空想鬼譚   作:庵non

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23話は、前半の蝶屋敷シーンと後半のお館様と2回目の対談シーンで、温度差がかなりあるので注意して下さい。


23.蝶の館 六月上旬――残されたひと

 

 

 

 

 

 蝶屋敷に滞在して、二週間が経とうとしていた。

 任務のない間は、ここで手伝いをしている。そう決めたのは私自身だ。だから竹雄には次の任務へ向かう前に、私を入れた木箱を蝶屋敷に置いていってもらうよう頼んでいる。

 竹雄には一苦労かけてしまうが、蝶屋敷にいる私は戦いに出ることはなくとも手を休めることはない。怪我人の治療の手伝いや世話、雑用を引き受け、邪魔にならない場所に身を置く――それが、今の私にできることだった。

 

 そうしているうちに、屋敷の空気にも少しずつ馴染んできていた。

 禰豆子は箱の中で、穏やかに昼寝をしている。私は日陰部分の部屋の隅に腰を下ろし、洗い立ての包帯を巻き直していた。

 天日に干され、少し硬くなったさらしの感触を指先で確かめながら、緩まないよう均一な力で白い円柱を形作っていく。単純な反復作業の音だけが、室内に規則正しく響いていた。

 

 炭治郎、伊之助、善逸の三人は、変わらず寝台の上にいる。怪我や後遺症は随分と良くなり、療養だけでなく――そろそろ次の段階へ進む時期に差し掛かっているように思えた。

 

 鬼の身体には曇り空の方が心地よいが、昼前の陽気さを含む空気には、人の営みの気配が戻りつつある。

 そんな時間帯に、一人の青年隊士が病室の戸口に姿を現した。

 よく手入れされた、さらりと艶のある髪。見覚えのあるその姿に、思わず視線が留まる――村田さんだった。

 

「よっ」

 

 片手を軽く上げるその仕草に、炭治郎と私は自然と表情を明るくする。

 那田蜘蛛山で彼に会っていない善逸は「この人は誰……?」と目を丸くする。伊之助は別れ際に投げかけられた“クソ猪”という言葉をすっかり忘れているのか、興味なさそうにそっぽを向いていた。

 

「うわ……猪もいるじゃねえか……」

 

 村田さんが、ぼそりと小さく呟く。

 

「お見舞いに来てくださったんですね。村田さんも、ご無事でよかったです」

 

 作業の手を止め、包帯を脇に置いてから、軽く会釈をする。

 

「来るのが遅くなってすまなかったな。高橋*1や尾崎たちも来たがってたんだけどさ……まだ怪我が治りきってなくて。結局、俺だけになっちまった」

 

 そう言いながら、炭治郎と伊之助の寝台の間の通路に椅子を引き寄せ、腰を下ろす。

 

「才目*2も連れて来たかったんだけど、任務があるって逃げられた。でも、あれは……多分デタラメだな」

 

 少し苦笑してから、村田さんは続けた。

 

「でもさ、あいつ……那田蜘蛛山の後から、前より真面目に鬼狩りやってるよ。あいつの代わりに、礼を言わせてくれ。炭治郎……あいつを助けてくれてありがとう」

 

 炭治郎はその言葉に、慌てたように手を振って謙遜する。

 

 才目という隊士は、以前から素行が悪く、扱いに困る存在だったらしい。楽観的で自惚れが強く――このままではいつか命を落とすのではないかと、密かに案じられていたという。

 

 誰のことか、私は何となく察しがついた。

 念のため、後で才目さんとはどんな人なのかと尋ねると、炭治郎は少し考えてから――こう答えた。

 下弦の伍・累(少年の鬼)の前に突然現れた、少し困った先輩。けれど、向こう見ずな行動は改めてくれたようで、今は安心している――と。

 

「ところでさ、炭治郎も水の呼吸を使うんだな。俺も水なんだよ。育手は誰だ?」

「鱗滝師匠(せんせい)です!」

「鱗滝の爺さんね……じゃあお前、冨岡の弟弟子か」

「義勇さんを知っているんですか!?」

「知ってるも何も、あいつとは同期だよ。実力はかけ離れているけど」

 

 自嘲気味に肩を竦める村田さんへ、間を置かず伊之助が口を挟む。

 

「確かにお前、クソ弱ぇよな。これっぽちも圧を感じねェ」

「……煩い!こちとら入隊歴八年の大先輩だぞ!!少しは敬え!!」

 

 言葉と言葉がぶつかり合い、二人の間にバチバチと火花が散る―――けれど。

 

