私が肩に手をかけて揺さぶると、煉獄さんはすぐに瞼を開いた。目覚めたばかりだというのに、その眼差しに迷いはない。次の瞬間には状況を測るように周囲へ視線を走らせ、短く息を呑むと、間を置かずに声を張った。
「――む! 状況を聞こう!」
「はい。手短にお伝えします」
私は頷き、要点を絞って説明した。
鬼の血鬼術によって罠が仕掛けられていたこと。
乗客はおそらく全員眠らされていること。
そして、炭治郎と竹雄はすでに前方車両へ向かったこと。
「切符に鬼の術が施してあったとは!!
よもやよもやだ!!柱として不甲斐なし!!穴があったら入りたい!!」
勢いよく言い切った煉獄さんは、すぐさま私へ向き直った。驚きも反省も隠さない一方で、次にすべきことへ意識を切り替えるのが早い。流石と言うべきか、話が通じるのは本当に助かる。
その説明の最中、左側から破裂するような音が飛んできた。
「オオオオ!!ウォオオオオ!!ついて来やがれ、子分共!!ウンガァアアア!!」
天井を突き破って大きく跳躍した伊之助が、勢いそのままに前方へと駆けていく。説明の途中だろうと、周囲に人がいようと、止まる気配は一切なかった。
(相変わらず元気だなぁ……)
内心で呆れながらも、私は再び煉獄さんへ視線を戻す。
「伊之助くんは今の通りです」
「うむ!理解した!」
即答だった。判断も早い。
その一方で、伊之助が眠っていた隣では、禰豆子に揺すられていた善逸がふらりと上体を起こしていた。けれど、瞼は閉じたままで、身体も頼りなく揺れている。目を瞑ったまま立ち上がろうとする様子に、煉獄さんが目を丸くした。
「黄色い少年も目覚めたか!……ん?本当に起きているのか!?」
「善逸くんは夢遊状態で戦う剣士なので、心配はいりません」
「そうか!なら問題はないな!では竈門姉上は――」
煉獄さんが言いかけた、その瞬間だった。
車両の奥で、何かが軋んだ。金属が擦れ合う音ではない。もっと湿った、肉の内側から無理やり押し広げるような音だった。遅れて、生臭い臭気が鼻を刺す。
「!!」
視線を向けるより早く、足元の床が不気味に膨らんだ。座席の影、壁の継ぎ目、あらゆる隙間から、じわりと何かが滲み出してくる。赤黒い肉が脈打ちながら膨張し、互いに絡み合っては、床や壁を覆いながら列車そのものへと食い込んでいった。
――魘夢の侵食が、始まったのだ。
もはや、説明の続きを口にする必要はなかった。
・
・
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眠る乗客を取り込もうと蠢く肉塊へ爪を振るいながら、私はまた一つ、前の車両へと続く扉を開けた。その先では、乗客を守るように刀を振るっていた炭治郎と目が合った。
「炭治郎!」
「姉ちゃん!」
ほぼ同時に声が重なる。炭治郎の表情は、すでにただ事ではない状況を物語っていた。
「みんなは起きたのか!?多分、竹雄と伊之助には伝わったけど、汽車全体が鬼になっているんだ!!それに、さっきから後方が凄く揺れて――!」
「その揺れは煉獄さんだよ。後方を移動してる」
言葉を遮るように返すと、炭治郎の目が一瞬だけ見開かれた。
「煉獄さんが……!?」
「今は役割を分けてる。炭治郎は伊之助くんと一緒に、前方で鬼の頸を探して」
そう告げながら、私は壁際から膨れ上がった肉塊へ爪を振るった。斜めに裂かれた肉が粘ついた音を立てて崩れ落ち、その向こうでは、取り込まれかけていた乗客が何事もなかったかのように眠り続けている。
炭治郎の視線が一瞬そちらへ向いたものの、すぐに前へと戻った。
