空想鬼譚   作:庵non

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 “よかった”の一言だけでも励みになりますので、コメント書いていただけると嬉しいです!印象に残ったシーンや面白かった場面があれば、ぜひ教えてください!



21.蝶の館 七日間の静養

 

 

 

 

 善逸の治療をした、その日の夕方。

 私は箱の中で昼間を寝通していた。隣の箱では禰豆子も、那田蜘蛛山での疲労を癒すように深く眠っている。炭治郎、伊之助、善逸もそれぞれの寝台で回復のための睡眠中だ。

 炭治郎の呼吸だけが、規則正しく“全集中”の響きを含んでいる。

 

 善逸が日光浴から戻ってきた気配で、私は目を覚ました。

 従来の鬼とは異なる体ではあるが、夕方になると覚醒する傾向がある。夜にも眠りは取るが、最も冴えるのは夜間だ。夜は――人ならざる者の時間だと、体が暗に示しているように思えた。

 日が沈んだらどうしようか、とぼんやり考えていたとき、扉の開く音がする。

 

 誰だろうと思い、“魂視”を発動して透視した。

 

 病室に入ってきた人物の魂は、見たことのない色をしている。透明度は高いのに、核との境界が曖昧だ。珍しい状態だった。

 

 (知らない人だ……誰だろう?)

 

 足音が私の箱の前で止まる。次の瞬間、箱が持ち上げられた。ふわりとした浮遊感が身を包む。

 

「あ!待って!姉ちゃんをどこに連れていくんだ!?」

「うるさいよ、炭治郎~……えっ、あの子!最終選別にいた女の子じゃん!」

 

 炭治郎と善逸が跳ね起きる気配がする。伊之助だけは、相変わらず豪快ないびきを響かせ続けていた。

 

 ――栗花落カナヲか。

 

 彼女は何も答えないまま、静かに部屋を横切っていく。

 炭治郎たちの気配が、すっと遠ざかった。

 

「ニコニコしてて可愛い――――!!」

「……カ、カナヲ!なんで答えてくれないんだ!?」

 

 悪意は感じられない。むしろ、“ただ運ぶ”という淡々とした意志だけが伝わってくる。

 だから私は、箱の中から声を返した。

 

「平気だよ、炭治郎。すぐ戻ると思うから、そのまま休んでて」

 

 そう告げると、病室の扉が閉まる音が控えめに響いた。

 

 

 

 

 連れて来られたのは、私たちの病室よりもはるかに広い別室だった。

 カナヲは無言のまま私をそっと下ろし、箱の扉を開けてくれる。

 礼を言うと、彼女は微笑だけを残してしのぶさんの元へ戻っていった。器具や薬品を手際よく受け取り、そのまま作業を再開する。

 

 二部屋を壁ごと抜いて繋げたような空間に、白熱灯の淡い光が天井から降り注いでいる。

 十二人分の寝台が整然と並び、そのうち十一台にはすでに患者が横たわっていた。全員が点滴に繋がれている。

 寝台の傍らには無骨な鉄の支柱が立ち、逆さに吊るされた硝子(ガラス)瓶が白熱灯を鋭く弾いていた。瓶の底から伸びるのは、現代的な透明の管ではない。血のようにどす黒い赤茶色の天然ゴム管だ。それは隊士たちの腕へと這い、重力に従って、ゆっくりと溶液を送り込んでいる。

 

 奥の五名は――()()()だった者たち。蜘蛛に変えられ、今は赤子を包むおくるみのように縮んだ姿で、眠らされていた。

 私の元に、しのぶさんが静かに歩み寄ってきた。

 

「こんばんは」

「こんばんは…」

 

 落ち着いた笑みに、私も軽く頭を下げる。

 彼女は柔らかな口調のまま、本題へ入った。

 

「あなたの()()()()()()()については、アオイとなほ、そして那田蜘蛛山で実際に治療を受けた五名の隊員から話を伺いました。信頼に足ると判断しています。それに、お館様からも『灯麻希さんのことを考慮してほしい』と仰せつかっていますし……あなた自身の意志も、固いようですし。ここは常に人手不足ですので、助かりますよ。

 では念のため、ここで実際に術を発動してみてもらえますか?」

 

 声音は穏やかだったが、その瞳は観察者のものだった。

 

「分かりました」

 

