旧湾岸線・廃倉庫街 23:17
貨物ヤードの照明はほとんど死んでいた。雨上がりのアスファルトが光を受けて鈍く光り、遠くで貨物クレーンが風に軋む音だけが響く。
そんな闇の中、スーツ姿の男が、携帯端末を片手に歩いていた。傘もささず、足取りだけは営業の速度。その表情には、心の底から湧き出るような――諦観と爽快を混ぜた営業スマイル。
「ああ、はい。本日納品分、まだ戦闘検証が終わってなくてですね。ええ……はい、はい。もちろん、顧客データは匿名加工しておりますとも」
呪詛犯罪者向けの営業電話を、まるで保険の勧誘のように淡々とこなしていた。
そこへ――影が降りる。
空間が一点、沈む。音が絞られ、空気が硬質化する。変身中の九鬼 鼎が、貨物コンテナの影に立っていた。漆黒の羽衣が黒太陽の黒い極光を反射する事で簡易迷彩の効果を発揮している。彼女が視線を向けると影がひとつ揺れ、アスファルトの影色がわずかに歪んだ。
アリサ・ドラクルは逆方向から歩いてくる。戦闘直後で機動してきたため竜角と尾を隠しても居ない、炎の鼓動が腹の奥から律動している。
二人は、同時に“同じ気配”を捉えた。
「……予定通り合流できたけれど、先客みたいね――質量反応ゼロ。こんな反応初めて」
「待ち伏せと考えるほかないですけれど……気配が、無さすぎますわね。貴方、何者ですの?」
暗がりを歩くスーツの男がこちらに気づいたように顔を上げた。その表情は――変わらない。営業スマイルのまま。
「こんばんは。お二人とも初めまして。民間祭具・営業担当の鈴木と申します」
危険地帯に似つかわしくない“柔らかすぎる名刺交換の声”――その瞬間、アリサはほぼ反射的に炎を発し、鼎は重力を指先に集め、迎撃行動を開始していた。だが――炎は鈴木の足元のアスファルトを焼いただけで、彼本体には一切触れなかった。重力波は直撃したはずなのに、男のネクタイがわずかに風で揺れただけ。
「……回避した訳でも防御したわけでもない様ね」
「攻撃したのに、当たっていませんわ。貴方……存在していますの?」
男は営業スマイルのまま手帳を開いた。
「あ、いえ。私は“ただのサラリーマン”でして。こちら、本日のサインをいただきたい書類になります」
差し出されたのは、呪詛犯罪組織向けの納品契約書だった。鼎の眼が細まる。視覚、聴覚、電磁波、霊力、様々の観測感覚を用いて男の身体を解析する。霊力人並み、加護出力標準、瘴気出力検出できず、質量干渉零、生命活動、正常。同時にアリサが超感覚での感知も発動、しかし――
「――情報としては存在している……?私の観測方法のどの層にも干渉してこない」
「空っぽ……ですわね。生き物の気配が致しません」
返ってくるのは、営業的に最適化された柔らかい言葉。
「中身なんて要りませんよ。大事なのは、数字と契約です」
アリサの竜眼が、男の表面を舐めるように視た。能力は平凡。筋力も、人間並。だが――
(……恐怖も欲も、怒りも、何もない?)
