空想鬼譚   作:庵non

19 / 26

連動タイトル、4段階目


19.芽生え*

 

 

 

 

 裁判が終わり、日が差し込まぬよう襖が固く閉ざされた産屋敷邸の一室に、私は一人静かに座していた。

 

 炭治郎と禰豆子は、胡蝶しのぶの提案で蝶屋敷預かりとなり、彼女の屋敷へと向かった。

 竹雄は――炎の呼吸を習得するため、煉獄槇寿郎に預けられていたことは知っていた。だが別れていた二年の間に、煉獄杏寿郎の継子になっていたと知った時は、正直なところ言葉を失った。

 裁判の後、間を置かず柱合会議が始まったため、竹雄は一足先に帰されたようだ。

 

 では、私はなぜここに残されたのか。

 禰豆子が箱へ収まる際、隠の一人が「灯麻希殿は柱合会議ののち、御館様よりお話があると伺っております」と告げ、そのまま奥の和室へ案内されたからだ。

 すぐに悟った。

 浅草を去る折、鎹鴉の松右衛門へ託した、あの手紙の件だと。

 

 私はそっと息を整える。

 どれほど覚悟を決めたつもりでも、胸の鼓動だけは誤魔化せない。手紙に綴った言葉が、どのように読まれ、どのように受け取られたのか。考えるだけで、呼吸が僅かに重くなる。

 

 それにしても。

 

「……ふふっ」

 

 邸の奥へ向かう途中、不意に耳へ届いた炭治郎の声を思い出す。

 

 ――その傷だらけの人*1に頭突きをさせてもらいたいです!絶対に!!

 ――頭突きなら隊律違反にならないはず……!

 

 直後に響いた「はぶぇ!」という間の抜けた声。

 “知識”では、時透無一郎に石を投げられていた場面だと分かっているのに、思い返すたび、どうしても笑いが込み上げてしまう。

 必死で健気で、少しだけ空回りしている弟の姿。張り詰めていた心が、ほんの僅かに緩むのを感じた。

 

 ……と、襖の向こうで控えている隠の気配が、少し揺れた。

 今の笑い声で、驚かせてしまったのだろう。申し訳ない。気を引き締めるように、ゆっくりと息を吐く。

 

 すると――先ほどまで繰り広げられていた裁判の光景が、脳裏に鮮やかに甦った。

 

 不死川実弥に木箱の扉をこじ開けられるより前から、私は箱の中で禰豆子を抱きかかえ、裁判のやり取りに耳を澄ませていた。木板一枚の隔たりなど、鬼の聴覚にとっては無いも同然だ。

 

 幸いにも、“知識”のような針の筵の裁判にはならずに済んだ。

 竹雄が煉獄杏寿郎の継子であったこともあり、炎柱は最初からこちらの味方だったのだ。それから、宇髄天元までが容認派に回っていたのは、正直なところ予想外だった。

 

 (炭治郎が下弦の鬼・累を倒したことで、柱たちの反応が変わるかもしれないとは思っていた……もしかしたら、音柱以外にも立場を変えた人がいたのかもしれない)

 

 鬼殺隊当主と柱が居並ぶ場で、炭治郎はただひたすらに己の意思を貫き通した。その姿は、危うさよりも頼もしさを感じさせるほどだった。那田蜘蛛山を経て、彼はもう()()()()()()()ではなかった。

 竹雄の成長も、きっと目を見張るものがあるだろう。

 

 そして、風柱の血。“稀血”の中でもさらに特殊な、鬼を酩酊させる匂いの前にあっても、禰豆子は終始穏やかさを保ち、私の傷のことばかりを気にかけていた。

 妹が刺されるのを防げたのも、本当によかった。

 

 (とはいえ……柱たちの鬼への恨みは、想像していた以上に深かった)

 

 “知識”の中の炭治郎は、そんな彼らに認められ、やがて心を許される存在になっていった。

 禰豆子は純真で可愛らしい。人に戻った後ではあるが、あの風柱に優しく頭を撫でられる妹だ。

 竹雄も昔から人心の掴み方が上手な子だったし、炎柱の信頼をあそこまで勝ち取っている姿を見て、胸が熱くなった。

 

 では――自分はどうだろうか。

 

