空想鬼譚   作:庵non

20 / 26
20.蝶の館 五月中旬――始めの夜と明けの刻

 

 

 

 

 蝶屋敷に着いたのは、空が群青に沈みきった頃だった。

 木箱から降りると――私を迎えたのは、青い蝶の髪留めで黒髪を二つに結った少女、神崎アオイだった。凛とした立ち姿で簡潔に名乗り、私を炭治郎たちがいる病室へと案内してくれる。

 玄関で、ここまで送ってくれた隠の女性にお礼を伝えると、彼女は肩を小さく跳ねさせて驚いた。

 あ、そうか――柱合裁判から狐面を外したままだった。蝶屋敷にいる間は面を着けるべきか迷ったが、アオイが「必要ありません」と言い添えてくれた。その言葉に甘えて、私は素顔のまま彼女の隣を歩く。

 

「灯麻希さんのことは、しのぶ様から伺っています。事情は承知していますのでご心配なく。ご家族の炭治郎さんは治療を終えて休んでいます。禰豆子さんは、箱の中で眠っているようです」

「そうですか……安心しました。ご丁寧にありがとうございます」

 

 礼を言うと、アオイは“これぐらい何でもありません”といった調子で小さく頷いた。淡々とした所作なのに、芯の強さが歩くたびに滲み出る。白衣の裾が揺れ、歩調は思いのほか速い。

 ふと、横から針のように細い視線を感じた。アオイが歩みを緩めず、こちらをまじまじと見つめている。

 

「……? どうかしましたか」

 

 問いかけると、彼女ははっと我に返ったように視線をそらした。

 

「!……すみません、少し考え事をしていました……この場所について、何か知りたいことはありますか?」

 

 慌てて否定する様子に、私は逆に首を傾げる。けれど、ここで過ごすために最初に知っておきたいことも多い。気を取り直し、蝶屋敷について教えてほしいと頼んだ。

 アオイは一瞬目を泳がせ、咳払いをしてから、仕事の顔に戻って口を開いた。

 

「ここは任務で負傷した方の治療をする場所です。藤の家が手配する町医者様でも対応できない血鬼術の傷や、処置が難しい外科的な損傷も扱います」

「手術までできるんですね……そんなことまで……アオイさんや、しのぶさんが執刀されるんですか?」

「いえ。手術は腕のある外科の先生方にお願いしています。しのぶ様は助手を務めたり、血鬼術による負傷への薬の調合に長けています。私たちは主に看護や、治療後の訓練を担当しています」

 

 道理と役割がすっと頭に入る説明だった。胸の奥で、ぼんやりと温めていた考えが少しずつ形を持ちはじめる。

 

「詳しく教えてくださって、ありがとうございます。あの……お願いがあるのですが」

 

 アオイがこちらに顔を向ける。

 

「昨晩の任務*1で、負傷者がたくさん運ばれてきていますよね。もし差し支えなければ……私も治療を手伝わせてもらえませんか」

 

 彼女の表情が僅かに固まった。

 胸の奥がぎゅっと熱くなるのを感じつつ、私は言葉を添えた。

 

「私は“癒血”という血鬼術を使えます。人の傷に触れると、痛みを鎮め、損傷を和らげられるんです。少しでも力になれると思います」

 

 沈黙ののち、青色の瞳が真っ直ぐに私を射抜いた。

 

「…………私の判断では決められません。しのぶ様にお伝えします」

 

 その声音には驚きと、看護を預かる者としての慎重さが滲んでいた。視線が一瞬だけ私の手に止まり、“癒す力を持つかもしれない”と測るように細く揺れる。

 

「もちろんです。ありがとうございます」

 

 無下にされなかった安堵が胸の奥でほどけ、思わず小さく笑みが漏れた。治療の手伝いがきっとできる――そんな予感が、温度を帯びて広がっていくのを感じた。

 

 

 ちょうど会話がひと区切りついた頃、アオイが足を止める。

 目の前には、淡い灯りがもれる木造の病室の扉。指先で「コン」と軽く扉を叩き、落ち着いた声で「失礼します」と告げてから、アオイは中へと足を踏み入れた。その背を追うように、私も部屋に入る。

 