不気味ではあってもアリサにとって彼は強敵には見えない。しかし竜よりも、人間よりも“遥かに薄い”その“薄さ”が逆に生理的恐怖を呼んだ。
「さて、本題ですが……本日は“新型の危険祭具デモ”にお越しいただきまして誠にありがとうございます」
言葉の意味がわからない。呼んでいない、誰も招待していない。勿論呼ばれてもいないし、招待もされていない。アリサと鼎はお互いに《M-ΛTCH(マッチ)》に関する情報共有と、アリサは更に行方不明になった仲間の情報を確認したかっただけだ。
「そんな予定は存在しないわ」
「私たち、呼ばれていませんわよ?」
男は少しだけ笑みを深めた。
「ああ、ご安心ください。こちらが勝手に皆さまを“イベント参加者”として登録しただけです……これも企業努力の一環ですので」
営業マンは書類を閉じ、微笑んだ。
「では、製品デモを開始いたします」
スーツの袖から、“仕事鞄サイズの現場式祭具”がガチャ、と音を立てて展開した。
《祓力骨格スーツ:OVERWORK-01》
《携行呪具キット:パワーポイント》
《人体拡張式祭具:リスクアセスメント》
どれも、「未認可」「危険」「使用推奨外」「死に至る可能性あり」と赤字の注意書きが貼ってある。
「それ、使う気ですか?」
「ええ、もちろん。“売る前に自分で使う”。営業の基本ですよ」
平然とした答えに、鼎が鼻を鳴らす。
「他人に迷惑をかけるのも、自分で身体を壊すのも平気なのね」
返答せず男が首を鳴らした。営業スマイルのまま、異常な一言を放つ。
「では――お二人の命を使って、性能を測らせていただきます。どうぞよろしく」
アリサの尾が鋭く跳ねる。鼎の周囲で二つの黒太陽が点灯する。
二人の超越存在と“空洞の男”が対峙した。
「……愉しませてくださるのでしょうね?」
「もちろん。本日は“実戦データ大放出セール”でして」
その瞬間――倉庫街全体の霊的圧力が跳ね上がった。なし崩し的に戦闘開始。だが、誰一人として“どう終わるか”読めない。
旧湾岸線第四区・貨物ヤード 23:25
空気が急激に“燃えた”。炎ではない。霊気でもない。“仕事量”が、世界の許容量を超えた音だった。《OVERWORK-01》が展開した瞬間、スーツの縫い目から現れた金属骨格が肉体を内側から押し破り“労働能力の拡張”と称された呪具の力が、鈴木佐藤という凡庸な中年に――致命的な“加速”を強制する。
「あ、少し痛いですね。でも、これくらいは仕事の内です」
営業スマイルを崩さず言うが、胸骨はすでに反転し、腕の関節は二つ逆方向に折れ、筋肉は“無理やり緊張させられたワイヤー”のように震えている。人間を動かす構造ではない。生体の機能限界を超えた、数字上の性能だけを伸ばす最悪の違法祭具だった。アリサが低く呟く。
「……それを仕事というのですね」
鼎は冷徹な解剖学者の目で観察していた。
「自傷でも自滅でもなく“作業効率”を優先するための自動崩壊……似たようなコンセプトの祓魔術もあるし、目新しい発想ではないけれど?」
もしその戦闘を見ている一般人が居たら、鈴木の姿が視界から“消えた”ように見えただろう。音が遅れて爆ぜる。アスファルトが抉れ、コンテナの壁面が衝撃でへこむ。
「……速い!?」
違う。“目では追える”。鼎とアリサの動体視力は人の限界を遥かに超えている。問題は――動きが読みにくい事だ。人間としての動線ではない。痛覚も恐怖も制御もない“空洞の労働衝動”が、最短距離の概念を破壊した軌道で迫ってくる。兵法の達人ではないのだろう鈴木佐藤の、合理的ではない妙な癖が動きを予測しにくくしている。しかし、体内に宿る鴉達の超知覚、言わば別の視点を複数持つ鼎は即座に対応した。
「甘いっ!」
重力波を床面に叩きつける。圧し折られた空間が、鈴木の“身体”を浮かせる――だが。鈴木の腕が、関節を捻じ切る角度で曲がり、浮かされたまま壁を蹴って「逆方向に折れた軌道」で加速した。明らかに神経と骨格の設計思想が破壊された動きだった。
「えぇ……」
ドン引きするアリサを横で鼎は感心していた。
「最新の技術が古典に回帰している、という話は嫌いじゃないわ」