 爪で指先を軽く裂き、その血で“癒血”を発動する。瞬間、炎のように血がぼわりと瞬き、すぐに光は収まった。

 しのぶさんは一度も瞬きをせず、その現象を興味深そうに見つめている。

 

「……危険性はなさそうですね。では詳しく、癒血について教えてもらえますか?」

 

 自分が把握している限りのことを話した。

 血を媒介にして人間の怪我を癒す力であること。瀕死を重症へ、重症を中等症へと、段階的に引き上げられること。病や血鬼術にも有効な場合があること。

 ただし、深い傷ほど負担は大きい。一度回復した箇所に重ねて術をかけても効果は出ない、という制約もある。だが、その部位を治した後、新たに負った怪我であれば問題はない。

 

「なるほど。では、こちらへ。カナヲもついてきて」

 

 呼ばれたカナヲが私の後ろにぴたりとつく。

 左右に六台ずつ並ぶ寝台の、左手前の端へと私たちは向かった。

 部屋の空気は、僅かに鼻を刺す消毒液の匂いで満ちていた。薬草を煮詰めたような青い香りと、酒精(アルコール)の鋭さが混じり合い、徹底して清められた空間だと分かる。白布は皺ひとつなく張られ、硝子と金属の器具は丁寧に磨かれていた。

 

「まずは軽い後遺症の方からお願いします。彼は、善逸君の前に蜘蛛化の毒に侵された隊員です」

 

 示された寝台に近づく。

 男性の腕は縮み、関節が不自然に詰まっていた。両腕だけでなく両脚も短く変質している。

 それでも最も手前の列に置かれているということは、比較的軽症なのだ。

 

 私は指先を裂き、癒血を施す。

 一人目の治療を終えると、次は右側の患者へ。

 二列目は中程度の進行。ここから一気に症状が重くなる。髪はほとんど抜け落ち、肘から先は蜘蛛の脚のように鋭く変質している。全身の痙攣が止まらず、寝台が小さく軋む者もいた。

 

 四列目以降は――完全に蜘蛛の形に変えられてしまった隊士たちだった。癒血を使っても、歪んだ片手が少し人の形へ戻る程度。あるいは、抜け落ちた髪が薄く生え直すだけ。ここまで進行していると、私の力が追いついているのかどうかさえ分からなくなる。

 

 ――本当に、人間の姿に戻るのだろうか。

 

 胸の奥に、微かな不安が芽を出しかけた。

 だが、しのぶさんは穏やかな笑みのまま告げる。

 

「体の一部に蜘蛛の名残が残る可能性はありますが、私の薬と太陽光を併用すれば、元の姿に戻れる見込みは高いですよ。九割は堅いと思います」

「そんなに戻れるものなんですか……凄いですね」

 

 思わず感嘆が漏れる。

 

「いえいえ。灯麻希さんの術がなければ、完全に蜘蛛化した五名は元の姿まで回復できませんでした。人格が戻っても、見た目は……五割戻れば御の字、というところでしたから」

 

 その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなる。

 最後に治療を施した隊士の瞼が、ゆっくりと持ち上がった。

 

「……ありがとう」

 

 薄く、震える声。

 子蜘蛛の姿のままなのに、その声は紛れもなく()のものだった。

 消毒液の匂いに混じって、熱いものが込み上げる。胸の奥がじんと焼けるように熱くなり、私は思わず目頭を押さえた。

 しのぶさんが、そっと視線を横へ流した。

 

「カナヲはどう感じた?」

 

 隣で沈黙していたカナヲは、すぐには答えない。

 僅かに視線を落とし、胸の奥を探るような間があってから、ぽつりと口を開いた。

 

「あたたかいと思いました。血鬼術特有の、怖気も感じませんでした」

 

 抑揚の少ない声。観察した事実を、そのまま差し出すような言い方だった。

 けれど――その言葉の奥に、微かな体温が宿っているようにも思えた。

 

「ええ、そうね。よく言葉にできましたね、カナヲ」

 

 しのぶさんが、柔らかく微笑む。

 

「ただの治癒ではなく、細胞の再生を促す力……興味深いですね。ですが、持続性や副作用については未知数です。今後は私とカナヲの監督下で進めてもらいます」

 

 紫の瞳が、まっすぐに私を射抜く。

 その視線に、ほっとする自分と、背筋を正す自分が同時にいた。私はまだ試される側なのだと理解する。

 しのぶさんは、軽く顎を引いた。

 