「しくしくしくしく……」

「ん゛――――っ!!ヴ―――ヴゥ―――!!フガッ!」

「やっぱり、この匂い……!姉ちゃんだった!箱の中が禰豆子だけで、本当に心配したんだ!」

 

 夜の静かな病室なんて、どこにもなかった。

 手前では布団を頭までかぶり、啜り泣く善逸。隣では猪頭をかぶったまま、全身を布団にくくりつけて暴れる伊之助。奥では炭治郎がこちらを向き、ぱっと表情を明るくする。

 思わず私も微笑み、軽く手を振る。すると炭治郎は、柔らかく目を細めて可愛い笑顔を返してくれた。

 

 和んだ気持ちに浸る間もなく、左耳に善逸の泣き声が鋭く届く。

 善逸――那田蜘蛛山で村田さんと出会う前、彼を一人で兄役の鬼蜘蛛の元に向かわせてしまったことを思い出す。その後からずっと安否を案じていた彼が、今こうして元気に泣きじゃくる姿を目にすると、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 

 でも、アオイの反応は違った。眉を吊り上げ、スタスタと二人に歩み寄る。善逸の布団を容赦なく剥ぎ取り、伊之助へは鋭い声を投げかける。

 

「それ以上暴れたら、もっと強く縛りますよ!喉も痛めてるんですから、静かにしてください!善逸さんは、寝る前の薬をまた飲んでいないんですか!!」

「だ、だってこの薬、すげぇ苦いんだよ!?夕飯前に頑張って飲んだのに、またなんて無理だよ――!!口の中が苦いまま寝るとか、絶対嫌だぁぁぁああ!!」

 

 泣き喚く善逸を前に、アオイは呆れた口調で「飲まなければ一生手足が治りません!」と繰り返し言い聞かせ、枕元の薬を善逸が口を大きく開けた瞬間に容赦なく放り込む。

 苦味に目を白黒させ、必死に水をかき込む善逸を見ながら、私は炭治郎の方へ歩み寄る。同時に、口元を抑えられて鼻息を荒くする伊之助にも目を配りつつ。

 

「炭治郎……よかった。ちゃんと治療してもらえたんだね。禰豆子は――」

 

 言い終える前に、枕元の木箱がガタリと揺れ、禰豆子がのそのそと顔を出した。

 目が合った瞬間、勢いよく飛びついてきて、私は思わず抱きとめる。胸元に頬をすり寄せる小さな仕草に、自然と顔が綻ぶ。優しく頭を撫でながら、伊之助の拘束について炭治郎に尋ねる。

 

「どうして、こんなに縛られてるの?」

「伊之助が、何度も抜け出そうとしたんだ。喉も潰れてるのに、大声を出すから……アオイさんが縛るしかなかった。伊之助にとっては、じっとしているのが一番辛いようだけど……」

 

 炭治郎の声はいつも通り優しい。だけど、顔には疲労が滲んでいる。切創や擦り傷は丁寧にガーゼで覆われているが、それ以上に気疲れが表情に刻まれていた。

 善逸は泣き叫び、伊之助は暴れる――炭治郎は十分に休めず、気を張り続けていたのが手に取るように分かった。

 

「そっか……癒血でできる範囲まで治療したけど、()()()の最後、確保される前に気絶するまで暴れてたから、そこで喉をまた潰したんだね」

 

 私が横目で伊之助を見やると、全身を布団にくくりつけられたまま、まだ小さくもぞもぞと動いている。手足を縛られても、抜け出して暴れたい気持ちは隠せないらしい。

 

「暴れるほど治るのが遅くなるよ、伊之助くん……その怪我は癒血の対象外だからね」

 

 そう告げると、不服そうにフガフガ暴れていた伊之助が、ピタッと固まった。

 視線だけがこちらに向けられたが、私もジッと見つめ返したら、やがてそれも消えていった。

 

「善逸くんが、最も重症みたいだね」

「うん。蜘蛛の毒のせいで体が弱ってて……一番心配なんだ」

 

 炭治郎の表情は真剣そのもので、言葉の端々に心配が滲んでいる。

 私は薬を飲み終えた善逸を眺めながら、アオイに烈火のごとく説教されている姿に、心の中で(明日、術を施そう)と予定を立てる。今日はもう、私も含めてみんなが疲れ切っている。