「乗客は!?」
「残りの仲間で守る。竹雄と禰豆子と善逸くんで、前方の四両目までの車両を対応して。私は前方全体の支援。後方の四両は、煉獄さんが全部見る」
途中で伊之助にも同じ内容を伝えてある、と付け加えると、炭治郎は小さく息を呑んだ。
「煉獄さん一人で、そんな広さを……」
「最初は五両全部を守る!って言ってたからね」
思わず苦笑が漏れる。
「でも、今は信じるしかない。あの人ならできる」
後方を三両までに減らしてはどうかという私の提案は、煉獄さんに即座に却下されていた。もっとも、あのやり取りを今ここで炭治郎に伝える必要はないだろう。
「ここは私に任せて。炭治郎は前へ」
短く告げると、炭治郎は迷いなく頷いた。
「分かった!」
炭治郎が駆け出した直後、頭上の屋根を荒々しい足音が走り抜けていった。伊之助が先行しているのだろう。その足音を追うように、私も次の車両へと足を進めた。
車両を抜けた先で、私は竹雄と合流した。前方寄りの客室を中心に、乗客の防衛を担っていた竹雄は、こちらの姿を認めると、すぐに状況を理解したようだった。
「先頭の客室は、俺がそのまま守るよ!」
その眼差しに迷いはない。
「お願い!私は少ししたら、また禰豆子たちの辺りまで行くから」
竹雄に任せて先頭寄りの客室へ向かう途中、空気の密度が一段と重くなった。炭治郎と伊之助が向かった機関部へ近づくほど、そこに魘夢の急所があると告げるように、鬼の気配が濃くなっていく。
その異変に最初に気づいたのは、おそらく竹雄だった。
炭治郎とは違い、途中で引き返さず前方に踏みとどまったことからも、それは容易に想像できる。けれど、気づいたのとほぼ同時に、汽車と融合した魘夢の肉塊が前方の客室へ雪崩れ込むように広がったのだろう。
気づいた時には、もう守るしかなかった。
私はそう結論づけ、前方と中間の車両を行き来しながら、肉塊の侵食を食い止めた。血を編み上げ、膨張する肉へと“茨ノ連”を撃ち込む。大きく膨れ上がった肉腫だけを狙って動きを押し留め、必要以上に血を消耗しないよう力を調整しながら、乗客へ迫る触手を次々と絡め取っていった。
その間も、列車の中から雷鳴のような音が続けざまに響いてくる。
善逸の斬撃が走るたび、禰豆子の爪が肉を裂くたび、車体が小刻みに震えた。あちこちで繰り広げられる攻防が、まるで列車そのものの巨大な鼓動となって重なっていく。
炭治郎と伊之助の気配は、最前部に留まり続けていた。
機関部へ近づくほど濃くなる鬼の気配。その床下には今も、脊椎を思わせる異形の中枢が張り巡らされているはずだ。
終わりは近い。けれど、その瞬間が訪れるまで、攻防は一時たりとも途切れない。
誰か一人でも倒れれば、均衡は崩れる。乗客が一人でも呑み込まれれば、守りきれなかった命が生まれる。その危うい均衡の中で、私は呼吸を整え、血の消耗を抑えながら、ひたすら機を窺っていた。
炭治郎たちが、魘夢の頸を斬る。
その瞬間が訪れるまで、私はこの戦線を支え続けるだけだ。
――ドガァッッッ!!!
突如、汽車全体を突き上げるような衝撃が走った。直後、前方から届いたのは、炭治郎が放ったヒノカミ神楽の気配だった。瞬間、すべてを理解する。
(炭治郎が、
「ギャアアアアアアッ!!!」
魘夢の断末魔が車内を震わせた。重なるように、車輪が線路を削る耳障りな音が爆発的に響き渡り、鬼の聴覚には脳へ直接杭を打ち込まれるような轟音となって襲いかかる。
思わず眉を寄せた。
(善逸くんの鼓膜、大丈夫かな……いや、今は――!!)