「では、カナヲ。灯麻希さんを元の病室へ。その後はアオイたちと夕餉の手伝いを」

 

 小さく頷き、カナヲが私の箱を取りに部屋の奥へ向かう。足音は軽いが、どこか無音に近い。

 その背を見つめながら、しのぶさんの唇が小さく動いた。

 

「カナヲは……」

 

 言葉はそこで途切れた。続きは、飲み込まれたようだった。

 ほんの一瞬――哀しみとも、願いともつかない色が、その横顔を掠める。

 

 それが何だったのか、私は問いかけなかった。

 ただ、その沈黙だけが、胸の奥へ深く沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 蝶屋敷に身を寄せて三日目。

 五月も半ば。梅雨入り前の晴れ間はどこか軽やかで、吹き抜ける風には微かに夏の匂いが混じり始めていた。昼間は少し動くだけで汗ばむ陽気で、縁側の影には自然と人が集まる場所になっている。

 灯麻希は起きていられる時間があれば、日中でもそっと日陰に身を置き、炭治郎や伊之助、善逸と他愛ない言葉を交わした。夕暮れ以降は病室の外に出て、治療や雑務を手伝う。カナヲやアオイ、なほ・きよ・すみたちと並んで廊下を行き交う姿は、すでに屋敷の日常の一部になりつつあった。

 

 炭治郎と善逸は相変わらず治療に励んでいる。問題は伊之助だった。

 

 怪我で動けない生活。

 “知識”と異なり、那田蜘蛛山で他者に勝負を委ねるような挫折を味わうこともなく、伊之助は自らの手で決着をつけている。故に己の未熟さを思い知る機会もなく、意欲と闘志だけが行き場を失うことになった。

 

 動けない分、その熱量は内側で燻り続け、二日目の終わりにはいよいよ限界に達していた。

 

 このままでは伊之助の怪我を治せない――そう判断した面々は相談の末、体を動かせないなら頭を使わせようという結論に至る。

 とはいえ、山で動物に囲まれて育った伊之助に高度な学問は現実的ではない。読み書きの基礎から整える必要があった。そこで、なほ・きよ・すみが以前使っていた初等用の教材が持ち出される。

 それを目にした瞬間――伊之助は本気で逃げ出そうとした。

 

「(勉学なんて坊ちゃんがするもんだ!!軟弱になる!!)」

 

 声は出せないため、肩を怒らせ、手足をばたつかせて全身で拒絶を示した。

 炭治郎と善逸が慌てて説得にかかる。

 

 ――頭を鍛えることも強さの一部だということ。

 ――今だからこそできる修行があること。

 

 伊之助は大いに不満を示しながらも、最終的には折れた。

 元々覚えは早い。筋が悪いわけではない。山の麓で暮らしていた老人に百人一首を読み聞かせてもらった経験もあり、読むこと自体は案外こなせる。

 

 だが、書くことは別だった。

 

 老人の孫は――猪の頭を被った幼い伊之助を“変な動物、猪のバケモン、化け物”と呼び、幾度も家から追い出した青年・たかはる。その影響もあって机に向かう習慣は身につかず、結果として文字を書く技術は置き去りにされた。なお、伊之助の荒っぽい口調はたかはる譲りである。

 

 そうした経緯から、まずはひらがなから学び直すことになった。

 

 渋々体を起こし、鉛筆を握る伊之助。

 最初は露骨に不機嫌だったが、やることが他に無いせいか、やがて紙へ向ける視線が鋭くなる。

 ぐ、と力を込めた瞬間――筆先が潰れ、紙に穴が開いた。なほたちが小さく悲鳴を上げる。

 

「(『い』と『の』は書けるぜ!!他はさっぱりだ!クソがっっっ!――この棒切れは脆すぎる!!)」

 

 もちろん声には出さない。だが不満は、握り締めた拳と震える肩に滲み出ていた。

 自分の名が書かれたふんどし。そこにある『()』と『()』だけは、体が覚えている。それ以外の文字は、まるで未知の獣だ。

 

 炭治郎は全身の痛みに耐えながら隣に座り、辛抱強く付き合う。それは彼自身にとっても痛みや焦りを紛らわせる時間になっていた。

 ただし、教え方が上手いとは言い難い。

 

「じゃあ次は、このあたりをやってみようか」

 

 そう言って炭治郎が指差した先には、次のひらがなが並んでいる。

 

