原作と同じ箇所は、内容を把握できる程度に留めて細かく描写しない予定です(4話以降も同じく)
朝靄の残る冷気の中、乾いた音が響いた。
炭治郎の頬を、鋭い掌が打ったのだ。
その隣で竹雄が目を丸くした刹那、彼も容赦なく叩かれる。
「判断が遅い」
低く静かな声が紡がれる。
それはただの叱責ではなく、鬼狩りとして生き残るための絶対の戒めだった。
―――この兄弟は、鬼を狩る者としての覚悟がまだまだ足りない。
鱗滝は目を細め、少年たちを射抜くように見据える。
「炭治郎。お前はとにかく判断が遅い。朝になるまで鬼に止めを刺せなかった。質問に即答できなかったのは何故か――お前の覚悟が甘いからだ。
そして竹雄。お前は判断が遅いうえに、覚悟すら揺らいでいる。鬼を前にして恐怖に打ちのめされるような者が、家族の仇を討てるか?鬼は一番幼く、弱い者から襲う。姉や兄が守ってくれるという幻想は、今すぐ捨てろ」
冷徹な言葉が突き刺さる。
炭治郎は右頬を押さえながらも真っ直ぐ見返し、竹雄は左頬を赤らめて悔しげに噛みしめていた。
「灯麻希と禰豆子が人を喰った時、お前たちがやるべきことは二つ。
ふたりを殺す。自分たちは腹を切って死ぬ。
鬼になった姉妹を連れて行くというのは、そういうことだ。
だが、これは絶対に起こしてはならぬと肝に銘じておけ。罪なき人の命を、お前たちの姉や妹が奪うこと――――それだけは絶対にあってはならない」
鋼のような声音に、兄弟は声を揃えて返した。
「「はい!!」」
その返答に鱗滝は短く頷き、背を翻す。
「……これから、お前達が鬼殺の剣士として相応しいかどうかを見極める。炭治郎は姉を背負え。竹雄は己の足でついて来い。禰豆子は儂が背負う」
言うが早いか、老剣士の足が地を蹴った。
夜明けの田畑を渡る風のように、鱗滝の足音はほとんど響かない。
竹籠に入った鬼を背負いながら、なお疾駆するその背に、二人の少年が必死に食らいついていく。
冷たい朝の空気が、彼らの頬を鋭く打ち、まだ未熟な胸に
***
狭霧山の麓にある小屋へ着いた時には、空はすでに夕暮れに染まりかけていた。
炭治郎は膝を地につき、荒い息を吐きながら額の汗を拭う。竹雄もまた、肩で息をしながら膝に手をつき、今にも崩れ落ちそうにしている。
「……こっ、これで、俺たちは……認めてもらえましたか……?」
息を切らせた炭治郎の問いに、鱗滝はわずかも揺らがず答えた。
「試すのは今からだ――――山に登る」
兄弟の表情が一瞬で凍りつく。全力で走り抜けた末に、なおも
登り道に入ると、二人の足取りは明らかに重くなった。すでに身体は限界を迎えている。
山名の通り、濃い霧が一帯を覆い尽くし、白い靄が絡みつく。冷気は皮膚を刺し、視界は闇に沈んでいく。まるで山そのものが彼らを拒んでいるかのようだった。
やがて、先導していた鱗滝がふと立ち止まり、振り返る。
「竹雄、儂の背に乗れ。背負うぞ」
「……?」
戸惑いに目を見開きながらも、竹雄はおずおずと老人の背に身を預けた。
鍛え抜かれた腕がぴたりと身体を支える。その力強さは、年老いた身から想像もできないものだった。
「炭治郎は、ここから麓の家まで下りてくること。今度は夜明けまで待たない。
――竹雄、口を固く結べ。舌を噛む」
「えっ!?」
炭治郎の驚きと、竹雄が反射的に口をぎゅっと結ぶのが同時だった。
次の瞬間――鱗滝の姿が霧の中から掻き消える。
地を蹴る音すら残さず、一気に駆け下りていく。目にも止まらぬ速さ。それは神速を超えた影そのものだった。
(じ、じいちゃん…本当にお爺ちゃんなのか……!?)