 (私は……自信、ないなぁ。現代風に言うなら、コミュ力がないってやつ。弟たちみたいに、誰とでも自然に距離を縮められるなんて……全く無理)

 

 思考がどこまでも漂っていた、その時。襖の向こうから声がかかり、意識が現実へ引き戻された。

 柱合会議が終わり、私はお館様の部屋へ向かうことになった。

 

 

 暗い廊下を歩く。陽光の届かない木の板は、足の裏にひんやりとした感触を返し、歩を進めるたびに微かな軋みを立てた。お館様のお目通りを許されたということは――直訴にも等しい手紙の内容が、少なくとも拒絶はされなかったと考えてよいのだろうか。

 前後を挟む二人の隠に囲まれて進む時間は、やけに長く感じられた。鼓動の音が、耳の奥でやけに大きい。

 

「お部屋に到着いたしました。お館様がお待ちです」

 

 襖の前で足を止める。一度、深く息を整えて軽く一礼してから、襖に手をかけた。

 

「失礼いたします」

 

 そう告げて、静かに中へと入室する。

 

 

 

 

    【部屋の中の図解】

 

     〔畳の空間〕

 

      [金地の屏風]  悲鳴嶼 行冥

  あまね| お館様| 輝利哉

[ぼんぼり]     [ぼんぼり]

     (中央・正面)

 -------------------------------------- 

                    襖‖廊下

       灯麻希(正面やや下座)

 -------------------------------------

 

 

 

 

 日光の届かぬ、屋敷の最奥に位置する畳の間。

 部屋の奥には金地の屏風が立ち、花咲く木と小鳥の姿が、淡く揺れる灯に照らされて金色に輝いている。屏風の両脇には雪洞(ぼんぼり)が二つ置かれ、炎が揺れるたび、柔らかな光が畳に落ちた。

 

 下座に座した私の正面――

 中央に産屋敷耀哉、その右に妻のあまね、左に後継者である息子の輝利哉が並んでいる。さらにその後方、輝利哉の背後には、護衛の柱・悲鳴嶼行冥が控えていた。その巨躯の存在に、胸の奥でそっと安堵する。

 

 こちらから見て右側――岩柱の左手には、片手斧と棘のついた鉄球を鎖で繋いだ武器が置かれている。刀の置き方の礼法に照らせば、それは()()()()()()配置だった。

 

 ――受け入れてもらえたのだ。

 小さな期待が、胸の内にじんわりと広がった、その時。

 お館様の声が、緩やかに響いた。

 

「手紙を送ってくれてありがとう。丁寧な言葉で綴られていて、誠意が伝わってきた。しっかりと読ませてもらったよ」

 

 声音には、私の胸の奥まで届く、確かな重みと信頼があった。

 たったそれだけの言葉なのに。手紙を受け取った意味も、そこに込めた私の覚悟も、全部受け止めてくれたのだと、直感的に理解する。

 

「炭治郎が君と禰豆子という鬼を連れていると気づいた時から、鎹鴉を通して君たちの動きを追い、報告を受けてきた。身を挺して人を庇い、鬼を倒し続けてきたことも。どんな鬼に遭遇しても、君が驚くほど動揺しなかったことも――すべて知っていたよ」

 

 言葉の一つ一つが、心に積もっていく。

 

「無惨に遭遇した時も、君の反応は他の鬼と変わらなかった。大きく取り乱したのは、一度、じっと無惨を凝視した後だけだった。その時は気づかなかったが、後になって君が“魂視”をしていたのだと分かった。那田蜘蛛山での行動も無駄がなく、剣士(こども)たちを助ける時も、次に向かうべき戦場も……まるで、あらかじめ知っていたかのようだったね」

 

 ……考えていた以上に、深く見られていたらしい。

 だがそれは、疑いのためではなく、手紙の真偽を確かめるための()()だったのだろう。

 

「元水柱の手紙にも書かれていた通り、君の魂視の力は嘘ではないと信じている。そして、灯麻希は知っているかもしれないけれど――我が一族は代々、()が鋭いんだ」

 

 柔らかな声で、しかし迷いなく言い切られる。

 