「村田さんは、義勇さんの同期なんですね……!」

 

 炭治郎が、心から嬉しそうに声を弾ませたことで、その流れがすぐに解ける。二人の意識が、同時にそちらへ引き戻された。

 

「義勇さんは、誤解されやすい方だと思いますけど……とても強くて、俺たちの命を救ってくれた人です!直接お話しする機会は少ないですが、同じ時代に剣を振るっていた方のお話が聞けて、嬉しいです!」

「……いやいや、そんな大した話じゃねぇよ」

 

 村田さんは、気恥ずかしそうに頭を掻く。

 

「冨岡は昔から別格だったからな。俺はただの同期ってだけだ。あいつは俺のこと覚えてないと思うし」

 

 そう言ってから、小さく息を吐いた。

 

「それより聞いてくれよ。那田蜘蛛山の仔細報告で、柱が何人もいる前に呼び出されてさ……あれ、マジで地獄だったんだぜ」

 

 堰を切ったように、愚痴が溢れ出す。

 隊士の質が落ちているだの、張り詰めた空気の中で“育手”は誰だと、剣士を育てる側にまで話が及んだだの―――

 炭治郎は真剣な表情で相槌を打ち、懸命に話に付き合っている。

 伊之助はいつの間にか反対側を向き、すでに昼寝の体勢に入っていた。

 

 善逸はというと――――

 

「灯麻希ちゃ~~ん!!俺には誰もお見舞いに来てくれないよぉぉぉ………!!」

「善逸くん……」

 

 話に加われず、完全に拗ねた善逸がこちらへにじり寄り、そのまま膝に頭を預けて泣きべそをかく。

 

 善逸の待ち人は、誰なのだろう。

 これも――なんとなく、分かる気がした。その人が、きっと来ないことも。

 

 

 

 

「こんにちは」

「あっどうも!………さよなら!!」

 

 しのぶさんが部屋に姿を見せた瞬間、村田さんはそれまでの愚痴をぴたりと切り上げ、逃げるように外へ飛び出していった。まるで何かに追われているかのような慌ただしさだった。

 

 切り上げる前の話の内容的に、しのぶさんが関係しているようには思えなかったが――村田さんは冷や汗を浮かべ、酷く気まずそうな顔をしていた。

 

 (…………あっ)

 

 脳裏に、ひとつの記憶がよぎる。

 

 ――しのぶさんの前で、裸になってしまった件。

 

 もし私の推測が正しければ、山で私と別れたあと、村田さんは“知識”と同じように姉鬼の繭に囚われていたのだろう。実際、薬指と小指には包帯が巻かれていて、()()()()()突き指もしていたし。

 

「どうですか? 体の方は」

 

 しのぶさんが、いつもの柔らかな笑みを浮かべて炭治郎たちに問いかける。柱である彼女が病室を訪ねてくることは、決して多くない。

 

「かなり良くなってきています。ありがとうございます」

 

 炭治郎は丁寧に会釈をする。

 私の隣では、目元を腫らした善逸がしのぶさんの顔に見惚れ、さっきまでの不機嫌さをすっかり忘れていた。

 一方、伊之助は布団を跳ね上げると、そのまま外へ向かおうとする―――おそらく、お手洗いだ。

 

「あら、伊之助くん。外に出る前に、ひとつ伝えたいことがあるので……少し待ってくださいね」

 

 そして――――

 

「では皆さん。そろそろ、機能回復訓練に入りましょうか」

 

 両手を合わせ、いっそう華やかに微笑むしのぶさん。

 その笑顔とは対照的に、部屋の空気は一瞬で固まった。三人は顔を見合わせ、戸惑いを隠せないまま、言葉を失っていた。

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 その日の午後から、炭治郎・伊之助・善逸は、治療で衰えた体を元に戻すため、機能回復訓練という名の――実質的な“リハビリ”に入った。

 

 私は他の負傷した隊士の手伝いで、この訓練に立ち会うことも多い。だから、その内容はよく知っている。

 

 最初は、寝たきりで固くなった体をほぐす段階だ。なほ・きよ・すみの三人が、容赦なく筋肉を揉み解していく。

 次は反射訓練。三人に加え、アオイ、そしてカナヲ――の順に相手を務め、薬湯の入った湯呑みを挟んで互いの反応を競う。先に湯呑みを抑えた方が勝ちで、遅れればそのまま薬湯を浴びる。

 最後は全身訓練。これも相手は女の子たちで、軽やかに逃げ回る彼女たちを、炭治郎たちは捕まえなければならない。

 

