空想鬼譚   作:庵non

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連動タイトル、3段階目


9.鼓動*

 

 

 

 壁に開いた大穴から、半壊した建物の内部へ足を踏み入れる。

 地下から微かに漂う珠世さんたちの気配を辿れば、黒い扉の向こう、地下に続く階段の存在も自然と分かる。そっと階段を降り、天井に灯る二つの薄明かりに導かれながら進むと、通路の奥で珠世さんが禰豆子を診察している姿が見えた。

 

 右手の牢には、浅草で鬼にされた男性が分厚い格子を噛み、低い唸り声を上げている。その視線の先、通路の最奥には布団に包まれた女性が眠っていた。

 

「無事に地下に来られたようで安心しました。灯麻希さんの血液の採取をお願いしたいので、こちらに来てもらえますか」

 

 すぐに頷き、禰豆子の隣に腰を下ろした。

 愈史郎が注射器を取り出し、私の腕から血を採取し始める。熟練の看護師のような手つきで、痛みはまったく感じなかった。

 

「ご協力ありがとうございます」

「いえ、このくらい大丈夫です………あの、珠世さん」

「珠代様の邪魔をするな。話したい事があるなら、俺に聞け」

 

 愈史郎の低く怒りを帯びた声と険しい表情に一瞬ひるんだが、彼の言う通りにすることをすぐに決めた。

 

「それなら……愈史郎くん。手紙を書きたいから、紙と何か書けるものを貸してもらえる?」

 

 「何だ、そんなことか」と言わんばかりに、彼は軽く眉を上げ、数枚の紙と鉛筆を差し出した。日常的に備えているのか、取りに行くそぶりすら見せない。その姿に、彼の抜かりのなさと有能さが改めて伺える。

 

「ありがとう」

 

 手紙が気になるのか、禰豆子がそわそわして落ち着かない。可愛いけれど、今は邪魔させられない。眠っている女性を起こさぬよう、私は空いている左の牢の中へ移動した。

 

 

 

 

 地下牢の冷たい石床に膝をつき、手に握った鉛筆の感触を確かめる。

 紙は粗く、机もない。それでも、文字を刻むことさえできれば十分だった。

 自然と、書くべき内容が定まる。

 

 『拝啓  春暖の候、鬼殺隊御館様におかれましては、日々の御健勝、御安泰のこととお慶び申し上げます』

 

 形式的な挨拶から始め、炭治郎を鬼殺隊士として受け入れてくれたことへの感謝、そして、鬼である私と妹・禰豆子の存在を黙認してくださっていることへの御礼を紡ぐ。

 指先にわずかな震えを覚えながらも、一文字ずつ、粛々と、確かに文字を落とす。胸の奥に焦燥や恐れは沈み、重くも力強い決意だけが支えていた。

 

 会見を単独で望む理由も、手紙に書き残さなければならない。

 鬼である私の言葉は信じ難いだろうが、鬼殺隊の命運を左右する情報を持つ以上、直接伝える必要があるのだ。

 

 情報の根拠に――生来の魂視の能力、そして過去と無惨の狙いを把握していることも記す。証拠には、産屋敷家が長年抱えてきた秘密をぼかしつつ示唆するだけで十分だろう。

 

 そして、私の“知識”は過去だけではない。限定的ながら未来も垣間見たことを書き加える。

 未来は大きな一本の軸として強固に存在するが、踏み外せば奈落に落ちる細い綱であることを強調する。

 

 『ゆえに私は、この未来をより堅固なものとするため、知り得たことを直々に御伝えしたく存じます』

 

 最後に、情報の取り扱いについても慎重に記す。

 敵に漏れれば命取りになるため、会見の場には、産屋敷耀哉、妻のあまね、後継者の輝利哉のみの参列を申し出る。護衛も一名に限定すよう願った。

 

 どの言葉も無駄なく、余計な装飾は避ける。感情は書かずとも、端々に決意は滲むはずだ。

 

 手紙を書き進めることこそ、私にしかできない方法で未来を守る行為に繋がると信じて。この紙の上に、私の想いのすべてを託す――沈黙に包まれた地下牢に、鉛筆の音だけが響いた。

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 手紙を書き終えて折り畳み、紐を固く結んで封を施す。

 それだけで胸の奥でざわついていた波が、ひと息ぶんだけ静まった。

 

 牢を出ると、炭治郎が禰豆子の手を握り、珠世さんと愈史郎に向き合っていた。どうやら話は一区切りついたようだ。

 私は丸くなった鉛筆を愈史郎へ差し戻す。

 

「……鉛筆、貸してくれてありがとう。おかげで手紙は無事に書けたよ」

「そうか。

 ……ならいい」

 

 短いやり取りの最中、炭治郎がこちらを振り返った。

 

「そう言えば、珠世さん。姉ちゃんのことは、()()()とは言いませんでしたね」

 