リミッターを解かれた黒太陽が、二つ鼎の周囲に点滅しいた。鼎の演算分析は既に終了している。自身の内なる性質“嗜虐性”――対象を壊すためではなく、対象が壊れる“前兆”を見抜き、最適な介入の形を選ぶ冷徹な快楽を意識する。鼎は無造作に手をかざし、重力値を局所的に反転させ、鈴木の軌道に不可視の“重力の罠”を仕掛ける。重力術式の厄介な部分は、こういった小技にも発揮された。だが――反応が速い。鈴木はその重力反転を“経費削減”を行い回避し、支払いとして骨の折れる音を撒き散らして、さらに加速した。アリサが事実を冷静に指摘する。
「……彼、死にますわよ?」
「死ぬ前に止めるわ。私は境界対策課の祓魔師だから」
鼎の目は楽しげに笑っていた。狩りが嫌いな鴉は居ない。
アリサは鼎の動きをサポートするべく、竜の吐息を使用する事にした――勿論、本気で行えば蒸発させてしまいかねない。よって、掌を口に当ててフッと吹きかける様に威力を調節する。放射された火炎はナパームの様に地面を舐めながら鈴木に迫る。
「――止まりなさい、鈴木」
地面から焔が跳ね上がり、鈴木の身体を爆風が包む。流石に高速機動を続けられず停止、しかし――
「あ、はい。熱いですね。でも、仕事ですから」
燃え爛れた皮膚を引きずりながら、営業スマイルで炎の中から歩み出てきた。
二人は、無言でうなずき合う。仲間でも協力関係ではない。だが――互いに“強者”と認め背中を預けた瞬間、二人の動きは、不自然なほど噛み合う。先手を請け負ったのは鼎、変身した鼎が纏うフェザードレス、滅大風の黒羽が翻り逆光のように爆ぜて四散する。羽衣は爆裂点の中心へ吸い込まれ、次の瞬間――鼎は空中にいた。地面に突き立った絶九嬰の糸が、アスファルトを“鴉形”に切り抜く。いつの間にかそこには、黒い鳥の輪郭だけが残されていた。垂直に高度を移動させた鼎が上空で反転した瞬間、それは鴉へと変質する。人でもなく鳥ですらない。影として存在する鴉だ。
そして――二つの“鼎”が落ちてきた。
本体と影鴉が同じ速度/異なる位相で降下する光景は、降下軌道上の空間が無理やり歪ませられており、敵の眼に届く情報はゆがめられたものだ。更に急降下してくる鼎が脚部に展開した重力術式によって、空気ごと押し潰し、落下角度が滑らかに――あり得ない角度に捻じれた。足先に祓魔術を編むのもそうだが、平然と祓魔術に祓魔術を重ねる様な高位祓魔師との戦闘経験がない鈴木は、初めて先読みを外す。
「……ッ」
営業スマイルが歪むより早く、影鴉が彼の胸腔へと――食い込んだ。外からは衝撃音ひとつ。だが内部では黒い羽ばたきが炸裂した。鈴木の内耳が内部から殴られ、心臓の裏側で羽音が舞い、肺膜を影が“ひらり”と撫でた。肉体と霊体を内部からいじくられた鈴木は反撃どころではない。意識を保つのに必死になったが、咄嗟に興丹を自らに打ち込むことで戦闘続行に成功した、折れた骨を軸に、追撃をかわすためにさらに無茶苦茶な軌道で跳ねる。全てのステータスを揺さぶられている以上、一旦退避しなければどうにもならない。
逃げ道――があれば、だが。退避機動に入った鈴木の足元から紅炎が噴き上がり、更に路地の出口という出口を火の壁で塞ぐ。
「逃げる先、無くして差し上げますわ」
無慈悲な竜の吐息が呪詛犯罪者の退路を遮断。趨勢は既に決したと判断し、鼎とアリサが詰めに入る。
働いてはいけない身体を、働かせ続ける祭具。それが《OVERWORK-01》。鈴木は容赦なく降り注ぐ鼎とアリサの追撃により形代紙を次々に燃やし、更には自らの“寿命の切り売り”を続けながら戦闘機動を継続する。こと二人の畳みかけに耐えているのは、恐るべき粘り強さと言えた。鈴木の軌道が特筆して卓越しているのではない。破綻しているのに、成功している。痛覚の拒否を“経費削減”として処理し、骨折の悲鳴を“予算外”として無視し、筋繊維の断裂を“想定内”として押し通す。
アリサが眉間を押さえた。
「……私、めまいがしてきました」
鼎は同意しながらも、その異常性を分析していた。
「ええ。でも“働き方”としては興味深いわ」
鼎の発言に目を丸くするアリサを横目に、鈴木に限界が訪れていた。スーツが悲鳴を上げ骨格の刻印が膨張し、鈴木の背中から――