 教材に並ぶ『ぬ』『め』『ね』を前に、伊之助の眉間に深い皺が刻まれる。

 どれも似たようなぐにゃぐにゃだ。違いが分からない。

 

「これは『ぬ』だよ。ほら、ここがこう丸くて、それからくるっと戻って……」

 

 炭治郎の説明は次第に熱を帯びる。

 説明は擬音に溢れ、例えは妙に壮大で、しかも途中で横道に逸れる。文字の話をしていたはずが、いつの間にか「丸は太陽みたいに優しくて」とか「線は流れる川みたいに止めるんだ」といった話にすり替わっていた。

 

「だからな、『ぬ』は最後をきちんと止めないと。なんというか、落ち着かない感じになるんだ」

 

 伊之助は無言で固まる。

 

 (止める?……川?太陽?一体、何の戦いだ?)

 

 理解しようとするほど混乱は増し、ついに机を叩いた。

 そこへ善逸が慌てて助け舟を出し――時には半泣きになりながら――必死に軌道修正を図る。

 そんな攻防を繰り返しながら、蝶屋敷の一角では奇妙な()()()がどうにか形を保っていた。

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 その日の昼下がり、善逸は病室でひとり騒いでいた。

 

「飲んだっけ!?俺、昼の薬飲んだ!?ねぇ、飲んでるとこ見た!?誰か――――っ!!」

 

 薬の時間になると高確率で泣き喚くのは、もはや日課だった。

 炭治郎も伊之助も、今さら眉一つ動かさない。灯麻希と禰豆子も、禰豆子の箱の中で二人仲良く昼寝をしており、善逸の悲鳴は川のせせらぎのように聞き流されていた。もはやこの屋敷の環境音だ。

 

 庭を渡る風が簾をそっと揺らす。

 その、ほんの僅かな空気の変化に――炭治郎の鼻がぴくりと動いた。

 

「この匂いは……」

 

 懐かしく、温かい。炭火と土と、陽だまりの匂い。その奥に、若い草を折ったような青い香りがある。

 廊下の向こうから、小走りの足音が近づいてくる。伊之助の鉛筆を握る手が止まる。

 次の瞬間、扉が勢いよく開いた。

 

 そこに立っていたのは――――

 

 炭治郎ほどではないが、先が赤みがかっている黒髪を更に短くざくざくと切り揃えた少年。黒い隊服に若竹色の羽織をまとい、右目元のほくろが目に付く。市松模様の首巻きが、否応なく兄を思わせる。

 

 ――――竈門竹雄だった。

 

「兄ちゃん!!」

「竹雄!!」

 

 病室の奥から二番目の寝台に横たわる炭治郎を見つけた瞬間、竹雄の瞳――兄と同じ赫い色が、ぱっと花開く。

 すぐに一直線に駆け出した。迷いなど、あるはずもない。炭治郎もまた、満面の笑みでそれを迎える。

 

 一度目の()()()再会とは違う。

 二度目の兄弟の邂逅は、ただ温もりだけが満ちて笑顔が全てを照らしていた。

 

 竹雄を迎えようと、炭治郎は両腕を大きく広げた。だが、その勢いで肉離れを起こしていた箇所がずきりと痛み、思わず身を竦める。

 

「っ……!」

「兄ちゃん!」

 

 竹雄が慌てて駆け寄る。手にしていた包みを寝台脇の戸棚へ置くと、身を屈めて兄の顔を覗き込んだ。

 

「怪我、大丈夫?那田蜘蛛山の任務は犠牲が多かったって聞いて……ずっと心配してたんだ。でも――」

 

 一拍。その瞳が、ぱっと明るくなる。

 

「下弦の伍を倒したんだろ!?本当に凄いよ!やったな、兄ちゃん!」

 

 炭治郎は困ったように笑って、小さく首を振る。

 

「姉ちゃんも褒めてくれたけど……俺一人の力じゃないよ。禰豆子が助けてくれたから十二鬼月の鬼の頸を斬れたんだ。禰豆子がいなかったら――――俺は、ここにはいなかった」

 

 竹雄の視線が、兄の横に並ぶ二つの箱へと向かう。

 

「禰豆子姉ちゃんが…………そっか。灯麻希姉ちゃんも、この中に?」

「うん、今は眠ってるよ。竹雄が来ても起きないってことは、きっと疲れてるんだと思う。姉ちゃんは夜、しのぶさんの手伝いをしてるし……禰豆子も一緒について回るから」

 