 真っ直ぐで曇りのない声。

 私は手紙に集中していたため会話の細部は聞けていなかったが、“知識”により大まかな流れは察していた。

 ――珠世さんが禰豆子を預かろうと申し出て、炭治郎が「離れ離れになりません」と兄妹で手を繋いだまま断ったあのやり取りだ。

 

「それは……」

 

 珠世さんが言い淀んだ瞬間、愈史郎が鋭く言葉を挟んだ。

 

「姉はお前と一緒に戦場にいる方が性に合ってるだろ。珠世様を煩わせるな。

 鞠女と妹がやり合ってる時も、黙ってるくせに殺気が煩くて仕方なかった。俺たちと身を隠す生活なんて、一日も耐えられる筈がない」

 

 私を指しながら、ためらいの欠片もなく言い放つ。

 

「その節は………本当に申し訳ない」

 

 私は深く頭を下げた。あの時の自分の感情の乱れが、二人にまで伝わっていたとは。思い返すだけで頬が熱くなる。

 

「種類は違うけど……私にとっても、愈史郎くんにとっての珠世さんのように、妹と弟は大事な人だから。

 ……つい、取り乱しちゃった」

 

 そう言いながら、炭治郎と禰豆子の頭をそっと撫でる。

 

「ふたりとも、強くなったねぇ」

 

 二人はほわ、と花が咲くような笑みを浮かべてこちらを見上げた。

 

「あれ?愈史郎さんの顔が……」

 

 弟の声に視線を向けると、愈史郎が耳まで真っ赤にして俯いていた。

 

「炭治郎、重心が少し左に傾いてるね。お腹のあたりが強張ってるけど……怪我したの?」

 

 慌てて話題を振り直す。

 さっき愈史郎の急所を突いてしまったせいで、予想以上に照れさせてしまったようだ。少し気の毒なことをしたかもしれない。

 だが、珠世さんを本当に大切に思っているのは確かだ

 ――珠世さんの未来を守れる存在は、きっと彼しかいない。

 

 “愛”は無限大。人を動かす原動力が心なら、その心を揺らす源こそ愛の力だ。

 

「矢印の鬼との戦いで、右の肋を折ったんだ……俺がもっと強ければ、禰豆子も、姉ちゃんも、誰も傷つけずに済んだのに」

 

 炭治郎はそう言ってから苦く笑う。

 弱音とも言える言葉の奥に、悔しさと強い感情が滲んでいた。

 

「大丈夫。炭治郎は、確かに強くなってるよ」

 

 そう告げ、私は指先を爪で引っかき、滲んだ血で血鬼術“癒血”を発動させる。舞い散る血が淡く光り、花びらのように炭治郎の右肋を包み込んだ。

 

「……姉ちゃんこそ、辛くない?」

「罅が入ってただけだから平気。もう痛くないでしょ?」

「うん。ありがとう」

 

 珠世さんが、私の異能を興味深げに見つめる。

 

「それが灯麻希さんの血鬼術ですか?」

「はい。人の傷を癒す力です。正確には、自己治癒力を底上げする術ですね。

 まだ軽い傷しか治せませんし、失った部位を再生させることはできません……そして鬼に使っても、何の変化も起きません」

 

 ある夜に、鱗滝さんが捕らえてきた鬼に試した時も、回復力が増したり傷が塞がったりすることはなかった。

 

「なるほど……鬼には効かず、人にしか効かないのが灯麻希さんらしいですね」

「……便利な術だな」

 

 

 

 

 やがて、別れの時が来た。

 珠世さんたちは痕跡を消してから動くため、先に去るのは私たちの方だった。

 

「では、武運長久を祈ります」

 

 珠世さんが胸に手を当てて挨拶をすると、私は深く一礼し、歩き出そうとしたその時――

 

「炭治郎」

 

 箱を取りに向かおうとした炭治郎の背へ、愈史郎が振り向かずに言った。

 

「お前の姉と妹は……美人だよ」

 

 昨夜の言葉を撤回する声音は、どこかぎこちない。

 背中越しでも、彼の魂の色が桃色と黄緑に揺れているのが分かる。気恥ずかしさに滲む色は、嘘偽りを映していなかった。

 

 炭治郎は晴れやかな顔で笑った。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 その夜は、空気がひんやりと冷たかった。

 炭治郎は“藤の家”が解禁されていないのか、理由は分からないが、任務に向かう途中で夜になってしまった。

 結局、私たちは野宿するしかなかった。

 

「じゃあ、私が夜の番をやるね」

 

 私が言うと、炭治郎は少し粘ったものの、最終的に交代制となった。先に私が起きていることになったのだ。

 

 暗い森の中、木陰に腰を下ろし、私は上空を旋回する炭治郎の鎹鴉を呼び寄せた。

 