浮かびかけた心配を振り払い、目の前の状況へ意識を戻す。
絶命しかけた生き物が最後の力で暴れるように、魘夢の胴となった列車そのものが激しく跳ね上がった。天井も床も軋み、座席が悲鳴じみた音を立てる。その直後、車内の至るところで肉塊が一斉に膨れ上がった。
通路を埋め尽くす肉が、眠ったままの乗客へ雪崩れ込もうとする。私は即座に爪を振るい、迫る肉塊をまとめて切り裂いた。
「竹雄!!」
呼びかけるより早く、反対側から炎色の斬撃が走り、切り残した肉塊を断ち切る。
「この揺れ……ッ!!」
竹雄は座席に手をついて体勢を立て直すと、鋭く周囲を見回した。足元から伝わる振動が変わり、車輪の跳ねる音も先ほどまでとは違うものに変わっている。さらに、ふっと足元が浮くような感覚が駆け抜けた。
「まずいぞ、姉ちゃん!!列車が……ひっくり返る!!」
その声が届いた直後、世界が横倒しになった。
轟音とともに車体が大きく傾き、窓ガラスが一斉に砕け散る。乗客たちの身体が座席から投げ出され、悲鳴と破砕音が入り乱れる中、私は咄嗟に腕を伸ばした。
竹雄も同時に動いていた。私たちは互いの動きを確かめる間もなく、膨らみきった肉塊を足場にして身体を投げ出し、宙へ放り出される乗客たちを受け止めようと手を伸ばす。
だが、列車の横転は止まらない。車体は線路を外れ、地面を削りながら横倒しになった。悲鳴のような金属音を撒き散らし、轟音と土煙の中へと滑り込んでいく。
列車の外へと投げ出された瞬間、地面へ叩きつけられる寸前で身体を翻し、空中で勢いを殺す。着地に問題はない。すぐさま体勢を立て直すと、近くへ吹き飛ばされてきた壮年の男性を両腕で受け止めた。
「おっと!――よし。地面に叩きつけられなくてよかった」
腕の中の男性は、夢から醒めているはずなのに、横転の衝撃で意識を失っていた。そっと地面に寝かせて前方へ目を向ければ、同じように列車から投げ出された乗客たちが、あちこちに散らばっている。
無事を確かめなければ。崩れた車体へと近づいたところで、その陰から炎の気配が立ち上がる。見慣れた気配に緊張がわずかに緩み、姿を現した弟へと声をかけた。
「……竹雄!怪我はないみたいで、安心したよ」
「うん!姉ちゃんも無事で良かった」
竹雄は刀についた血を軽く払ってから鞘に収めた。土埃にまみれ、息も上がっているが、立ち姿に大きな乱れはない。
ひとまず互いの無事を確かめ、私は魂視を発動させると、横転した車体の周囲へ視線を巡らせた。地面に倒れ伏す乗客たちの魂の光は、大きさも輝きもまちまちで、衝撃の大きさを物語っている。それでも、どの光も消えかかっていなかった。
――みんな、生きている。胸の奥に張り詰めていたものが、ほんの少しだけ緩む。
「怪我人は多いけど、命に関わる人はいないみたい」
「鬼の肉に守られた形になったってこと?」
「そう。結果的にはね」
短く頷き、私は再び周囲へ目を向けた。
生きている。それは確かだ。けれど、衝撃で意識を失った者もいれば、身体を強く打ちつけた者もいる。全員を癒血で治療できれば早いが、そんなことをすれば、肝心な時に使う血が残らなくなる。
「全員に癒血を使えたら早いんだけど……それだと血が足りない。私は少し後ろを見てくる。竹雄はここをお願い」
「分かった。任せて!」
竹雄はすぐに頷いた。ちょうど鎹鴉に隠の要請を伝えていたところだったらしく、こちらを見ていた視線を戻し、再び連絡に取りかかる。
その様子を横目で確かめ、私は後方車両へと足を向けた。
少し離れた場所から、聞き覚えのある泣き声が響いてくる。目を向けると、善逸が男の子と女性、そして禰豆子をまとめて抱え込むようにしながら、声を上げて泣いていた。