 

 そんな中、炭治郎がふいにこちらへ向き直った。

 

「ところで……姉ちゃんは今までどこに行ってたんだ?俺……あの時、頭突きのことと他のことで頭がいっぱいで――姉ちゃんがいなくなったのに気づいたのは、蝶屋敷に着いてからだったんだ」

 

 言葉を切りながら、炭治郎は視線を床に落とす。

 眉間に薄く寄せた皺、手先をわずかに動かす仕草。私はその場にいなかったが、弟の胸中は手に取るように分かる。

 裁判後、隠に連れて行かれる間にお館様の「珠世さんによろしく」という言葉に気を取られ、私に目を向ける余裕がなかったことを、自責しているのだろう。そして、隠に頭を叩かれる炭治郎の姿も蘇る――柱に怒られたことを根に持った隠が、炭治郎に報復した場面。あの時、弟が周りを見る余裕がなかったのは当然だ。

 

「一生懸命な炭治郎らしいね。大丈夫。私の方は何も心配いらないよ。お館様は、私と少し話したいことがあったみたいで……そのまま違う部屋に案内されたの。

 炭治郎も知っている通り、無惨の支配から逃れた鬼は滅多にいない。だから、姉ちゃんが代表して()()()のことについて話をしてきたんだ」

 

 表向きの理由はこれくらいが妥当だろう。お館様が無惨を倒すために、些細な情報も積極的に集めているんだろう、くらいの説明で通るはずだ。真実の詳細は雲の中に隠したまま、炭治郎が嗅ぎ分けても違和感のない範囲で話す。炭治郎は()()()を私と禰豆子だと認識するだろう。

 

 その説明を聞き、炭治郎は小さく頷いた。

 表情は真剣さのままだけれど、少し眉を緩め、安心したような空気を漂わせる。私はその様子を見て、ふっと肩の力が抜けた気がした。

 

「裁判の柱たちとのやり取りも、箱の中から禰豆子と一緒に聞こえてたよ。あんな状況で、本当によく頑張ったね。あの山の鬼――十二鬼月を倒したのも炭治郎だったんだね。凄いよ。ちゃんと前に進んでる」

 

 腕を伸ばし、禰豆子ごと炭治郎をぎゅっと抱き寄せる。布団の温かさ、弟の肩の硬さが手に伝わる。

 

「俺、全部ギリギリで……頸を斬れたのも、禰豆子が助けてくれたからだ。それに……傷だらけの人に刺されるのを、俺はただ見ていることしかできなかった」

 

 私は小さく息を漏らし、笑みを浮かべる。

 

「炭治郎が心配してくれるなら、あんなのへっちゃらだよ。ありがとう」

 

 ――竹雄もいたね、と言い添える。

 

 炭治郎は「うん」と頷き、鼻をそっと啜る。

 その音に反応して、禰豆子の腕が彼をぎゅっと抱きしめ直す。布団の中で交わる三人の小さな温度が、ゆっくりと部屋を満たした。

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 翌日。朝食を終え、病室が落ち着いた頃。

 薬を届けに来た高田なほが「姉ちゃんが、善逸に治療してくれるらしい」と炭治郎からの伝言を伝えてくれた。

 その言葉はすでに善逸にも届いており、彼は少し緊張した面持ちでこちらを見ていた。

 

 病室は柔らかな朝日で満ちている。箱の中でぐっすり眠ったおかげか、私の目覚めも爽やかだった。

 

 (禰豆子が寂しがったため、今夜からはまた一緒の箱で眠ることになるのだが――それはまた別の話だ)

 

 しのぶさんから正式な許可は出ていないものの、“癒血”は実際に見てもらった方が判断しやすいだろう。信頼関係のある善逸から順に治療を進めることにした。

 そうして朝食後、善逸と私は北側の別室へ移動することになった。日光を遮る重厚な布に囲まれたその部屋は、薄暗くひんやりとしている。

 

 アオイとなほが付き添い、私はそこで癒血を発動した。

 薄紅の光が善逸の肌を撫でると、蜘蛛化で縮んでいた右腕と右脚が徐々に伸びる。右側の痺れはほぼ消え、左腕で続いていた痙攣も止まった。完全ではないが、残るのは僅かな痺れだけ。

 そして――抜け落ちていた髪の生え際にも、柔らかい毛がふんわりと伸び始める。

 

は、ハゲが治ってるぅぅぅぅ!!?