 会わせたい。けれど、眠る二人を起こすのは躊躇われた。

 その迷いを察したのか、竹雄はにこりと笑って首を振る。

 

「大丈夫。姉ちゃんたちの都合のいい時でいいよ。俺、また会いに来るから」

 

 そのやりとりを、善逸と伊之助は完全に置いていかれていた。

 

「……あのさ」

 

 善逸が布団からむくりと起き上がり、炭治郎へ身を乗り出す。

 

「その人……もしかしなくても……いや絶対、炭治郎の弟だよね?」

「あっ、ごめん善逸!」

 

 炭治郎が弟を二人に紹介しようとした、その前に――

 竹雄が一歩前へ出た。背筋をぴんと伸ばす。

 

「申し遅れました。竈門竹雄です!兄がお世話になっています。未熟者ですが、どうぞよろしくお願いします!」

 

 深々と頭を下げる。三人は思わず瞬きをした。

 竹雄は煉獄杏寿郎の元で鍛錬を重ねるうちに、礼節もまた徹底的に叩き込まれていた。代々剣士を輩出してきた煉獄家の規律は厳しく、炭焼き一家の竈門家とは気風が違ったが、竹雄はその厳しさを真っ直ぐ受け止めていた。

 その序列を重んじる姿に、この場の親分だと思っている伊之助は「うむ!」と満足げに胸を張る。善逸は(年下なのに、しっかりしすぎ……)と、自分と比較して小さく縮こまった。

 

「よ、よろしく……!俺は炭治郎の同期で、我妻善逸。で、そっちは伊之助。頭は猪だけど、毛皮を被ってるだけでちゃんと人間だから安心してね……」

炭三郎(たんさぶろう)ノ弟ナラ、子分ソノ五カ……俺ハ親分ダ」

「伊之助、喋っちゃ駄目だろう!まだ喉がちゃんと治ってないのに!」

「デケェ声ジャネェカラ大丈夫ダッツウノ!!……ゴホッ」

 

 竹雄は一瞬圧されながらも、すぐに背筋を正す。

 

「善逸さん、伊之助さん、と呼ばせてもらいますね!」

 

 その律儀さに、善逸の調子が戻った。親指を立て、片目を瞑る。

 

「ちなみに俺は、禰豆子ちゃんとは恋仲で、将来の旦那さんだから……お義兄さんって呼んでくれてもいいよ?」

「えっ!?……そうなの!?」

 

 竹雄が炭治郎へ振り向く。

 炭治郎は、冷静に首を横に振った。

 

「違うよ。恋仲じゃないし、結婚も――俺は認めてない」

 

 声に怒りは含まれてなかったが、温度がなかった。

 炭治郎の表情から優しさが消え失せていた。

 

「ひっ……!!?」

 

 善逸が布団の中で崩れ落ちる。

 

 炭治郎の中で現時点の善逸は――優しさと強さは認めている。だが、女性関係の行動は大赤点。

 という評価で固まっていた。

 禰豆子は鬼化によって自我が薄くなり、好意の有無を判断できない。だからこそ炭治郎は、善逸の()()()()()()()を常に警戒している。

 

 また、灯麻希に対して善逸が一時期向けていた淡い憧れは、彼女が彼を完全に“年下の弟”として見ていたことで自然と収束していた。善逸自身も、その距離感から無意識のうちに脈がないことを悟ったのだろう。今では穏やかな関係に落ち着いている。

 

 竹雄はというと――

 

 (善逸さんって……根はいい人なんだろうけど、結構手がかかる人なんだな)

 

 兄の言葉を全面的に信じ、心の内で理解した。

 空気を変えるように、竹雄は戸棚の包みを手に取る。

 

「あの……これ、よかったらどうぞ。町で買ってきた柏餅。お見舞いなんだ」

 

 柏餅の柔らかな甘い香りが広がり、病室の空気が僅かに和らいだ。

 真っ先に飛びついたのは、案の定伊之助だった。

 

 

 

 ――――竹雄が蝶屋敷を訪れてから四日。七日目の夕方だった。

 

 灯麻希と禰豆子は、一回目の竹雄の訪問に立ち会えなかったことを強く悔やんでいたため、次こそは必ず起きていると固く決めていた。お互いに時間を調整し合い、二回目の訪問では全員が病室で顔を揃えることができている。