「禰豆子ちゃあぁぁぁん!!身体中が痛いよぉぉぉ……!!汽車の中では楽しい夢を見ながら禰豆子を守る最高に格好いい俺だったはずなのに!気づいたら全身傷だらけ!絶対に頭も切れてる!おでこに血が流れる感触がするもん!!前も頭から落ちた*1のにぃぃ……!!痛すぎるよぅ……!!」
禰豆子に縋りつき、泣き叫ぶ善逸。そのあまりの勢いに、私は思わず苦笑した。
「善逸くん……禰豆子が困ってるから、一回離してあげて。それと、その女の人と男の子も寝かせてあげよう?」
「灯麻希ちゃん……!無事だったんだねぇ……!!」
こちらに気づいた善逸が、涙でぐしゃぐしゃになった顔を向けてくる。
「私は平気だよ。禰豆子とこの人たちを守ってくれて、ありがとう」
そう告げると、善逸は泣き続けながらも素直に腕を緩めた。解放された禰豆子はすぐさま私のもとへ駆け寄ってくる。ひとまず、二人とも動けるようだ。私は禰豆子の様子を確かめてから、横たわる乗客たちへ視線を移した。
「まだ動けるなら、他の人たちも助けてほしい。列車の中は危ないから、外の安全な場所まで運んでくれる?」
しゃがみ込んで禰豆子と目線を合わせると、彼女は私の意図を理解したように力強く頷いた。
「善逸くんも――できる?」
続いて善逸へ向き直り、額から流れる血を拭って傷の具合を確かめる。深い傷ではなさそうだが、放っておくわけにもいかない。ひとまず応急処置代わりに包帯を巻いてやると、善逸は涙目のまま何度も首を縦に振った。
「やる……!禰豆子ちゃんを一人にはしない……!!」
その返事を聞き、私は小さく頷いて立ち上がった。
後方の様子をひと通り確認してから、横倒しになった列車の車体へ足をかけ、そのまま屋根の上へと飛び乗る。潰れた窓の向こうからは、まだ混乱した乗客たちの声が響いていた。
「動ける人は左側へ!怪我をしている人を支えながら、落ち着いて降りてください!」
声を張り上げ、足場の傾いた車体の上を駆ける。窓の位置や車体の歪みに注意を払いながら進み、途中で右側へ飛び降りると、煉獄さんが救助したのだろう乗客たちの姿が目に入った。
すでに安全な場所へ移された人たちもいる。私は意識のある者たちを安全な方向へ誘導し、負傷者が取り残されていないか気を配りながら、さらに前方へと向かった。
炭治郎たちの気配は、まだ機関部付近にあった。途中、動けない乗客を見つけて抱え上げ、後方の安全な場所まで運ぶ。すぐさま身を翻して前方へ走り出した、その時だった。
機関室の近くまで辿り着くと、列車の下敷きになった運転士を助け出そうと、伊之助が怒声を上げながら何度も体当たりを繰り返していた。
「這い出ろォォ!!」
その瞬間――
伊之助の体当たりが車体を揺らす衝撃音と、頭上から“何か”が落下した轟音が、ほとんど同時に大地を震わせた。
――――ドォン!!!
足元から伝わる振動に、思わず動きが止まる。炭治郎と煉獄さんの前方で、土煙が爆ぜるように巻き上がっていた。
(しまった……もう来てしまった……!)
煙の向こうに立つ気配を捉えた瞬間、背筋が強張る。
重い。ただ強いというだけではない。そこに存在しているだけで、周囲の空気そのものが押し潰されていくような圧迫感だった。
間違いない。来てしまったのだ。私の反応に気づいた伊之助が、体当たりを止めて即座に顔を上げる。
「どうした、ネーチャン子分!!」
問いかけた直後、伊之助の全身がびくりと震えた。毛が逆立つように肩を強張らせ、土煙の向こうへ視線を向ける。
「!? なんだァ……コイツ!!」
獣のような唸り声が響く。けれど、私は答えなかった。視線の先にいる存在から、意識を逸らす余裕などない。炭治郎と煉獄さんが、あの気配の正面にいる。
――急がなければ。
「伊之助くん、ここは任せる!!」
叫ぶと同時に地面を蹴る。土煙の向こうへ、少しでも早く。
煉獄さんのもとへ――!!