竹雄は心の中で悲鳴を上げる。
身体は宙に放り出されたように軽くなり、景色が矢のように背後へ流れ去っていく。三郎爺さんよりはるかに年老いたはずのこの老人が――なぜ、これほどまでに速く、強いのか。
竹雄は恐怖と畏怖の入り混じった眼差しで、ただその背にしがみつくしかなかった。
やがて、登ってきた地点から見れば七合目ほどの高さに差しかかったところで、鱗滝はふいに動きを止めた。
「兄と同じように、ここから山の麓まで一人で下りてこい。猶予も夜明けまでだ」
低く響く声を残すと、老人の姿は再び霧に溶け、影も形もなく消え去った。
――――その瞬間から、兄弟の試練は始まった。
休息もなく山を一つ越えさせられた直後、呼吸も整わぬまま、今度は彼らが暮らしていた山よりもはるかに標高の高い山へと登らされた。
空気は薄く、冷気は骨に染み込むように体力を奪う。疲労は脚を重くし、意識は霞がかかったように鈍っていく。
そこに、唐突に与えられた試練の条件。短く、冷徹な言葉だけが突きつけられ、質問を許す間もなくすべては始まったのだ。
―――心に迷いが生じる状況で、瞬時に判断できるか。
それこそが、鱗滝左近次の教えの根幹であった。
かつて“柱”と呼ばれた剣士として、彼は知っている。
鬼を討つには剣の腕や体力だけでは足りぬことを。
鬼は頸を落とされるか陽光に曝されぬ限り、何度でも立ち上がる。対する人間は、一度の深手で命が尽きる儚い存在だ。
その埋めがたい差を超えるには、肉体の力だけでなく――思考の力こそが不可欠。
瞬時に考え、迷いなく行動を選び取ること。
それこそが、鬼と渡り合うための唯一の術であり、彼が教え子に叩き込もうとする
***
十三の炭治郎には、九合目からの下山を。
十一の竹雄には、七合五勺からの下山を。
途中には落とし穴、石の飛び出す仕掛け、鐘突き棒のような
夜明けまでに山を下りられなければ、それは
炭治郎は持ち前の嗅覚で罠の匂いを察知し、すべてを避けきることは叶わずとも、大きな負傷を防ぎつつ確実に前進していた。
竹雄には、兄のような特別な力はなかった。
だが、彼は違う道を選ぶ。
罠の並びを観察し、石や枝のわずかな歪みを目で追い、少しずつ法則を見出していく。
ひとつひとつ、地道に確かめながら避けていく。
慎重に、だが着実に――竹雄は山を下っていった。
炭治郎と同じ年頃の頃と比べれば、竹雄は身体能力が高い。脚力もある。
それに竹雄は、七人きょうだいの
空気を読み、調整し、要領よく動く――その性質は無自覚ながらも、彼の武器となっていた。
(絶対に、兄ちゃんより早く到着してやる……!)