 夕飯前の中途半端な時間帯。灯麻希と禰豆子を除いた男たちは、竹雄が持ってきた金平糖を摘みながら他愛のない雑談を交わしていた。

 

「炭治郎に弟がいたの、なんで今まで黙ってたわけ?」

「……兄ちゃん、俺のことを話してなかったのか」

 

 善逸が緑色の粒をガリッと噛み砕いて問いかけると、竹雄はむっと不貞腐れた表情になる。

 すかさず禰豆子が、よしよしと宥めるように頭を撫でた。食べられないが、反対の手には桃色の金平糖を握っている。一方の伊之助は、金平糖を宝玉の類だと思い込んだらしく、灯麻希に真剣な顔で鑑定を求めていた。

 

 炭治郎はその様子を見て、小さく苦笑した。

 

「隠してたわけじゃないよ。竹雄は俺と同じ育手のところで、一緒に修行してたんだ。でも、水の呼吸がどうしても合わなくて。別の呼吸を習いに行くって言って別れてから、この前までどこにいるのかも……生きているのかどうかも、分からなかったんだ。だから……ちゃんと再会できるまでは、言わないでおこうって思ってた」

「手紙は、出さなかったの?」

 

 善逸の問いに、炭治郎は少しだけ視線を落とす。

 

「書こうとしたよ。でも、」

「俺が止めたんだ」

 

 言葉を引き取るように、竹雄が口を開いた。

 

「次に会うときは、最終選別を突破してちゃんと鬼殺隊の剣士になってからだって約束したんだ。中途半端なままじゃ、兄ちゃんや姉ちゃんたちに顔向けできないだろ」

「えぇぇぇ……!?無謀すぎるでしょ……!!」

 

 善逸は思わず声を漏らした。覚悟の決まり方に、というより――無鉄砲さに引いた。

 最終選別は合格率以前に、生存率が極端に低い。善逸たちの代は二十人ほどいて、生き残ったのは五人だけだった。善逸の師匠の話では、それでも多い方だ。

 

 (俺なんて、行く前から最後まで駄々こねたのに……じいちゃんに滅茶苦茶ビンタされて、追い出されるみたいに送り出されたんだぜ……)

 

 善逸は、何故自分が今も生きているのか分からないのも相まって、内心で身震いした。

 

 灯麻希もこの話は初耳だった。そして竹雄が手紙を出さなかった理由には、対抗心も混じっていたのだろうと察する。炭治郎はそれを()()()()としてしか受け取っていないが、竹雄は昔から唯一の兄に張り合いがちだった。

 

 結果的に、再会は果たせた。

 けれど、あのまま二度と会えなくなる可能性も、決して低くはなかった。

 

 竹雄もそれを理解しているのだろう。伏せられた視線の奥に、悔いと誇りが入り混じった色が滲んでいた。

 灯麻希は、だから何も言わなかった。

 

 

 伊之助の布団の上に置かれた小さな机。

 その上に広げられた小学二年生の算数の教科書にふと目を留め、竹雄が思い出したように口を開いた。

 

「そういえば――――俺、小学校卒業したよ」

「「本当!?」」

 

 灯麻希と炭治郎の声が、綺麗に重なる。

 次の瞬間、炭治郎の顔がぱっと明るくなった。

 

「そっか……!それは、よかった。本当に……」

「……あの時、自分で『学校には行かない』って言ってなかった?」

 

 灯麻希は、驚きと疑問をない混ぜにしたまま首を傾げる。問いには“どうやって?”という意味合いを含んでいた。

 

「お世話になってる炎柱の煉獄杏寿郎っていう、俺の師匠がさ。学業は大事だって言って、近くの学校に転校の手続きをしてくれたんだ。六年生の夏頃から、卒業するまで通ったよ」

 

 その話を聞いた炭治郎は、思わず身を起こしかける。

 

「今すぐにでも、お礼を言いに走り出したい……駄目かな?」

 

 口をついて出た言葉に、灯麻希が苦笑しながら首を振る。

 

「気持ちは分かるけど、ここから抜け出したら即座に止められるだろうし、私も止めるよ」

 

 あまりにも現実的な一言に、炭治郎はその場でがくりと肩を落とした。

 禰豆子は二人の様子にそっと炭治郎の寝台に身を預け、顔を覗き込むように見上げている。

 