「君は未来と過去を視ている。そして、決して嘘をついてはいない。そう確信した。だから、君と直接会って話すことにしたんだ。

 部屋に入った時点で、こちらの気持ちが少しでも伝わっていたなら……嬉しく思うよ」

 

 言葉が、ゆっくりと胸に落ちてくる。信じてもらえている――その事実だけで、張り詰めていた緊張と孤独が、少し和らいだ。胸の奥で、固く結ばれていた糸が、僅かに緩むのを感じる。

 

「拙い言葉を……信じてくださったこと、感謝いたします」

 

 私は頭を下げ、深く礼をした。

 お館様は微かに頷き、穏やかなまま言葉を続ける。

 

「君の手紙には、こう綴られていたね――『加えて、私の家族にまつわる魂を視た折には、過去ばかりでなく、未来の景色までも映じました。その未来は明るく確かなものではあるものの……』――と」

 

 そこで一拍置き、私を見つめる。

 

「炭治郎、禰豆子、竹雄にとっての()()()()()とは………鬼舞辻無惨を倒し、君と禰豆子が人間に戻ること。そういう理解で、よいのかな」

 

 問いは穏やかで、確かめるようでありながら、底に芯を持った光を宿していた。鋭い推測だが、断定ではない。答えを、私に委ねる余白がある。

 その姿勢に、私は小さく息を整えた。

 

「……お館様。私が未来を視た、と申し上げた以上──その未来が、どのような結末へ至るものなのかも、お伝えしなければなりません」

 

 胸元でそっと手を重ね、言葉を選ぶ。

 視えた光景を、順を追うように。しかし、必要以上に踏み込みすぎぬよう、抑えて語った。

 炭治郎が下弦を越え、さらに強大な敵と相まみえること。無限列車、遊郭、刀鍛冶の里……幾つもの戦場を経て、最終的には無限城へ至ること。

 

「そして……最終的には、鬼殺隊の勝利で終わります。無惨は、そう遠くない未来で討たれる」

 

 ひと息置き、続ける。

 

「その道程は、あまりにも苦しく、残酷な血の道ですが……辿り着く先には、確かに夜明けがありました」

 

 部屋の空気が、僅かに揺れた。張り詰めていた緊張の中に、細い光が差し込むような変化。

 あまねと輝利哉の喉が微かに鳴り、背後では悲鳴嶼の数珠が強く握られる気配がした。

 

「鬼舞辻を……倒せるんだね?」

 

 お館様の声は微かに震えていたが、その奥には確かな熱が宿っている。

 私は、一度だけ頷いた。

 

「はい。ただ……その道のりは、あまりにも犠牲が大きい」

 

 ぼんぼりの火が揺れ、畳に落ちる影がゆったりと伸びる。

 

「視た未来――“知識”の通りに進めば、確かに勝利には辿り着きます。ですが、その道中で失われる命は……あまりにも多すぎるのです」

 

 どうしても、黙って見過ごすことはできなかった。

 同時に――未来が、決して不変ではないことも。

 

「そして……未来は、すでに揺らいでいます」

 

 言葉に、若干の力を込める。

 

「本来であれば、二番目の弟・竹雄は、母たちと同じ日に無惨に殺されているはずでした。しかし、その運命は変わり……今も、竹雄は生きています」

 

 さらに。

 

「炭治郎の成長も、私が知っていた未来より早い。その結果、本来なら敵わなかった下弦の伍を、討つことができました」

 

 善逸と伊之助の兆しにも触れる。とりわけ伊之助が、“父鬼”の頸を独力で落としたこと。私の知る未来では――それは冨岡義勇による討伐だった。

 奥で、悲鳴嶼の呼吸が僅かに深まる。柱という存在の重みが、空気を震わせた。

 

「これは、未来が動くという確かな証です。決して、一本の道しか存在しないわけではありません」

 

 那田蜘蛛山で救われた隊士たちのことを語る。

 本来なら命を落としていたはずの者たちが、知識を活かすことで生き延びた事実。

 

「これまでの出来事から分かりました。大筋――幹は変えられずとも、枝は変えられる。犠牲を減らす方向へ、折り曲げることは可能です。それは、すでに証明されています」

 

 お館様の目が、細められる。肯定でも否定でもない。ただ、すべてを受け止める者の眼差し。

 