胸の奥で、怒りが燃えていた。
不満でいっぱいだった。
兄と同じ条件で試練を受けられなかったこと。
狭霧山への道中、禰豆子を背負わずに済むように配慮されたこと。
それらが、子ども扱いされているように思えてならなかった。
―――――だが、それだけではない。
お堂で初めて
血に塗れ、人を喰らう姿に、足がすくんで一歩も動けなかった自分に対する怒りが、今も胸の奥で燃え続けていた。
姉たちが鬼であることは分かっていた。だが、悪鬼ではない。あの時、竹雄は鬼という存在の
客観的に見れば、十一歳の少年が恐怖に凍りつくのは当然とも言える。
けれど竹雄は、それを言い訳にしたくなかったのだ。
姉たちは動いた。人のままの兄も動いた。
禰豆子は鬼の動きを止め、炭治郎は頭部を木に縫いつけ、灯麻希は胴を崖下へ突き落とした。
自分だけが、恐怖に怯えて何もできなかった。
――――そして、昨日の早朝。
家に戻った彼らを待っていたのは、母と弟妹の無残な亡骸だった。
怒り。絶望。悔しさ。
そして、その中にほんの一瞬―――確かにあった感情。
(………………自分じゃなくて、よかった)
そう思ってしまった
その悔しさが怒りとなり、原動力に変わる。
まだ十一歳。感情の整理が追いつかず、矛先すら定まらない。
けれど、確かに――手足を突き動かすだけの強い意志が芽生え始めていた。
――――ここで一つ、水柱・冨岡義勇がかつて心の内で呟いた言葉を記そう。
【許せないという強く純粋な怒りは、手足を動かすための揺るぎない原動力になる】
その言葉通りに、竹雄の怒りは限界を超えた体をなおも動かし続けた。
寡黙で言葉足らずな彼が、原作・第一話で怒涛の語りを見せたのは、柱になって一年目だったという事実と、無関係ではないのかもしれない――――
***
鱗滝左近次は、“育手”である。
鬼殺の剣士を育てる立場にあるが、ここ五年間、新たな弟子を取ってはいなかった。
弟子にふさわしい人材が現れなかったのも理由の一つ。
だが、それだけではない。
これまで彼が育ててきた剣士は十四人。そのうち、生きているのは冨岡義勇ただ一人。
他の十三人は皆、“藤襲山”で行われる“最終選別”で命を落とした。
鱗滝は、送り出した弟子たちが全員、選別を突破できる実力を持っていたと信じている。だからこそ、迷いなく送り出した。
だが、帰ってきたのは義勇、ただ一人だった。
育手としての年数は長く、弟子の数も多い。
それでいて、生き残りが一人きりという事実は、他の育手たちの間でも囁かれた。
鱗滝の弟子は、最終選別を突破できない――――と。
鱗滝が陰口を気にしたわけではない。
だが、五年前。義勇と、もう一人を送り出し、そのうち義勇だけが帰還したあの日を境に、彼の試練は変わった。
生きて帰らせるためではない。
それが、鱗滝左近次の新たな育て方となった。
以来、彼のもとで試練を越えた弟子は、一人もいない。
今回の兄弟も、同じように終わるだろう。
鱗滝はそう考えていた。
だが――――――
その予想は裏切られることになる。
まず、竹雄の姿が見えた。
小さな体は痣だらけで泥に塗れ、肩で荒く息をしながら、ふらつく足取りで引き戸に手をかける。
そのまま――――ばたり、と音を立てて倒れた。
数秒遅れて、炭治郎が飛び込んでくる。
「竹雄!!……しっかりするんだ!!大丈夫か!?」
息を切らしながらも、すぐさま弟のもとに駆け寄り、懸命に体を揺さぶる。
炭治郎の額にも青痣が浮かび、膝からは血が滲んでいた。
二人とも、限界まで体を酷使して、ここに辿り着いたのだ。
「――――竈門炭治郎。竈門竹雄」
その名を、鱗滝は静かに口にする。
「お前たちを…………認める」
言葉がこぼれた時、空はわずかに白み始めていた。
夜明け前の山の静けさの中で、それはまるで、新たな門出を祝福する響きのようであった。
***
次の日から、炭治郎と竹雄の修行が始まった。
山の朝は早い。夜明け前には起き出し、鳥の囀りがまだ薄闇を震わせる頃から日没まで、ほぼ一日を鍛錬に費やす日々が幕を開けた。
最初に取り組むのは、身体作り。
試練と同じく、罠だらけの山を駆け下りることを日課とし、全身を徹底的に鍛える。
石が飛び、木が揺れ、罠が牙を剥く。仕掛けの難度は成長に応じて日に日に上がる。投げられる石の数は増し、鋭い包丁が飛ぶことすらあった。落とし穴には刃が仕掛けられ、撞木も容赦のない太さで襲いかかる。
修行初期、二人が死を覚悟した瞬間など、両手の指では到底足りなかった。
最初の一週間は身一つでの山下りのみだったが、二週目に入ると刀を手に持ったままの下山が追加される。
鬼殺隊の剣士にとって、刀は命そのもの。失えば命を落とす。
ならば、いかなる状況でも決して手放さぬ癖を植え付ける必要がある――それが鱗滝の教えだった。