 

 善逸が、泣きながら叫び、喜びを爆発させたのはそこだった。*2

 善逸は指先で着物の裾をぎゅっと握りしめたまま、両腕を持ち上げた。恐る恐る、生え際に触れる。その瞬間、肩がびくりと跳ね、潤んだ目がさらに大きく見開かれた。

 

「う、うわぁぁ……!生えてる……!!本当に……生えてるよぉぉ……!!」

「大袈裟です」

 

 即座に、アオイが切って捨てた。

 

「大袈裟じゃない!!人生が!!救われたんだ!!」

 

 確かめるように何度も髪を撫でる仕草は、怯えながらも必死に現実を確認する小動物のようだった。

 

「新しく生えた髪も、ちゃんと金髪なんだね」

 

 思わず零した一言に、善逸は涙目のまま、なぜか誇らしげに胸を張る。

 

「そうなんだよぉ……!元は黒色だったんだけどねぇ……じいちゃんの修行が、いつも以上に厳しかった日のことでさ!聞いてよ灯麻希ちゃん……!あれはもう本当に大変な事件で――」

「忙しいので後にしてください」

 

 アオイが、すぱっと切った。(なた)で斬り落とすような、迷いのない一言だった。

 善逸は“ガーン……”と効果音が聞こえそうなほど肩を落とす。私は思わず「あらら……」と苦笑しながら、その背中を軽く撫でた。

 

 そんな善逸を横目に、アオイは真面目な顔でこちらに向き直る。

 

「この目で見るまでは、俄かには信じ難かったですが……灯麻希さんの血鬼術は、ただの治癒の域を明らかに超えていますね。しのぶ様にも、きちんとお伝えしておきます」

 

 評価のこもった口調に、なほも隣で何度も頷いている。

 二人が部屋を出る前、アオイは何かを思い出したように善逸を振り返った。

 

「善逸さん!まだ治りきってはいませんから、薬は続きますからね。三ヶ月が一ヶ月程度に短くなっただけです。サボれば元に戻りますよ」

「ひぃ……!そ、そんな……」

「それから、日光浴はこのあとすぐに行ってください。回復に必要ですから」

「うぅ……はい……」

 

 泣きそうな顔で項垂れる善逸を残し、アオイは容赦なく扉を閉めた。木がぶつかる乾いた音が、部屋に小さく響く。

 ほの暗い部屋に、私たちだけの気配が残る。アオイたちの足音が廊下の向こうへ遠ざかり、やがて完全に消えた。その静けさの中で、善逸がふいにこちらを向く。

 

「あっ、そうだ!」

 

 ぴん、と指を立て、身を乗り出した。

 

「灯麻希ちゃんさ、お館様って人と話したって聞いたんだけど……ど、どうだった!?もしかして、すごい美人のお姉さんだったりしない!?」

 

 期待にきらきらと目を輝かせている。

 何故お館様を“綺麗なお姉さん”だと思ったのかは分からないが、炭治郎あたりが「優しい人だった」と伝えたのだろうか。恐らく善逸が想像しているものと、私が目にした現実はまるで違う。

 私は苦笑を浮かべて、首を振った。

 

「お館様は――――男の人だよ」

 

 一瞬、善逸の表情が固まる。

 言葉を失ったまま、私たちはしばし無言で見つめ合った。何かを言うには遅く、何も言わないには長すぎる沈黙が、部屋に落ちる。

 

「…………この会話は、ここで終わりにしてください……」

 

 がっくりと項垂れる善逸。

 その沈黙が、朝の治療の終わりを告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
那田蜘蛛山の任務

*2
兄蜘蛛と遭遇した時、善逸にとって一番の衝撃は“髪がごっそり抜け落ちた瞬間”だった。恐怖に勝てず気絶したほどの出来事――だからこそ、髪が戻った喜びは、手足の回復以上だった




 【コソコソ裏話②】
 “サボる”は大正時代に一気に広まった言葉らしい。
 語源はフランス語の sabotageサボタージュ

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。