「ですが……未来を変えることは、決して容易ではありません。私ひとりの力では、限界があります」

 

 浅草での出来事を思い出す。無惨の刺客と、炭治郎、禰豆子が遭遇した、あの瞬間。

 

「その事実を、痛感しました」

 

 私はまっすぐに、お館様を見据えた。

 

「勝利に至る未来を守りながら、犠牲を最小限にする。それが、私の目的であり……ここに参った理由です」

 

 言葉を絞り出すように、深く頭を下げる。

 

「どうか…………力を貸してください」

 

 しばしの静寂。

 襖の向こうで、風が遠く木々を揺らす気配だけが耳に届いた。

 

 

 

 

「――面を上げて」

 

 お館様の声は穏やかだったが、その底には揺るぎない決意があった。

 ただそれだけで、この願いを拒むつもりはないのだと伝わってくる。

 

「君の話を聞いていて、ひとつ思ったことがあるんだ」

 

 お館様は、ゆるりと言葉を選ぶように続けた。

 

「これまで大筋は変わらなかったとしても……今後も、同じ判断でいいのだろうか、とね。“風が吹けば桶屋が儲かる”という諺があるだろう。小さな出来事が巡り巡って、思いもよらぬ結果を生むという例えだ」

 

 落ち着いた口調のまま、しかし視線は鋭く据えられている。

 

「今は一陣の風に過ぎなくても、それが重なれば大きなうねりとなり、どこかで重大な何かを変えてしまうかもしれない」

 

 その言葉に、思わず背筋を正していた。

 元現代人として、未来を知る者として――その指摘が、どれほど本質を突いているか理解してしまったからだ。

 お館様は、いわば蝶の羽ばたき(バタフライ・エフェクト)そのものを懸念している。もし触れられなければ、いずれ私から切り出すつもりだった話でもあった。

 

「……おっしゃる通りです。“蝶の羽ばたき”のように、私の行動が生んだ小さな変化が、やがて大きな流れとなって……“知識の未来”から逸脱する可能性は、十分にあります」

 

 少し、言葉を詰める。

 

「むしろ……その可能性は、時が経つほどに高くなっていくと思います」

 

 自分で口にして、胸の奥がきゅっと縮んだ。理解してもらえる安心と、踏み込まれる怖さが胸の奥でせめぎ合う。その狭間で、思わず言葉が滑り落ちた。

 

「今日の、この対談は……“知識”の未来では、本来あり得ない出来事です。つまり私は、大きな改変を起こしてしまったんです……」

 

 言葉が零れる。

 

「だからもし、私の“知識”が通用しないようなことが起きたらと思うと――――すみません。今のは……忘れてください」

 

 言った瞬間、これは言うべきではなかったと悟った。慌てて息を飲み、言葉を引っ込める。

 だが、お館様は静かに首を横に振った。

 

「大丈夫だよ、灯麻希」

 

 穏やかな声音が、確かに私の名を呼ぶ。

 

「“未来を変えなければよかったのではないか”と、不安に思うのは自然なことだ。もしかしたら、鬼舞辻を倒せず、鬼殺隊が全滅してしまう未来になるかもしれない――そんな恐れが、胸のどこかにあるんだろう?」

 

 私は答えられず、ただ唇を噛みしめた。

 

「だけどね……未来というものは本来、誰にも見えないものだ。君は例外的に、いくつかの“起こり得る未来”を知っている。それだけで、私たちは備えることができるんだ」

 

 少しだけ、柔らかな間。

 

「それは、とても大きな力だ。そして決して――君を縛る枷ではない」

 

 こちらに向けられる眼差し。

 

「君は、零れ落ちる命を少しでも拾うために、“未来”を変えようとしている。その選択を……私は、尊いと思うよ」

 

 その言葉は、緩やかに、しかし確かに胸の奥へと届いた。

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

 その後のお館様との対談は、いくつかの確認を交わし、無事に幕を閉じた。

 未来をどう動かすのか――細部に踏み込むことはなくとも、大枠の方針はすでに定まったと言っていい。

 