 炭治郎と伊之助は、思うように動かない体と自分より小柄な相手に押される現実に、露骨に気落ちしていた。

 一方で善逸はというと、訓練場へ向かうたび、天にも昇るような顔をしている。

 

 ――――だが、それも最初の一週間だけだった。

 

 炭治郎は順調に段階を上げ、やがてカナヲを相手にしても、反射訓練も全身訓練も互角に渡り合うようになる。

 しかし善逸と伊之助は、カナヲの前ではまるで歯が立たず、早々に訓練を放棄した。藤の家での一か月の逗留から、成長らしい成長は見られないままだった。

 

 

 蝶屋敷での生活が、ようやく滞在ではなく“日常”に変わり始めた頃――――

 

 

 その日。私は端清に呼び出され、隠の運搬によって産屋敷の邸宅を訪れていた。

 前回と同じ部屋に通される。けれど、最奥で待っていたのはお館様一人だけだった。

 

 軽く挨拶を交わして本題に入る前に、私は前回の対談で聞きそびれていたことを口にする。

 

 お館様が患っている死の痣(呪い)。魂視で見た限り、それは無惨の影響だと判断できた。

 私の“癒血”は、鬼の血鬼術にも干渉できる。ならば――無惨の呪いにも触れられるはずだ。術の性質上、一度きりだが、それでもお館様の身を少しは軽くできると伝えた。

 お館様は、静かに問い返す。

 

「君に、どれほどの負担がかかる?」

 

 この呪いは根深く、恐ろしい。簡単に解けるとは思えない。

 私もその考えに頷き、少なくともその日は動けなくなるだろうと、正直に告げた。

 彼は少しだけ考え込み、やがて柔らかく首を振る。

 

「灯麻希は……これからさらに成長するだろう。だから、もう少し後にお願いしよう」

 

 この先、私が無事でいられる保証はない。

 それでもお館様は、私の“これから”に賭ける選択をした。その瞳には、前にはなかった――未来を見る光が微かに宿っているように思えた。

 

 そして話題は、獪岳と共に行った任務のことへと移る。

 さらに――近い将来に起こる、強大な二人の鬼の襲来について。

 

「――――以上が、獪岳について私が感じたことです。それから、列車の任務ですが……行方不明者が出始めたとしても、一般隊士を調査に送り込むのは避けるべきだと思います。少しでも、犠牲は減らすべきです」

 

 お館様は、深く頷いた。

 その後は細かな確認事項と、今後の段取りについて短く言葉を交わす。

 やがて会話が途切れ、ひと息ついたところで――お館様が問いかけた。

 

「他にも、まだ話しておきたいことがあるのではないかな」

 

 その問いに、私はすぐには答えなかった。

 僅かな沈黙が、室内に落ちる。

 

「……こうしてお時間をいただけたからこそ、今のうちに確かめておきたいことがあります」

 

 一度言葉を切り、息を整える。

 

「私の立場から踏み込んでよい話なのか、迷っていましたが…………それでも、お聞きしたいのです」

 

 お館様が、少し気配を揺らす。その視線が、改めて私に向けられた。

 そして――頷く。

 

「“最終選別”について、お館様のお考えをお聞きしたいです」

 

 言葉を選んでから、続けた。

 

「あなたは、合格した者だけがご自身の剣士(こども)だと……そうお考えなのでしょうか」

 

 薄暗い部屋の空気が、一際重く沈む。

 沈黙が、数拍――落ちた。お館様は目を伏せ、ゆっくりと呼吸を整える。

 

「……ずいぶん、重い問いだね。

 私はね、鬼殺隊の剣士たちを等しく()()()と思っているよ。けれど――私が名を呼び、手を差し伸べられるのは、ここまで辿り着いた者だけだ。でも、選別で命を落とした者たちを、私の子ではないと切り捨てているつもりはない」

 

 微かに、声が掠れていた。

 

「……ただ、全てを抱き上げる力が、私には無いのだよ」

 

 その視線が、若干落ちる。

 

「最終選別が、命を選ぶ場であることは承知している。犠牲が出ることも、その犠牲が新たな歪みを生むことも」

 

 静かな声が、途切れずに続く。

 

「未熟な剣士が増えれば、柱の負担は増す。やがて隊そのものが疲弊していくだろう………全てを管理し、救い上げることはできない。人手は常に足りず、現場はあまりにも広い」

 

 重々しく語られる言葉は、言い訳ではなく、ただの事実だった。

 

