雪に閉ざされた山で――間に合わなかった夜。家族を鬼に殺され、鬼へと変えられた姉妹。その中で、理性を失わず、弟妹を庇うように立ち塞がった少女の姿。

 今も、鬼の瞳は人ならざる形をしている。だが、その奥に宿る色は違っていた。あの頃は、必死に本能へ抗う色だった。

 今は――選び取った意志の色だ。

 

 義勇は、何も言わずに刀を鞘へと収めた。

 

「私たちは無事に鱗滝さんに会うことができました。弟の炭治郎が鬼殺隊に入れたのも、義勇さんが道を繋いでくださったからです」

 

 鬼でありながら本能に呑まれることなく、こうして鬼殺隊士と並び立つ気配は、二年前とはまるで違う。

 

 ――――強くなれ。

 

 あの夜、自分が告げた言葉が、静かに胸の奥で蘇る。

 

 ――生き抜くための力を持て。

 ――意志を貫く強さを得ろ。

 

 鬼となった姉は、その言葉を体現するほどの力を得て、ここに立っている。

 

 ならば――――炭治郎も。

 義勇の視線が、無意識のうちに山の奥へ向いた。

 

「…末の弟、竹雄は……水の呼吸が合わなかったため、別の育手の元へ行きました。まだ安否は分かっていません。でも、もし竹雄も入隊しているのなら――義勇さん、弟に会ったことはありますか?」

「あれ以来、(俺は)会ったことはない(が、入隊していることは知っている)」

 

 その言葉に、灯麻希は一瞬、瞬きをした。

 彼女の耳に届いたのは――「あれ以来、会ったことはない」――ただ、それだけだった。

 義勇の言葉足らずの返答の奥に含まれた意味までは、拾いきれない。

 

 本来、冨岡義勇という男は必要なことしか語らない。灯麻希はそれを、すっかり失念していた。

 それに、今の彼女は疲弊しきっている。“魂視”を発動する余裕など、残っていなかった。仮に発動していたとしても、義勇の魂は深い後悔に沈み、その感情の機微を読み解くことは難しかっただろう。

 

 二年前の出会いのとき。動揺していた義勇は、普段よりも多く言葉を重ねていた。

 だが今の彼は、本来の調子に戻っている。

 

 つまり――灯麻希には、義勇の意図を読み取る術がなかった。

 

「そうですか……分かりました。竹雄について、何か知ったら教えてください」

「ああ」

 

 義勇は短く応じると、それ以上この話題に触れず、すぐに言葉を切り替えた。

 

「猪以外に、隊員の居場所は知っているか」

「――はァ!?」

 

 猪、という単語に即座に反応し、伊之助が目を剥く。

 

「おい、狐子分!!……コイツと知り合いだったのかよ!なのに、斬られかけたのか!!」

「…………」

 

 無遠慮な大声が、森に響いた。

 灯麻希は思わず苦笑し、義勇は――何も言わず、それを受け止めるしかない。

 

「あれは間違えても仕方ないよ、伊之助くん。血鬼術を使っていたし、鬼の気配が強く出ていたはずだから」

「フンッ!俺なら気づくぜ!!」

 

 胸を張って豪語する伊之助。

 そのあまりに直情的な言葉に、義勇の肩が、ほんのわずかに沈んだ。

 

 それが落胆なのか、自責なのか。判別できる者はいない。

 ただ一つ確かなのは――伊之助は、まったく空気を読んでいなかったということだけだった。

 

 

 その後、伊之助たちは炭治郎の元へと向かっていた。

 眠りにつく直前、灯麻希は弟妹たちの魂の位置を“視る”までもなく把握し、迷いなく行き先を示した。そして、すっかり小さくなってしまった彼女を、伊之助は脇に抱え、いつになく慎重な足取りで森を進んでいる。

 義勇は、すでに姿を消していた。灯麻希が縮みきる、そのほんのわずかな隙を縫って、二人を置き去りにし、森の奥へと消えていたのだ。

 

「アイツ、先に行きやがった!!」

 

 伊之助は噛みつくように吐き捨てる。

 

「……速ェんだよ!歩くの!!待てコラぁぁあ!!」

 

 怒声が、夜の森に遠慮なく響き渡った。

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 灯麻希の存在がもたらした変化もあれば、変わらぬものもある。

 未来は小さな波紋のように、確かに――だが静かに、少しずつ広がっていく。

 

 ひとつの小さな選択。

 ひとつの一歩が生んだ揺らぎは、やがて大きな変化へと繋がるのだろう。

 

 深い藍色の渦を描く狐面が、それを示唆するかのように、月明かりの下で淡く輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 




 【藤の家での記録】

灯麻希「伊之助は力比べで一等になったから山の王になったんだね」
伊之助「そうだ!崇め称えろ!ガハハハ!!」
灯麻希「山の王になった伊之助だけど、世の中は広いからねぇ、伊之助がびっくりするような強い者は沢山いるだろうね…」
伊之助「俺が勝つ!力比べで勝つのが俺の本望だ!!」
灯麻希「そっか。なら炭治郎と善逸との修行頑張るんだよ」
伊之助「権次郎と紋壱と勝負すんのか!俺はアイツらより強いぜ!!」
灯麻希「勝負だけが強くなる方法じゃないんだよ、伊之助。一緒に修行することで二人から更に強くなる秘訣を掴むことができる。それに仲間がいると、必ず伊之助の助けちからになる」
伊之助「なんで、あいつらがいれば俺の力になるんだ?分かんねぇ…」
灯麻希「いつか分かるよ。それから怪我をしたら、強がっちゃ駄目だよ。私に言って、治すから。
 死んじゃったら強い生き物がいても力比べできないからね。負けても生きて諦めなければ、何回でも強い者に挑めるんだから」

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