 対談を終えると、隠によって新たな霧雲杉の木箱が部屋へと運び込まれた。

 禰豆子と私が入るための最初の箱よりも横幅は小さいが、中に敷かれた薄布と、私の身体に合わせて丁寧に削られた内側の空洞には、確かに鱗滝さんの手の温もりが残っていた。

 木の香りを胸いっぱいに吸い込む。それだけで、張り詰めていた心が解けていくのを感じた。

 

 蝶屋敷へ向かうため、隠の背で箱が揺れ始めた瞬間、私はそっと目を閉じた。瞼の裏に浮かんだのは――涙を流し、手を合わせて私を見送った岩柱の姿。

 

 彼が護衛としてあの場に控えていたのは、決して偶然ではない。

 

 手紙に『最も腕の立つ柱』と記した時点で、その条件に当てはまるのは悲鳴嶼さんしかいない。どうしても、彼をこの対談に立ち会わせる必要があった。

 

 理由は、ただ一つ。岩柱の過去に深く繋がる隊士――獪岳の存在だ。

 

 獪岳が将来、“上弦の壱”と接触する危険性が極めて高いこと。

 その事実だけは、お館様にも伝えてある。どの任務で遭遇するかまでは分からない。だが、あの鬼が神出鬼没である以上、絶体絶命の危機は、いつか必ず訪れる。

 

 ならば――それを、破滅ではなく機会に変えなければ。

 

 だからこそ、悲鳴嶼さんと獪岳の因縁は、今のうちに正面から扱う必要がある。“知識”の世界のように、私が何もしなければ、その綻びは見過ごされ、やがて取り返しのつかない未来へと繋がってしまうだろう。

 

 始まりの綻びは、どこかで必ず決着をつけなければならない。

 

 獪岳の名を口にしたとき、悲鳴嶼さんの魂が、岩のように重く大きな光を、ふっと曇らせた。その蟠りは、谷のように深い。それでも――向き合わなければならない未来が、そこにある。

 

 (……魂といえば、お館様はやっぱり()()()()

 

 対談の最中、私は産屋敷様の魂を視ていた。

 核には、確かに美しい色が宿っている。

 けれどそれは安定しておらず、揺らぎ、歪み、今にも砕けそうだった。魂全体は深い闇に覆われている。悲しみの青、怒りの赤、執着や狂気の紫、痛みの茶――幾重もの感情が入り乱れ、混ざり合い、濁った黒へと沈んでいた。

 そしてその上から、さらに覆いかぶさる“呪いの黒”。それは、鬼舞辻無惨の魂と酷似した色合いだった。

 

 怨念に染まりきった闇の魂――それでもなお、産屋敷様の魂は鬼のように異形へは堕ちていない。人の形を、かろうじて保っていた。

 

 千年を生きた無惨の魂は、人間性を完全に失った異形の闇だ。

 だがお館様は、深い闇を抱えながらも、その表層で穏やかに人を導く精神を維持している。

 

 二人の魂は、よく似ている。違いはただ一つ。人として踏みとどまっているかどうか。

 

(あそこまで変色しているのは、無惨の呪いの影響も大きいはず……少しでも呪いが軽くなるか、次の会議……密議の折に、試してみよう)

 

 もし事前にこの本質を知らず、対談に臨んでいたら。

 私も柱たちと同じように、人を惹きつける異質な魅力に心を委ねていたかもしれない。分かっていたはずなのに――私は一度、弱音を吐いてしまった。

 

 鬼殺隊当主という存在は、やはり油断ならない。あの柔らかな語り口の奥には、人の心の芯を暴くような鋭さがあった。それこそが、人を率いる者の()()なのだと、改めて思う。

 

(……結局、“知識”には竈門灯麻希という存在がいなかったことは、話せなかった)

 

 告げたところで、余計な混乱を招くだけだ。それどころか、“知識”そのものへの信頼を揺るがす危険すらある。

 

 私は、この世界にとってはきっと“バグ”のような存在なのだろう。

 そう考えれば、それ以上の説明は不要だった。他の誰かが知ったところで、どうしようもないことなのだから。口にしなくて正解だろう。

 

 木箱の暗がりの中、眠気がゆっくりと身体を包み込んでいく。

 意識が沈みゆく、その直前――狐のお面をつけた、二人の子どもが。どこか遠くから、こちらに向かって手を振っている気がした。

 

 

 

 

 

 

 

*1
不死川実弥

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。