――腕が十数本生えた。
その全てが仕事をするための腕。
書類をめくる腕。
ハンコを押す腕。
名刺を切る腕。
そして――
殴るためだけの太い腕。
《OVERWORK-01:
霊圧が黒煙のように立ち上る。アリサが乾いた声で言った。
「……怖気がしますわね」
「ええ。あれは、働かせ過ぎね」
鼎の哲学者の様な冷徹な返しが、逆に恐怖を増幅した。
「……あっ、これは……控え目に言って……大変ですね……」
営業スマイルのまま、身体が軋むたびに周囲の空気が“仕事量の熱”で歪む。次の瞬間。一本目の“殴打腕”が、アリサを強引に狙うがアスファルトに命中、厚さ40cmの埠頭のアスファルトが粉砕される。アリサが反射で横へ跳ぶが、その軌道を 二本目の“名刺スライサー” が薙ぎ払う。
「名刺で切る気ですの!?」
紙とは思えない切断能力。名刺の端に刻まれた祓符印字が、振動刃のように震えていた。右から迫る“書類押印腕”は、拳の代わりに巨大なハンコを高速回転させている。鼎がアリサと位置をスイッチしながら対応。
「実印で殴るなっ!!」
戮封豨にぶつかり、火花を散らしながら衝撃が倉庫の壁へと直撃する。アリサは地面を滑りながら舌打ちした。
「……意外ですわね。死にかけの癖に、力だけは本物です」
入れ替わり前衛となった鼎の周囲に、十数本の腕が一斉に襲いかかる。
殴打、切断、事務作業、押印、タブレット入力、書類破棄、領収処理、契約書投擲――まるで“会社という地獄”を可視化したような連撃。
「貴方、忙しすぎて死にそうね……」
鼎は嘲笑を浮かべつつ、絶九嬰の黒糸を展開九条の黒ワイヤーが飛び全てを対応し終える筈――だった。黒糸が届く前に、ただ一つだけ絶九嬰に妨害されなかった腕が“経理”で払い落とした。高速で振るわれる領収書の山。その紙片に刻まれた微細な呪式が、黒糸を情報断裂で切断していく。
「っ!?しまった」
鼎が唸る。鈴木佐藤、その能力は凡庸だ。だが――その思想が異常だった。
労働
事務処理
営業行為
それらの“合理性”だけを極限まで拡張した結果、鈴木の動きは “一切の無駄がない資本主義的な暴力” となった。鼎の胸元を、殴打腕がかすめる。変身後の鼎の穢装等級は恐ろしく高く、ものともせずはじき返すが、変身を維持している鼎に命中打撃を与えたことが既に脅威だった。
アリサが「舐めすぎた」と小さく漏らした。少し想定外はあるものの現状は作戦通りではある。介入するべきか?もしアリサが横合いから本気で介入するのなら呪詛犯罪者の命はないだろう。
「……これが、凡人が“死ぬ気で働いた”到達点?」
だが――その瞬間だった。
【警告:OVERWORK-01 稼働率 313% → 破綻域】
現実がねじれた。腕が増えすぎたせいで、動線が自壊しはじめる。骨が砕け、血が裂け、企業努力の悲鳴が肉体を貫く。
「す……みません……少し……働きすぎ……ですね……」
それでも鈴木は笑った。
「ですが……!営業は最後まで、あきらめません……!!」
全腕が鼎へ向かって突き出された。明らかに差し違えるつもりの最終攻勢、しかし――それは鼎の分析通りの行動だ。
防御しながら準備を終えていた九つの黒太陽が完全同期。インフィニティシリンダーが限定起動。屠羿から射出された
アスファルトが沈み込み、鉄製の台車が平面へと潰れる。それどころではない、分子が圧壊し原子核すら一部変成が始まってしまう。
その中心で――鈴木が“止まった”。
重力値の局所跳躍。
質量概念の再定義。
この
鼎が静かに言う。
「終わりです、鈴木さん。仕事は、ほどほどに」
アリサの影が鈴木の背に重なり、竜の爪が首筋へ――届きかけて止まる。
「……あら。生きてますわ、これ」
「でも、もう動けないわ」
鈴木は営業スマイルのまま崩れ落ちた。骨の半分は折れ、違法祭具はすべて停止し、皮膚の半分は裂けている。それでも口だけは滑らかに動いた。
「いやあ……本日のデータ……大変参考になりました……また……よろしく……お願いします……」
そして気絶したのか、鈴木を名乗る呪詛犯罪者は一切の動きを停止したのだった。