やがて刀を携えた下山にも慣れてきた頃、素振りの修行が加わった。
五百回、千回、五千回と、毎日のノルマは雪だるまのように増え、弟子たちは腕が折れる寸前まで刀を振り抜いた。
だが鱗滝は決して見誤らない。体格、握力、疲労度――全てを鋭く見極め、弟子ごとに数を調整していた。
「刀を折ったりしたら――――お前たちの骨も折る」
素振りは、ただ力任せに振ればよいものではない。
“日輪刀”――日本刀は斬ることに特化した武器。力の方向、刃筋、重心の取り方、いずれを誤っても刀はすぐ折れる。
それを徹底的に叩き込むための言葉だった。
もっとも実際に骨を折られた弟子はいなかったが、皆本気で信じ込んでいた。
そうして―――――修行が始まって数日が過ぎた頃。
灯麻希が、眠りから目覚めなくなった。
最初は長くなっただけと思われた睡眠時間が、やがて日をまたぎ、ついには完全に覚醒しなくなる。
その変化を追うように、禰豆子も深い眠りに落ちていった。
医者に診せても、体に異常は見つからない。呼吸も脈も正常。
ただただ、静かに眠り続けているだけ。一ヶ月が過ぎても、彼女たちは一度も目を開けなかった。
朝が来るたび、炭治郎と竹雄は真っ先に二人の鼻先に手をかざし、呼吸しているかを確かめる。
それがいつしか、日課となっていた。
「………今日も大丈夫だ。息をしている」
炭治郎の小さな呟きに、竹雄も静かに頷く。
心配の言葉を交わせば、不安は増すばかり。だから二人は、それ以上は口にしなかった。
修行開始から三ヶ月後。
毎日欠かさず鍛錬に励み、体格も目に見えて引き締まった二人を前に、鱗滝はようやく“鬼殺の術”を授け始める。
それが。
“全集中の呼吸”と、それに連なる“型”の習得だった。
人が鬼と互角以上に渡り合うための術。酸素の取り込みを極限まで高め、身体能力を飛躍的に引き上げる呼吸法。
さらに呼吸に紐づく“型”を会得し、鬼の頸を断つ。
鱗滝が伝える流派は、“水の呼吸”。柔軟で汎用性が高く、多くの剣士に伝わる流派。
しかし数日も経たぬうちに、鱗滝は気づいた。
竹雄には、水の呼吸が合わない――――と。
身体を呼吸に馴染ませる段階で、所作にどうしてもぎこちなさが出る。柔らかく流れる動きに、彼の筋力と重心の強さが逆に“重さ”となってのしかかってしまうのだ。
彼の剣はしなやかに流れるより、一直線に鋭く突き進む方が適していた。
炎のように――力強く、熱く、正面から突破する剣。
(……あれは、水ではなく、“炎”だ)
鱗滝はそう判断すると、すぐに竹雄を知己の煉獄家に紹介した。元炎柱・煉獄槇寿郎のもとで、新たな修行を積ませるためである。
こうして兄弟は、それぞれ違う道を歩み始めることとなった。
山の朝は澄み渡っていた。
光はまだ柔らかく、霧がうっすらと谷間に残っている。
兄弟は互いに軽く会釈を交わすと、言葉は交わさずに別々の道を進む。
炭治郎は水の呼吸を、竹雄は炎の呼吸を、これからそれぞれの道で極めていくのだ。
振り返れば、遠くに背を伸ばす山々が、静かに彼らを見守っているようだった。
背後に感じる山の気配は、どこか温かくもあり、また少しだけ寂しさも帯びていた。
兄弟はまだ幼い。
しかし、今日の別れの中で、それぞれの覚悟と決意を胸に刻んだ。互いに言葉はなくとも、心の中では確かに「また会う」と約束していたのだろう。
――――二人は静かに歩みを進めていく。
未来へと続く長い道を、それぞれの足で。
いつか道の先が交じり合うことを信じて。
好きな「鬼滅の刃」の没タイトルを教えて下さい^_^
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鬼滅奇譚
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鬼鬼滅滅
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悪鬼滅々
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鬼殺の刃
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滅々鬼譚
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鬼殺譚
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空想鬼滅奇譚
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鬼狩りカグツチ
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炭のカグツチ