「そして何より――この“選別”という形は、鬼殺隊の根幹に組み込まれているんだ」

 

 実務的制約、人手不足、現場把握の限界。残らず管理し、監視することはできない。

 “最終選別”は、産屋敷家と鬼殺隊が積み重ねてきた慣習。数百年、あるいは千年近く続く伝統だった。

 

 ――――だが、それでも。

 

 藤襲山で命を散らした子どもたちの顔が、脳裏に浮かぶ。無念を抱いたまま、魂だけの存在として山に留まる子たち。その気配が、胸の奥を強く打つ。

 握りしめた拳に、震えが走った。

 

「では……あの“大型の異形の鬼”は、その()()()()()()()()()()の一つなのですか?」

 

 一瞬、お館様の気配が揺らぐ。ほんの小さな――狼狽。それが、答えだった。

 

「……その様子だと、ご存じなかったようですね」

 

 お館様は、否定も肯定もせず、ただ私を見ている。

 

「少しお時間をください。説明します」

 

 短く息を吐き、話す内容を整理した。

 

「炭治郎が倒しました。私はその鬼を“手鬼”と呼んでいます。手を幾つも体に巻きつけ、大岩よりも大きな異形体でした」

 

 “記憶”が、鮮明に蘇る。

 

「元水柱・鱗滝左近次が、現役の鬼狩りだった頃に捕らえた鬼です。しかし――手鬼は、五十年近く藤襲山の牢獄で生き延び、選別の場で異形の鬼へと成長してしまった」

 

 一度、言葉を切る。

 

「たしか、冨岡さん……水柱の代の死者は、一人だけでしたよね」

「うん。そのように、記憶しているよ」

 

 その答えを胸の奥で受け止め、短く息を整える。

 

「その年に亡くなった少年――錆兎は、その“手鬼”に殺されました」

 

 胸の奥が、軋む。

 

「彼は強かった。あの時、誰よりも。生きていれば…………今の水柱は、二人いたと思います」

 

 沈黙が、私たちの間に落ちた。

 

「先見の明も……万能ではないのですね」

「先見の明と呼ばれてはいるけれど、未来を全て見通せるわけではないんだ」

 

 お館様の視る未来は、全てではないと伝えられる。

 命に直結する危機や、鬼殺隊――とりわけ産屋敷の家の存続に深く関わる事柄や人物。そうしたものだけが、輪郭を伴って浮かび上がる。そのため、戦場の細部や現場で生まれる偶然、剣士一人一人の選択までは視えない。そこは、彼ら自身に委ねられている領域なのだ。

 

「そうなんですか……詳しく教えていただきありがとうございます」

 

 そう言って、ひとつ息を整える。

 怒りや非難をぶつけるために来たわけではない――それは、ここに座る前から決めていたことだった。

 

「……最終選別そのものを、すぐに変えられるとは思っていません」

 

 お館様を見ながら、言葉を紡ぐ。

 

「それでも、全てを救えなくても――明らかに防げる犠牲まで、同じ()として扱う必要はないのではないでしょうか」

 

 お館様は、すぐには答えなかった。

 けれどそれは、先ほどまでとは違う沈黙だった。重さではなく、考えるための間。

 

「先日の“柱合会議”でも議題に上がったんだ。隊士の質が落ちているという話がね」

 

 穏やかな声音のまま、言葉が続く。

 

「無謀な者が増えたのか、覚悟が足りないのか――そう単純な話ではないと私は思う。生き残った者たちが、消耗しきった状態で次を担わざるを得なくなっている。その積み重ねが、いつの間にか隊そのものを痩せさせてしまう」

 

 水が落ちるように、言葉が胸に沈む。

 それは私が抱いてきた違和感と、寸分違わず重なっていた。

 

「最終選別は、隊の根幹だ。容易に壊せば、もっと多くの歪みを生むだろう」

 

 一拍、置いて。

 

「けれど――歪みを放置し続ける理由にもならない」

 

 視線は伏せられたままなのに、確かにこちらを見据えられているような感覚があった。

 

「全ての命は救えない。それでも、()()()()()()()まで失う構造であるなら、そこには手を入れる余地がある」

 

 胸の奥で、何かが静かに解けていく。

 

「……では、私たちにできることは、あるのでしょうか」

 

 問いというより、確かめるように言葉を落とす。

 お館様は、ゆっくりと微笑んだ。

 

「あるとも。だからこそ、君の話を聞いている」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
那田蜘蛛山の入り口で灯麻希が救助した隊士

*2
サイコロステーキ先輩

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