・
・
・
「そうか。では素晴らしい提案をしよう」
声のした方へ視線を向けた瞬間、全身の感覚が鋭く張り詰めた。
夜の闇に沈むような桃色の短髪。肌を覆う、幾何学的な刺青。武術家を思わせる身軽な装い。その姿を目にしただけで、目の前に立つ鬼が上弦の参――猗窩座だと分かった。
ただそこに立っているだけなのに、周囲の空気が軋むような圧迫感がある。
その足元から少し離れた地面には、炭治郎が倒れていた。腹部を押さえ、血の匂いを濃く漂わせながら、それでも必死に意識を繋ぎ止めている。
私は地を蹴り、一気に跳ね上がった。
「――――お前も鬼にならないか?」
「ならない」
煉獄さんの迷いのない返答とほぼ同時に、私はその隣へ降り立つ。着地の勢いを殺しながら構えると、煉獄さんは切っ先を低く保ったまま、視線だけをこちらへ寄越した。背後では、炭治郎が息を呑んでいる。
「君か」
「私も戦います」
一瞬、煉獄さんの瞳がわずかに細められた。けれど、それはほんの一瞬だった。彼はすぐに前方へ視線を戻すと、力強く頷いた。
「……任せた!!」
その言葉を合図にしたかのように、猗窩座の黄色い瞳が、ゆっくりとこちらへ向けられる。
その顔に浮かんだのは、歓迎とは程遠い、あからさまな不快感だった。
「人間に紛れて生きる鬼か……逃れ者だな。俺はそういう在り方は嫌いだ。弱者の次に反吐が出る」
吐き捨てるような言葉とともに、場の空気が凍りついたかのように重く沈む。
だが、猗窩座の関心は長くは続かなかった。黄色い瞳が再び煉獄さんを捉えた瞬間、その奥にギラリと猛烈な歓喜が蘇る。
まるで、私の存在など一時の不快感を覚える程度のものにすぎないとでもいうように。
「まあ、逃れ者は後で殺すとして。お前の強さ、素晴らしいな――柱だな?その闘気、練り上げられている。
「俺は炎柱、煉獄杏寿郎だ」
「俺は猗窩座。杏寿郎、なぜお前が“至高の領域”に踏み入れないのか教えてやろう――人間だからだ。老いるからだ。死ぬからだ」
猗窩座は煉獄さんを指差し、断言するように言葉を重ねた。
「鬼になろう、杏寿郎。そうすれば百年でも二百年でも鍛錬し続けられる。強くなれる」
その声を聞きながら、私は無意識に一歩だけ後ろへ退いていた。
鬼でありながら、人間の側に立つ自分。猗窩座の言葉は、煉獄さんに向けられたものだ。けれど、老いることも死ぬこともない鬼の強さを説くその言葉は、私自身の立ち位置をも浮き彫りにする。
鬼であることは変えられない。人間とは異なる存在であり、鬼の側から見れば、私は同族を裏切る逃れ者なのだろう。
けれど、それは私が望んで選んだ生き方だった。
中途半端な存在であることも、例外であることも、とうに理解している。それでも私はここにいる。
守るために――――煉獄さんが、ここで死ぬ未来を変えるために。
そのために蝶屋敷で拳を振り、身体を鍛えてきた。魘夢との戦いでは、目の前の敵を倒すためだけに力を使い切ることなく、この時のために温存した。
全ては、この瞬間のためだ。
空気は、妙に澄んでいた。
煉獄さんは一瞬たりとも揺らがない。ただ真っ直ぐに、猗窩座を見据えていた。その声に迷いはなかった。
人間という存在の儚さを肯定し、弱ささえも美しさとして受け入れる。力とは、肉体の強さだけを指すものではない。その信念を一切曲げることなく、炭治郎を侮辱する言葉にも、煉獄さんは真っ向から否定を重ねた。
「――――何度でも言おう。君と俺では価値基準が違う。俺は如何なる理由があろうとも鬼にならない」
その答えを受け、猗窩座は低く息を吐いた。右脚が、静かに地面を踏み締める。
「そうか」
短い一言を境に、空気が変わった。猗窩座の重心が沈む。先ほどまでの勧誘の余韻は消え失せ、全身から剥き出しの殺気が立ち上った。
私は反射的に腰を落とし、両拳を握る。隣では煉獄さんが刀を構え、炎のような闘気を燃え上がらせていた。
――来る。
猗窩座の足元から、術式の陣が広がった。
“術式展開 破壊殺・羅針”
「鬼にならないなら殺す」