 柱というのは、やはり人格者でなければなれないのだろうか――育手(じいちゃん)のために柱になれたら、と淡い願いを抱いていた善逸は、心の中で桑島慈悟郎にそっと詫びる。自分には、やはり荷が重すぎる気がした。

 

 

 その時。簾を掛けて開け放っていた窓から、一羽の鎹鴉が音もなく滑り込んだ。

 空気が変わる。

 

「オ知ラセデス!竃門竹雄殿、竃門灯麻希殿。オ二人ニ仕事ガ入リマシタ。至急!準備ヲ整エ、出発シテ下サイ!!」

 

 鎹鴉にしては妙に整った口調で告げ、炭治郎の寝台の足元――鉄の支柱へと降り立つ。

 

「俺だけじゃなくて、灯麻希姉ちゃんも一緒なのか?」

 

 思わず問い返す竹雄に、鴉は即座に首を縦に振った。

 

「ソウデス。ソノヨウニ司令ヲ受ケテマス!」

 

 急かすように羽が鳴る。

 竹雄は小さく息を吸い、背筋を伸ばした。さっきまでの少年の顔が、すっと消える。

 その様子を見ながら、善逸は内心で複雑な顔をしていた。

 

 (……なんであんなに礼儀正しい鴉なんだよ。俺のは雀だぞ。しかも言葉通じないし)

 

 竹雄の鎹鴉――名は端清(たんせい)

 産屋敷耀哉の使いである鎹鴉の血を引く若鳥で、父ほどではないが言葉は流暢だ。本来は産屋敷家の子どもに仕えるはずだったが、経験を積むため、今は竹雄の元に付いている。

 これまで竹雄は炎柱と行動を共にし、指示は煉獄の鎹鴉が主に担っていた。

 だが――それも、今日までだ。

 

「これからは……」

 

 炭治郎が、静かに言葉を選ぶ。

 

「禰豆子は俺と一緒で。姉ちゃんは竹雄と、だな?」

 

 端清がコクリと頷いた。その脇で灯麻希は、黙って自分の木箱の紐に手をかける。

 二つ並んだ木箱を見た瞬間、四人(きょうだい)は皆、悟っていた。

 

 新しい箱は、竹雄が背負う。灯麻希は炭治郎と禰豆子から離れ、竹雄と行動する。

 

 短い沈黙が落ちる。胸の奥に、重みだけが残った。

 灯麻希は禰豆子を、そして炭治郎を順に強く抱きしめる。

 

「行ってきます」

 

 炭治郎は何も言わず、ただ深く頷いた。

 伊之助は状況を完全に理解しているわけではない。それでも、空気の張り詰めだけは感じ取ったのか、珍しく口を閉ざしている。善逸は胸の奥がちくりと痛み、慌てて大きく手を振った。

 

 

 こうして、灯麻希と竹雄は病室を後にした。

 廊下へ出ると、先ほどまでの温もりが嘘のように遠ざかる。数歩進んだところで、灯麻希がふと思い出したように口を開いた。

 

「炭治郎から、珠世さんたちのことは聞いた?」

「うん、聞いたよ」

 

 竹雄は短く答える。

 

「鬼だけど、人を助けてる人たちがいるって話でしょ」

 

 灯麻希はそれ以上踏み込まず、ただ一度だけ頷いた。その横顔は、平静そのものだ。

 竹雄は煉獄邸へ戻り身支度を整えるため、その場で一旦別れることになった。

 

「すぐに戻ってくるよ」

「忘れ物ないようにね、玄関で箱に入って待ってるから」

 

 灯麻希は任務の件をアオイたちへ伝えるべく、足早に屋敷の奥へ向かった。

 その肩に、遅れて飛んできた端清が優雅に降り立つ。

 

「主人カラ伝言ガアリマス――先日ノ対話ノ手筈通リ、今回ノ任務ニハ例ノ隊士モ同行スル手筈デス」

 

 一瞬だけ、灯麻希の歩みが止まる。

 伏せた瞼の奥で、何かを測るような沈黙。

 

「分かった」

 

 それだけを告げ、再び歩き出す。端清はそれ以上何も言わず、羽ばたいて竹雄の後を追った。

 

 竹雄が特別な鴉を与えられたのは、単なる経験のためではない。

 

 

 ――――灯麻希と共に、動く者だからだ。

 

 

 

 

 




 例の隊士とは、一体誰なんだ!
 ……どこのクズのことを指してるんでしょうね
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