「カァァ!何ノ用ダァ!竈門灯麻希ィィ!」

「炭治郎と禰豆子が寝てるから、話すのは止めてね。起きちゃうから」

「カアァァ!!」

「シーー…………!」

 

 木の枝に止まった鴉は、私を見下ろしてわざとひと鳴きする。目を細め、数秒睨み合った後、やっと頷いた彼に手振りで指示し、木の上へ飛び移った。

 

 首を傾げ、尊大な態度で私を見下ろす鎹鴉に向かって、そっと口を開く。

 

「あなたの名前は確か、天王寺松右衛門(てんのうじまつえもん)だったよね。松右衛門って呼んでいい?」

 

 首をコックリと縦に振る鴉。

 

「良かった。あなたに頼みごとがあるんだ。この手紙を鬼殺隊の当主、産屋敷耀哉さんに届けてくれる?」

 

 懐から手紙を取り出して見せる。

 だが、松右衛門は素気無く首を振り、断った。

 

 私は目を細め、低く息を吐く。

 

 

「……………“藤の家”。通常の一般隊士はここで寝泊まりするんでしょ?負傷の手当もここで行われる。今回は私の血鬼術で炭治郎の怪我を治せたけど、私がいなかったら、そのまま任務に行かせるつもりだったよね。

 ……目を逸らさないで。それと、浅草の鬼の件は任務じゃなくて、本当は噂話だったんでしょう?」

 

 松右衛門は数回瞬きを繰り返してから、嘴を大きく開けた。

 

「任務ハァ多クナァイ!普通ゥ!!」

「そう。でも……これまで、ずっと野宿してる件は?」

「…………」

「手紙届けてくれるなら、この件は不問にする」

 

 これが決め手だった。

 松右衛門はカァと諦めたように承諾した。脚に手紙を括り付けて、夜風の中へ飛び立った。

 

 

 

 

 私は木の上に座ったまま、静かに息を整える。

 心の奥に、ほんのりと火が灯り、熱が広がった。

 手紙を届けること――それこそ、私にしかできない方法で未来を守るための、第一歩だ。

 

 思考の隅で、炭治郎が任務と噂の境目で戦ったことを思い返す。休息日に予定外の戦いに巻き込まれ、鬼の首魁と遭遇し、鬼二体を退けた弟。

 だからこそ、今しか松右衛門に手紙を託すチャンスはない。

 

 小さく胸を押さえ、私は深く頷いた。

 夜の静けさの中、手紙はすでに私の手を離れ、未来へと託されたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【産屋敷宛の手紙 全文】

 

 

拝啓  鬼殺隊 九十七代目当主殿

 

 春暖の候、鬼殺隊御館様におかれましては、日々の御健勝、御安泰のこととお慶び申し上げます。

 

 このたびは、門炭治郎を隊士としてお取り立てくださり、また、鬼である妹と私をなおも受け容れてくださっていること、深く御礼申し上げます。人ならざる我らを黙して見過ごされるは、並々ならぬ御寛大と存じます。

 

 さて、私こと人にあらず鬼の身なれど、生来より人の魂を視る力を持ち合わせておりました。鬼となって以降は、その力に加え、出会った人や鬼の記憶をも垣間見ることが叶うようになりました。

 その記憶を繋ぎ合わせ、また自ら視た魂より知り得たところ、浅草に潜んでいた鬼こそ、貴殿もよく御存じの鬼舞辻無惨に相違ございません。

 

 また、探り得た過去の断片の中には、御館様が代々受けてこられた短命の理由を知る手掛かりも含まれておりました。詳らかに綴ることは控えますが、我が知るところをもってすれば、御身に虚言を弄していないことは必ずやご理解いただけるものと信じます。

 

 加えて、私の家族にまつわる魂を視た折には、過去ばかりでなく、未来の景色までも映じました。

 その未来は明るく確かなものではありながら、いかにも脆く、一歩誤れば全てが潰える運命にございます。そしてささやかではありますが、その未来は鬼殺隊の命運に深く関わるものと映りました。

 

 ゆえに私は、この未来をより堅固なものとするため、知り得たことを直々に御伝えしたく存じます。

 ただし、その内容は敵に洩れることがあれば命取りとなるため、御身と奥方様、後継の御子息、そして護衛にお一人、最も腕の立つ柱を同席されるにとどめていただきたく、伏してお願い申し上げます。

 

 この願い、無礼の至りは重々承知の上にございます。されど、鬼舞辻を討つために必要とあらばこそ、命を賭してこうして筆を執りました。

 何卒お汲み取りくださいますよう、謹んでお願い申し上げます。

 

 敬具   門灯麻希 』 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




手紙は鱗滝左近次風の固い文体を意識して構成しました。
狭霧山での生活中に、鱗滝さんの書き物をする姿を見て格式高い書き方を覚えました。
主人公が手紙を綴るシーンを補完する形になっていると思います。



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